21話「ハリスの真意」
能力者を降ろす能力
己の身に対象の意識のコピーを降ろす
降ろされた意識に対しては、絶対の優位性を持ち
事前に決められた規則内で、対象は活動する
それは対象から直接、意識を模倣するのではなく
ある大樹に刻まれた記録から
情報を得ているのだという
「それじゃあ今から降ろすよ。一応、確認のために、最初に名前を聞きな」
しわがれた声でそう言い残すと、老婆は枯れ枝のような両手をぴったりとあわせ、途切れ途切れに奇妙な呪言を呟き始めた。
そして、糸が切れた人形のように、その痩せこけた肉体が畳の上へとパタリと倒れ伏す。
静まり返った室内には、古びた壁時計が刻む規則正しい秒針の音だけが響き渡っていた。
――1分、2分……5分。
時が経つにつれ、室内を満たす重苦しい沈黙は、その場に居合わせる者たちの神経を逆なでしていった。
「おい、大丈夫だよな? まさかこの瞬間に、おっ死んだってことはないよな……?」
耐えかねたように沈黙を破ったのはベスタだった。最強の英雄が、老婆の生死を案じて落ち着かなげに眉を寄せている。
「落ち着け、大丈夫……だよな?」
その不安が伝染したのか、いつもは冷静なキョウカの声にも、いまいち自信がこもっていなかった。
リナは静かに身をかがめ、床に伏した老婆の胸元に耳をあてる。
「大丈夫。心臓はまだ動いてる」
その一言に、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。
だが、依然として「降霊」が成功している気配はない。
――さらに10分が経過した。
どうやら、英雄様の辞書には、『静止』という言葉がないらしい。この待ち時間に完全に飽きてしまった彼女は、大きな体を揺らしながら立ち上がると、のっそりと台所の方へ向かっていった。
「……何か食いもんはないのか? 腹が減っては戦はできないってな」
ガサゴソと遠慮なく戸棚を漁る無作法な音が、呪術的な緊張感を台無しにしていく。
キョウカはそれを咎める気力さえ失ったようにため息をつき、リナはただ老婆の唇が動く瞬間を逃さないよう、息を潜めて見つめ続けていた。
――バリッ
硬い物体が砕ける乾いた音が響き続ける。
「やっぱ、ババアってのはせんべいを隠し持ってるもんだよな……うん、うまい!」
ベスタは、台所の戸棚から見つけ出したせんべいの袋を、遠慮なく空にしていく。
そんな彼女が、最後の一枚を手に取った。まさにその時だった。
床に転がっていた老婆の指先が、痙攣するように微かに動いた。
「……起きた」
リナの呟きに、瞬時にキョウカが身構える。
老婆の体は、節々の軋む音を立てながら、操り人形が糸で吊り上げられるようにゆっくりと、不自然な角度で起き上がり始めた。
彼女がだらりと顔を上げた瞬間、その場の空気は凍りついた。
老婆のシワだらけの顔は変わっていないはずなのに……そこに浮かぶ表情、眉の上げ方、そして何より傲慢な自信に満ちた眼光。
それは、テレビの画面や街頭ビジョンで嫌というほど目にしてきた、あの男の顔そのものだった。
「……あなたは、ウィリアム――」
「――やあやあ、どうもこんにちは。麗しきお三方。私はウィリアム・ハリスと申します。以後、お見知りおきを……」
リナが確かめるように紡ぎかけた言葉を遮り、老婆の唇が歪に吊り上がり、聞き覚えのある滑らかな、そしてひどく芝居がかった声が室内に響いた。枯れた声帯を使っているはずなのに、その語り口は耳に心地よい重厚な弁舌だった。
老婆の視線が、台所の大柄な影に固定される。すると次の瞬間、その声のトーンが一気に跳ね上がった。
「……って、そこにいらっしゃるのはベスタ・ルクセンブルク様ではありませんか! どうもはじめまして、私、スクルタスの市長に立候補しておりますハリスと申します。いやはや、まさかこのような形でお目にかかれるとは!」
