23話「変わり果てた父」
鉄パイプ
天津キョウカの得物の一つ
何かを支えるために作られた鉄の筒
ただの金属の棒であり
純粋なる鈍器である
無機質な軍用照明が白々しく照らし出す、冷たく張り詰めた巨大な空間。
その中央に鎮座する巨大な機械の硬質なベッドの上には、眠り続ける一人の男が横たわっている。その側の名札には、「斎藤ハジメ」の文字が刻まれていた。
だが、本来であればとっくに駆動音を響かせているはずの機械は、なぜか沈黙を貫いていた。
「これは一体どういうことだ! なぜ動かない、答えろ!」
静寂を切り裂いたのは、黄金色の髪の男の怒号だった。彼は苛立ちを隠そうともせず、動かなくなったコンソールを何度も拳で叩きつける。
周囲の軍兵たちは、彼の逆鱗に触れぬよう、腫れ物に触るような手つきで配線を点検していた。
「申し訳ございません、ハリス様。ただ現在、再び『魔力奔流』が発生しているという報告も入っております。その影響が、この機械に及んでいる可能性も……」
「どいつもこいつも使えん奴ばっかだな! これだから非能力者は……効率という言葉を知らんのか!」
ハリスは吐き捨てるように言い放ち、乱暴に髪を掻き上げた。
「そもそも、制作に時間がかかりすぎなのだ! 何がまだ調整中だ! “あいつ”の怠慢のせいで計画が大幅に遅れた! 本来なら、私はとっくにすべての謎を解き終え、『英雄』として他の候補者たちと絶対的な差をつけれていたはずなのに……!」
野心と焦燥に支配された声が、暗い室内へ虚しく響き渡る。
「もういい! 私が直々に解剖する!」
苛立ちはついに頂点へと達し、ハリスは点検を続ける兵士たちを力任せに突き飛ばすと、自ら銀色に光るメスを手にとった。
「よ、よろしいのですか、ハリス様!? そもそも……まだこの方は生きているようですし……」
「何も問題ない! 私は医科大学に通っていたこともあるし、何より“こいつ”は今、正式には『行方不明』扱いだ。後で死体が見つかったとでも適当に報告しておけば、遺族も納得するだろう!」
ハリスは狂気に満ちた眼差しで、無抵抗のハジメを見下ろす。
「さて……一体こいつらに何が起きたんだ。何をすれば意識は戻るのだ……この私が直接暴いてやる!」
冷たいメスの刃が、ハジメの皮膚へ押し当てられ、一筋の鮮血が溢れ出した――その瞬間。
意識を失い、死人のように静まり返っていたハジメの両目が、カッと大きく見開かれた。
その眸には、鈍い赤色の光が不気味に蠢いていた。
◆ ◇
「わかったことは主に二つです。一つ目、我々が今、相手にしていた生物……スクルタスで意識不明者を発生させているあの触手。アレは、『異形天魔』の『眷属』の、さらに下の末端に過ぎません」
暗黒に染まった配管の中を、リナ、キョウカ、ヒカルの三人は歩を進めながら、クルルの淡々とした説明に耳を傾けていた。
「末端……? あんな化け物が、まだ下っ端だっていうの?」
リナが息を呑み、戦慄する横で、クルルは端末の光に顔を青白く照らし出しながら言葉を重ねた。
「恐らく、本来の眷属にあたる存在は、あれらの『マザーベース<母艦>』とでも呼ぶべきモノでしょう。あの触手たちは、そこから放たれた『子機』に過ぎない。そして、その子機たちは、非能力者と物理的接触を行い、『精神データ』――あるいは『魂』とでも呼ぶべきものを奪った後、即座にマザーベースへと転送しているのです」
「魂を、転送……?」
絞り出すような声を発したのはヒカルだった。
「ええ。さて、ここからがその『眷属』の真の目的です。マザーベースへと送られた精神データは、そこで『加工』されるのですよ。『非能力者』のそれを、『能力者』のものへとね」
「魂の、作り変え……!? そんなことが可能なのか?」
キョウカの低く鋭い声が響いた。
「ええ……詳しい理屈はまだ分かりませんが、実際に彼らは“そこまでは”成功させている。そうして、加工したデータを再びもとの身体へと戻す。そうすれば、この世界に新たな『能力者』が誕生するというわけです。……しかし、ここに大きな問題点があります」
クルルはそこで一度言葉を途切れさせた。
「通説では、能力者の肉体や魔力が優れているのは、強大な力に耐えるためと言われています。もしその理論が正しいのなら、肉体は非能力者のままなのに、中身だけを能力者に『書き換え』て、果たして無事でいられるのか? 恐らく、そこに致命的な欠陥がある。だからこそ、未だにデータが戻された例もなく、目を覚ます者もいない……というわけです」
