77話 楽しむ者たち
Switch2おもろすぎ
白一色に染まった、どこまでも広がる無機質な異空間。
そこに立ち込める空気の密度は、数瞬前とは完全に様変わりしていた。
「――ハハッ、素晴らしい。これだよ、これ!」
宙へと浮遊した少年の姿をした怪物――『神童』レオの全身から放たれる魔力の濁流は、先ほどまでとは文字通り次元が違っていた。
覚醒領域《無窮の魔力解放》を果たしたレオの全身から溢れ出る魔力は、先ほどの戦闘とは到底比べ物にならないほどの絶大な質量と輝きを誇っていた。
人間の肉体という小さな器から解き放たれた莫大なエネルギーは、実体を持った青白い炎の螺旋となって旋風を巻き起こし、真っ白な地面をすさまじい圧力で押し潰している。
だが、その狂暴かつ圧倒的な圧力を正面から全身で受け止めながら、地上に佇む空の表情に焦りや恐怖の色は微塵も存在しなかった。
「……ふぅーっ」
空の口から、青白く光る息が静かに漏れ出る。
対峙する空の胸の奥で――久しく眠っていた熱い結晶が、ドクンと激しく鼓動した。
(――ああ、これだ。この感覚だ……)
かつての鉱山で、遥か上の女王に見せたカイルの生命の輝き。
アーリスの街を震撼させた『女王』の絶望的なまでの死力。
あの歴史に名を刻む強者たちと相対した時にだけ感じた、魂の底から沸き立つような猛烈な高揚感が、空の全身の血を激しく滾らせていく。
「いいな……本当にいい力だ。この偽りの肉体、人間の限界に合わせて作ったこの身体で、どこまでお前という領域とやり合えるか……実に見ものだな」
空は自身の右拳をぎゅっと握り締め、その感触を確かめるように呟いた。
神としての無制限な全能ではなく、今この世界で手に入れた「肉体」という限定された器で、目の前の天才が解き放つ極限の力とどこまで真っ向から渡り合えるのか。自身の心臓が、まるで戦いの鐘を鳴らすように力強く脈打っているのを肌で感じていた。
空は不敵に口元を吊り上げ、全身の力を抜いて静かに構えた。
「――さぁ、やろうか!」
その言葉が合図だった。
「――《穿て、解き放て、天地を焦がす無数の天槍よ》――!」
レオの唇から、高速かつ精密な重唱の呪文が紡がれる。
『無窮の魔力解放』によって解き放たれた無限の魔力と、極限まで練り上げられた詠唱補正。その二つが組み合わさったことで、生成された魔法の威力は通常時の十倍以上にまで跳ね上がっていた。
頭上の空中に、数千を超える極大の光の魔法陣が一瞬で展開される。
そこから放たれたのは、一撃一撃が大型の魔獣を一瞬で灰燼に帰すほどの威力を持った、純粋な魔力の光弾の雨――
《神の雨》。
ドドドドドドドドドドドドッッッ!!!!!!
白銀の空間を覆い尽くすほどの魔法の群れが、暴風雨となって空の頭上へ降り注ぐ。
「――《無象・流転》!」
空は揺らめくような歩法で滑り出し、両手をしなやかに交差させた。
降り注ぐ光弾の群れに対し、滑らかな円の軌道を描きながら掌を滑らせていく。空の手に触れた光弾は、摩擦ゼロの完全なベクトル変換によって次々と明後日の方向へと受け流され、周囲の空中で虚しく弾けて散っていく。
しかし――先ほどまでとは決定的な違いがあった。
「あははははっ! 受け流せるなら、受け流しきれないほどの数を叩き込むまでだよ!」
ドドドドドドドカァァァァァンッッッ!!!!!
