14話「『観測者』との邂逅」
魔力回路
万物に張り巡らされた魔力の導線
人も、動物も、物も例外ではない
過剰な魔力が流れると焼き切れ
一時的に魔力が使えなくなる
身の程をわきまえるように
「……そう。“あなた”は、“彼女”を選んだのね」
クロに導かれるままにたどり着いた、真っ白の世界。モニターの群れの中央に座る女性の声は、鈴のように無機質だった。
「私は『道明寺ミユキ』。そうね……今は『観測者』と名乗っておきましょうか」
空間全体から発せられる「この世のものとは思えないほど統制された魔力」。ここが、尋常な空間でないことは即座に理解できた。
身体の陰に左手を隠しつつ、慎重に革手袋を外す。わからないのなら、直接視るまでだ。露わになった指先が、最も近い計器の表面へと触れる――
「特におもしろいものはないけれど、好きに見てくれて構わないわよ」
「……っ、あ、あああああッ!!」
接触と同時、リナは悲鳴と共に手を離し、その場に膝をついた。
視界が明滅し、脳が沸騰するかのような激痛が走る。両の耳と鼻からは血が垂れ、目からは血涙が流れた。
今、脳内へと流れてきたのは、天文学的な情報の「質量」だった。
情報を処理しきれないと脳が即座に「鑑定」を中断したが、その一瞬の間に流れてきた質量だけで処理中枢は、瞬時に焼き切られてしまった。
「無理もないわ。今、あなたが見ようとしたのは世界そのもの。その『内』の者が、全てを視られるわけがないわね」
ミユキはモニターの一枚を指差し、事も無げに言い放った。そこには、スクルタスの街並みがまるで水槽の中の箱庭のように矮小に映し出されている。
リナをここへと導いたクロは、彼女の凄惨な窮状を気にする様子もなく、当たり前のようにミユキの足元へ歩み寄り、尾を振ってその空間に馴染んでいた。
「体のことは心配しなくていいわ。『ここ』を出たら元に戻るから」
ミユキは立ち上がり、膝をつくリナへゆっくりと歩を進める。無機質な部屋に、彼女の足音だけが規則正しく響く。
リナは激痛に顔を歪めながらも、必死に意識を繋ぎ止めていた。
視界は依然として明滅を繰り返しているが、ミユキとこの空間の謎だけが、意識を保つ唯一の楔となっていた。
「今、“あなた”たちの世界は大きな転換点にある。その中心のひとつが、あなただとこの子は判断したのね」
ミユキの視線が、椅子の傍らにたたずむクロへと注がれる。
クロは我が物顔で毛繕いを始め、まるで「当然の事をしたまでだ」と言わんばかりの平然とした態度を決め込んでいた。
「でも、あなたはまだ必要なカードに気づいていない。生まれたときから持っているというのに、その本当の使い方を理解してないのね」
「……何、を……」
リナの唇から力のない問いが零れ落ちる。
「『鑑定士』という仕事のせいかしらね、あなたは視ることに囚われている」
ミユキは慈悲とも嘲笑ともつかない薄い笑みを浮かべ、震えるリナの肩へと手を伸ばした。
「けれど本来のあなたの能力は、私と同じようなもの。世界に刻まれた『理』を読み解くことなんて、その先の『書き換え』を起こすための前段階に過ぎない」
彼女の言葉と同調するかのように、無数のモニターが一斉に激しい明滅を始めた。
「さて、道は示したわ。従うも自由。他の道を行くのも自由。私はただ、あなたたちや世界がどう動くのかを見たいだけ。これ以上の干渉は、“今”は控えるわ」
ミユキの声が、まるで深い水の底から響いてくるかのように遠のいていく。まばゆい白に満たされていた部屋の輪郭が、墨汁を垂らしたように急速に闇へと溶け始めた。
リナの意識は、強烈な重力に引かれるようにして、現実という名の底へと沈んでいく。
「それから、もし知り合いならよろしく伝えてもらえるかしら――」
