74話 対峙する2人
夏休みがようやく始まる。
遅いわ!
木漏れ日が不規則に揺れる静寂の森。王都ガレリアの喧騒から切り離されたその緑の中で、この世界のあらゆる常識と理を遥かに超越した二つの「規格外」が、数十メートルの距離を挟んで静かに対峙していた。
片や、王国最強の『十二星冠』が一角にして、世界の魔法を極限まで理解し尽くした奇跡の存在――『神童』レオ。
片や、万物を創り出し、概念そのものを掌の上で弄ぶ、無より降臨せし至高の存在――空。
しばしの沈黙の後、静寂を切り裂いたのは、レオの甲高く、どこか狂気を孕んだ笑い声だった。
「――ハハハハッ! あははははッ!!」
レオは小さく肩を揺らし、お腹を抱えるようにして大きく笑い声を上げた。その瞳には、かつて見たこともないほどの鮮烈な歓喜と興奮がメラメラと燃え上がっている。
「凄い、凄すぎるよ! やっぱり、僕が見込んだ通りの男だ! 僕が……この僕が、背後を取られるまでその存在に気づけないなんて、生まれて初めての経験だよ! あはは、最高だ、最高じゃないか君はッ!」
一度見ただけ、その魔法を即座に解読し、他者の気配や魔力の揺らぎを完璧に網羅してきて、名の通り『神童』と呼ばれたレオ。その彼が、完全な不意を突かれたのだ。
レオの声には、自分の絶対的な優位が揺らいだことへの恐怖ではなく、未知の強者と遭遇したことへの純粋すぎる歪んだ喜びが溢れる。
空もまた、木にもたれかかった体勢のまま、どこか楽しそうに、そして可笑しそうに「ハハハッ」と大きく笑い声を返した。
「――ハハハハッ。まあな、随分としつこく付け回されてたからな。俺らがギルドを出た時から、ずっとその視線は届いてたぞ」
空は首を軽く回すと、コキコキと骨の鳴る音を響かせた。
「いくら俺に危害を加えるつもりが無えとはいえ、ずっと後ろからストーカーみたいに粘着されるのはら流石にちょっと鬱陶しいからな」
空はポケットから左手を抜き、自身の肩を軽く叩いた。その仕草には、敵対者に対する警戒も力みも、一切存在しない。ただの気さくな青年が、路地裏で知人に出会ったかのような平然さだった。
「で? 王国最高峰の魔法機関《禁忌の魔導院》を統べる学長様にして、最高戦力『十二星冠』の御方が……王都に来たばかりの素朴なDランク……あぁ、ついさっきCランクに上がったばかりの平冒険者に、一体何の用だい?」
空がさらりと口にした言葉。その中に含まれていた「単語」を聞いた瞬間、レオの表情から歓喜の笑みがピタリと消え去り、驚愕の色が広がった。
「……ハハッ。驚いたな……何で僕が『十二星冠』だって知ってるんだい?」
レオは深く被っていた灰色のフードを、自らの手で勢いよく払いのけた。
露わになったのは、朝露に濡れた金糸のように眩い光を放つ美しい金髪と、少女と見紛うほどの整った容姿。だが、その琥珀色の瞳には、正気と狂気の狭間で激しく明滅する、未知の強者と遭遇したことへの純粋な疑問が宿っている。
「僕はこの姿で外に出る時、一級レベルの『認識阻害魔法』を常時発動させているんだ。顔の輪郭も、魔力の波長も、声の質すらも周囲の人間には『どこにでもいるただの小柄な少年』にしか認識できないはずなんだよ。それに……僕と君は今日が初対面だ。Sランクや内の生徒たちならともかく、王都に始めて来た君が僕の正体を知っているはずがない」
レオは一歩、空に向かって足を踏み出した。その小さな体から漏れ出す圧倒的な高濃度の魔力が、周囲の空間を歪ませ、地面の草木を焦がしていく。
「まあ……それも含めて。僕の完璧な隠蔽を破り、僕の後ろを取り、僕の正体すら一目で見抜いてみせるような君が……『素朴な冒険者』なわけがないだろ。……一体何者だい、君?」
レオの黄金の瞳が、獲物を追い詰めた肉食獣のように細められる。彼がこれまで生きてきた中で、自身を超越する存在など、十二星冠の頂点に立つあの人以外に存在しなかった。目の前に立つ、ただの青年に見える男――その内側に秘められた「底知れぬ異常性」が、レオの知的好奇心を狂おしいほどに刺激していた。
質問を投げかけられた空は、「あ」と短く声を漏らし、バツが悪そうに自分の口元を手で覆った。
「おっと、つい喋りすぎたか。知ってることを素直に口に出すのは俺の悪い癖でね。人間味ってやつに馴染みすぎて、口が滑りやすくなって困るな」
空のその言葉は、レオにとっては「戯れ言」にしか聞こえなかった。人間味? 馴染む? まるで自分自身が、人間とは根本的に異なる何かであるかのような口振りではないか。
「ふふ、隠さなくてもいいよ。まぁ……君が本当はどこかの国家のスパイだろうが、千年生きる魔導師だろうが、魔王の手下だろうが、僕にとっては関係ないよ。君が何者であっても構わない。――どうせ、僕がこれから完膚なきまでに『調べて』あげるからね」
言い終わるのと同時だった。
レオの琥珀色の瞳が、妖しく輝いた。
「――《星鎖の牢獄》」
