9 家族との訣別
王立アカデミーは四月から始まり、三月で終わる。
今はちょうど二月中旬だった。第三学年であるマーガレットやヴァージルたちは卒業まで残り半月しか残されていない。
外はまだまだ寒く、王都でもちらほら雪が降っていた。
アカデミーを卒業する三月になればだいぶ暖かくなるため、それまでの我慢だ。
マーガレットはこの日、主治医であるセオドアと共に実家のアーヴィング家を訪れていた。
彼女はほとんど残っていなかった荷物をまとめ、エントランスで家族たちに最後の挨拶をしていた。
「――というわけで、マーガレット嬢をしばらく預からせていただきたい」
「……どういうことだ?サーストン医」
マーガレットの父であるアーヴィング公爵が眉をひそめた。
彼の後ろには、義母のリデルと異母妹のマージョリーもいた。婚約者を捨ててまで選んだ公爵の最愛の女性と、その間に生まれた可愛い娘。
――マーガレットにとっては、彼らの存在そのものが憂鬱だったが。
「その言葉通りの意味ですよ、閣下。マーガレット嬢はしばらくの間私の元で預からせていただきます」
「何を言っているんだ!そんなこと認められるわけがないだろう!」
既に決定事項であるかのように毅然と言い放ったセオドアに、公爵は我慢の限界を迎えて声を荒らげた。
赤の他人が突然、娘を連れて行くと言うのだから、親としては当然の反応だろう。
しかし、公爵の怒りがマーガレットへの心配から来るものではないということをセオドアはよく知っていた。
公爵はセオドアから、横にいた娘に視線を移した。
「大体、突然どこかへ出かけたかと思えばホルブルック家の令息との婚約を破棄しただと!?一体、どういうことだ!説明してもらおう!」
「ッ……」
公爵は怒声を上げながらマーガレットに向かってその手を伸ばした。
彼がマーガレットに暴力を振るうのは、特別珍しいことではなかった。何か気に入らないことが起こるたびに、公爵は躾と称して彼女を叩いていた。
マーガレットは来るであろう衝撃に、身構えた。
しかし、今日はその手がマーガレットに届くことはなかった。
「――閣下、みっともないですよ。やめてください」
「……サーストン医」
セオドアがマーガレットの前に出て、公爵の伸ばした手を掴んでいた。
公爵はもう五十近くであり、二十代半ばのセオドアに力では到底敵わなかった。
セオドアは公爵の手首をしっかりと握ると、その手に力を込めた。
「グッ……離せ!」
「……」
公爵が彼の手を振り払った。
王国屈指の名門であるアーヴィング公爵家の当主相手に無礼極まりない行いだが、彼は特に気にしなかった。
どうせ自分も、もうすぐ王都を離れるのだから。
「閣下、ホルブルック令息との婚約破棄が原因でマーガレット嬢は立場を失くしています。そんな彼女に、王都にいろと言うほうが酷ではありませんか?」
「……」
高位貴族であるマーガレットとヴァージルの婚約破棄は、国内でかなり話題になった。
今、王都では常に彼らの噂が流れている状況であり、マーガレットはまともに外を歩くこともできなくなっていた。
「婚約破棄の件は、マーガレット嬢に罪はありません。ホルブルック令息の身勝手な心変わりが原因です。責めるならマーガレット嬢ではなく、ホルブルック公爵家ではありませんか?」
婚約破棄の原因は表向きには性格の不一致となっているものの、ヴァージルがメリーベルとの間に真実の愛を見つけたことは社交界では有名な話だった。
当然だ、彼らは関係を隠すこともなく昼間から堂々と逢瀬をしていたのだから。
「だが……どのような理由があろうと、勝手に娘を連れて行くことに納得はできない」
「数年間、留学にでも行かせる気でいればいいのです。彼女も婚約破棄で傷付いている状態ですから、私の助けを必要としています」
セオドアはこれは誘拐ではなく、療養だと説明した。
マーガレットはヴァージルとの婚約破棄で傷付いているため、しばらく人の目を避けて生きるべきなのだと。
どうせマーガレットは元々成績優秀者で、あと半月出席しなくてもアカデミーは無事に卒業できる。
理由を聞いても渋る公爵に対し、とうとうマーガレット本人が口を開いた。
「――お父様、私、セオドア先生と一緒に行きたいです」
「マーガレット……」
普段滅多に見ることのない娘の穏やかな笑みに、公爵は胸が締め付けられた。
紛れもなく彼の娘であるマーガレットだが、彼は彼女に愛情を注いだことはほとんどなかった。
前の婚約者の娘ということもあり、可愛がると今の妻が嫌がるのだ。
彼は妻との関係悪化を恐れ、マーガレットを愛することができなかった。
今になって罪悪感で胸がいっぱいになるとは、思ってもみなかった。
「セオドア先生の元でなら、きっとすぐに心の傷も癒えると思うんです。何も一生会えないわけじゃありません。手紙も出しますし、心配しないでください」
マーガレットは療養先の街の住所と、連絡先を紙に書いて公爵に手渡した。
一生会えないわけじゃない――その一言で、公爵は渋々受け入れた。
「……そうか、わかった。お前が望むなら仕方がないな」
公爵は彼女から紙を受け取ると、セオドアに娘を任せたぞと言った。
彼は今さら父親面する公爵に反感を抱きながらも、ただ黙って頷いた。
「お姉様、行ってしまわれるんですか」
「マーガレットが遠くへ行くだなんて、寂しくなるわね」
公爵の後ろから出てきたのは、義母と異母妹だった。
異母妹のマージョリーはマーガレットに一歩近づくと、耳元に唇を寄せた。
「――一生帰ってこなければいいのに」
「……」
異母妹の暴言は今に始まったことではなかった。
幼い頃から何かと我儘を言われ、そのたびに姉なのだからと我慢を強いられた。
しかし、そんな苦しい生活ももう終わりだった。
マーガレットは最後くらいはと、笑顔で彼らに挨拶をした。
「……行ってきます。お父様、お義母様、マージョリー」
最後の挨拶を済ませると、彼女はセオドアと共に住み慣れた公爵邸を出た。
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