その薄れゆく意識の縁で、ミユキの最後の言葉が微かに、けれど確かな重みを持ってリナの耳に残った。
「――天津キョウカに」
◆ ◇ ◇
気がつくと、頬を刺すような冷たい風の感触が戻っていた。消えていた周囲の音が、壊れたラジオが突如として直った時のように一気に耳奥へ流れ込んでくる。
「……あの、すいません? 大丈夫ですか」
不意に投げかけられた警戒の混じる声に、ハッと視線を向けた。そこにいたのは、先ほど窓越しに見えたあの母親の姿だった。
彼女の全身には、異変による空白が嘘であったかのように、すでに魔力が整然と巡っていた。
「その、いきなり家の前に立ってらしたので……泥棒じゃないですよね?」
「あっ! 違います! 全然……あれぇ、おかしいな。私、家を間違えちゃったかな?」
咄嗟の判断で、どこか間の抜けた女を演じる。何か問い詰められたとしても、先ほどの異変のせいで意識が曖昧になっていたとでも言っておけばいいだろう。
いまだに不審そうにこちらを見る女性に浅く会釈を返しつつ、逃げるようにその場を離れる。
脳を焼き切るような痛みも、穴という穴からの出血も、嘘のように消え去っていた。
(あれは、夢だったの……?)
この世界が今、大きな転換点に直面していること。自身の能力が『鑑定』などではなく、『書き換え』であるということ。そして――
「――キョウカに会えば、何か分かるはず……」
彼女にその名を伝えれば、確信を持てるはずだ。あの異空間のような場所で、『道明寺ミユキ』という存在と確かに邂逅したという事実を。
◇ ◆ ◇
雑居ビルの地下、その扉を開けると、濃密な酒の香気が充満していた。そこには、カウンターに一升瓶を並べ、片っ端から栓を開けているフジコの姿があった。
「あれぇ、リナっちじゃん。奇遇、一緒に一杯やってく?」
街全体を揺るがした異変の直後だというのに、フジコはすっかり出来上がっていた。
その誘いを丁重に、かつ性急に断りつつ、単刀直入にキョウカの行方を尋ねる。
「キョウカはどこ? 買い出しにでも行った?」
「あー、センパイならさっきの異変のあと、どっかに行ったよ。しばらく帰れないかもだって」
フジコは手にしたグラスを呷り、さも日常茶飯事だと言わんばかりに肩をすくめた。
「たまにあるんだよね。急にいなくなって、しばらくしたら帰ってくること。どこに行ってるのかとか、何のためなのかとかは、うちもあんまよく分からないや」
その言葉に、胸騒ぎがさらに強くなった。あの「観測者」がキョウカの名を口にした直後の失踪。単なる偶然で片付けるには、あまりにタイミングが良すぎた。
「それよりリナっち、大丈夫? なんか顔色悪いよ」
フジコがグラスを置き、覗き込むようにリナの顔を凝視した。
「……少し、疲れが溜まっているだけ。キョウカが戻ったら、必ず連絡してって伝えておいて」
「うん、わかった。それよりリナっち、明日の式典、頑張ってね」
リナはフジコの返答を聞き終えると、アルコールが充満する地下の空間を後にした。
◇ ◇ ◆
回顧録のカウンターの上に置かれた一皿は、オムライスだった。しかし、ただのオムライスではない。黄金色の卵と共にある色は白――そう、このオムライスの上から流しかけられているのは、クリームソース。
まろやかなコクとやさしい口当たりが、卵のふんわり感と見事に調和する。
「美味しいわ、マスター。デザートは……明日の式典に備えて、ショートケーキを二つでお願い」
「食べ過……いえ、わかりました」
営業時間を終えた店内に満ちているのは、水切りかごへと食器を収める静かな音と、テレビの音だけだった。
