第十一話 宿替えです!
小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
昨晩までとは打って変わって、晴れやかな青空が広がる朝だ。
ベーコンの焼ける芳ばしい匂いが、調理場から漂ってくる。
宿の食堂では、朝食の準備の最中であった。
「守り刀について、聞きたいことがある?」
食堂のテーブルで朝食を待っているカイルの前に陣取ったユナが、しっかりと頷く。
「うん。カイルはあの短剣をどこで手に入れたの?」
「あれは旅に出る前日、私の乳母が贈ってくれたんだ」
「乳母?」
「ああ。私の母は、私が幼いころに他界してね。母の親友でもあったクロエという使用人が、私を育ててくれたんだ」
カイルは懐かしそうに目を細める。
「今回の旅に出る前夜に、彼女――クロエが私を訪ねてきたんだ。その時に渡されたのが、この刀だよ」
そう言って、カイルは短剣をテーブルに置いた。
金色の鞘が、朝の陽ざしをきらりと跳ねる。
「クロエさんは、剣の名前について何か言ってなかった?」
「名前? そういえば、この剣には名前があるとか言っていたな」
カイルは手を伸ばすと、短剣を鞘からゆっくりと抜く。
その刀身には、確かに文字が刻まれていた。
「『守護者』か……うん、やっぱりそうだ」
ユナの瞳が紫色にきらめく。
「間違いない、この剣には『シグナ』が刻まれてる」
「シグナ? なんだい、それは」
カイルは首をかしげている。
「刻命術――物に名を刻み、使命を与える術のことだよ」
「へえ、そんな魔法があるのか。フィオナ、知っていたかい?」
「いいえ、初耳ですわ」
フィオナの答えに、ユナも頷く。
「知らないのが当然だよ。シグナは魔法じゃない、隠れ里でひっそり受け継がれてきた能力だからね」
「なんと! そんな里があるなんて、今まで知らなかったな」
驚くカイルに、今度はエイトが言う。
「そりゃそうですよ、里はこの世界にはありませんから」
「どういうことだい?」
「私たちは『渡りの者』――別の世界から、この世界へと渡って来たんです」
暖炉の前でノインを撫でていたマーカスが、こちらを振り返る。
「やっぱり、あんたら『渡り』なのか。どうりで妙なチカラを持ってるわけだぜ」
「ははは、それほどでも」
焼き立てのパンを取り分けながら、エイトが笑っている。
「ねえねえ、カイル」
「どうしたんだい?」
ユナは改めてカイルに向き直る。
「クロエさんって、いまどこにいるの?」
「うーん、私が旅立ってからの事は分からないけれど……まだウチに仕えていれば、館にいるだろう」
「あのさ、クロエさんに会えないかな――ううん、会いたい! 会わせてほしい! お願い!」
珍しく必死なユナの様子を見て、フィオナが静かに口を開く。
「――ユナさんも、その『シグナ』という能力をお持ちなのですね」
「え?」
「物に名を刻み、使命を与える――そのためには、物の特性を見抜く必要があるはず。その能力を、鑑定に応用していらっしゃるのでは?」
「正解! すごいねフィオナ、鋭いじゃん!」
ユナは目を輝かせ、嬉しそうに笑っている。
「なるほど、同じ異界の里出身だとすれば、会ってみたいと思うのも当然――か」
カイルはそう言うと、大きく頷く。
「いいだろう。旅の報告に、一度家に戻ろうと思っていたのだ。もしよければ、共に行こう」
「やったぁ! ありがと、カイル!」
ユナは満面の笑みで、エイトとノインを振り返った。
「じゃあ、そういうことで。ちょっと行ってくるね!」
「待ってください。まさか……ユナさんだけで行くつもりですか?」
「え? そうだけど?」
ユナはきょとんとしている。
エイトは持っていた布巾をその場に放り出すと、慌ててユナに詰め寄る。
「いけません! 危ないでしょう、単独行動など許しませんよ!」
「そうじゃよ、主。わらわが共にゆこう」
「駄目です、ノインは信用できません。私も行きます!」
「ふん、宿はどうするつもりじゃ? 勝手に閉めたら、宿ギルドから罰金を取られるぞ」
「ぐっ……!」
罰金――と聞いて、エイトは苦しい顔で黙ってしまった。
「まあまあ、それなら一度、宿ギルドにお伺いを立ててみては?」
フィオナが笑いながら言う。
「どうやって?」
「手紙をお書きくださいな。伝令魔法を使って、ギルドに転送いたします」
数分後。
エイトの手紙が、魔法陣の中央に置かれる。
フィオナは目を閉じ、魔法を唱え、軽く杖を振りかざした。
すると――。
手紙の文字が光りはじめ、紙からはがれて宙に浮く。
そしてほどなく、光はどこかへ飛び去ってしまった。
「――これで完了です。しばらくすれば、文字は王都のギルド本部に届きますわ」
「すごーい。そんなことができるんだ」
「ほほう、便利じゃの」
好奇心にあふれた眼差しを向けられて、フィオナは少し恥ずかしそうに笑う。
「ふふっ、あとはギルドからの返事を待ちましょう」
