15 最後に過ごす時間
セオドアの献身のおかげで、マーガレットの最後の時間はとても有意義なものとなった。
彼女は誰かからの愛を感じたことが一度もなかった。
市井で暮らしていた頃、母親はマーガレットを養うために昼も夜も働きに出ていた。愛されていなかったわけではないのだろうが、愛情を注がれた記憶はなかった。
朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる状況が続き、母は出勤中事故に遭って亡くなってしまった。
母が亡くなったことで、彼女はアーヴィング公爵家に引き取られた。
アーヴィング家では、彼女はいない者として扱われた。家族旅行もいつも彼女だけがお留守番。
突然母親と離れ離れになり、知らない場所へ連れてこられてもまた一人ぼっちだった。
そんな中で、マーガレットは同い年の公爵令息ヴァージルと出会う。
本当ならば、マーガレットではなくマージョリーが彼と婚約するはずだった。
しかしアーヴィング家の令嬢ならば、相手がマージョリーでなくともかまわない。どちらにせよ、そこに愛はないのだから。
どうせ嫁がせるのなら愛するマージョリーではなく、邪魔なマーガレットにしよう。
父と義母が決めたことだった。可愛い娘に愛のない結婚をさせたくなかったのだろう。
だが、マーガレットは初めて会ったときから婚約者のヴァージルを深く愛してしまった。
今まで一度も愛されなかった少女は、愚かにもヴァージルからの優しさを愛と受け取ってしまったのである。
マーガレットにとって彼は初めて親切にしてくれた人であり、王子様のような存在でもあった。
あっという間に夢中になり、彼女は彼のために勉学に励んだ。
それも全て立派な公爵夫人となり、ヴァージルを横で支えるためだ。
しかし、彼が最終的に選んだのはマーガレットではなかった。
――メリーベルという最愛の人に出会った彼は、マーガレットとの婚約を破棄した。
「……」
考え事をしていたマーガレットに、セオドアがふいに話しかけた。
「――ホルブルック令息のことはもう何とも思っていないのか?」
予想外の質問に、彼女は目を見開いた。
ちょうど車椅子に乗って、外へ出ているところだった。
最後に一度だけ、外の空気を吸いたいという彼女の願いだった。
後ろから車椅子を押していたセオドアは、彼女の顔を覗き込んだ。
彼と一緒にいるのに考え事をするだなんて――マーガレットは我に返って質問に答えた。
「……そうですね、たしかにヴァージルのことは愛していましたが……もう過去です。今は何とも思っていません」
「そうか……」
その言葉は、嘘偽りのない彼女の本心だった。
ヴァージルのことは心から愛していた。その気持ちまで否定するつもりはない。
しかし、過去は過去であり、これ以上彼を想い続けていたところでどうしようもないのだ。
誰も幸せにならない恋は、あそこで終わらせるべきだ。彼女はヴァージルとメリーベルの幸せを心から願い、身を引いた。
ヴァージルを恨んでなんていない。
彼は一時ではあるが、誰からも相手にされない自身に幸せを与えてくれた人だったから。
「君がホルブルック令息を忘れられたようでよかったよ」
「そうですね……もしかすると、先生のおかげかもしれません」
驚いて固まったセオドアを、マーガレットはクスクス笑いながら見つめた。
「先生が私の傍にずっといてくれたから……私はこんなに早く彼のことを忘れられたのかも」
「き、君はそういうことを言ってはいけない」
「あら、どうしてですか?」
普段冷静沈着なセオドアが、明らかに動揺している。
マーガレットは耳まで真っ赤に染まった彼をからかうようにアハハッと声を上げて笑った。
ちょうど近くにある海に差し掛かったところだった。
今日の空はいつも以上に青く晴れ渡っていて、太陽の光が眩しいくらいに降り注いでいた。
この町へ来てもうすぐ半年になる。
雪が降りしきる極寒の二月に移住してからもう三ヵ月以上が経ち、あっという間に夏となった。
水面に日差しが当たり、海が輝いて見える。
最後にこの場所に来れてよかったと、マーガレットは心からそう思えた。
「あら、海で遊んでいる子たちがいます」
「もう夏だからな」
少し遠くでは、海で遊んでいる少年たちの姿が見えた。
人の目を気にすることなく海辺ではしゃいでいる彼らは、まさに自由という言葉がピッタリだった。
マーガレットには最後まで得られなかったものを、彼らはたしかに持っていた。
少年たちを見つめる彼女の瞳には、僅かながらに羨望が込められていた。
マーガレットはしばらくの間、果てしなく続く青い海を眺めていた。
貴族令嬢だった頃は何も感じなかったその海が、今はとても美しく感じられる。
彼女もあと一ヵ月もすれば、この海の一部になるのだろうか。悲しいような、嬉しいような複雑な気持ちだ。
「先生、ここまで連れてきてくださってありがとうございます」
「言っただろう?お前のためなら何でもすると」
穏やかな笑みを浮かべるマーガレットに、セオドアはニッコリと笑返した。
最後に外で過ごした時間は、彼女にとって最高の思い出となった。
このとき、既に余命宣告を受けてから三週間が経過していた。
つまり、彼女が生きられるのは、残り一週間だった――
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