老婆の体で卑屈な揉み手をする仕草を見せながら、ハリスは捲し立てる。
そのあまりの温度差に、ベスタは口の周りに大量のせんべいの粉を付着させたまま、胡散臭そうに貌をしかめた。
「……おい、リナ。コイツで間違いないか? 随分と、こう……落ち着きのない奴だが」
ベスタが呆れたように指差すと、リナは心底疲れたような溜息をつき、“目の前の”政治家を見据えた。
「この口の軽さ、間違いないわね。こんな状況になってもこれだけ喋れるのは彼くらいだわ」
「おー、これはリナさん! お久しぶりです。“あの後”、無事だったか心配してたんですよ。いやー、また会えて本当によかった。あなたの無事が気になって、夜も眠れないほどでして!」
ハリスは皺だらけの顔を不気味に綻ばせ、調子よく言葉を並べ立てる。
「どの口が言っているのかしら。あなたは、私を置いて真っ先に逃げてましたけど」
リナの指摘にも、ハリスは悪びれる気配すら見せず、借り物の身体で大仰に肩をすくめてみせた。
三人は、なおも一人で調子よく喋り続けるハリスを一旦無視し、背を向けて小声で円陣を組んだ。
「さて、何から突っつくべきかしら。聞きたいことは山ほどあるけれど」
リナが眉間を押さえながら言うと、キョウカが鋭い視線を背後のハリスに向けながら囁いた。
「まずは奴の『能力』でも聞いておいたほうがいいか。切り札が何なのか、弱点も含めて把握しておいた方がいい」
三人が短く頷き合い、代表してリナが老婆の姿をしたハリスに向き直る。
「いやあ、この家は少々湿気が多いようですね。リフォームの相談なら私が……」
一人でベラベラと話し続けるハリスだったが、リナの声がそれを遮った。
「ハリス、あなたの『能力』について教えなさい。隠しても無駄よ、この状況で嘘はつけないんだから」
その問いを聞いた瞬間、ハリスはひどく場違いな、困り果てたような苦笑いを浮かべた。
「私の能力ですか……いやはや、これがね、実にお恥ずかしい話なのですが、『バスボムを生成する』という能力なんですよ。ええ、あまりに情けないので、側近の者にすら一度も明かしたことはありませんよ」
ハリスはシワだらけの手を大げさに広げ、面目なさそうに肩をすくめた。
その告白に、室内には先ほどまでとは異なる奇妙な沈黙が流れた。
「『バスボム』って何だ? 何かの隠語か?」
「まさか……バスに爆弾を仕掛けるとかじゃ……」
「……」
ベスタの呟きに、リナは眉をひそめて最悪の可能性を口にする。
その隣でキョウカは、言葉を発さず、何かを考えるように瞳を閉じていた。
「……『バスボム』って、一体なによ?」
「おや、ご存じありませんか? シュワシュワと泡立つ、あの入浴剤です。ちなみに、シュワシュワというのは、水の中で重曹とクエン酸が混ざり合って発生する二酸化炭素の泡なんですよ。そこに色材や香料を加えるわけですが、私の能力であれば、それらもオーダーメイド可能です。形についても、生成するだけならどのような形状でもできますよ。ただやはり、表面積と体積のバランスは一番球体が……」
誰も求めていない『バスボム』のうんちくが、止まることなく垂れ流される。
「なるほどな……」
キョウカが納得したように、小さく顎を引いた。
「自分の『能力』に対する劣等感。だからこそ、この男は『能力者』という枠組みに、異常な誇りを抱いていたわけか」
ハリスの掲げる、能力者を露骨に贔屓する政策。
それは、能力の「有用性」で差別されることを恐れた彼が、単に能力の「有無」のみで評価されたいと願った、歪んだ自己防衛から生まれたものなのかもしれない。
能力という恵みを与えられながらも、決定的な使い道に恵まれなかった男。彼はそれでも、自分は「選ばれた側の人間」なのだと、自分自身に証明し続けたかったのか……
「それじゃあハリスさん。病院で意識不明の人たちを隔離してるのはどうして? 何か企みでもあるのかしら」