「そんな……じゃあ、父さんは、戻ってきても父さんじゃない別のナニカに……?」
ヒカルの震える声が、暗い水路に虚しく反響した。
「さて、どこまで正確に返却をするつもりなのかは分かりません。元の肉体へ正確に個人の意識を戻すのか、それとも大雑把に振り分けるのか。……しかし、天魔という存在は自らに課した定義に対して非常に厳格な存在です。私は前者の、つまり個体識別を伴う返却である可能性が高いと考えていますよ」
「……仮に、正確に魂が戻されたとしても、それが変質していたら、もう以前のその人じゃない……」
リナは両手を握り締め、胸の奥から絞り出すように呟いた。
人の尊厳や個のあり方を、勝手に『書き換え』ようとする天魔の論理に、喉の奥へこみ上げてくる激しい怒りを抑えることができなかった。
「そして、二つ目の発見ですが……どうやら『異形天魔』本体は現在、外部から強力に抑えつけられているようなのです。本来なら、とっくに顕現していてもおかしくないのですがね」
クルルは端末に表示された歪な波形を見ながら、唇を歪める。
「おそらく、その抑止こそが眷属たちの計画を狂わせた原因でしょう。本体に連動して力を制限されている――あるいは、本体が不完全な顕現の状態でできる限界が、不完全な眷属の生成……だったのかもしれませんね」
「抑えつけている……? 一体、誰がそんな真似を……」
キョウカが訝しげに眉をひそめた。
しかし、考察が終わらぬうちに、四人の前で巨大な鉄扉がその圧倒的な存在感を主張し始めた。
その扉の奥には、クルルが制作し、自ら停止させた『解剖マシーン』が静まり返っているはずだった。
「あー……それと、これは完全な憶測で申し訳ないんですが……」
扉に手を伸ばそうとしたリナの動作を制するように、クルルは細い指をすっと一本立てた。
「彼らにとって、現状はあくまでも『返却』の過程中です。とするならば、もし不用意にその『器』――つまり、意識不明者の肉体を害そうとすれば……例えば、ハリスさんの望んでいた『解剖』だとかね。それは彼らにとって決定的な『妨害』に他ならない。……さて、彼らはそんな不届き者を、一体どう『処理』するのでしょうかね?」
「……え?」
リナの指先が、鉄扉の数センチ手前でピタリと止まった。
もし、肉体が天魔にとって「保護すべき器」なのだとしたら。
そこを土足で荒らそうとしたハリスや解剖機は、天魔にとって真っ先に排除すべき「害虫」でしかない。
そして、その「害虫」が存在する空間に今、自分たちは足を踏み入れようとしている……
「ちょっと、クルル! なんでそんな大事なことを今言うわけ!?」
振り返って抗議するリナに対し、クルルはただ肩をすくめて、ニヤニヤと笑みを浮かべるだけだった。
隣でキョウカが静かに息を吐き出し、即座に武器を構え直す。
リナは唾を飲み込み、胸の激しい鼓動を押さえつけながら、覚悟を決めてその重い鉄扉へと掌を押し当てた。
◇ ◆
重厚な鉄の扉を開いた先。
視界に真っ先に飛び込んできたのは、無惨に地に伏す軍兵たちの姿だった。過酷な訓練を重ねてきたはずの彼らは、ナニカに強く押し潰されたかのように床に這いつくばり、苦痛に満ちたうめき声を漏らしていた。
その凄惨な混乱のさらに奥、暗がりの壁際に、一人の男が立ち尽くしていた。
「……父さんっ!」
ヒカルの悲痛な叫びが空間を切り裂いた。
しかし、その声は目の前の男――斎藤ハジメには届かない。
かつての温厚な警察官としての面影を残したその背中は、一度として振り返ることなく、壁際に追い詰められた愚かな男――ハリスを凝視し続けていた。
その空間に立ち入った瞬間、身体の奥底――あるいは魂の内側からの震えを感じ取った。
隣に立つキョウカも、そして恐怖に顔を歪ませるハリスも、同様に能力者ゆえの直感――『共鳴』を感じ取っていた。
「ハジメさんが……能力者に……!」
「ということは、異形天魔たちの計画は上手く行ってしまったのか?」
息を呑むキョウカの問いかけに対し、あまりにも場違いで軽やかな声が返ってきた。
「いえ、『アレ』は斎藤ハジメさんではありません。肉体に子機を無理やり詰め込んでいるような状態ですね。ハリスさんの不用意な解剖が、天魔の琴線に触れたんでしょう。これはその『報復』……いえ、向こう側のシステムからすれば、ただの『防衛』といったところでしょうか」
