73話 修行。そして出会う『最強』
ここからまた書きたかった展開。
やっぱ戦闘シーンは書くの上がりますよね〜
昼下がりの万象区は、行商人の威勢の良い呼び込みと、世界各国から集まった人々の交わす雑多な熱気に包まれている。しかし、トビーの足取りはどこか落ち着かない様子だった。
背中に長年連れ添った愛弓がないトビーは、どこか手持ち無沙汰そうに自身の肩口をさすりながら、手持ちの装備を確認していた。
「……あはは、なんか背中がすごく軽くて、妙な感じがします。僕、物心ついた時からずっと弓を背負って生活してきたので……」
トビーが苦笑いを浮かべながら言った。アンラドの手によって最高の弓が仕上がるまでの間、彼には攻撃するための「武器」が存在しないことになる。冒険者として王都という危険な街で過ごすには、いささか心許ない状況であった。
「……そうだな。トビー、お前、その弓がない間はどうやって戦うつもりだ?」
前を歩いていた空が、ふと立ち止まり、振り返ってトビーを見つめた。
「えっ……と。そうですね……一応、腰に小さめのナイフは差してますし、もし何かあったらエドガーさんの後ろに隠れるとか……」
トビーが申し訳なさそうに身を縮こまらせると、空は「はぁ」と呆れたように溜息を吐き、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「何言ってるんだ。ちょうどいいじゃないか。――トビー、修行するぞ」
「……えっ? しゅ、修行……ですか?」
トビーは目をパチクリとさせた。
「でも空さん、さっきも言った通り、僕には今、引くための『弓』がありませんよ? 射手の僕が弓なしで修行なんて、一体何を練習するんですか?」
「今回は弓なんて使わねえよ」
空はさらりと言い放った。
「今回のメニューはな、言うなら『体力強化』と『素手での格闘術』がメインだ」
「す、素手……!? 僕が、ですか!?」
トビーの顔が一瞬で引きつる。弓使いである彼にとって、素手で魔獣や暴漢と渡り合うような真似ができるとは到底思えなかったからだ。
「まぁ、細かい説明は場所を変えてからだ。こんな人ごみの中じゃ、修行なんてできないからな」
空は、二人を促して万象区の賑やかな市場を速足で通り抜けていった。王都の北側に位置する、貴族街との境界付近にある鬱蒼とした小さな森――「ガレリア王立庭園」の旧区画と呼ばれる、普段は誰も足を踏み入れない静寂な木立の奥へと足を進める。
「さて、と。ここら辺でいいな」
空が足を止め、右手で空間を軽くなでるように振った。
――サァァァ……ッ。
すると、目の前の空間が水面の波紋のように揺らぎ、光が歪んで、異空間へとつながる「裂け目」がまたも静かに姿を現した。
「入れ。ここなら誰にも邪魔されず、思い切って修行ができる」
三人はその異空間の扉をくぐり抜けた。
そこは、無限に広がる平坦でどこまでも白い世界――空が自らの意思によって維持している、外部からの観測も干渉も一切受け付けない、完全に孤立された空間だった。
「うわぁ……何度見ても、空さんのこの魔法(?)は凄すぎますね……」
周囲の景色が一瞬で真っ白な空間へと切り替わり、トビーが呆気にとられていると、空が彼の正面へと歩み寄ってきた。その表情は、いつになく真剣な「指導者」のものだった。
「いいか、トビー。お前は弓の才能があるし、筋もいいから急成長してるが……根本的な問題がある。それは『弓ばかりに頼り切っている』ってことだ」
「弓に……頼り切っている……?」
「そうだ。もし戦いの最中に弦が切れたら? 弓が砕けたら? あるいは、一瞬の隙もなく懐に飛び込まれたらどうする? 『弓が使えない状態では戦えません』でエドガーの後ろ隠れるのか?お前一人の時はどうする?本当の死線じゃ秒で命を落とすぞ」
空の言葉は、恐ろしいほどの説得力を持ってトビーの胸に刺さった。確かに、峡谷での戦いでも、もし間合いを詰められていたら自分は何もできなかったかもしれない。
「もちろん、前にお前が見せたみたいな、矢を応用した技術ってのもある。だがな……あれだって、基本となる『体術』の軸がしっかりできてなきゃ、実戦じゃまず扱えないんだよ。身のこなし、重心の移動、相手の攻撃を紙一重でかわす体捌きとかな」
そう言い終わるや否や、空はトビーの前で、軽くその身を翻した。
「だからお前は、弓を持たないこの期間で、ある程度素手での戦闘――相手の攻撃を避け、自分の間合いを作る体術に慣れる必要がある」
「で、でも……具体的にどうやって修行すれば……」
「言葉で説明するより、見せた方が早いな。エドガー、ちょっと軽い組手の相手をしろ」
「御意にございます、空様」
エドガーは着ていたジャケットを脱ぎ、丁寧な手つき畳んで置いておく。ワイシャツの袖を軽く捲り上げると、その佇まいはいつもの給仕の姿勢から、一瞬にして完璧なる「武人」のそれへと変貌する。
「トビー、よく見ておけよ」
空は両手をポケットから抜き、身体の力を完全に抜いた無構えの体勢で立った。
「行くぞ」
空のその一言と同時に、空間の密度が一変した。
次の瞬間――ドォンッ!! と異空間の空気が破裂するような衝撃音が轟いた。
先に仕掛けたのはエドガーだった。
――シュッ!!
