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叛神煩戯  作者: みかんのみ
鑑定士編 光と影と闇

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11/61

11話「影の接近」

英雄伝説:ベスタ・ルクセンブルク


天界が誇る、最強の英雄


その初陣は今から10年前

彼女が14歳の時であった


天界に、竜の一族が侵略した第三次竜戦争

数多の名を持つ強力な竜と、主将ドレッドは

たった一人の少女によって討たれた

「左足をあと3cm下げてください。視線は常に前方15度。指先は揃え、決して遊ばせないように」


 別室へと案内された先で待っていたのは、華やかな社交界の続きではなく、息の詰まるような「矯正」の時間だった。

 執事たちは、まるで展示品でも扱うかのように、表彰者たちに冷徹な指示を飛ばし続ける。立ち位置のズレ、呼吸の間、指先の角度――その一つひとつに至るまで、リナたちは天界の美学を徹底的に叩き込まれた。


(……まるで、精巧な人形にでもなった気分だわ)


 心の中で毒づく。

 苦戦しているのは、隣に並ぶハリスも例外ではなかった。彼は彼で、「頼れるリーダー」の姿勢を崩さないよう努めているが、絶え間なく飛ばされる容赦のない指摘に額にはうっすらと汗を浮かべていた。自尊心を削られるようなその屈辱に、時折その微笑みがひきつっているのを、リナは見逃さなかった。


「その猫も演出の一部なら、位置を固定してください」


 だがそんな中で、異常だったのはクロだ。

 自由奔放なはずのこの黒猫は、この空間ではまるで計算されたかのように、一歩の狂いもなくリナの影に張り付いていた。執事たちが短く指示を飛ばすと、クロはまるで言葉を理解しているかのように、完璧なタイミングで寸分たがわぬ位置に鎮座してみせた。

 その様子はもはや、「賢いペット」の域を超えていて、背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「……ふう。天界の流儀というのは、なかなか、骨が折れるね」


 数時間に及ぶ矯正がようやく終わりを迎えたとき、ハリスがハンカチで額を拭いながら、リナに同意を求めてきた。

 だが、その目は依然として笑っていなかった。彼はこの厳格な支配に辟易しながらも、その先にある権力という報酬を逃すまいと、すでに次の獲物を品定めするような野心の色を覗かせていた――


「――リナ様……それとハリス様ですね。お二人に折り入ってお願いしたい依頼がございます。奥の部屋までお越しいただけませんか」


 表彰者たちが部屋を退出し始めた――その瞬間のことだった。その青年は、どこからともなく現れ、リナたちの進路を遮るように静かに割り込んできた。


(こんな若い人……いや、いたかも。リハーサルが厳しすぎてそんな一人ひとり見れてなかった)


 周りの執事たちと同じ服を纏ってはいるが、どこか青々しさが残る若い男。

 さすがに、あの過酷な矯正中に全員の顔をまじまじと観察する余裕などなかったが、それでも彼の佇まいには拭い切れない違和感が残った。

 突然の介入にハリスは一瞬だけ不快そうに眉を寄せたが、「依頼」という言葉に政治的な計算が働いたのか、すぐにいつもの爽やかな笑みを取り繕った。


「天界からの直接の依頼かね? 構わないとも。この街の未来のためなら、私は時間を惜しまない」


「ありがとうございます。では、こちらへ」


 青年は小さく頷くと身を翻し、二人の先導を始めた。


 ◆ ◇ ◇


 窓から差し込んでくるのは、どこか陰りを帯びた夕焼けの日差しだった。遠くからは、矯正の支配から解放された表彰者たちの歓声か、あるいは利権に群がる権力者たちの媚びへつらう声か、誰かの喧騒が絶え間なく響き続けていた。

 だが、青年に連れられる二人と一匹の間に言葉はなかった。

 リナは胸の奥の嫌な予感に苛まれながらも青年に続き、反対にハリスはこれから手にするであろう偉業と名声を確信し、胸を張り堂々と誇らしげに靴底を鳴らしていた。


――ただ一匹、彼らの足元の黒猫だけは、その鋭い眸を青年から片時も離そうとはしなかった。


「どうぞ、こちらへ」


 やがて、青年は一つの扉の前で足を止めた。

 

(……何、あれ?)


