# 第35話 リスタート
「一言で言わせてもらうと……考えすぎじゃね」
それまでの重い空気を吹き飛ばす、軽い一言だった。
フラグオールは何も言わない。セバスもミスリードも、どう受け取るべきか迷ったようにかか志を見ている。フーダニットだけが少し興味深そうに眉を上げ、ヨルはいつもの表情を崩さなかったが、ギルは隠す気もなく呆れた顔をしていた。
「お前な……」
「いや、俺も言い方はどうかと思ったんですよ。思ったんですけど、いろいろ考えてもこれが一番近くて」
ここまで聞いた話を軽く考えているわけではない。自分の意思とは関係なく異世界へ呼び出されたことも、帰る方法がないことも事実である。フラグオールたちが何を考え、どういう経緯で召喚を実行したのかも、ようやく分かった。それでも、かか志には一つだけ引っかかる。
「王様、俺が元の世界で送るはずだった人生を、全部奪ったみたいに考えてません?」
フラグオールは答えず、ただかか志の言葉を待っていた。
「そこなんですよねえ……」
かか志は少し言葉を探した。
「俺、会社辞めるつもりだったんですよ」
今度こそ、何人かの顔に明らかな疑問が浮かんだ。
「……会社というのは、以前話していた、山田野が働いていたところか?」
ミスリードが確認する。
「そうです」
「では、召喚されなかったとしても、今までと同じ生活を続けるつもりはなかったということか」
「ああ、そうなりますね。さすがにあのまま続けるのは無理だったんで」
ミスリードはそれ以上尋ねなかった。かか志が召喚によって人生を変えられる以前に、自分から今までの生活を終わらせようとしていた。その事実だけを確認したかったらしい。
「その後は、どのように生活されるおつもりだったのですかな?」
今度はセバスが尋ねた。
「別の仕事を探すつもりでしたよ」
「すでに次の勤め先が決まっていたと?」
「いや、全然」
「では、しばらく収入がない可能性も?」
「まあ、そうなりますね。多少は働かなくても何とかなるくらいのお金はありましたし」
「なるほど。少なくとも、その間の生活については考えておられたわけですな」
「そこまで大層な計画じゃないですよ。しばらくなら何とかなるかな、くらいです」
召喚される前の生活を思い返せば、あのまま会社に残るという選択肢は、かか志の中ではほとんどなくなっていた。朝から働き、終わらなければ残り、ようやく一つ片付けても次の仕事が増える。帰宅が深夜になることも珍しくなく、それでも翌日になれば同じように会社へ向かう。いつからそうなったのかは分からないが、休めば何とかなるとか、もう少し頑張れば楽になるとか、そんなことを考える段階はとっくに過ぎていた。
だから辞めることにした。
次の仕事が決まっていたわけでも、何かやりたいことが見つかったわけでもない。ただ、あそこで働き続けるのはもう無理だと思った。それだけで、会社を辞める理由としては十分だった。
「山田野殿は、その仕事を辞めることに未練はなかったのですか?」
ヨルの問いに、かか志は少し考えた。
「仕事そのものに、ですか?」
「はい。これまでの話を聞く限り、長く続けていた仕事だったのでしょう」
「うーん……辞めたら困ることくらいはあったと思いますけど、辞めたくないとは思ってなかったですね」
「そうですか」
ヨルはそれ以上、理由を聞こうとはしなかった。これまでかか志が王宮を出る時も、冒険者になる時も、必要なことを決めればそのまま次へ進んでいたことを、一番近くで見てきたのは彼女だった。
「じゃが、それなら少々面白いですな」
フーダニットが髭を撫でた。
「何がです?」
「山田野殿は、元の世界でも今までの生活を一度変えるつもりだった。ところが、それを実行する前に召喚された。こちらへ来てからは、しばらく王宮で暮らしたあと、自ら王宮を出て冒険者になったのでしょう?」
「そうですけど」
「結局、場所は大きく変わっても、やろうとしていたこと自体は実行しておるわけですな」
「まあ、簡単に言えばそうなりますね」
会社を辞めて、別の仕事を探す。今までの生活を一度切って、新しく始める。会社どころか世界まで変わったので、予定変更としてはかなり大きいが。
「待て待て」
ギルが手を上げた。
「何かいい話みたいにまとまりかけてるが、違うだろ。仕事を変えるのと世界を変えるのを一緒にするな」
「一緒とは言ってませんよ」
「さっきからほとんど一緒だって顔してるだろうが」
「だって、やることは似たようなもんですよ。住むところ決めて、仕事探して、働いて生活する」
「世界が違うんだぞ」
「そこは違いますね」
「そこが一番でかいんだよ!」
ギルが頭を抱える横で、ヨルが静かに口を開いた。
「ですが、山田野殿らしいとは思います」
「ヨルまで何言ってんだ」
「こちらへ来てからも同じでした。王宮を出ると決めた時も、冒険者になると決めた時も、山田野殿は必要なことを一つずつ考えておられました。元の世界でも同じだったのであれば、私にはそれほど不思議には思えません」
