第八話 勇者の資格
地面を揺らす轟音と、閃く雷光。
叩きつけるような雨が視界を奪う。
足元の泥を蹴立てて、一行はただ走り続けた。
雨に煙る視線の先で、ゆらり、と人影がゆれた。
「ドリー!」
マーカスの声に、大盾を背負った男が振り返る。
「マーカス! それに、お前らまで!」
「カイルは?」
ドリーは黙って、右手に持った『それ』を差し出す。
「これは……カイルの守り刀か」
「ああ、ここに落ちていた。この先は……」
ドリーが見つめる先――森の奥に続くはずの小道は、崩れた土砂に埋まっていた。
「崖崩れ……そんな」
フィオナは言葉を失い、息を飲む。
沈黙の中、雨音が轟々と響く。
ふいに、ノインが顔を上げた。
「どうしたの? ノイン」
「……血の匂いがする」
「えっ?」
ノインは雨の中に鼻先を高く上げ、瞳を細める。
「間違いない、こっちじゃ! 血の匂いと、悪鬼どもの声――何者かがまだ戦っておる!」
ノインはマーカスを乗せたまま、勢いよく走り出した。
***
崖下に広がる、開けた窪地。
何十頭ものゴブリンが、武器を掲げて耳障りな声を上げている。
悪鬼どもの視線の先――崖を背に、岩と大木を盾にして戦うカイルがいた。
「――!」
思わずその名を呼ぼうとしたフィオナの口を、ドリーの手がすばやく塞ぐ。
「気持ちは分かるが、今はだめだ。あいつの集中力が切れたら、一巻の終わりだぞ」
「……っ、すみません」
マーカスはノインの背から降り立ると、フィオナの肩を軽くたたく。
「俺たちが下までたどり着いたら、支援魔法を頼む」
「は、はい!」
その間に、ドリーは慣れた手つきでロープを結わえ、崖を降り始める。
「宿屋、お前らはここにいろ。危ないと思ったらすぐ逃げてくれ」
「承知いたしました」
エイトが頷くと、マーカスも崖を降り始めた。
***
ガツン!
カイルの剣が、目の前のゴブリンを弾き飛ばす。
刃は欠け、油が巻き、切れ味などとうに落ちてしまっている。
だが、カイルは冷静だった。
切れなくなった剣で戦う術も、複数の敵に囲まれた場合の対処も、旅の途中で教わった。
馬鹿にされて、冷たくされて――だから、自分も反発して意地を張った。
だが、今なら分かる。
マーカスとドリーはずっと『生き抜く術』を教えてくれていたのだと。
そして、信じていた。
「必ず戻る」と言った、ふたりの言葉を。
「グァァァ!」
「ギャアアアア!」
突然、ゴブリンたちが吠えはじめる。
カイルの意外なしぶとさに、業を煮やしたのだろうか。
単独でダメなら、複数で。
三匹のゴブリンが、カイル目掛けて一斉に飛び掛かっていく――!
「フィオナ!」
ユナに強く肩を掴まれ、フィオナはハッと我に返る。
「このままじゃ間に合わない! 魔法を使って!」
「で、でも! 私の支援魔法ではとても――」
「そうじゃない!」
ユナはまっすぐにフィオナを見つめる。
紫水晶の瞳は今、強い光を湛えていた。
「もし真実が知られたら、フィオナは聖女になれなくなるかもしれない――それでも今、カイルを救えるのは、フィオナの『本当の力』だけだよ!」
フィオナは一瞬、目を見開く。
だが。
すぐに頷くと、杖を強く握りしめる。
杖が輝く。
そこに集う魔力の色は――『赤』。
次の瞬間。
燃え盛る火の玉が、崖下へと降り注いだ。
ゴブリンたちは、たまらず悲鳴を上げて逃げ惑う。
「あははははッ! 愚かな悪鬼どもめ、我が紅蓮の流星から逃れられると思うな!」
赤く光る杖を掲げ、フィオナは髪を振り乱して笑っている。
「いやはや、凄まじい……これがフィオナさんの『本当の力』なのですね」
「あの娘、やはり黒魔法に適性があったか」
「えーっと……なんか性格まで変わっちゃってるけど」
「案外、あれが本性なのかも知れぬ」
三人がひそひそと話している間に、ドリーとマーカスが崖下に降り立つ。
ふたりはカイルに駆け寄ると、庇うように武器を構えた。
「遅くなってすまん、カイル!」
「……よく、戻ってきて、くれた……」