『――続いてのニュースです。本日、午後4:30頃、スクルタス全域で検知された魔力の異常値。天界軍は先ほど、これを最大警戒レベルの“災害”と発表。今後この現象を、“魔力奔流”と呼称するそうです』
スクルタスを襲った魔力の異常値――魔力奔流は、街中のあらゆる魔力回路を焼き切った。当然、その中には魔力を測るための機器もあり、街中からでは異変の正体に即座に気づくことなどできなかった。
今回、即座に異変の正体が魔力の異常であると把握できたのは、スクルタスのすぐ側まで到達していた天界軍――英雄ベスタ率いる本隊の存在のおかげだった。
『まずは、“長医先生”のお話を伺ってみましょう。先生、よろしくお願いします』
アナウンサーが頭を下げた先にいたのは、どっしりと座る白衣の老人だった。その前にはでかでかと、『スクルタス中央病院院長』と大きなテロップが書かれていた。
『魔力回路のショート自体は、ご経験のある方もいらっしゃるでしょう。通常は過剰な魔力使用に回路が耐え切れず焼き切れることで起こります。しかし今回の魔力奔流の場合は、外部から処理限界を越える魔力を強制的に流し込まれたことによる不全です』
『なるほど。ですが、他にも奇妙な点があるんですよね?』
『回路の再生にかかる時間が、極端に短いのです。通常なら、“我々”のような能力者で30分、非能力者の方でも丸一日を要する自然治癒ですが、今回は能力者であれば焼き切れからわずか10秒、非能力者でも30分ほどでおおむね回復を終えています』
『魔道具に関しても、復旧には3日ほどかかると予測されていましたが、実際には1時間ほどで機能を取り戻し始めたようです』
アナウンサーが補足するように院長の言葉に続いた。
『それでは次はなぜ魔力奔流が発生したのか――えっ!? 乱入者!?』
アナウンサーが次の話題へ移ろうとしたその瞬間、スタジオの空気が一変した。画面の奥でスタッフたちが慌ただしく走り回る。
『やあやあ、皆さん、どうもこんばんは』
呑気なあいさつが聞こえると共に、カメラがスタジオの裏側へ向く。
画面に映し出されたのは、英雄と災害に話題を完全に持っていかれた男の姿だった。
『突然の乱入をお許しいただきたい。――ただ、どうしても市民の皆様にお伝えしたいことがあり、居ても立っても居られず、このスタジオに来てしまいました!』
その政治家は、制止しようとする番組スタッフたちを悠々と押し退け、当然のようにスタジオセットの真ん中に陣取る。
『我々は魔力に頼りすぎていたのです! 今回、非常用電力が稼働したものの、蓄えられていた量はほんのわずか! 使えたのはたったの10分ですよ!? それで皆様の暮らしが守れますか!?』
その力強い演説に、スタジオの誰もがその勢いに呑まれたように聞き入る。まるで、彼が乱入者であることすら忘れてしまったかのように……
『皆さんも痛感したはずです! これからの時代は、我々“能力者”の力を利用すべきなのです! 平時のうちに、“電気系”の能力者の力で蓄電しておかなければならないのです!』
(この男……恐ろしいわね)
魔力奔流が起きてからほんの数時間。混乱の渦中で即座に自身の政策と繋げ合わせ、それを民衆の好きそうな混乱イベントで一気に注目を引き付けた場で堂々と語る。
ウィリアム・ハリス――人間性も何もかも終わっているけれど、人を惹きつけ巻き込むという政治家にとって最も必要な資質だけは、間違いなく規格外だ。
『……ですので、能力者にはそれなりの報酬が――』
画面に映る不快な顔を見ながら、リナは背筋を走る戦慄に似た冷たい寒気を感じていた。
クロ
回顧録に居候する黒猫
ふいに現れては、忽然と姿を消す
眩い金の右眸とエメラルドグリーンの左眸
その意味を知る者は、まだこの世界にはいない




