22話「蠢く『異形』」
携帯端末
魔力で動く片手サイズの機器
通信、通話、撮影、支払、娯楽
これ一つでほとんどのことが完結する
たった数十年の歴史しかない道具だが
人々はもうこれなしでは生きられない
津波のごとき勢いで魔力が押し寄せ続ける『魔力奔流』。ベスタが追った『異形天魔』の影。そして――
「私らも急ぐぞ! ハリスの言葉通りなら、今夜中に解剖が始まる。一刻の猶予もない!」
キョウカの鋭い声が、狂乱するスクルタスの喧騒を切り裂いた。
「ええ、ハジメさんを助けに行きましょう! あんな身勝手な理由で、人の命が奪われるなんて、絶対におかしいわ」
リナは力強く頷き、革手袋を深く締め直した。
己の野心のためだけに、意識不明に陥った人々を地下で『解剖』しようと目論むハリス。
二人は老婆の家を後にし、夜の闇に呑みこまれた街へと駆け出した。
目指すは、地下水路の最奥に位置する貯水槽――否、ハリスの野望とクルルの手により改造された『秘密解剖室』。
◆ ◇ ◇ ◇
「早く、建物の中へ!」
「落ち着いて、屋外に避難してください!」
街中には、混乱の嵐が吹き荒れていた。
通りに並ぶ魔力灯は狂ったように明滅を繰り返し、逃げ惑う市民たちの青ざめた顔を照らし出す。避難を促す警察官たちの怒号のような叫び声は、鳴り響くサイレンの音に掻き消されて届かない。
大通りでは、重厚な装甲車と共にスクルタス軍と、白銀の甲冑に身を包んだ天界軍の兵士たちが厳戒態勢を敷いていた。
「チッ! これじゃあ地上を抜けるだけで一苦労だな……」
人混みを縫うように走りながら、キョウカが苦々しく吐き捨てた。
パニックに陥った群衆と、緊急展開する軍の車両が路地を埋め尽くし、思うように先へ進めない。
魔力奔流の中、地下を通るのは危険と判断し、地上の道を選んだが、完全に裏目になってしまった。
「リナ、こっちだ! 確か向こうに、地下水路に直結している古い管理用の入り口があったはず……!」
迷いのない足取りで、キョウカは大通りから一本外れた、薄暗い裏路地へとリナを導いた。
「クソ! 繋がらねぇ! 通信自体できねぇのかよ」
走りながらキョウカは、携帯端末を叩きつけるように激しい声を上げる。
画面には「竜胆フジコ」の名前が虚しく点滅していたが、それもすぐにノイズと共に消えた。魔力奔流は、街の通信網さえも沈黙させていた。
◇ ◆ ◇ ◇
地下へと続く古い鉄扉の前には、二つの人影が佇んでいた。
「おやおや、遅かったですね。ここには来ないのではないかと、ヒヤヒヤしましたよ」
毒々しい紫色の髪を揺らす、猫背の男――クルルは、薄気味悪い笑みを浮かべてそこに立っていた。
「……なんであんたが、ここにいるのよ」
「簡単な話ですよ。ハリスさんから研究資料という名目で、街中の監視カメラへのアクセス権限を譲渡されていましたからね。後はその中から、銀髪の女性――あなたを探し出すだけのことですよ」
リナの問いに、クルルは大したことはないといった様子で淡々と説明した。
そしてその隣には、不安に顔を歪めた青年の姿があった。
「リナさん……! 父が、父が突然、病院から運ばれたんです。何が起きたのか、病院の人に聞いても何も教えてくれなくて……そしたら、九条さんがついてくればまた会えるって……」
ヒカルの言葉に、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
ハリスが口にしていた「警察官」という言葉。やはりそれは、ヒカルの父――斉藤ハジメのことだったのだ。
「というわけで、地下水路を歩こうかと思ったのですがねぇ……この魔力の奔流ですよ。……それに、この“災害”のせいで正確な数値計測こそできていませんが、私が見てきた限りでも、街中の至るところに『天魔』の魔力が溢れ出し始めています。……これが何を意味するか、わかりますか?」