 彼が扉を開けるために僅かに背を曲げた時、執事服の隙間から“それ”は露わになった。

 天界の軍隊である白銀の兵士たちは、みな鍛え抜かれた人間だ。そして、伝説に語られる「天界の使者」たちは、みな光を放つ純白の翼を持っているはずだった。

 だがこの青年の背にあったのは、それらとは根本的に性質の異なるもの……


 光を吸い込むような闇。不吉なカラスの羽を思わせる、禍々しくも美しい黒い翼が、服の内に折り畳まれるようにして蠢いていた。

 リナがその翼を視界に収めるのと同時、クロが弾かれたような猛烈な勢いでどこかへと走り去る。慌てて呼び止めようとしたが、既にその姿はどこにも見あたらなかった。


「さてさて、わざわざ私たちを頼るとは……一体どのような『依頼』なのかね」


 ハリスは青年の正体に気づいていないのか、あるいは溢れ出る権力への渇望がその目を曇らせているのか、意気揚々とスーツの襟元を整えていた。

 青年は、淡々と扉を開け、二人を中へと促す。


 案内されたのは、半ば物置のように様々な物品が乱雑に詰め込まれた空間だった。扉を開けただけで、床や棚に積もっていた埃が舞い散る。清廉さを至上とする天界の者たちが管理しているはずの場所に、清掃すら行われていない部屋がある。その事実だけで、この部屋が忘れ去られ、放置された日陰の存在であることを物語っていた。


 その部屋の中央に、座布団の上に胡坐をかいて座る男がいた。

 伸びた鈍い銀色の髪を無造作にまとめ、彫りの深い顔立ちには、幾多の死線を潜り抜けてきた者特有の凄絶な光が宿っている。白い装束に身を包んだ彼から放たれる異様な「殺気」は、正面から見据えられるだけで魂を削り取られるような錯覚を覚えさせた。


「……連れてきたか」


 銀髪の男が口を開く。その声は低く、地底の底から響くような重圧を伴っていた。

 男の言葉に、案内役の青年はただ一礼で返す。


「……お前も、まだ未熟だな」


 男は青年を一瞥し、ひとり言のように吐き捨てると、ゆっくりとリナとハリスへと視線を移す。

 ハリスは、先ほどまでの尊大な態度を完全に吹き飛ばされ、ただ圧倒的な捕食者の前に引き出された獲物のように全身を硬直させていた。


「貴様らの疑問に答えるつもりはない。要件はある『秘宝<アーティファクト>』の回収だ」


 男はリナたちに口を開かせる暇さえ与えなかった。


「『無明天魔』の“遺骸”の回収。引き受けるか否か、今ここで決めろ」


 無明天魔。その禍々しい『天魔』という単語を聞いた瞬間、脳裏に蘇ったのは、つい先日対峙したばかりのトランクケース――そして『忘苦天魔』の存在だった。


「お、お待ちください! そちらの素性もわからぬまま、一方的に仕事を押し付けるのは違うでしょう! まずは素性を明らかにしていただきたい」


 隣に立つハリスが、恐怖に顔を歪めながら、政治家特有の精一杯の虚勢を張って声を震わせた。

 その要求に男は、心底つまらなそうに、そして呆れるような鼻笑いを一つ漏らす。そして、短く、重く、その名を口にした。


「『八咫烏』。……これで十分だろう」


 短く放たれた名。リナにはその意味はわからなかった。古の伝承か、あるいは単なる隠語か。

 しかし、ハリスの反応は劇的だった。まるで、死神から直々に名前を呼ばれたかのように、顔から一気に血の気が引き、土気色に染まっていく。


「八咫烏……実在、したのか……」


 その膝は生まれたての小鹿のように微かに震えていた。


「……断れば、この場で“清算”される。そういうことかしら」


 リナが絞り出すように問うと、男は瞳を細め、静かに、だが残酷に口角を上げた。


「貴様らの命の火がただちに消えることはない。表彰者に、スクルタスの市長候補……お前たちがいなくなるのは不自然すぎるからな」


 その言葉に、ハリスが息を呑む。命の保証をされたはずなのに、彼の絶望はより深いものへと変わっていた。


「だが、身内に“不幸”は起こるかもな」


 男は座ったまま、獲物の喉元を眺めるような目つきで言い放った。

 リナの脳裏に、回顧録で珈琲を淹れるマスターの姿が浮かんだ。ただ静かな余生を送るだけのあの老人にまで、この闇の手は及ぶ。


「……汚いわね」


 リナは震える拳を隠すように、スカートの裾を強く握りしめた。

 ハリスの方も、自身の地位や盤石な未来、あるいは家族を人質に取られたことを悟ったのだろう。先ほどまでの虚勢すら完全に消え失せ、ただの怯えた一人の人間に成り下がっていた。


「承諾……しよう。回収すればいいのだろう、その『秘宝』とやらを」


 ハリスが、屈辱に塗れた声で答えた。

 銀髪の男は、その答えなど最初から決まっていたと言わんばかりに、視線をリナへと移す。


「鑑定士、貴様はどうする。この男一人で我々からの『依頼』を成し遂げられるわけがないぞ。お前の『忘苦』と対峙した経験がなければ、『無明』には至れないだろう。引き受けるか、それとも――『回顧録』に訃報を届けるか」


(――っ! こいつ、『トランクケース』のことを知ってるの!?)


