第十四話 月の指輪
フィオナが持ってきたのは、小さな木の箱であった。
箱の表面には、綺麗な花の彫り物が刻まれている。
だが、それ以外は特に何の変哲もない箱のように見えた。
「これは、どこから開けるものなのですか?」
箱をまじまじと見ながら、エイトが聞いた。
よくよく見れば、箱には取っ手も切れ目もない。
意匠を見れば上下は分かるものの、どの面を押しても引いても、箱は沈黙したまま動く気配がない。
「分からないんだ。私たちも、ただの一度もこの箱の中身を見ていないんだよ」
「箱を壊そうとしたこともありましたが、木槌で叩いても壊すことができなかったのです」
両親はそう言って肩を落とす。
「ふむ、守護の魔法がかかっておるようじゃな。これでは、オーガが踏んでも壊れまい」
ノインは、ふんふんと箱のにおいを嗅いでいる。
「仕掛け箱だね」
ユナが言った。
その瞳が、ほんのりと紫水晶のように光っている。
「決まった動作をしないと開かない仕組みなんだ。ねえ、これ本当に開けちゃっていいのかな」
ユナに続いて、エイトも口を開く。
「この箱からは、『慈愛』と『拒絶』の音がします。手元に置いていてほしいけれど、できたら開けてほしくない――そんな想いが聞こえてくるようです」
「かまいません」
両親よりも先に、フィオナがそう言った。
「姉さんはいつもそうだった――誰にも何も相談せずに、自分一人で抱え込んで、勝手にいなくなって……最後にこんな箱を送ってきて「開けてほしくない」なんて、そんな身勝手は知りませんわ」
口調は強かったが、その瞳にはどうしようもない寂しさが浮かんでいる。
ユナはそんなフィオナの横顔を、しばらくじっと眺めていた。
だが、やがて意を決したように、箱を両手に取ったのだった。
「ねえ、フィオナにとって、お姉さんってどんな人だった?」
箱をくるくると弄りながら、ユナが尋ねる。
「優しくて、穏やかで、頭が良くて――夜空を照らす月のような人でしたわ。手の届かないくらい遠くて、掴めないところも……私は照らされるばかりで、姉を照らしてあげることはできなかった……」
最後は消え入りそうな声で、フィオナはつぶやく。
ユナは小さく頷きながら、黙ってその言葉を聞いていた。
やがて、カチリと軽い音がした。
「開いたよ、ほら」
ユナが差し出した手の中で、小箱が口を開けていた。
「これは――」
フィオナは震える指先を伸ばし、それを手に取る。
「ふむ、指輪じゃな」
ノインはまた鼻先を近づけて、くんくんと嗅いでいる。
「珍しい意匠ですね――いや、文字なのかな? 私には読めそうにありませんが……」
エイトも興味深そうに、フィオナの指先を覗き込んでいる。
「――フィオナ」
ユナの紫色の瞳が、フィオナを見上げて揺れている。
「それ、フィオナが肌身離さず持ってるのがいいと思う」
「え?」
戸惑うフィオナに、ユナが頷く。
「この指輪には、何か役目がある――そんな気がする。お姉さんは悩んだ末に、結局フィオナにこれを託したんだと思うよ」
「役目……ですか」
「うん。もし私がこの指輪にシグナを刻むとしたら、たぶん――」
ユナはそこで言葉を止めると、目を閉じた。そして、小さく息を吸うと、静かに口を開く。
「――鍵、かな」
「ならばこの指輪は、扉を開いたり、何かを開けたり……そういった用途なのでしょうか」
「うーん、詳しくは私にも分からなかったけど、何か重要な役目を持ってる気配は感じるよ」
フィオナは手のひらの上を見つめる。
古ぼけた金の指輪には、宝石の類は付いておらず、代わりに不思議な印章が刻まれている。
エイトも口にしていた通り、確かに、どこか異国の文字のようにも見える。
しばらく指輪を眺めていたフィオナは、ふいに顔を上げると頷いた。
「私、ユナさんの鑑定を信じます。この指輪は、日頃から身に着けておきますわ」
「うん、それがいい――あ、でも指には付けないほうがいいよ。役目や秘密を背負った物は、あまり人に見せないほうが安全だから」
「確かに、おっしゃる通りですわね……では、お守り袋に入れて持ち歩くことにいたします」
フィオナが言うと、ユナは「いいと思うよ」と笑った。