空気が弾ける音が響く。エドガーの身体が残像を残して掻き消え、次の瞬間には空の懐へと滑り込んでいた。鋭い踏み込みから繰り出される、必殺の貫手。急所である喉元を正確無比に穿つ一撃だ。
だが、空はその一撃を避ける素振りすら見せなかった。
寸でのところで、首をほんの数ミリだけ傾ける。エドガーの鋭利な指先が、空の前髪を僅かに揺らして空を切った。
「おっと」
「くっ……!」
エドガーは即座に体勢を立て直し、下段からの旋風のような蹴り、間髪入れずに放たれる左の掌打、流れるような連続攻撃を叩き込む。
――ガッ、ドカッ、シュッ、キィンッ!
二人の肉体が激突するたびに、異空間の空気が大砲の炸裂音のような衝撃波を上げ、白い地面が激しく波打つ。
それは、トビーの知る「組手」という生易しい概念を完全に破壊するものだった。
無駄が一切存在しない、極限まで洗練された「殺法」の応酬。芸術と呼ぶにはあまりにも凶暴で、戦闘と呼ぶにはあまりにも美しいその攻防に、トビーは開いた口が塞がらなかった。
「へぇ……エドガー、お前、アーリスにいた頃よりまた動きが良くなったな。魔力の質も威力もどんどん人間離れしていってる。強くなったな」
組手の最中、猛攻を仕掛けているはずのエドガーに対し、空は余裕の笑みを浮かべて褒め言葉を投げかけた。
「空様にお褒めいただき、至極恐悦にございます……! ですが、空様の手のひらの上を脱するには、まだまだ程遠いようで」
エドガーは額に微かな汗を浮かべながらも、嬉しそうに微笑み、一歩引いて深く一礼した。ほんの数秒の組手であったが、そこに展開されていた次元の高さは、見る者を絶望させるに十分なものだった。
(な……なんだよ、あの動き……! エドガーさんの攻撃だって、目にも留まらないスピードだったのに……空さんはそれを、まるで落ちてくる葉っぱでも払うみたいに……! 完璧すぎる……!)
トビーの額から、だらりと汗が伝い落ちる。自分が今から足を踏み入れようとしている世界の果てしない高さに、眩暈を覚えていた。
「まぁ、最初からこんな動きを目指せとは言わねえよ」
空は、トビーの目の前まで歩み寄ると、ニヤリと笑った。
「だがな、お前にはこの領域に届くための『最大の武器』が、最初から備わってる」
「え……僕の、武器……?」
「そうだ。お前は、人一倍『感が鋭い』。危機に対する感性、敵の殺意を察知する野生の勘が、常人の何倍も研ぎ澄まされてる。……例えば、こういうのだな」
言うが早いか――。
空はそう言った直後――
――『殺』。
空の全身から、膨大な、「殺意」が溢れ出た。
空間全体が極寒の絶対零度に叩き落されたかのような錯覚。空の右拳が、一切の手加減なしの速度で、トビーの眉間を目がけて直進した。
――ゾクッッッ!!!
「――っ!?」
トビーの脳裏に、強烈な「死」のイメージが閃光となって走った。
全身の毛穴という毛穴から、ドッと冷や汗が吹き出す。心臓が警報を鳴らし、脳内が「死ぬ、死ぬ、死ぬ!」と悲鳴を上げる。目の前に立つ空が、自分を殺すために一歩踏み込んできたことを、トビーの全細胞が理解した
思考が停止するよりも早く、死を拒絶する細胞の叫びが、トビーの肉体を突き動かした。
ドッ……!