 周囲を覆う殺気が、より一層濃くなる。

 この男は、回顧録のことも、自身がトランクケースと対峙したことさえも知っている。

 だが、こちらは彼のことを何も知らない。どうやって、そしてどこまで自分たちのことを知っているのか。『八咫烏』の指す意味が何なのかすらも。

 情報量において、こちらは完全に敗北していた。


「……やるわ」


 リナは唇を噛み締め、短く答えた。

 その答えに、男は何の反応も示さなかった。


「無明天魔の正確な情報はない。調べる前に、『ベスタ』が討伐してしまったからな」


 銀髪の男は、忌々しそうに吐き捨てた。


(……あの人は、あんな化け物たちと戦っているというの!?)


 遥か昔――200年前に討たれ、それでもなお遺した秘宝の一つだけであの夥しい魔力を解き放ち続けていた『忘苦天魔』。

 その存在と同じ――『天魔』と冠される者を、まるで予想外の早さで倒してしまったかのような言いぶり。

 赤髪の英雄。「最強」という言葉では片付けられない、その異常なまでの武力に、リナは背筋を走る戦慄を抑えきれなかった。


「奴を信奉する集団が、その遺骸――『秘宝』を持ち去った。その集団は今晩、『第八地区』の廃工場で、その秘宝を使った『ミサ』を行う。どんな手段でも構わない、その秘宝を回収しろ。その後は……」


 男は一瞬、口元を歪めると、自分たちをここまで案内した青年を指差した。


「『回顧録』で待つそいつに渡せ。わかったな」


「……っ! 店まで来るというの!?」


 反射的に声が出た。それは、いつでもマスターに手をかけることができる、という脅しだった。

 だが男は、リナの激昂のような反応をまるで意に介さず、吐き捨てるように言葉を重ねる。


「本来ならば、貴様らごときに頼む用件ではない。だが、今スクルタスには天界軍がいる。『表向き』の秩序を重んじる連中の目がある以上、我々のような『影』も下手には動けない」


 それが、男の告げた最後の言葉だった。言い終えると同時に彼は瞳を閉じ、会話の終了を告げた。


 ◇ ◆ ◇


「よし、警察と軍部に通報しよう! なに、相手がどんな集団かは知らないが、不適切な集会をしているとでも言えば動くはずだ!」


 領事館の豪華な廊下へと戻るなり、ハリスは高らかな声を響かせた。


「バカなんですか? そんなの動かしたら、まず天界軍も気づくでしょ。あの男、なぜかはわからないけれど、天界軍に見つかるのを嫌がってた。通報なんか、『不幸な事故』の引き金を引いてるようなものよ」


