72話 『馴染む』ということの価値
昼夜逆転生活まっしぐら
「あちゃー……やっぱりこうなっちまうか」
空は右手に残った、哀れにも柄だけになってしまった剣の残骸を見つめ、眉をひそめて首を振った。
いくら「人間の器」に合わせて出力を極限まで絞ったつもりでも、彼自身が持つ魂の根源――『神』としての絶対的な密度の前では、この世界の最高硬度を誇る剣すら、薄氷の玩具に等しかったのだ。ほんの一瞬の呼吸に、ほんの数滴の意思を込めただけで、器である鉄がその理の重さに耐えきれずに自壊してしまう。
「――空さん! 今の、ものすごい音がしましたけど、一体何やってるんですか!?」
試し撃ちを終えたトビーが、エドガーを伴って慌てた様子でこちらへと駆け寄ってきた。
トビーの視線の先には、まるで紙切れのように斜め綺麗に真っ二つにされ、石畳に転がっているミスリルの鎧の残骸、足元に散らばった剣の破片が。そして何より、地面に腰を抜かしたまま開いた口が塞がらないドワーフの姿。
それらを見ただけで、トビーは空が「どれだけ手加減を間違えたか」を即座に察し、半ば呆れたような、半ば諦めたような声を上げたのだった。
「……あ。またやっちゃったんですね、空さん」
「人聞きが悪いな、トビー。俺はただ、アンラドが『頑丈で長持ちする』って自信満々に勧めるから、ちょっと素振りしてみただけだぞ? なぁ、エドガー」
「はい、空様。こちらの世界で叩き上げられた業物といえど、やはり主の御手の輝きを受け止めるには、いささか器が脆すぎたようでございますね」
エドガーは割れた破片を愛おしそうに見つめ、いつものように冷静に、かつ完璧なタイミングでフォローを入れる。
主従揃ってのその平然とした態度に、トビーは「もうツッコむのも疲れてきました……」と、深いため息を吐く。
「いやぁ、………ちょっとだけ、ほんの少しだけな? 試しに馴染ませようと思ったら、こう……パリィン、とな」
「空さんの『ちょっとだけ』は、普通の人にとっての『異常』なんですよ! ああ、もう……せっかく紹介状を書いてもらったのに、初日に出入り禁止になっちゃいます!」
トビーが頭を抱えて叫ぶ中、空は「まぁまぁ、済んだことは仕方ない」と、全く反省の色がない様子でひらひらと手を振った。そして、トビーの手元にある弓に視線を向ける。
「それより、トビー。そっちの弓の試し撃ちはどうだったんだ? 気に入った奴はあったか?」
トビーは手渡されていた数本の魔法弓を、一本ずつ丁寧にカウンターへと戻しながら、どこか申し訳なさそうに、しかし自身の感覚に対して真っ直ぐな瞳で首を横に振った。
「それが……どれも、本当にすっごい弓でした。僕みたいな浅い魔力でも驚くほど素直に通るし、引いた時の反発力も、放たれる矢の威力も一級品なのは、僕の感覚でもハッキリ分かります。……でも、なんて言うか、僕にはどうしても『合いません』でした」
「合わない、か」
トビーはそう言うと、背中から自分の、これまでずっと使い込んできた古びた木製の狩猟弓を愛おしそうに取り出し、その弦を愛おしそうに撫でた。
「贅沢な悩みだって分かってるんですけど……どれも綺麗すぎて、僕の浅い魔力を流そうとすると、弓の方が『もっと強い力をくれ』って拒絶してくるみたいで……。やっぱり、僕には昔からずっと使い込んでいる、このちょっと古びた木弓の方が、手に一番馴染みます。僕の体の一部みたいに、不器用な魔力でもちゃんと受け止めてくれるんです」
その言葉を聞いた空は、フッと優しく口元を綻ばせる。道具のブランドやランクに惑わされず、自らの魂が発する「馴染み」の感覚を正しく選択できる。それこそが、一端の射手として、そして自分の弟子として、トビーの感性が本物である証拠だった。
「そうか。お前がそう言うなら、それが正解だ」
空がトビーの選択を肯定し、さて、それならトビーの武器はどうしたものか、そしてこの壊してしまった片手剣の弁償をどう進めようかと考えていた、その時。
「――はっ……! ぁ、あ……!」
地面に腰を抜かしたまま、魂が抜けたようになっていたアンラドが、突如として大きく息を吸い込み、正気を取り戻した。
彼の瞳からは、先ほどまでの恐怖が消え失せ、代わりに、職人としての、そして一人の鍛冶師としての、狂信的とも言える凄まじい「情熱の炎」が爆発せんばかりに燃え盛っていた。
アンラドは自身の煤けた手で顔を何度もこすり、冷静さを取り戻そうと必死に深呼吸を繰り返す。
「……あ、いや。すまねえ、取り乱した。……アレは、間違いなくわしが人生で打った中でも五指に入る『確かな業物』だった。だが……お主という存在が、あの剣の持つ限界を、遥かに超える高みにいた。ただ、それだけのことだ。道具が主を選べず、主の力に耐えかねて自壊した……。職人として、これほど悔しく、そしてこれほど興奮する敗北はねえよ」
アンラドは空の前に歩み寄ると、ドワーフの誇りにかけて、深く、その頭を下げた。
「頼む! わしに……わしの全魂を賭けて、お主の力に耐えられるような、世界に一振りだけの武器を打たせてくれ! 弁償の必要なんざ、これっぽっちもねえ! あの最高傑作が粉々に砕け散る瞬間を見られただけで、わしは鍛冶師として、新たな天上の領域が見えた気がするんじゃ!」