トビーの身体が、半ば無意識に、滑り込むように真横へと大きく倒れ込んだ。空の拳が、トビーの前髪を数本かすめ、後ろの真空を盛大に撃ち抜く。
ドシャアァンッ! と、何もない空気が悲鳴を上げるような衝撃波が響き渡った。
「はっ……ひっ……ガハッ……!?」
地面に倒れ込んだトビーは、激しく上下する胸を押さえ、胸を痛めながら心臓の鼓動を聞いていた。全身がガタガタと震え、生きている実感に涙が出そうになる。
「す、空さん、いきなり何するんですか!? 。本気で僕を殺そうとしましたよね!?。今の、完全に殺意がこもってたじゃないですか!!」
怒りと恐怖で叫ぶトビーに対し、空は満足そうにニヤリと笑った。
「ほらな」
空は突き出した拳をゆっくりと戻し、満足そうにニヤリと笑った。
「――避けられただろ?」
「あ……」
トビーはハッとして、自分の体を見下ろした。
自分の顔面は破裂しておらず、五体満足で生きている。あの、圧倒的な「殺意」が込められた拳を、自分は……確実に『避けた』のだ。
「お前は、自分が思ってる以上に感覚が優れてるんだよ。ある程度の速度の攻撃……特に、今みたいに強烈な『殺意』がこもっている攻撃であればなおさら、お前のその感性が危機を察知して、肉体の回避運動を爆発的に早めるんだ。俺がお前に合わせて速度を落としたとはいえ、お前の感覚が死を察知して生きるために回避を優先したのが証拠だ」
空はトビーに向かって一歩踏み出し、手を差し伸べた。
「今の段階の目標はな、その察知した回避を自分の意思で起こせるようにすること。そして、その『合間』に、最短軌道で自分の攻撃を叩き込むことだ。かわして、打つ。避けて、踏み込む。それができれば、弓がなくても、お前は至近距離でどんな冒険者とも渡り合えるようになる」
「か、かわして……打つ……」
「山育ちのお前は、根っからの足腰の強さと、狩りで培った体力がある。体力は、この修行をやりながらさらに上を目指せばいい。……よし、じゃあ実践だ」
空は後ろに控えていたエドガーに視線を向けた。
「エドガー、トビーと打ち合え。最初は殺意をコントロールして、トビーが交わせるギリギリのラインから攻めてやれ」
「承知いたしました、空様。トビー殿。容赦はいたしませんので、どうぞ全身全霊でかかってきてください」
エドガーが、すっと静かに間合いを詰めてくる。その眼光は、先ほどの空との組手の時とは違う、厳格な「家庭教師」のそれだった。
「え、あ、ちょっと待ってくださいエドガーさん! 心の準備が――」
「空さんは一緒にやってくれないんですか!?」と、トビーが必死に叫ぶ。
空は空間の出口に向かって歩き出しながら、どこか楽しそうに口元を吊り上げた。
「あぁ、俺か? 俺は……ちょっと『客人』が来ているらしくてな。挨拶してくる」
「客人……?」
「ああ。どうやら、俺たちのことを熱心に探してくれてる物好きがいるらしくてな。……エドガー、トビーを頼んだぞ」
「はっ。お任せください」
空はそう言い残すと、空間の裂け目をスッと通り抜け、外の森林公園へと姿を消した。
王都内の静かな森の中。
木漏れ日が差し込む木々のかたわらで、灰色のフードを深く被った小柄な少年――王国最強の『十二星冠』の一角の『神童』レオは、困惑したように周囲をキョロキョロと見回していた。
「……おかしいな。さっきまで、確かに彼らの気配はこの公園の奥へと続いていたはずなのに……」
レオはフードの隙間から、自慢の金糸の髪を揺らしながら、首を傾げた。
彼は『鍛鉄の回廊』から彼らの後を追ってきていた。彼の持つ無尽蔵の魔力によって強化、構築された絶対的な隠密魔法を持ってすれば、ほぼすべての冒険者は尾行に気づくことなど不可能なはずだった。
しかし、この森に入った瞬間、空たちの気配が、まるで「消滅」したかのように、跡形もなく掻き消えてしまったのだ。
レオは自身の脳内に構築された《模倣》をフル回転させ、公園全体の空間構造、魔力の残滓、果ては空気の振動に至るまで徹底的に調査していた。
(空間転移? 隠蔽結界? いや、そんな単純な術式じゃない……。まるで、この場所の空間の密度そのものが、一瞬だけ切り取られたみたいな……)
どれだけ自身の天才的な頭脳を駆使しても、目の前の「不可解」を解明することができない。その事実が、レオのプライドを酷く苛ませていた。
「チッ……どこに消えたんだよ、一体……」
レオがイライラと足元の小石を蹴り飛ばそうとした、その時だった。
「――探してるのは、俺のことかな?」
「――ッ!?」
背後から、あまりにも唐突に、何の予兆もなく聞こえてきた低い声。
レオの全身の髪の毛が逆立ち、息が凍りついた。
国の頂点に君臨する十二星冠である彼が、相手の接近を、足音を、魔力の動きを、息遣いすらも完全に察知できなかったのだ。まるで、最初からそこに「風景の一部」として溶け込んでいたかのように、男は彼の背後に立っていた。
レオは弾かれたように振り向き、飛びずさって数十メートル間の距離を取った。
フードの隙間から見えたのは――両手をポケットに突っ込み、退屈そうな、しかし全てを見透かすような瞳で自分を見下ろす、あの男――空の姿だった。
公園の木々が、風もないのにサワサワと怪しく揺れる。
神童と、神。
二人の「規格外」が、静かな森の中で、ついに正面から対峙するのだった。
夏暑い