「貴様、クルル! それに、そこにいるのはリナ・フォーグナーか!?」
壁際へ追い詰められ、額から嫌な脂汗を流すハリスが、なりふり構わず救いを求めるように怒号を上げた。
「おい、何を突っ立っている!? 今すぐ私を助け――うがっ!?」
しかし、ハリスの無様な叫びは、圧倒的な力によって唐突に遮られた。
ハジメが、まるで邪魔な荷物でも扱うかのような乱暴な動作で、その胸ぐらを掴み上げたのだ。彼はそのまま、抵抗するハリスを頭上高くに突き上げると、部屋の反対側へと力任せに放り投げた。
宙を舞うハリス。
その放物線を正確になぞるように、ハジメが淀みのない動作で片手をかざす。その手のひらには、火が凝縮され、球状に形作られていく。
生成された火球が、脱兎の如き速さで撃ち放たれる。
「うわぁぁーっ!!!」
迫りくる死を直感したハリスの悲鳴が響き渡る。
だが、火球がその身を焼き尽くす寸前、一条の影がその軌道へ割り込んだ。
直後、鼓膜を震わせる爆発音が鳴り響き、激しい衝撃波が空間を揺らす。
「確かにコイツはクズだが……」
黒煙がゆっくりと晴れた後、そこには煤ひとつ付いていないキョウカの姿があった。彼女は背後で腰を抜かし、ガタガタと震えているハリスを冷淡に見下ろしながら、低く鋭い声を漏らした。
「……だからといって、ハジメさんを殺人者にするのは違うからな」
鈍い赤色の光を放つ眸が、ヌラリと動く。標的であった「害虫」から、その害虫を庇う「害虫」へと、ハジメの視線がスライドした。
直後、爆発的な踏み込みが地面を砕き、彼の肉体は弾丸のごとき速度で、キョウカへと肉薄する。その右拳には炎が纏われ、凄まじい密度の魔力が空気を焼き焦がす。
しかし、キョウカはその猛攻を軽々と受け流した。
「おい、リナ! どうする!」
間髪いれずに繰り出される怒濤の連撃を受け流し続けながら、キョウカは鋭い声を飛ばす。
「『コイツ』を止めるには、叩くしかないぞ。攻撃していいのか!? ハジメさんの身体が壊れても知らんぞ!」
「殺せ! 今すぐその化け物を殺せ! 私の命を狙った反逆者だ、処刑してしまえ!」
キョウカの背後で震えていたハリスが、安全な場所にいると確信した途端、醜い勝ち誇った顔で叫び声を上げた。
リナは強く唇を噛みしめた。
キョウカが本気で反撃に転じれば、「斎藤ハジメ」という命は確実に潰える……
「父を……助けてほしい! でも……」
ヒカルの顔は、溢れ出る涙と鼻水、そして言いようのない絶望でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
目の前で炎を纏い、暴威を振るうのは、かつて自分を優しく抱き上げてくれた温かい父の肉体。父には生きていてほしい。無事でいてほしい。
けれど、その父の手が誰かの命を奪い、取り返しのつかない罪に染まってしまうくらいなら……
「父を……殺し――」
「――そんなこと、絶対に言わないで!」
喉の奥から血を吐くように絞り出された言葉を、鋭い叱咤が真っ向から叩き割った。
「私たちがなんとかしてみせる! ……絶対に、後悔なんてさせないから!」
リナは、絶望に押し潰されそうな青年から視線を外し、背後でこの惨状をまるで良質な舞台でも観るかのように眺めている男へと振り返った。
「何か策があるんでしょう!? 九条クルル!」
リナの詰問に、クルルは端末の画面からゆっくりと視線を上げた。
「もったいぶってないで、早く教えなさい! あなたのその性格の悪い頭の中に、解決策がないはずがないわ!」
「そうですね……基本的な原理で考えれば、今ハジメさんを操っている子機は、彼の身体から拒絶反応を起こされて然るべき異物です。それを外部からの強力な術式によって、肉体に強引に『接着』させているといったところでしょう」
クルルは淡々と、それでいて楽しげに指を動かし、言葉を続けた。
「つまり、その接着面に少しの刺激を与えてやれば、子機はハジメさんの身体から簡単に剥がれ、彼はただの『物言わぬ肉塊』に戻るはずです」
そこでクルルは一度言葉を区切ると、覗き込むようにしてリナへと視線を向け、ニヤリと唇の端を吊り上げた。
「ですが……恐らくあなたの求めている答えは、これじゃないでしょう?」