「そうですね。ではそろそろ、朝ご飯にいたしましょうか」
エイトの言葉に、皆が笑って頷いた。
テーブルの上に並んだのは、サラダとスープ、焼き立てのパンと厚めに切ったベーコン。香りのよい茶を淹れれば、朝食の出来上がりだ。
「んー、うまい!」
「このパン、ふっくらしてとても美味しい……」
「宿屋、ベーコンおかわり!」
皆が料理を堪能しながら、昨日の冒険譚を改めて語り合う。
朝日の差し込む食卓で、過去の痛みや後悔が、笑い話に生まれ変わっていく。
エイトは追加のベーコンを焼きながら、会話に耳を傾ける。
そして、幸せそうに笑うのだった。
***
和やかに食事が進んでいた、その時である。
先ほどの魔法陣が、キラキラと小さく音を立て始めた。
「あら、返事が来たようですわ」
現れた光の粒が文字の形になり、紙の上に次々に並んでいく。
やがて、光が静かに消え、書きなぐったような手荒な手紙が残された。
エイトは手紙を拾い上げると、ふむふむ、と目を通していく。
その表情が、次第にどんよりと曇っていく。
「なんて?」
「『宿替えを命じる――今すぐ宿を畳んでアヴァリア領へと同行しろ。あとのことは追って連絡する』だそうです」
「はぁー?」
「宿替えとは、いきなりじゃの」
ユナとノインも途端に顔をしかめ、ぶつくさ文句を言っている。
「あの、先ほどの手紙は……?」
「ギルドからの『宿替え』――つまり、この宿を畳んで移動しろ、という指令です」
「ええっ! ごめんなさい、そんなことになるなんて……」
フィオナは口元を押さえ、オロオロとうろたえている。
「フィオナさんのせいではありませんよ。すべてはあのギルド長のせいです」
「ほんとそれ! あいつ、無茶ばっかり言うんだよね!」
「全くじゃ、あの守銭奴め――儲け話と見れば、わらわたちを振り回しおって」
ノインも鼻の上に皺を寄せてうなっている。
「……宿屋ってのも、大変なんだな……」
ドリーは肩をすくめた。
「この宿はどうなるんだ?」
「別の誰かが宿ギルドから派遣されてくるはずですから、そのうち営業は再開されますよ」
「へぇ、そういうもんなのか」
感心した様子のマーカスであったが、やがてぱちんと手を叩くと、椅子から立ち上がった。
「そうと決まれば! 手伝うぜ、引っ越しの準備」
「とんでもない! お客様に仕事を手伝わせるわけにはいきません」
「いいってことよ。お前らには、世話になったしな」
ドリーもそう言って笑う。
「やったー、助かる!」
ユナは大喜びだ。
確かに、ふたりと一匹で荷造りをすることを考えれば気が重い。マーカスたちの申し出は、飛び上がるほど嬉しいに決まっている。
「それでは、お言葉に甘えるとしましょうか」
エイトも立ち上がると「よろしくお願いします」と頭を下げるのだった。
***
荷物をまとめ、荷車に積み込む。
宿屋のふたりは手慣れた様子で、順序良く荷物を詰めていく。
皆で協力した甲斐もあり、昼過ぎには全ての荷物を積み終わってしまった。
最後に看板を外すと、エイトは感慨深そうにそれを眺めている。
「お前たちは西に向かうんだろ。じゃあ、俺たちとはここでお別れだな」
ドリーはそう言うと、少し寂しそうに笑った。
「えー、一緒に行かないの?」
ユナは残念そうに眉を下げている。
「昨日の夜、皆と話し合ったんだ。俺たちふたりは、王都へ行くことにした」
風が吹く。
街道を抜けて、透明な風が吹いていく。
「もうさすがに『勇者』にはなれないだろうが、やっぱり俺たちは冒険が好きだ。初心に帰って、まだ見ぬ魔物やお宝を追う――冒険者として、一から出直そうって決めたのさ」
風を追うように空を見上げて、マーカスが言う。
その横顔は、今日の青空と同じように晴れやかに見えた。
「へえ、いいじゃん! がんばってね」
「おぬしらの行く先に加護があるよう、わらわも祈ろうぞ」
ユナとノインも、弾んだ声でそう応えた。
「お前らこそ、またそのうちどこかで宿屋やるんだろ? 今度泊まるときも、旨い飯と酒を頼むぜ!」
「ええ、お近くにお越しの際は、ぜひとも御贔屓に」
「ああ、もちろん! そうだ、店の名前を聞いておくよ」
看板を大事そうに抱えて、エイトが言う。
「渡り鳥の看板が目印――皆からは『燕屋』と呼ばれております」
その後ろから、ユナとノインも顔を出す。
「次も絶対、ウチに泊まってね!」
「その時は、新たな冒険譚を聞かせてもらうとしようぞ」
マーカスとドリーは顔を見合わせ、しっかりと頷いた。
街道を東へ向かうふたりに手を振ってから、カイルとフィオナは歩き出す。
その後ろを、エイトとユナ、そして荷車を引いたノインが行く。
「峠の宿屋は、いったん終了だね」
「次はアヴァリア領ですか。いったい、どんな場所なのでしょうね」
「飯がうまいとよいのじゃが……」
のんびりとした足取りで、一行は街道を西へ向かう。
きらりと澄んだ青空の下、小鳥たちの歌を聞きながら、こうして新たな旅が始まったのであった。