リナが核心を突く問いを投げかける。
「おっと。そんなことまで知っているのですか……いえ、それの主導は私ではないですね。現市長です。……いや、じきに私が市長になりますので、厳密に言えば『元』市長ですね。ハハハ、おっと失礼」
老婆の唇から漏れる、本人のものと寸分違わぬ不遜な笑い声。彼はまるで他人の不祥事を面白がっているかのように、どこか他人事のトーンで言葉を続けた。
「いきなり意識不明になる者が大量発生するものですからね。しかも、誰もその原因がわからないときた。病院としても政府としても、得体の知れない“病”の噂を広めてパニックを起こしたくはなかったんでしょうね。だから、とりあえず混乱を避けるために一箇所へ集めて隠しているんですよ。実に政治家らしい、無難で消極的な対応でしょう?」
ハリスは枯れた手のひらを上にして話を続ける。
「それで行政としても、さまざまな分野の専門家を招き入れていますが……まあ、まったく上手くいっていませんね。連中、理屈ばかり立派で実が伴わない」
退屈そうに吐き捨てると、ハリスは思い出したように老婆の指先で自らの顎を叩いた。
「ああ、そう言えば。その専門家たちの中に九条クルルという男がいましてね。なかなかに胡散臭い男ですよ。おまけに非能力者だ。ですが、魔術回路の構築や知識に関しては相当なものでしてね。私独自に、色々と彼に力を貸してやっているのですが……」
ハリスは老婆の濁った瞳を細め、隠しきれない苛立ちを滲ませる。
「……何かに気づいたようなんですがね。これがまた、なかなか内容を話してくれないんですよ。曰く、『まだ仮説の段階なので』だの『観測データが不足している』だの……協力者である私を待たせるとは、まったくふざけるのも大概にしてほしいものです」
「仮説……それって、『異形天魔』のことかしら――?」
「――おい、今なんて言った!? 意識不明の原因は、異形天魔なのか!?」
リナの口から漏れたその単語に反応するように、一瞬にして室内の温度が急激に上昇した。
ベスタが地響きのような声を上げて、身を乗り出してきたのだ。
「……驚いたな。お前たちも行方不明や意識不明の原因を掴んでなかったのか。てっきり、それも含めて『お掃除』に来たのかと思っていたが」
その隣で、キョウカもまた険しい表情を浮かべ、胸の前で腕を組んだ。
「ですが、皆さん! 今この瞬間こそが絶好のチャンスなんですよ! 誰も正体を知らない未知の事件! それを颯爽と解決する英雄! これこそが、スクルタスの新市長にふさわしい姿だと思いませんか!?」
枯れ木のような腕が、演説でもするかのように大きく振り回される。
「私はね、より踏み込んだ調査が必要だと思うのです。例えば……そう、意識不明者たちの『解剖』ですよ! ああ、安心してください。『サンプル』になるのは、もちろん非能力者たちですから……行政や今の市長たちは、人権だなんだと下らない倫理を振りかざして乗り気ではないようですがね。ですが無力な彼らの存在が、公共の利益になれるのですよ。実に合理的な話ではないですか?」
ハリスは老婆の口角を吊り上げ、湧き上がる愉悦を隠そうともせずに笑った。
その言葉が室内に落ちた瞬間、背筋に怒りよりも先に底知れぬ寒気が走った。
「それでですね、私はクルルに頼んで特注の機械を作ってもらったんですよ。……ええ、もちろん『解剖用』のね。どこにあると思います?」
ハリスは三人の反応を楽しむように一拍の溜めを作ると、奈落の底を指し示すかのように、床を力強く叩いた。
「この街の地下ですよ。地下水路――その貯水槽にバカデカい機械を据え付けましてね。ついでに入り口の封印もクルルに施させましたが……いやぁ、完成まではなかなか骨が折れましたよ。何しろ、あの傲慢な非能力者に頭を下げて作らせたのですから。まったく、思い出すだけでヘドが出る」
老婆の身体は、唾を吐き捨てるような仕草を見せる。