レオの攻勢が、全く途切れないのだ。
通常であればどんな高位魔導士であっても、最上位魔法を一度放てば魔力の再装填と呼吸の乱れが生じる。しかし、無窮の魔力を手に入れたレオには、その隙が一切存在しなかった。
一撃一撃が都市を崩壊させる規模と威力を持つ魔法の群れが、呼吸をする間すら与えず、全く同じ規模、同じ威力で、途切れることのない連続した「波」となって空を襲い続ける。右から、左から、背後から、頭上から。空間全体が爆光と熱量で埋め尽くされ、受け流した先から新たな光が降り注ぐ。
(……ふむ、これじゃ分が悪いな)
流転の理で衝撃を逃し続けているとはいえ、絶え間なく押し寄せるエネルギーの波を受け流すだけでは面白くない。空は瞬時に判断を下すと、受け流しの姿勢を解除し、右足の踏み込み一歩で地面を爆破するように蹴りつけた。
ドッッ!!
光を遥かに超越した超光速移動。
空の身体が残像となって消失し、それまで彼が立っていた場所を数千の光弾が穿ち、激しい爆煙と熱風を巻き起こす。空は幾重にも重なる魔法の射出軌道を間一髪で縫うように疾走し、直線と曲線を不規則に交差させながら、レオの攻撃範囲からの離脱を図った。
「あはは! 逃がさないよ! さぁ、もっと見せてよ、君の本当の力をさぁッ!」
空中を浮遊するレオは、逃走する空の残像を捉え、さらに魔力を昂ぶらせた。
彼の背後に、直径数百メートルの巨大な重力魔法陣が展開される。空間そのものが歪み、逃走する空の足取りを狂わせる強力な引力が全方位から襲いかかった。
「おっ……重力干渉か!」
空の足が微かに失速する。その一瞬の滞空を見逃さず、レオは追撃の極大熱線魔法を起動させた。
だが――その極限の死線の中で、空の顔に浮かんでいたのは恐怖ではなく、心底楽しそうな子供のような笑みだった。
「――ハハッ! やっぱり楽しいな……戦いってやつはッ!!」
空は空中でありながら、空間の微かな空気抵抗を足場にして無理やり身体を急旋回させた。
向かってくる巨大な熱線に対し、避けるのではなく、自らの右拳に濃縮された「純粋な衝撃」を乗せて真っ向から叩きつける。
ズドンッッ!!
空の拳から解き放たれた衝撃波が、襲い来る熱線を正面から粉砕し、相殺。爆散する光と熱の霧を切り裂きながら、空は一気に間合いを詰め、レオの懐へと飛び込んだ。
超遠距離からの魔法の弾幕を強行突破し、コンマ一秒で肉薄された距離。
空はレオの鼻先数センチの距離まで迫ると、ニヤリと不敵に笑いかけた。
「――近寄られたら、どうする?」
物理攻撃に乏しい魔導士にとって、間合いを詰められることは死を意味する。空はそのままレオの胸元へ向けて、手刀を突く構えを取った。
しかし――『十二星冠』の頂点に立つ天才は、その程度の対策を怠るような甘い存在ではなかった。
「ふふ……僕がこの距離の対策をしてないとでも思っていたのかい?」
レオの琥珀色の瞳が怪しく光る。
空の手刀が届く寸前、レオの身体が空間の歪みと共に「掻き消える」ように消失した。短距離瞬間移動。
そして次の瞬間、レオは空中を旋回し、逆に空の背後――完全な死角へと出現していた。
「こんだけ近い距離なら……さっきの『受け流し』の技も使えないでしょ!?」
レオは空の頭部に自身の掌をピタリと押し当てた。
掌孔に収束されるのは、ゼロ距離で爆発エネルギーを叩きつける零距離爆破魔法――《ゼロ・プロミネンス》。受け流す隙すら与えない、文字通り顔面を吹き飛ばす至近距離の一撃。
だが、空の反応速度はレオの予想を遥かに超えていた。
「――甘いな」
振り向きざま、空は左手を電光石火の速さで突き出し、自分に向けられたレオの右腕の首をガチリと正確に掴み取った。
そのまま強靭な腕力でレオの腕の軌道を強引に上方へと捻り上げる。
チュドォォォォォンッッ!!