「うむ、確かにそうだな……だが、それならどうするつもりだ!? 私に戦えとでも言うのか? 冗談じゃない、私は選ばれる側の人間だぞ!」


「……誰もあなたに期待なんてしていません」


 みっともなく自己保身に満ちた泣き言を捲し立てる男。

 リナはそんな彼に冷ややかな視線を向けながら、携帯端末の画面を素早く操作し始める。


「一人、心当たりがあるわ。毒には毒を、化け物には化け物をぶつけるしかない……キョウカに連絡を取るわ」


 ハリスは、「キョウカ……?」と訝しげな顔をしたが、リナはそれ以上説明しなかった。ハリスに彼女のことを教えるのは、火薬庫でマッチを擦るような愚行でしかない。


「……ふむ。つまり、君にはあてがあるのだな。よし、それなら私はサポートに回ることにしよう。現場のことは専門家に任せるのが一番だ」


 リナの沈黙を守る態度から何かを察したのか、ハリスの瞳に計算高い光が瞬時に戻った。

調子の良い言葉を口にしつつ、ハリスは素早く背を向ける。


「それでは、ここで失礼する。期待しているよ、リナ・フォーグナー嬢」


 一度として振り返ることなく、彼はまるで迫り来る脅威から逃走するように、早足に豪華な廊下の奥へと消えていった。

 その身勝手な後ろ姿を、リナは凍てつくような眼差しで見送る。


「……サポートなんて、どうせ何もしない癖に」


 リナは小さく毒づくと、端末のコール音を鳴らした。

 この理不尽を打ち破るには、『裏』の力が必要不可欠だった。


 ◇ ◇ ◆


 ネオンの薄光が照らす街を進み、雑居ビルの地下へ続く階段を下りる。

 重厚な扉を開けた先に広がるのは、洗練された黒を基調とするバーのような空間。しかし、その店内の至る所には、乱雑に段ボールの山が積まれていた。

 カウンターの向こう側には、グラスを拭くキョウカの姿がある。そしてその正面に、一際異彩を放つ一人の女性が腰掛けていた。


「来たか、リナ。お前も災難だな。よりによって『八咫烏』なんて、都市伝説みたいな連中に目をつけられるとはな」


 リナを見やったキョウカが、呆れたように鼻で短く笑った。


「まったくだわ……」


 リナは重い溜息を吐き出し、逃げ出したハリスの顔を思い浮かべ、さらに顔をしかめる。


「おお! 君がセンパイが言ってた『視る子』?  私、『フジコ』。竜胆フジコね、よろしく!」


 キョウカの正面でグラスを弄んでいた女性――フジコは、親しげに名を明かすと、自分の隣にある椅子の座面をポンポンと軽快に叩いた。

 血のように暗く、深い赤色の髪を波打たせた――天界の英雄ベスタの髪が「燃え盛る炎」なら、この女性の赤は「凝固した血」を思わせる、どこか退廃的な色気を孕んでいた。


「さあさあ、こんな湿っぽい話の時は景気よく一杯やりなよ! センパイ、この子にも私と同じ強いのを!」


 促されるままに隣へ腰を下ろし、改めて横のフジコの顔を見つめる。彼女は既に相当出来上がっているのか、眠たげに瞳を細めていた。


「フジコ。この子はお前と違って、仕事中は飲まないそうだぞ」


「えぇー、そうなの」


 嗜めるようなキョウカの声にも、フジコは気にした様子もなく、ケラケラと上機嫌に笑い声を漏らす。

 リナは二人の間に流れる独特な空気に困惑しつつも、フジコから伝わる、キョウカとはまた違う底知れないプレッシャーに息を呑んだ。


「しかし、無明天魔か……てっきり、もう終わったものかと」


 キョウカが眉をひそめ、カウンターを指先で叩いた。


「あの無明天魔って……というか、そもそも『天魔』って何者なの?」


 リナは、キョウカの赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。


「実のところ、私も断片的なことしか知らないし、それが正しいのかもわからない。天魔に関してはもっぱら、天界に任せているからな。ただ……」


 一瞬の沈黙が店内を支配する。キョウカは視線を固定したまま、静かに言葉を繋いだ。


「……無明天魔は、半年前にベスタによって討伐された。それは確かだ」


「半年前……?」


 その一言は、リナの胸中で微睡んでいた平穏な常識を粉々に打ち砕いた。

 『天魔』――そんな単語は、ニュースや新聞はもちろん、本屋に並ぶ歴史書や学術書の中にすら影も形もなかった。

 あの強大で禍々しい『忘苦天魔』と同列の存在が、つい半年前までこの世界に確かに実在し、そして人知れず討伐されていたという真実。

 いかに自分が安寧の中で無知であったのかを、突きつけられた気がした。


「……リナ、私は『回顧録』に行く。八咫烏の脅しが本当なら、マスターさんに手を出しそうになった時、誰かが止めなきゃならない」


 キョウカは短く告げると、目の前で揺れる赤髪の酔いどれを指さした。


「フジコ、お前はリナと一緒に行け。いいか、リナに指一本触れさせるんじゃねえぞ。毛一本でも失わせてみろ、承知しねえからな!」


「アイアイサー! 先輩のご指名なら、この竜胆フジコ、全力で務めさせていただきます!」


 空になったグラスをカウンターへ滑らせ、フジコは大げさに敬礼のポーズをとってみせた。

 キョウカはそんな彼女を底冷えするような目で見やり、再びリナへと向き直る。


「リナ。こんな飲んだくれだが、腕だけは確かだ。……だがな、もし現場がヤバそうなら、その時はこいつを見捨てて一人でも逃げろ。いいな」


「えー! センパーイ、それはひどいですよー! 私、泣いちゃいますよー!」


 フジコは声高に叫び、オーバーに泣く真似をする。

 緊迫した空気の中で繰り広げられる対照的な二人のやり取りに、リナは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。


「わかった。フジコさん、よろしくお願いします」


「うんうん、よろしくね! さて、リハーサルよりもずっと刺激的な『ミサ』とやらに出かけようか」


 フジコが緩やかに立ち上がると、その肩に流れる暗い赤髪が揺れる。

 それはまるで、これから流れるであろう血を予言するかのように……

伝承:八咫烏


三つの足を持つ霊鳥の伝承


地上へ降りた神が、険しい山で道に迷った時

遣わされた霊鳥がその神を導いた


そしてその霊鳥は、神の使い・導きの象徴とされた

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