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叛神煩戯  作者: みかんのみ
鑑定士編 光と影と闇

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13話「クロの導き」

フラメ


火属性の下級魔法


指先に小さな火種を起こす


中等教育の終盤にかけて習うものだが

それは火の危険さゆえであり

術式の習得自体は極めて容易である

――13紀 2114年 冥結の月 4日 4:30 p.m.


 深煎り珈琲から立ち上る湯気の向こう側で、リナはぼんやりと明日の光景を思い浮かべようとしていた。正確には、明日、領事館で行われる功労者表彰式典のシミュレーションだ。


(……まずは、名前を呼ばれたら左足から登壇して……ええと、角度は何度だったかしら。30度? 45度?)


 脳内で組み立てようとする動きは、どれも霧がかかったように不鮮明だった。

 昨日、確かに領事館まで足を運んで、入念なリハーサルを行ったはずなのだ。しかし、その直後に降りかかった「八咫烏」からの脅迫、そして死に物狂いの秘宝回収劇――そのあまりに強烈な記憶が、段取りをすべて上書きしてしまっている。


「……思い出せない。立ち位置すら、怪しいわね」


 小さく吐き出した溜息とともに、指先でこめかみを押さえた。


「大丈夫ですか、リナさん?」


 カウンターの奥から、マスターの穏やかな声が響いた。


「……少し、考えごとをしていただけ。明日の段取りが、ちょっとね」


 リナは自分に言い聞かせるように低く答え、温かいカップを手に取った。

 店内のテレビ画面では、煌びやかな赤と金の色彩が絶え間なく明滅している。

 ベスタ率いる本隊が、スクルタスのすぐ側まで到達したという特報だ。その一挙手一投足が、ニュースとなり、民衆の歓声を震わせる。

 しかし、その狂乱の合間を縫うように、見覚えのある不快な男の顔が画面に割り込む。


『私は昨日、あの鑑定士様と共に、天界からの重要な任務をこなしました! 秘密事項のため……』


 ハリスだ。画面の中の彼は、自信に満ちた笑みを浮かべ、あたかも自身と、そして天界と強固な協力関係にあるかのように振舞っている。


『この調子で、行方不明者増加の謎、異形の生命体への対処に取り組んでいこうと思います。ですので皆さん、どうか私に力を貸してください!』


 真っ直ぐにレンズを見据え、支持を訴えかけるその姿。八咫烏に怯えていた情けない姿は微塵も感じさせない、計算し尽くされた「力強いリーダー」の虚像がそこにはあった。


(こいつ……よく言うわ。自分は何もしなかったくせに。私まで自分の手柄にするつもり!?)


 あまりに厚顔無恥な振る舞いに、コーヒーの苦みとは異なる、どす黒い後味が奥歯に広がる。



『――続いてのニュースです! あの天界の英雄も注目! スクルタスのスイーツの紹介で――』


 軽快なジングルが弾け、画面いっぱいに色鮮やかなマカロンやパフェの映像が躍り出る――が、何の前触れもなく唐突に視界が暗転する。テレビがプツリと断ち切られると同時に、店内の照明までもが一斉に消え去った。


――パリィン!!! 


「きゃっ!」


「何だ!?」


 硬質な衝撃音が響いた直後、店内は瞬く間に客たちの悲鳴と動揺に包まれる。


(何が、起こって――)


 店内に響いた音を辿り、視線を床へと下ろすと、自身が持っていたカップが足元で惨めな破片と化していた。


――バァン!


 不快な異音とともに、無理やり叩き起こされたかのように照明が明滅し、店内が再び明るさを取り戻す。


『速報です! 現在、スクルタス全域で突如、魔道具が使用不能になる――』


――ピィー


 照明と共に復旧したテレビの向こうで、アナウンサーが声を上げたが、言葉は途中で甲高い警告音へと強引に差し替えられた。画面は色を失い、無機質な白色一色へと塗り潰される。


『こちら天界軍。ただいま、スクルタス全域において、異常な魔力値を検知。その影響により、街中のあらゆる魔力回路がショートを起こしています。現在は非常用の電力を運用中ですが、およそ10分でそちらも使い切る見通しです。市民の皆様は、直ちに安全な屋外へ避難してください。放送各局は、こちらが指示するガイドラインに従って――』


「外だ! 外に逃げろ……どわ!」


「嘘でしょ、携帯使えないんだけど……きゃっ!」


 天界軍からのアナウンスが響き渡るや否や、店内の客たちはパニックに陥り、足元をふらつかせながら一斉に出口へと押し寄せた。


「マスター! 私たちも――」


 リナは意を決して立ち上がろうとした。だが……


(身体が……重い!?)


 手足は動く。だが、まるで水分を極限まで含んだ重い衣服を纏っているように、思ったとおりに筋肉が追従してくれない。


「リナさん」


 マスターが、リナの肩を穏やかに、しかし確かな力強さで支え上げた。


「回路がショートしたのは、道具や設備だけではありません。私たち自身の身体も同じです。特に、リナさんは『能力者』ですから、影響も大きいのかと」


 日常的に、無意識に使っていた魔力。非能力者に比べ、宿す魔力量の多い能力者だからこそ、魔力がまったく使えなくなった時の反動も大きい。

 リナはマスターの腕に重い身を預け、必死に足を前に踏み出しながら、出口の光へと向かった――


――あれ?


