# 閑話5 エンシェント・ブラックドラゴン
……今回は視点を変えて、チェッペリンのお話です。
久しぶりの挑戦者を前に、古代の黒龍は何を思うのか。
まあ、本人なりに色々と準備していたようです。
そんな感じのお話です。
エンシェント・ブラックドラゴン。
長い年月を生きる古代の黒龍。その名を聞けば、多くの冒険者は警戒する。人族がまともに戦えるような相手ではない。
そんな存在が山の麓に屋敷を構え、庭にしゃがみ込んでいた。
「うむ……今日も美しい」
人の姿を取ったチェッペリン3世は、龍燐草の葉へそっと触れた。長い黒髪に整った顔立ち。黙って庭の手入れをしている姿だけを見れば、古代の黒龍というより、ただの美男子である。
庭には、彼が大切に育てている龍燐草が何株も並んでいた。一本ずつ状態を確かめ、土を見て、葉に傷みがないことを確認する。庭の手入れは嫌いではない。むしろ好きだ。
ただ最近、どうにも予感がする。
そろそろ龍燐草を求め、ここまで辿り着く者が現れるのではないか。
龍燐草を求めて訪れた冒険者は、まずチェッペリンと戦う。それがこの依頼の条件だった。勝てば龍燐草を手に入れられる。負けたとしても、その戦いぶり次第では一本だけ採取を認めることもあるし、何も渡さないこともある。すべてはチェッペリン次第だ。
もっとも、チェッペリンに勝てる冒険者など、そうはいない。それでも挑む者はいるし、チェッペリンもそうした者との戦いを楽しんでいた。長く生きていれば退屈することもある。最近では挑戦者も減り、訪れるのは昔からの知り合いや、特に用もないのに顔を見せる者ばかりになっていた。それはそれで楽しいのだが――やはり、物足りない。
「……我が前に立つに相応しい者。たまには、そういう挑戦者が来てほしいものだな」
そんな者が、そろそろ現れる気がする。根拠はないが、せっかく来るのならば迎える側にも相応の準備というものがある。
チェッペリンは改めて庭を見回した。龍燐草の状態はいい。庭も問題ない。少し考えてから庭の中央へ移動し、辺りを見渡す。
「ここだな。ここならば……ふむ」
いつものように迎えるだけでは、少々味気ない。腕を組み、目を閉じる。相手が近づいてきたところで、静かに声をかける。
「よく来たな、挑戦者よ。我が名は――」
そこで止めた。
「……いや。名乗るのは後だな」
最初から名乗っては軽い。まずは相手に、何者なのかと思わせるくらいでいい。
ならば、背を向けて待つのはどうか。足音が近づいてきたところで、ゆっくりと振り返る。
「待っていたぞ」
「…………」
悪くない。むしろ、こちらの方がいい。
あとはドラゴンとしての気配を少しだけ漂わせて――。
「ここまで来た覚悟はあるか。ならば示してみせよ。その力を――この私に!」
チェッペリンはそのままの姿勢でしばらく立っていた。
「…………うむ」
これだ。実にいい。
久しぶりの挑戦者なのだから、このくらいは許される。いや、むしろこれくらいでなければ、エンシェント・ブラックドラゴンたる自分を前にする意味がない。
そんなことをしていると、遠くに二人の人影が見えた。
「……む?」
目を細める。二人はこちらへ向かってくる。
「……来たか」
チェッペリンはすぐに姿勢を正した。風が長い黒髪を揺らす。表情を整え、先ほど確認した位置へ立つ。
準備はできた。まずは威厳たっぷりに――。
「……?」
近づいてきた二人を見て、わずかに眉を寄せた。
一人は騎士。そして、もう一人は特に目立つところのない男だった。服装も普通で、立ち姿にもこれといった特徴はない。隣を歩く騎士の方が、よほどそれらしく見える。
だが、なぜかその男から目が離せなかった。
二人が屋敷の前まで来る。
「……冒険者か?」
「はい。龍燐草の採取依頼で来ました」
「そうか」