クルルの細められた瞳が、リナを捉える。
「……『異形天魔』の眷属が、どこに顕れても不思議じゃないっていうの……?」
身震いするようなリナの言葉に、クルルは賞賛するように大げさな拍手を送った。
「……随分と確信めいて『異形天魔』と断定しましたねぇ。もしかして、有力な情報でも掴みました? 天界のお偉いさんとか?」
嘲るように口元を歪めながら、クルルは言葉を継ぐ。
「まあ、現状ではその線が最も高いでしょうね。さて、その眷属ですが、いつ、どこで、誰のもとに這い出てくるか……まったく予測不可能となりました。……というわけで、我々のような非力な『非能力者』は、ここでお強い『能力者』さんが来るのを、今か今かと待ちわびていたというわけです」
その白々しい物言いに、キョウカが苛立ちを露わにして一歩前に踏み出した。
「待て! 今から私たちと一緒に来るつもりか!? お前を守る義理はないにしても、斎藤さんを守りきれる保証だってないんだぞ!」
地上以上に視界が閉ざされ、逃げ場のない地下水路。そこに戦力にならない非能力者二人を連れていくのは、あまりにリスクが高すぎた。
しかし、クルルは余裕の笑みを崩さなかった。
「いえいえ、ご安心を。お二人についていくための『策』はちゃんと用意してありますから」
クルルが指先で背後の暗闇を指す。
そこにあったのは、見上げるほどの高さに、二人乗りの座席が設けられた六脚の――敢えて例えるなら、巨大な昆虫を模したかのような珍妙な機械だった。
「これは、周囲の空間から魔力を吸収して稼働するよう設計したものなのですが、それだけではエネルギーがまったく足りず――っと、何という奇遇でしょう。今はなぜだか分かりませんが、街中に魔力が満ち溢れていますねぇ……それも過剰なほどに。これで足の速いお二人にも、置いていかれずに済みますよ」
クルルは長い手足をしならせ、そそくさとその乗り物に乗り込み始める。
「さあ、ヒカルさんもこちらの特等席にどうぞ」
非能力者の仲間を、クルルは嬉々として隣の席へ促す。
狂いもなく整えられ過ぎている準備。そして、この事態すらどこか実験のように楽しんでいる態度。
リナは目の前の男に、底知れぬ不気味さを感じずにはいられなかった。
◇ ◇ ◆ ◇
魔力回路を焼き切られた光源は沈黙し、巨大な配管の内部は完全な深淵へと変貌していた。
その暗黒を切り裂いていたのは、クルルとヒカルが搭乗する乗り物のヘッドライトが放つ細い光のみだった。
一寸先すら闇に呑み込まれた配管内において、先頭を切って突き進むのはキョウカだ。彼女は周囲の気配を殺気立つほど鋭く探りながら、一切の無駄を削ぎ落とした俊敏な動きで疾走する。
そんな彼女の背中を、リナは必死の思いで追っていた。
(速い……これが、人間の動きなの……?)
『能力者』という同じ枠組みの中にいるはずなのに、一瞬でも気を抜けばキョウカとの距離は瞬く間に開いてしまう。肺を圧迫するような重苦しい魔力の充満も相まって、息は荒くなり、額にはじんわりと汗が滲み出していた。
だが、自身のさらに数歩後ろからは、この緊迫した空気を嘲笑うかのような、軽快な機械音が響いていた。
「いやはや、なかなかの乗り心地ですね。動力部分だけ通常のエンジンに替えれば、どこかの企業が買い取ってくれるかもしれません」
上下にほとんど揺れることなく、滑らかに走る機体の上で、クルルが呑気に呟いた。
「……その余裕、少しは分けてほしいものだわ。こんな時に金儲けの算段ができるなんて、あなたの脳細胞はどうなってるの?」
荒くなった呼吸のまま、背後に向けて冷ややかな言葉を投げつける。
「おやおや、これは手厳しいですねぇ」
皮肉を浴びせられても、クルルは柳に風で受け流し、大げさに肩をすくめて見せるだけだった。