「マスター……もう大丈夫かも」


 マスターの手が、扉の取っ手に触れかかったとき、リナの口から不意の言葉が漏れた。


「身体も動くし、魔法も……使える」


 全身を巡る魔力の感覚。身体を苛んでいた重圧は、既に引いている。

 試しに指先へ、ささやかな種火を起こしてみた。


「使えてますね。私は……」


 マスターも同様に手をかざし、術式を紡ごうとした。しかし、その指先から火が起こることはなく、虚無だけが残される。


「使えないみたいですね」


 扉を押し開き、二人は外の通りへと歩み出た。路上には、建物から逃げ出してきた大勢の人々が溢れ返り、混迷を極めている。

 感じ取ったのは、明らかな魔力の空白。空間自体には、いつも通り魔力が充満している。

 だが、人々や物体の中には魔力が流れていない――いや、流れるための回路そのものが焼き切れてしまっている。


「私だけが、魔法を使える?」


 いや、違う。もっとシンプルだ。私が能力者で、そもそもの魔力量が多いからだ。

 魔力の使いすぎで回路が焼き切れることは、そこまで珍しいことではない。

 しばらく時間が経てば回復する――そんなことを、以前読んだ医療雑誌か何かで見た気がする。

 普段から保有する魔力量の多い者――能力者や魔術師は、大量の魔力を扱う分、回路そのものが頑強に鍛えられている。

 それが、自分が周囲の非能力者たちよりも早く復旧した理由だろう。


「マスター、私、行ってきます!」


 今、この街で十全に動ける者は、ごく限られている。

 『異形』の生物、ハリスの野望、天界の干渉、八咫烏の影。

 今回の異変が何に起因するのか。あるいは何を誘発するのか。動ける者が確かめるほかない。


――ニャー。


 しかし、リナの思考を割いたのは、足元からの鋭い鳴き声だった。


「クロ……?」


 見下ろした先にいたのは、左右で異なる金と翠の眸を持つ黒猫だった。

 クロは一度だけリナを強く見据えると、迷いのない足取りで路地の先へと歩み出す。そして立ち止まり、促すようにもう一度短く鳴いた。まるで「早く来い」と先導しているかのように……


「止めても無駄でしょうね……リナさん、お気をつけて」


 背後から届く、マスターの穏やかで温かい声。それを背中で受け止めながら、リナは強く地を踏みしめた。

 言葉にならない直感が静かに、だが揺るぎない確信となって告げていた。


――クロの行く先に、何かがあると。


 ◆


 クロの足取りには、一切の迷いがなかった。

 だが、その選ぶ道はめちゃくちゃだった。何度も同じ曲がり角を通らされ、無駄でしかない遠回りを強いられる。人が踏み入る余地もない廃墟の隙間や極小の路地を抜けながらも、クロは確信に満ちた背中でリナを誘い続けた。

 やがてたどり着いたのは、どこにでもあるような、ごくありふれた一軒家の玄関前だった。

 窓越しには、先ほどの異変に怯えて泣きじゃくる子供と、その背を必死になだめる母親の姿があった。


――ニャー。


 クロはリナを見上げると、短く鳴いた。


「このドアを開けろって……? 普通の家にしか見えないけれど……」


 リナは不審に思いながらも、その視線に押されるようにしてドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開けた――


「……っ!」


 一瞬にして、視界が真っ白に染まり果てた。

 子供の泣き声も、街の喧騒も、風の音さえもが唐突に遮断され、鼓膜が痛くなるほどの完全な静寂がリナを包む。


 影の一つも落ちていない、眩いばかりの白に染まった無機質な空間。壁一面には、デバイスや計器が整然と並び、幾百ものモニターが淡い光を放っている。壁や床には、機器から放出されているように碧色の線が走り、それらは部屋の中央へと収束していた。

 その収束の先――部屋の中央に、輝くモニターの群れに囲まれるようにして、一人の女性が静かに椅子に座っていた。

 薄い紫色の髪をタイトにまとめ、知的な光を宿した眼鏡の奥から、彼女はこちらへと視線を向けていた。正確には、自分の足元にいる「黒猫」へと……。


「……そう。“あなた”は、“彼女”を選んだのね」


 その声は鈴のように無機質で、だが強い関心が含まれた響きだった。


「あなたは……誰?」


 リナの震える問いに、女性はゆっくりと視線をクロから上げた。


「私は『道明寺ミユキ』。そうね……今は『観測者』と名乗っておきましょうか」


 自らをそう名乗った女性は、表情一つ変えず淡々と告げた。その佇まいは、人間というよりも精巧に組み上げられた理論そのもののようだった。

電気


世界に満ちるエネルギーのひとつ


人為的に作り、貯蓄し、利用できる


だが、誰がこのようなものを好んで使うだろうか

我らの世界には

より高位な魔力というものがあるというのに

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