リナの瞳の奥に宿る揺るぎない熱を、クルルは確信を持って射抜いた。
「あなたは、その空っぽになった器に、どこかへ追いやられた本物の意識――ハジメさんを呼び戻し、彼を彼として再起動させる方法を聞きたい。そうでしょう?」
クルルは自らの側頭部を、無機質な動作でトントンと指先で叩いた。
「似たようなことを、以前やったではありませんか。人体という『器』に、然るべき『データ』を入れ直すことを……」
前置きを終えると、彼はニヤニヤとした笑みを消し、研究者としての冷徹な顔つきを現わした。
「先ほど言いましたね。触手はあくまで『子機』であり、奪った精神データを『マザーベース』へと転送しているのだと。つまり、今この街で眠っているすべての意識不明者たちのデータは、その母艦の中に一括して保管されているわけです」
重苦しい打撃音が地下の空間を揺らす。激しくせめぎ合うハジメとキョウカのシルエットが、壁面に巨大な怪物のように映し出される。
クルルはその荒々しく蠢くハジメの影を指で示し、解説を続ける。
「今、触手に身体を乗っ取られている現状は、むしろ好機と言えます。本来ならばただの空っぽの器にすぎなかったハジメさんが、子機という『回路』を介することで、皮肉にもマザーベースと常時接続された端末になっているのです。リナさん、もしあなたが今のハジメさんを直接鑑定できれば、そのリンクを遡って、理論上はマザーベースまでアクセスできる」
そのロジックに、脳裏ではあの骨董屋での記憶がよみがえった。
「……つまり、マザーベースの保管する無数の魂の中から、ハジメさんの魂を見つけ出して、引っ張り帰ってくればいいってこと?」
「察しが良いですね。つまり、あと必要なのは、『斎藤ハジメ』を特定するための情報です。まあそれは、あそこで暴れている彼の肉体から直接手に入れればいい。簡単な話ですね――」
「――いえ、もうひとつ省略できるわ」
クルルの長々とした理論を遮るように、リナが凛とした声を響かせた。
『斎藤ハジメ』という情報を抽出し、その後にマザーベースへアクセスして彼の魂を探し出す――それでは工程があまりにも多く、時間がかかりすぎてしまう。
リナの視線は、傍らに立ち尽くすヒカルがポケットの中に携えているものへと向けられる。彼女は迷いのない足取りでヒカルに歩み寄ると、そのポケットから『冷たい形見』を静かに抜き取った。
「この銃には、ハジメさんの記憶が確かに刻まれている。彼がこれまで何を信じ、何を守ってきたか……これでフィルターとしては十分なはずよ」
片手でこの銃の記憶を参照し、もう片方で彼にアクセスすれば、肉体から記憶を抽出する手間を省き、なおかつ極めて確実な検索情報として機能させられる。
「いいですね。遺された品から持ち主を辿る。情緒的で、かつ合理的なアプローチだ。実にあなたらしい」
感動したようにクルルは言葉を贈るが、相変わらずそこには人間的な温かみなど微塵も感じられなかった。
リナはその賞賛には応えず、左手の革手袋へと指をかける。露わになった手で、銃をしっかりと握る。
「話はだいたい理解した! ……すまないな、ハジメさん。一発だけだ!」
鋭い咆哮とともに、キョウカの赤眼が威圧感を放つ。
――ガッ!
直後、目に見えない衝撃が、荒れ狂うハジメの腹部を正確に捉えた。空気が弾けるような音とともに、ハジメの肉体が大きくのけぞる。肺の空気を強制的に押し出された彼の動きが、ほんの一瞬、劇的に硬直した。
「……今ね!」
その刹那の空白を、リナは見逃さなかった。
床を強く蹴り、立ち込める熱気の中を潜り抜ける。ハリスの見苦しい罵声も、ヒカルの祈るような視線も、今はすべて意識の外へ追いやった。
左手に握りしめたハジメの拳銃が、呼応するように熱を帯びる。
リナは迷うことなく右手の革手袋を脱ぎ捨て、剥き出しになったその手を、火を纏う体へと押し当てる。
「ハジメさん、連れ戻しに来たわ!」
その瞬間、リナの視界から貯水槽の光景は遠ざかり消えていく。リナの意識は、斎藤ハジメという一人の人間の精神――そして、その深層を侵食する、悍ましき天魔たちの領域へと沈み込んでいった。
昏睡者解剖専用機:Aranea
九条クルルが制作した
見上げるほどに巨大な機械
八つの腕が、同時に人体を切り裂き
効率的に異常を探し出す
意識不明とはいえ、生体を対象とするため
人体を寝台に拘束してから、解剖を開始する