しかし、その隣に座るヒカルは青ざめた顔を硬直させながらも、強い決意を瞳に宿し、関節が白くなるほど強く座席の縁を握りしめ続けていた。
◇ ◇ ◇ ◆
先頭を行くキョウカが突如として足を止め、鋭い手招きで後続を制止した。
その殺気に満ちた背中を見て、リナの全身にも緊張が走る。
キョウカの赤眼が射抜く先――深淵の奥に、ソレはいた。
大通りで直接……あるいはハジメの記憶の断片で目にした、不快な触手。ヌメヌメとした質感の皮膚を蠢かせ、湿った配管の中を這い回るその生物は、光の届かない暗闇の中で、わずかに白く発光していた。
「間違いない……あれが異形天魔の眷属!」
リナが確信を持って呟くと、キョウカは重心を深く落とし、一瞬で隙のない戦闘態勢へと移行した。
「なるほどな。未知の野生生物でも見つけたかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい……」
「あれが実物ですか。いやぁ、初めて見ましたねぇ。今までは映像越しでしか拝見していませんでしたから」
後方で機械を止めたクルルが、好奇心のままに声を漏らす。
一方、その隣に座るヒカルは、怒りと恐怖に肩を震わせていた。
「あれが……父さんを……!」
その激情に呼応したかのように、ぬらりと触手の表面に眸が開かれ、鈍い赤色の光を放ち始めた。
「――っ!」
次の瞬間、一本の触手が凄まじい速度で、物理法則を無視したように伸びる。その先端は、一直線にキョウカへと肉薄する。
しかし、キョウカは最小限の動きで、伸びてくる触手の軌道を手のひらでいなしつつ、体を横へとずらした。
――だが、その軌道を追っていたリナの脳裏に、強烈な違和感が走る。
「違う! 狙いはキョウカじゃない!」
攻撃はいなされたにもかかわらず、触手は勢いを殺すどころか、空気を切り裂く音を一段と高く響かせて加速した。
その狙いは、最初から能力を持たない「弱者」――クルルとヒカルへと向けられていた。
「――危ない!!!」
――ビョイン。
滑稽な音と共に、二人が乗る機体は勢いよく上方向へと射出された。
クルルがハンドルの脇にある赤いボタンを押し込んだ瞬間、折れ曲がっていた六脚が一斉にピンと伸びたのだ。
「……ふぅ、かなり危なかったですねぇ。しっかりお願いしますよ、能力者さんたち!」
上空へ逃れた機体の上で、クルルは乱れた座り位置を直しながら、平然と言い放った。
すぐ隣では、死の恐怖を味わったヒカルが過呼吸気味に座席にしがみついていた。
だが、クルルはその様子を意に介さず、既に次の「分析」へと意識を向けていた。
「ですが、今ので私の説の立証になりましたね。キョウカさんは、触手と物理的に接触しましたが、特に変化は起きていない。つまり――」
クルルは、闇の中で蠢く触手を冷徹な眼差しで指差した。
「あの『異形』は、『非能力者』のみを明確な対象として選択し、精神に何かしらの干渉を仕掛けてくる。“あなたたち”にとってはただの奇妙な生物に過ぎませんが、“我々”にとっては……触れられた瞬間に終わる、絶対的な天敵というわけだ」
「御託はいい! その分析が正しいなら、お前ら二人は一歩でも後ろに下がってろ!」
キョウカの鋭い一喝が地下水路の空間に響き渡った。
「いえ、こちらも調べものをさせていただきます」
しかし、クルルはその警告をどこ吹く風で受け流すと、懐から折り畳み式の端末を取り出し、猛スピードでキーを叩き始めた。青白く明滅する液晶画面が、彼の顔を不気味に浮かび上がらせる。
「……おや、困りましたね。何者かによって触手へのアクセスが禁じられているようです」
クルルが高速で指先を滑らせている間に、キョウカはすでに地面を蹴っていた。
「来い!」
短く叫ぶと同時に、その手元に無骨な鉄パイプのような武器が実体化する。
――ドォォォォン!