「ヨルさん、分かってくれます?」
「理解できると言っただけです。同じだとは言っておりません」
「そこはギルさんと一緒なんですね」
「当たり前だ」
即座にギルが返してきた。
かか志としても、元の世界と異世界が同じだと言い張るつもりはない。ただ、フラグオールが考えているほど、自分の中で召喚の前と後が完全に断絶しているわけでもなかった。もともと今までの生活をやめるつもりだったところへ、予想もしなかった形で環境が丸ごと変わった。その結果、こちらでまた生活を始めた。それが今の自分だった。
「それに、こっちに来てからの方が最初の条件は良かったんですよね」
「条件?」
セバスが聞き返す。
「王宮にいる間、住むところも食事も用意してもらったじゃないですか。服まで用意してもらって。すぐ働けとも言われなかったし、戦争に行けとも言われなかったし、外に出るのも自由だったし」
「それは当然の措置です。こちらの都合で召喚した以上、山田野殿が生活できる環境を用意する責任が我々にはあります」
「そうなんですけど……」
かか志は少し考えてから、素直に出てきた感想を口にした。
「前の会社より待遇いいな」
セバスが黙った。ヨルも黙った。ミスリードがわずかに眉を寄せ、フーダニットは髭を撫でる手を止めた。
「……山田野」
ギルが低い声で呼ぶ。
「はい?」
「お前の前の会社ってのは、どんなところだったんだ?」
「普通の会社ですよ」
「今の話を聞いたあとで、それを信じろってのか?」
「住むところと飯が出る会社なんて、向こうでもそんなにないですよ」
「比較するところが違う!」
ギルの声が部屋に響いた。
「山田野殿」
ミスリードが少し真剣な顔でかか志を見る。
「一つ確認したい。そなたは、召喚されたことそのものを問題ではないと考えているのか?」
「いや、それは別ですよ」
かか志はすぐに答えた。
「勝手に呼ばれたのは事実ですし、王様たちに何の責任もないなんて言うつもりはないです。ただ、それで俺の人生が全部台無しになったかどうかは、また別じゃないですか?」
ミスリードは黙って続きを待った。
「元の世界にいたからって、その後の人生が決まってたわけでもないですからね。会社を辞めたあと、すぐ次が見つかったかも分からない。普通に生活してたって、事故に遭うかもしれないし、何かに巻き込まれるかもしれない」
「それと召喚は違うであろう」
フラグオールが静かに言った。
「はい。王様たちが原因を作ったって意味では違います。でも、俺からしたら、予想もできないし避けようもないし、気づいたらこうなってた。だから感覚としては、ものすごく珍しい事故に遭ったくらいなんですよ」
「異世界へ連れ去られることを、事故と申すか」
「向こうじゃ聞いたことないですけどね、こんな事故。でもまあ、似たようなもんです」
「我らが意図して行ったことであってもか?」
「そこはさっき言った通りですよ。王様たちに責任がないって話じゃなくて、俺から見たらって話です」
突然すべてが変わった原因を作ったのは王国で、それまでなかったことにはならない。ただ、その結果として自分の人生が不幸になったかどうかまで、王国が決める話でもない。
「山田野殿は、今の生活を御自身で選んだと考えておられるのですね」
ヨルの言葉に、かか志は頷いた。
「こっちに来たことは選んでませんけどね。でも冒険者になったのも、王宮を出たのも、訓練するって決めたのも俺ですから」
「なるほど」
「それに、俺としては人生を全部奪われたっていうより、一回全部なくなって最初からやり直してる感じなんですよ。最初は住むところも飯も王国に用意してもらって、その間にこっちのことを知って、今は冒険者やってますし」
フラグオールはしばらく黙っていた。
「だが、そなたがそう受け止めているからといって、私がしたことまで軽くなるわけではない」
「それは別に軽くしなくていいんじゃないですか?」
フラグオールがわずかに眉を動かした。
「王様が自分に責任があるって考えるのは、王様の話ですよね。俺が今の自分を不幸だと思うかどうかは、俺の話です。だから王様が責任を感じるなとは言いませんけど、俺の分まで勝手に不幸にならなくてもいいんじゃないですかね」
フラグオールは何も答えなかった。
会社を辞めようとしていたところで、突然異世界へ召喚された。予定していたものとは随分違ったが、結局はそれまでの生活をやめ、新しい場所で新しい仕事を始めている。そう考えると、かか志の中では最初から答えはそれほど複雑ではなかった。
「まあ、簡単に言えば……」
かか志は部屋にいる面々を見回した。
「面倒な就職活動もしないで転職先が決まったんで、結果オーライってやつです」
「待て」
ギルが即座に口を挟んだ。
「お前、さっきまでの話を全部それで終わらせる気か?」
「だいたいそんな話じゃないですか?」
「違う。絶対に違う」
「でも今、冒険者やってますよ?」
「そういう問題じゃねえ!」
ギルの声に、とうとうフラグオールも小さく笑った。