音も、前兆も、予備動作すら一切存在しなかった。
レオが短く呟くと同時に、空の足元を中心として、半径数メートルにわたる空間の『魔力結界』が幾重にも立ち上がり、一瞬にして空の全身を囲い込んだ。それと同時に、空間の亀裂から太い『概念鎖』が数十本も噴出し、空の体を完璧に縛り上げた。
それは、物質的な鎖ではない。視覚化された高密度の魔力が、古代の幾何学模様を写しながら、空の四肢、体幹、さらには体内の魔力回廊にまで同時に干渉し、あらゆる物理的・魔法的運動を吸収する、レオによって生み出されたの脱出不可の拘束魔法。
ガキンッ!! と重厚な鎖が収束し、空の全身を隙間なく完璧に縛り上げる。
「……お?」
身動きを封じられた空が、少し意外そうに自身の体を見下ろした。
「あはは! 見事にかかってくれたね!」
レオは勝ち誇ったように胸を張り、ゆっくりと空へと近づいてきた。その顔には、圧倒的な優越感と満ち足りた探究心が浮かんでいる。
「無駄だよ、暴れようとしてもね。……これはね、僕が以前、S級ダンジョンの『最下層』に君臨していた古代の番人を討伐した時に、死に際に使ってきた『絶対拘束魔法』を僕の《模倣》で完全再現したものなんだ」
レオは自慢げに指先を弄りながら結界内に入り、拘束された空の顔を覗き込んだ。
「初見でこの術式を受けた時は、流言通りの『神童』と呼ばれた僕ですら、不覚にも数分、身動きを奪われてしまってねぇ……。あらゆる物理攻撃を無効化し、発動者の魔力を吸い上げて強度を増す、まさに悪夢のような拘束術式さ。君がどれほど強力な筋力を持っていようが、どれほど膨大な魔力を秘めていようが、抵抗すればするほどその鎖は強固になり、君の意識を奪うまで締め上げ続ける……」
レオは手を伸ばし、空の胸元に触れようとした。
「さあ、おとなしく僕の研究所に来てもらうよ。君のその異常な身体能力の秘密、空間を歪める技術のカラクリ、全部僕が解剖して解明してあげるから――」
「――ふんッ!」
空が、ただ短く一息吐き、身体を「軽く踏ん張った」だけだった。
バリィィィィィィィンッッ!!!
まるで、氷の膜がハンマーで叩き割られたかのような、空間を揺るがす破砕音が響き渡った。
レオが絶対の自信を持って展開した《星鎖の牢獄》は、空の体表から放たれた目に見えない「概念の圧力」によって、構成魔力そのものを木端微塵に砕かれ、光の塵となって空気中へと霧散した。
「……は?」
捕らえられていたはずの空は、何事もなかったかのように自身の手首を回しながら、苦笑交じりに言った。
「まあ……そう簡単に捕まる訳にはいかないわな。弟子がまだ一生懸命、修行してる最中なんだ。師匠が外で縄に縛られてちゃ、示しがつかないだろ?」
「――――っ!?」
レオの思考が、完全に止まった。
彼の脳内で、これまで培ってきた膨大な魔法の法則、世界の理、そして自身の固有スキル《模倣》のデータベースが、狂ったようにエラー音を鳴らし始める。
(な……なんだ……今の……っ!? 魔法を打ち消す『打ち消し』の術式じゃない……! 魔力で相殺したわけでもない……! 鎖の耐久値を物理的圧力で上回った? いや、違う……あの鎖は概念固定の術式だぞ!? 物理的な『力』なんて概念が存在しない空間で、なんで『力づく』で壊されてるんだ!? 力で概念を粉砕したっていうのか……!?)
あり得ない。そんな現象は、この世界の魔法体系において絶対に存在してはならない。
それはまるで、描かれた絵画の中の人物が、キャンバスの枠組みそのものを腕力でぶち破って外へ飛び出してきたかのような、圧倒的な「理不尽」。
固まっていたレオの身体が、微かに震え始めた。
絶望か? 恐怖か? いや――違う。
「……あ……ハハ……ハハハハハハッ!!」
レオは両手で自身の顔を覆い、狂おしいほどの歓喜の声を張り上げた。その指の隙間から覗く目は、まるで最高の宝箱を見つけた子供のように、ギラギラと狂おしい輝きを放っている。
「やっぱり……やっぱり君は最高だ……っ!! 僕の魔法が通じない! 僕の理解を超える! こんなに素晴らしい『未知』が、この世界に残されていたなんて……っ!」
レオは指先を空へと向け、その身から発せられる魔力の密度を、先ほどの数倍へと一気に跳ね上げた。周りの大気がメリメリと悲鳴を上げ、樹木がその威圧感だけで押し潰されていく。
「決めたよ! 君がバケモノだろうが、魔王だろうが、はたまた神だろうが関係ない! 僕は絶対に君を捕まえる! 君のその『不条理』の正体を解き明かして、僕のものにしてみせる!!」
さらに興奮を燃え上がらせ、鼻息を荒くするレオ。
自らの想定を遥かに超える「想定外」を前にして、十二星冠の『神童』は、完全にそのスイッチを切り替える。
その絶対的な執着を前に、空は「参ったな」と苦笑しながらも、その瞳の奥にはどこか楽しげな輝きを宿らせる。
もうすぐで10000pv!