キョウカは迷いなく触手の懐へと踏み込むと、武器の先端をただ突き出す。その瞬間、重低音が何重にも重なって炸裂した。
「……どういう、こと!?」
キョウカはまだ武器を振ってすらいない。ただ触手の前に立ち、構えを取っただけに過ぎない。にもかかわらず、『異形』の白い体は、同時に何度も殴りつけられたかのように激しく歪み、怪異な液体を散らしながら弾け飛んだ。
その光景に唖然とするリナに、クルルが淡々と言葉を投げかける。
「あの触手へのアクセスを禁じているのは、おそらく『異形天魔』本体でしょう。他者に自らの『眷属』へ踏み込んできて欲しくない、ということですね」
まさに戦闘の真っ只中だというのに、クルルは端末から視線すら外さずに言い放った。
「アレに直接触れて、『魔力波長』を特定してきてください……ええ、『忘苦天魔』の秘宝の時と同じです」
「あ、あそこに行くの……? 私が?」
リナは思わずたじろいだ。
『異形』が怖いのはもちろんだが、それ以上にキョウカの攻撃が恐ろしすぎる。
触手を文字通りボコボコに叩きのめし、衝撃でコンクリートが砕け、水飛沫が舞い続けるその空間に飛び込むなど自殺行為でしかない。
「大丈夫ですよ。先ほども言った通り、あの触手は能力者であるあなたには何の影響もありません。死ぬことはありませんから、恐れずに頑張ってください」
「怖いのは触手じゃなくて、キョウカの方なんだけど!」
必死の叫びも、空気を強烈に裂く激しい破壊音にかき消された。
「キョウカさん。ちょっと攻撃弱めることとかってできます? それに触って、中を覗かなきゃいけないんですけど……」
リナは少し離れた所から、恐る恐るキョウカに問いかけた。
「安心しろ、私の攻撃が当たることはない。躊躇せず行け!」
迷いのない声。そこまで彼女が言うなら、きっと大丈夫なんだろうが……
リナは左手の革手袋を外すと、意を決して不可視の衝撃の真っ只中へと駆けだした。
連撃によってボロボロに引き裂かれ、のたうち回る触手の一本へ、露わになった指先が触れる――
脳裏に浮かんだのは、無数の太い枝を広げる一本の『樹』と、それに巻き付く何本もの『触手』のような幾何学的な紋様。
(『コレ』……トランクケースの時にも視たわね。でも、ちょっとだけ違う……?)
「お見事です、こちらでも魔力波長を確認できました」
クルルは視線を端末に向けたまま、淡々とした声で告げた。
(魔力が弱まってきてる……もうじき、“終わる”わね)
キョウカによる攻撃は、すぐ側の自分にはかすりもせず、精密に触手だけを叩き続けていた。そしてその『異形』の魔力は、次第に弱まってきている。
(でも、この違和感は……)
彼女の殴打領域に直接足を踏み入れて、初めて理解できた。この空間内は、『時空』が歪められている……
(まさか……キョウカの能力は、『時間』そのものに干渉している……?)
「ほう、これは……!? 素晴らしい、実に天魔らしく壮大で、合理的なロジックだ!」
リナの思考を裂くように、クルルの陶酔したような声が響いた。
それとほぼ同時に、のたうち回っていた触手の動きが完全に停止した。白い肉塊は、どさりと力なく地面へと崩れ落ちる。
「これは、とんでもない壮大な計画ですよ! 人類……いいえ、生命の新たな『可能性』といっても過言ではありません!」
労いなど一言もなく、クルルは狂喜に満ちた声を響かせた。
「すごいのは分かったから! 今はそんなことより、ハジメさんの解剖を止めるのが先でしょ!」
リナが焦燥を露わに叫び、キョウカが深部へと駆け出そうとした――その時だった。
「ああ、そんなことですか。それなら……」
拍子抜けするほど軽い声を漏らし、クルルは端末の画面を迷いなく数回タップした。
「あの『解剖マシーン』の製作は、ほぼほぼ私が担当しましてね。まあ、無理やりやらされた仕事ではありましたが……製作者である私の方にマスター権限を残してあるんですよ。はい、ポチッとな。これで機械が動くことはありません」
あまりにもあっけらかんとした言葉に、リナとキョウカの足が止まった。
「これで安心でしょう? さあ、この『素晴らしいロジック』を共有し、語り合いましょう!」
ハリスがどす黒い野心を燃やし、リナたちが命がけで阻止しようとしていた凶行。それをクルルは、たった指先一つで無力化してみせた。
その常軌を逸した技術力と、あまりに欠如した倫理観に、リナは安堵よりも先に底知れない寒気を覚えた。
環境魔力駆動機:Bllata
九条クルルが制作した
六つの脚で走る乗り物
空間に漂う魔力をエネルギーに
稼働するよう設計されたが
それだけでは動力が不足していた
世界に過剰に魔力が満ちているような
異常事態でもなければ、まずまともには動かない