「なかなか予定通りに進みませんでしたが、つい先ほど完成したんですよ! これでやっと……やっと謎が解けます!」
ハリスの声は、歓喜に震えていた。老婆のシワだらけの顔に、どす黒い野心が爛々と輝く。
「サンプルをどれにしようか迷ったんですがね。まあ正直、非能力者なんてどれも一緒ですし……それならまだ、国に仕えている者のほうがいいかと思いましてね。そしたら、ちょうどいいのがいたんですよ。公務員の……より詳しく言うなら、警察の!」
その瞬間、リナの脳裏に親子の姿がフラッシュバックした。
ベッドの上でただ眠り続ける父と、その手をすがるように握り締める息子の寂しげな背中が……
「いやはや、今晩ようやく解剖を始められる。ここまで本当に長かった……」
「……ッ!」
考えるよりも先に動いていた。目の前の男の胸ぐらを掴み、力任せに引きずり上げる。
背後にいるベスタとキョウカも、それを止める素振りは見せなかった。
「何をするのです? 乱暴はやめてください。私はあくまで未来の市長として……」
宙に吊り上げられながらも、ハリスはなおもへらへらとひょうきんな、嘲るような表情を崩さない。
その薄ら笑いに、リナの苛立ちは限界を超えようとしていた。
「……ふざけないで! 能力とかそんなもの以前に、私たちには命と……帰りを待ってくれている人がいるの! 『人』を殺しておいて、『人』を救ったつもりにならないで――」
――だが、その怒りの火に冷水を浴びせるような叫びが室内に轟いた。
「おい、備えろ! ヤバイのが来るぞ!」
ベスタの声が鋭く空間を震わせる。
――状況を理解するよりも先に、「それ」は来た。
一瞬、世界から魔力が消失した。
しかしその直後、北東の方角から、膨大な魔力が津波のように押し寄せてきた。その奔流に呑み込まれた瞬間、心臓を直接握られたかのような強烈な圧迫感が全身を襲う。
「ベスタ! これは……まさか!」
キョウカが呻くように叫ぶ。
「よくわかんねぇが、天魔の“匂い”はする……」
キョウカですら身を屈める中、ベスタは魔力の奔流をものともせず直立し、街の中心を見据えて呟いた。
「――おい! なにワシの胸ぐら掴んどるんじゃ! 言っとくが、体はワシのじゃからな! 骨が折れてたら慰謝料請求するぞ!」
唐突に老婆のダミ声が響き渡った。
彼女の顔からは、政治家の傲慢な知性は完全に霧散し、代わりに世俗的で騒々しい生気が戻っていた。
「これだから、最近の若いもんは……」
リナは慌てて手を離したが、老婆は赤くなった首をさすりながら忌々しげに彼女を睨みつけた。
老婆の部屋の行灯も、街の魔力灯も狂ったように明滅を繰り返し、ブツン、ブツンと音を立てて、次々と消えていく。
魔力に耐えきれなくなった強度の低い魔力回路がショートを起こしていき、スクルタスは夜の闇に呑まれていく。
「私は『アッチ』を追わなきゃならねぇ! 地下水路の方は、お前らに任せるぞ!」
ベスタが吠える。
直後、彼女が床を強く踏み込んだ瞬間、その凄まじい脚力から放たれた衝撃波で、老婆の家の壁にはひびが走り、置かれていた家具のほとんどが粉々に砕け散った。
「あああああ! ワシの家がぁぁぁ!!!」
老婆の悲痛な怒号が響くが、「最強」は歯牙にもかけず、雷光のような速さで街の中心部へと向かって跳び去った。
後に残されたのは、静まり返った廃屋のような惨状と、呆然と立ち尽くすリナ、そして鋭い眼光を地下へと向けるキョウカの姿だった。
スクルタスを再び襲った二度目の『魔力奔流』。それは、人体の魔力回路を焼き切るほどではなかった。
だが、その歪みは数時間に渡って街を覆い続ける……
バスボムを生成する能力
手元にバスボムを一つ作り出す
色、香り、形、サイズ、効能
バスボムの定義から逸脱しない限りは、自由である
力は使い方次第だ、そう誰かがほざく
だがこの力に、どんな使い方があるのだ