二人を見る。その視線が、一瞬だけ男のところで止まった。
思い描いていた登場とは少し違う。もっとこう、これから古代の黒龍へ挑むのだという意気込みくらいは見せるものだと思っていた。だが、依頼を受けてここまで来たのなら間違いはない。
「私はチェッペリン3世だ。この屋敷に住んでいる」
「……ああ」
男が一瞬だけ考えた。
「あの……依頼を出された方ですね」
「そうだ」
「山田野かか志です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
チェッペリンは静かに頷いた。
さて、ここからだ。まずは相手の力量を見る。どう動く。どこまで自分へ食らいついてくる。これまでの挑戦者と同じように、戦い方を見て――。
山田野かか志を、戦う相手として認識した。
その瞬間。
「……っ」
身体が止まった。
何が起きたのか分からない。先ほどまで何の問題もなかった手足が、動くことを拒んでいる。呼吸が浅くなり、背筋を冷たいものが走った。
目の前の男は何もしていない。武器を構えてすらいない。敵意もない。ただ、そこに立っているだけだ。
それなのに――。
戦うな。
頭ではなく、身体がそう告げていた。
こいつには敵対するな。
チェッペリンは無意識に戦い方を組み立てようとする。距離を取る。牽制する。相手の動きを見る。人の姿で戦うか、龍の姿になるか。どこまで力を出すか。
だが、浮かんだ選択肢が片端から消えていく。どれも違う。そうではない。
そもそも――。
「…………」
頬を冷や汗が伝った。
長い年月を生きてきた。その経験よりも先に、ドラゴンとしての本能が答えを出していた。
こいつと戦ってはいけない。
「……待て」
チェッペリンは目の前の男を見る。
こいつと戦うのか?
無理だ。
戦えば――。
俺、死ぬぞ?
「龍燐草って、どれですか?」
あまりにも普通の声が、思考を断ち切った。
「あちらだ」
どうにか答え、庭の一角を指差す。そこには、他の植物とは少し違う草が生えていた。
「これですか」
「そうだ」
かか志は近づき、龍燐草を見る。
「……普通の草に見えるな」
何を言っている。龍燐草だぞ。
チェッペリンが大切に育てている、正真正銘の龍燐草である。
だが、そんなことを口にする余裕はなかった。かか志はそのまましゃがみ込み、龍燐草を一本採る。
「これでいいですか?」
「……ああ」
返事が、ほんのわずかに遅れた。
いい。一本ならいい。むしろ一本でいいのか。
いや、一本で帰ってくれるなら、それでいい。
かか志は採った龍燐草を確認している。
「じゃあ、頂いて帰ります」
「……そうか」
帰る。そうか。帰るのか。
「ありがとうございました」
かか志が頭を下げた。チェッペリンも静かに頷く。
「気をつけて帰るといい」
「はい」
二人はそのまま屋敷を後にした。
チェッペリンは何も言えないまま、遠ざかっていく背中を見送った。風が庭を抜け、龍燐草の葉を揺らしていく。やがて二人の姿が見えなくなったところで、ようやく息を吐いた。
「……何だったのだ、今のは」
庭へ視線を落とすと、龍燐草が一本だけ減っていた。依頼としては何も問題ない。冒険者がやって来て、依頼された龍燐草を採取し、帰った。完璧に達成されている。
「……挑戦者、だったはずなのだがな」
そこで、チェッペリンはふと思い出した。
考えていた決め台詞を、一つも言っていない。
「…………」
しばらく誰もいない庭に立ち尽くしていたが、やがて残った龍燐草へ目を向ける。一本減っただけだ。また育てればいい。
「……まあ、いい」
チェッペリンはしゃがみ込むと、何事もなかったように龍燐草の手入れを再開した。
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