第十話 『シグナ』
「こいつら、二頭いたのかよ……くそっ!」
「『双頭の竜』の噂は、そういうことだったのですね……しくじりました」
そう言って、エイトは顔をしかめる。
「おい宿屋、大丈夫か?」
「私は大丈夫ですが、この状況はよくないですね」
「どういうことだよ」
「あの銃で二発目を撃つには、冷却時間が必要なのです。それまで、敵さんが待ってくれるといいのですが――」
「ジャアアアア!」
炎蜥蜴が咆哮を上げる。
「――待ちきれねえ、ってさ」
「でしょうね」
エイトはギリ、と歯を食いしばる。
ドリーとマーカスは立ち上がると、それぞれに武器を構え、前に出る。
「なら、俺らで時間を稼ぐしかねえな」
「コイツ、さっきのヤツよりでかくね?」
「へへ、倒しがいがあるじゃねえか」
軽口を叩きつつも、ふたりの冒険者は炎蜥蜴とにらみ合う。
炎蜥蜴は、苛立ったように唸り声を上げる。
その足踏みだけで、地面が震える。
「来るぞ、よけろ!」
太い尾が、うなりを上げて振り下ろされた。
間一髪――尾はマーカスの肩をかすめ、背後の岩にぶち当たる。
「うわ!」
「マーカス!」
よろけたマーカスを、ドリーが掴んで助け起こす。
尾に触れた岩は赤く焼け、どろりと液状に溶けだしている。
「尻尾だけでこれかよ、こりゃヤバいな……」
「けど、やるしかねえ。気合入れろ!」
ドリーは大声で叫ぶと、溶けて形の崩れた大盾を構えなおす。
その後ろで、カイルが小さく呻く。
「何か、方法はないのか……皆が助かり、無事に山を下りる方法は……!」
その時だ。
「カイル!」
突然、ユナの声が頭上から響く。
見上げれば、崖の上でユナが何かを掲げている。
「この剣、使って!」
そう叫ぶと、ユナは『それ』を放り投げる。
くるくると宙を舞い、導かれるようにカイルの手の中に納まったもの。
それは――。
「――私の守り刀じゃないか」
ゴブリンと戦っているうちに、どこかに落としたはずの短剣である。
「それ、光ってる!『意思』があるんだ!」
ユナが叫ぶ。
「意思……?」
「いいから抜いて! 悪いようにはしないから!」
手の中で、剣が不思議な光を放っている。
カイルは、光に吸い寄せられるように柄を握った。
剣の震えと熱が、冷え切った指先に流れ込んでくる。
(カイル様、どうか――)
懐かしい声が、頭の奥で響く。
「これは……一体?」
「カイル! ボンヤリしてる場合じゃないって!」
「小僧、早う抜かんか!」
その声に、カイルはハッと我に返る。
炎蜥蜴が、再び大声で叫ぶ。
対を討たれた怒りか、悲しみか。
大きく開いた口の中には、灼熱の火球が渦巻いている。
「来る!」
その瞬間。
カイルは剣を抜き放った。
刀身が、眩しく輝く――。
剣から放たれた光は、それ自体が刃となる。
守り刀はカイルを導くように、自らの意思で軌跡を描く。
一閃。
光は、炎の息ごと蜥蜴の体を貫いた。
一刀のもとに切り裂かれた炎蜥蜴は、その姿を灰に変え、音もたてずに崩れ落ちていった。
***
「カイル!」
皆が、呆然と立ち尽くすカイルの元へと駆け寄ってくる。
「おいおい、どうなってんだよ」
「何が起きたのか、私にも分からない……」
カイルは呆気にとられ、目をぱちぱちと瞬かせている。
ノインに乗ったユナが、崖の上からひらりと飛び降りる。
「やったじゃーん、『勇者サマ』!」
「よ、よせ! 何を言うか」
「竜征――とまではいかなくても、炎蜥蜴を討伐したんだ。勇者と呼ばれる資格は、十分あると思うぜ」
マーカスとドリーも、和やかに笑っている。
「その前に、ゴブリンの大軍を町へ寄せ付けなかったわけですからね。十分に勇ある者の行いだと思いますよ」
「そうじゃな。今回に限っては、多少自信を持っても良いぞ――今回に限っては」
「ノーイーン! 余計なこと言わないの!」
宿屋の三人は、いつものようにぎゃあぎゃあと騒いでいる。
「カイル様」
フィオナがそっと歩み寄ると、優しく笑った。
「お見事でしたわ」
「ありがとう……ああ、よかった……皆が無事で、本当に良かった……」
カイルの頬を、涙がこぼれ落ちていく。
いくつも、いくつも。
それを優しく隠すように、雨はカイルの頬をしとど濡らすのだった。
「さあ、そろそろ帰ってお風呂にしましょうか!」
エイトが明るい声で言うと、皆がほっとした顔で笑った。
「賛成! ずぶ濡れなうえに煤まみれだよ。ノインも洗わないとね」
「むう……風呂は好きではないのだが、仕方があるまい」
「お湯につかってさっぱりしたら、今日はごちそうにしましょうね」
「やったー!」
「酒も頼むぜ、宿屋!」
「お酒は別料金となっております」
「かーっ、こんな時までしっかりしてるぜ!」
降りしきる雨の中、皆は笑顔で歩き出す。
涙も、過去も、隠していた魔力の色も――そう簡単には洗い流せない。
それでも。
宿へと帰る道中の雨は、どこか暖かく思えるのだった。
***
窓から見える空が、少しずつ白んでくる。
夜が終わり、新たな朝の始まる時間。
ようやく雨は上がったらしい。
昨夜は皆で楽しく騒いだ食堂も、今はガランと静まり返っている。
その中にひとり、ユナがぽつんと座っていた。
「どうしたのですか? 珍しく難しい顔をしていますね」
コト、と小さく音を立てて置かれたカップには、スープがとろりと揺れている。
顔を上げると、エイトの笑顔と目が合った。
「珍しく、は余計だよ」
穏やかな声に少しほっとしながら、ユナはカップを手に取る。
口に含むと、暖かな味わいが、冷えた体にじんわりと広がる。
「……昨日の戦い、すごかったね」
「いやぁ、久々に肝が冷えましたね」
「ドリーとマーカスは、やっぱり凄い冒険者だったし」
「ええ」
「フィオナも本当は、炎魔法が得意だった」
「はい」
「――ねえ、エイト」
ユナはカップを机に置くと、正面を見据えたまま口を開く。
「カイルの守り刀――もしかしたら『シグナ』かもしれない」
「なんですって?」
エイトが弾かれたように身を起こす。
見開かれた瞳の先で、ユナが小さく頷く。
「まさか……それでは、あの剣に『シグナ』を刻んだ者は――」
「うん、わたしたちと同じ『渡りの者』かもしれない」
ユナはそれだけ言うと、ただ黙ってエイトを見つめる。
沈黙の中、時計が一秒を刻む音だけが、やけに大きく響いていた。