空の顔面を穿つはずだった零距離爆破は、空の耳すれすれの軌道を通り抜け、上空の無機質な白い天井を激しく穿ち抜いた。
爆風が二人の髪を激しく吹き散らす中――一瞬の静寂が訪れた。
ゼロ距離での死線の交錯。
爆煙と閃光が二人を包み込む一瞬の間、レオの手首を固く掴んだまま、空は相手の顔を間近で見つめ、心からの称賛を口にした。
「――いい力だ。さすがは『十二星冠』……伊達じゃねえな」
掴まれた手首から伝わる絶大な魔力の脈動を感じながら、空は感嘆の声を漏らす。
対するレオもまた、自身の零距離奇襲を腕力と反射神経だけで完全に防がれたことに目を見張り、直後、興奮で頬を紅潮させて叫んだ。
「君も……本当にすごいね!! この状態の僕と、ここまで対等に渡り合うなんてさ! あはは、ダメだ、余計に君が欲しくなっちゃったよ!!」
レオの琥珀色の瞳に、さらに強い執着欲が宿る。
次の瞬間、レオは空に掴まれていた自らの手を、逆に空の手首へと力強く掴み返してきた。小さな子供の手とは思えない、圧倒的な魔力強化による凄まじい握力。
「――逃がさないよ?」
レオが狂おしく微笑む。
彼は自らの体に莫大な魔力を暴走気味に収束させ始めた。自身の手と空の手を固定したまま、逃げ場のない超至近距離で、自分もろとも魔力を起爆させる自爆魔法を放とうとしたのだ。自分がダメージを受けても、目の前の怪物の正体を掴むためなら泥仕合すら辞さないという狂気の選択。
「自分ごと吹き飛ばす気か……! 本当にイかれてやがる!」
空は苦笑しながらも、即座に身体の軸を回転させた。
掴み返された腕の力を利用し、レオの身体を自身の肩越しにくるりと円を描くように遠心力で旋回させる。
「――だが、そう上手くはいかんよ!」
「え……?」
空中での見事な背負い投げ。
空は自分を巻き込もうとしたレオの体勢を完全に崩し、そのまま遠心力を乗せて、広大な空間の地平線に向けて勢いよく投げ飛ばした。
「――うわぁぁぁぁっ!?」
ビューンッッ!!
投げ飛ばされたレオの身体が、音速を超えて空間を一直線に吹き飛んでいく。
しかし、レオもただでは投げられなかった。
飛行する真っ只中、自らの全身から後方に向けて魔力砲撃を連射し、その反動を利用して投げの勢いを殺すと、空中で見事に体勢を立て直したのだ。
バッ……!!
「……ふぅ。投げ飛ばすなんて乱暴だなあ」
レオは乱れた服の埃をポンポンと払い、少し不満そうに唇を尖らせた。だが、その瞳に宿る熱量は衰えるどころか、さらに激しさを増している。
「……ねえ、避けてばっかりじゃ面白くないよ? 僕ばっか攻撃しててさ……君も何か、その隠している『力』ってやつを見せてよ!」
レオはすぐさま低く腰を落とし、次なる魔法の準備しながら、空に向かって煽るように叫んだ。彼の全身から放たれる魔力は、未だに全開のまま渦巻いている。
もっと見せろ、君の深淵を僕に見せてみろ、と。
その言葉を受け、無数の魔力弾を軽やかなステップで交わしていた空が、ピタリと足を止めた。
空は静かに頭を下げ、そして――怪しく、どこまでも不敵にニヤリと口元を歪めた。
「……フッ、そうだな。あまり焦らしすぎるのも失礼か」
空の全身から、先ほどまでの「人間としての気配」が完全に消失した。
「なら……お言葉に甘えて、ほんの少しだけ……見せてやろう」
空が、両手に静かに力を込める。
その瞬間――彼の背後の無の空間に、神聖にして不可侵、世界そのものをひれ伏させるような黄金の絶対的な後光――『神環』が、眩い光を放ちながらゆっくりと浮き上がった。
世界の理を超越した、至高の存在としての威圧。
「――《神像》」
空が低く、重厚な声でその名を呟き、静かに攻撃姿勢を取った。
その背後に顕現した絶対的な神威の気配を目にした瞬間、狂喜に躍っていた『神童』レオの顔から、初めて「戦慄」が駆け抜けていくのだった。