「まだ気を抜くなよ、『勇者サマ』!」
「うるさいな……分かって、いるさ!」
憎まれ口をたたきながらも、三人はにやりと笑った。
降り注ぐ炎の雨と、熟練の冒険者たちの参戦。
こうなってはもう、敵に勝ち目はなかった。
宿屋の三人が見守る中、冒険者たちはついにゴブリン討伐を成し遂げたのである。
***
「よし、終わったな。カイル、お前のおかげで助かっ――」
「……ありがとう」
ドリーが言い終わるより先に、カイルは深く頭を下げていた。
「皆が来てくれなければ、私はここで死んでいた……本当にありがとう」
「よせ、馬鹿。お前らしくもない」
「それだけじゃない。旅の途中で教わった数々のことが、私を助けてくれた。知らずのうちに、私を鍛えてくれていたのだな。なのに私は、皆に非礼ばかりで……自分の浅慮が情けない」
マーカスとドリーは顔を見合わせ、困ったように笑う。
そして、自分たちも深々と頭を下げた。
「たかがゴブリンと舐めてかかって、背後を取られたのは俺だ。そのせいで、お前を危険にさらしてしまった。すまない……」
「それは、お前が謝ることではないだろう? 不用意だったのは私も同じで――」
「……それだけじゃないんだ」
そう言って、マーカスは辛そうに目を閉じた。
「俺はかつて『勇者』を目指す男と同じ冒険団にいた。だが……」
「……何か、あったのか?」
「ああ。そいつは土壇場で仲間を裏切り、逃げ出した――生き残ったのは、俺だけだった」
「なんと、それは酷い……」
「だからといって、お前につらく当たっていい理由にはならない。それでもお前が『勇者』と口にするたび、どうしても過去の痛みが抑えきれなかった……これは俺の弱さだ。カイル、すまん」
「……マーカス、顔を上げてくれ」
雨音の中、カイルの穏やかな声が響く。
「ゴブリンたちに背後を取られた時、狙われたのは私だった。だが、お前は自分が手傷を負うのもためらわずに、私を守ってくれたじゃないか」
「それは……」
「お前は弱くない。憎む相手を庇ったお前こそ、真の勇者――過去を打ち負かした勝者だ。そうだろう?」
「……っ!」
カイルの言葉に、マーカスは慌ててそっぽを向く。
「べ、別にお前をかばったわけじゃねえし! あれは……ただの偶然だ!」
マーカスの言葉に、ドリーが噴き出す。
「なんだよ、ドリー」
「ああ、確かに偶然だな。無視してるフリして背後を確認したり、坊ちゃんの死角に目を配ったりしてたのも偶然だ」
「お前っ……余計なことを言うんじゃねーよ!」
普段のマーカスからは想像もつかない慌てっぷりに、ドリーとカイルも思わず笑いだした。
降りしきる雨の中、笑顔で互いをたたえ合う三人。
崖から降りたフィオナと宿屋一行は、その様子を和やかに見つめていた。
***
「ヒヤヒヤしたけど、仲直り出来てよかったじゃん」
「うむ。『雨降って、地固まる』というヤツじゃの」
ユナとノインが満足そうに頷いている。
「マーカス様、そんな過去がおありだったのですね……」
いつもの口調に戻ったフィオナが、しんみりと言った。
「マーカスさんはカイルさんを憎みながらも、ずっと気にかけていたのですよ。その憎しみには、一抹の羨ましさもあったのでしょう」
「羨ましさ?」
「ええ。己を大きく見積もり、焦り、必死になってあがく――そんな若さや未熟さが、きっと眩しかったのでしょうね」
エイトは優しく微笑みながら、マーカスを見つめている。
今、エイトには何が『聞こえて』いるんだろう。
フィオナはぼんやり考えながら、その緑の瞳を見上げていた。
――その時だった。
ノインの尖った耳がぴくりと動く。
喉から、うう、と低い唸り声が響く。
「どうしたの、ノイン」
「新手じゃ! 皆、気をつけよ!」
その一言で、緊張が走る。
森の奥に、何かがいる。
バキバキと周囲の木々を踏みつぶしながら、音を立てて向かってくる。
草木の焦げる匂い、地面を這いながら近づいてくる赤い光――いや、炎。
それは確かに、竜にも似た姿をしていた。




