16 命の終わり
最後の外出を終えた後、マーガレットの体調は今まで以上に悪化していった。
もうまともに動くこともできない、ベッドから起き上がることすら今の彼女には難しかった。
「先生……」
「マーガレット、しっかりしろ」
医師セオドアはその間もずっと、彼女の傍に付きっ切りだった。
今さら命を救うことはできないが、苦しむ彼女の慰めにでもなればいいと思って。
医者としてではなく一人の男として、心から彼女を想う気持ちからの行動だった。
マーガレットはベッドに横たわったまま微動だにせず、ただ目だけを開けていた。
もう長くはない、誰から見ても明白だった。しかしそれでも彼は諦めることなく、彼女を献身的に支え続けた。
奇跡が起き、マーガレットの病状が回復するのではないかという期待を抱きながら。
しかし、人生はそう上手くできていないし、現実は残酷だった。
セオドアの努力も虚しく、彼女の病状は悪化の一途を辿った。
彼女は開きづらい唇を何とか動かし、言葉を紡いだ。
「――先生に、最後のお願いがあるんです」
「……マーガレット?」
――最後のお願い。
最後と言われると、セオドアの胸が締め付けられた。
二度と彼女に会えないのだという現実を、嫌でも突き付けられる。
彼女は最後に何を願うのだろうか。
何か欲しいものでもあるのか。会いたい人でもいるのか。
しかし、マーガレットの最後の願いは、そのどれでもなかった。
「私がこの半年間で稼いだお金を……難病の子供たちに寄付してほしいんです……少ないけど……足しになれば……」
「マーガレット……」
――彼が生涯で唯一愛した女性は、最後の最後まで高潔だった。
なぜ彼女が死に、あんなヤツらが長生きするんだ。考えたところでどうしようもない疑問が、頭に浮かんでは消えてを繰り返す。
「先生に渡そうと思っていたけれど……先生はそんなの望んでいないかなって思って……」
「……」
そんなの当たり前だろう――と彼は心の中で呟いた。
セオドアにとって、マーガレットの命より大切なものなんてこの世にない。
いくら金を手に入れようが、彼女がこの世界に存在していないなら何の意味もなかった。マーガレットは彼が金になど執着していないことを、誰よりもよく知っていた。
他の男を想っているように見えるが、きちんと彼女はセオドア・サーストンという一人の人間を見ていたのだ。
言いたいことはたくさんあるものの、セオドアは彼女の最後の望みを静かに受け入れた。
「……お前の願いは、しかと聞き入れた。必ずそうすると約束しよう」
「ありがとうございます……先生……」
今、この瞬間にもマーガレットの体は何者かによる呪いに蝕まれている。
セオドアは彼女が眠っている間に自身の睡眠時間を削ってまで犯人捜索に当てた。王立病院に勤務していた時代の伝手を使って調べたものの、結局は何の情報も得られなかった。
王都で名の知れた医師ではあったものの、彼はただの平民に過ぎない。
権力や地位を全て捨ててしまった今、セオドアにできることは何もなかったのだ。
――死にゆく彼女を、彼はただ眺めていることしかできなかった。
その間にも、マーガレットの命はゆっくりと終わりへと向かって行っている。
微動だにしなかった指先が僅かに動き、彼の手を握った。
「ねぇ、先生……」
「どうした?マーガレット」
消え入りそうな声で、彼女が言葉を発した。
軽く力が込められた手は、人間とは思えないほどに冷たい。セオドアは両手でマーガレットの手を握り、自身の持つ熱を彼女に何とか送ろうとした。
そんな彼の気持ちを、マーガレットは読んだのだろうか。
チラリとセオドアに視線をやると、彼女が幸せそうに微笑んだ。
「――私、セオドア先生に出会えてとっても幸せでした」
「マーガレット……」
彼女は自らの命の灯火が消えていくことを悟り、彼に向けて最後の挨拶をした。
たった半年の間だったが、傍で支えてくれたセオドア。ヴァージルとの関係が上手くいかなくて泣いてしまったときも、彼が慰めてくれた。本当に、彼には感謝してもしきれない。
「セオドア先生……私の分まで幸せになってください」
君がいないのに、どうやって幸せになれと言うのか。
真っ先に浮かんだ返事は、どうしても彼女の前で言葉にすることができなかった。マーガレットが悲しむだけだということを、よくわかっていたからだ。
「新しく出会った綺麗で優しい女の人と結婚して……子供を産んで……温かい家庭を築いてほしいんです……」
「……」
いくら彼女の願いとはいえ、叶えられそうになかった。
セオドアはこの先一生、マーガレットを忘れることができないだろう。
何年、何十年経っても彼の心には彼女が存在し続けるはずだ。
マーガレットは全てを言い終えると、ゆっくりと目を閉じた。
「セオドア先生……ありがとう……生まれ変わったらまた……先生に会いたいな……」
「マーガレット……!」
彼は俺を置いて行かないでくれと――握っていた手に力を込めた。
しかし、どれだけ呼びかけたところで彼女の反応はない。
同時に、まだほんの少し温もりを保っていた彼女の手が急速に冷えて行く。
もうその手を、握り返すこともない。
たった今、目の前で一人の若く美しい少女が短い生涯を終えた。
マーガレットがこの世からいなくなったという事実が、彼の胸に重くのしかかった。
信じたくはなかったが、認めざるを得ない。
医師であるからこそ、彼女が既に助からないことを誰よりもわかってしまったのだ。
セオドアは全てを失ったかのように、座っていた椅子から崩れ落ちた。
彼女が眠っているベッドのシーツを握りしめ、身体を震わせる。
――一人になった部屋で、彼は嗚咽を上げて泣き続けた。
***
――ねぇ、先生。
私、あなたに出会えてとっても幸せでした。
あなたは私の人生の唯一の光で、真っ暗な夜の中で輝く星。
あなたに出会えたことで、私の世界に色が付きました。誰からも愛されなかった孤独な私の傍にいてくれた人。
あなたと離れ離れになるのはとても寂しいけれど、これも運命なのでしょう。
今までありがとう、どうか幸せになってね。
もし、別の世界で私たちが同じ時代同じ場所に生まれ変わったとしたら――
そのときはまた、私を見つけてね。
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次回、新章へ。