ドワーフのあまりの豹変ぶりに、トビーが「ええっ!?」と目を丸くする。
老職人の魂の叫び。しかし、空はそれを聞いて、特に興味なさそうに耳を掻いた。
「いや、俺の剣は別にいいよ。言っただろ、俺は何でも使えるし、壊れたらまた適当な棒切れでも拾うさ。……それよりもさ、アンラド」
空はトビーの肩をグイと引き寄せ、アンラドの前に突き出した。
「このトビーに、こいつの手に完全に馴染む、最高の弓を打ってやってくれ。こいつはさっき、お前の一級品の弓を『合わない』って言った。それはお前の腕が悪いんじゃなくて、こいつの力が『自分の延長線上にあるモノ』を求めてるからだ。そのワガママを叶えてやるのが、伝説の職人の仕事だろ?」
「……このガキに、弓を、か」
アンラドは腕を組み、トビーを見つめた。トビーは突然の指名に「えっ、僕ですか!?」と慌てふためいている。
「ふむ……手に馴染む弓、か。理屈は分かる。だが、その領域の武器を作るとなると、既製品の調整じゃ話にならねえ。一から素材を選定し、ガキの特性に合わせて完全にオーダーメイドで打つ必要がある。……となると、ベースとなる『素材』はどうするかだな。俺の工房にある最高級の魔樹の木材でもいいが、このガキの妙に尖った感性を満たすには、ちとパンチが足りん気がするな……」
専門家としての深い悩みに沈みかける。最高峰の武器を作るには、当然、市場には出回らないほどの超希少なベース素材、それこそ大競売に出品されるような物が必要不可欠だった。
アンラドが素材の選択に頭を悩ませているのを見て、空は「それならちょうどいい」と、不敵な笑みを浮かべた。
「素材、ね。なら……さっきお前の自慢の剣を壊しちまった『お詫び』も含めて、俺の手持ちから使えそうなものをいくつか提供するよ。これで足りるか試してみてくれ」
「お主から? そこらの冒険者が持ってる素材なんぞ、どうせ大したもんでは……」
アンラドが言いかけるより早く、空が何もない空間に向かって、無造作に右手を差し入れた。
その指先が虚空に触れた瞬間、空間が綺麗な波紋を広げ、空の『異空間』の倉庫へと直結する。そして、空の手によって、いくつかの「物体」がゴトゴトと机の上に、あるいは石畳の上に、直接取り出されていった。
空はこれまで、世界に降り立ってから、あるいはアーリスからの道中で倒した魔物たちの素材を、自身の『異空間の蔵』へと密かに、かつ大量にコレクションしていたのだ。
「――ほらよ。まずは、これなんかどうだ?」
ドサリ、と置かれたのは、鋼鉄を容易に切裂く頑丈な黒い金属質の光沢を放つ、巨大な爪。
「こ、これは……ッ!? 触れただけで肌が裂けそうなこの魔力……『大樹海の大熊』の主の爪じゃねえか!! 冗談だろ、樹海産なんて流通が完全に途絶えて、王都のオークションでも数年は見ねえ幻の最高級素材だぞ……!?」
アンラドの目玉が、文字通り飛び出さんばかりに見開かれる。しかし、空の「お詫び」はそれでは終わらなかった。
「あとは、これもあったな」
シュ、と取り出されたのは、七色に怪しく輝く、鋼鉄以上の強度を持つ美しい風切り羽。
「し、しかもこれは……『絶科の怪鳥』の極上羽!? 風の魔力を超化し、矢の速度を極限まで高めるっていう、風属性の射手なら文字通り身を売ってでも欲しがる幻の素材……どっちも災害級のS級魔獣の素材だ……! な、何なんだお主は、なんでこんなものを個人で、しかも無傷で持っていやがる……っ!?」
アンラドは興奮のあまり、呼吸を忘れて顔を真っ赤に染め、素材を壊さないように震える指先で撫で回す。
だが、空が最後に、自身の蔵の最も深い場所から「これなんか面白いんじゃねえか?」と取り出した『それ』を見た瞬間。
アンラドは、今度こそ完全に言葉を失い、喉からヒッ、という短い悲鳴を漏らした。
空の手のひらの上に浮かんでいたのは――
ドクンドクンと、不気味な、しかし神聖なまでの漆黒の魔力を放ちながら、試し場全体の気温が急激に低下させる。周囲の空間に、かつて多くの冒険者を恐怖に陥れた、あの絶対的な死の気配が微かに漂う『魂の結晶』。
「……ぁ、あ。……で、デュ、デュ……」
アンラドはガチガチと顎を震わせ、指を差した。
「――『デュラハンの魂晶』じゃねえかァァァァァッッッ!!!!」
アンラドの絶叫が、部屋中に響き渡った。
デュラハン。それは、一つの国や騎士団が総力を挙げて立ち向かい、数千人の犠牲を出してようやく討伐できるかどうかの、生ける災害、伝説の不死魔獣。その魂の結晶など、古本か、神話の挿絵の中にしか存在しない、この地上で最もあり得ざる最上位の『神話級』の素材だった。
「あ、あの時の……!」
トビーもまた、その魂核を見て、あの峡谷での一幕を思い出し、息を呑んだ。
「空さん……これって、あの時、僕が最後に矢で射抜いた後に……」
「ああ」
空は、手のひらの上で揺らめくデュラハンの魂を見つめながら、悪戯っぽく笑った。
「お前が放った一撃が、奴の核を完璧に撃ち抜いた後、奴の身体が霧になって消滅する直前、俺が空間の隙間から、この『魂』だけをシュッと抜き取っておいたんだ。……これなら、トビー、お前の鋭い感覚を受け止める、最高の『芯』になるだろ」
空はそう言って、悪戯っぽく笑いながら、神話の素材たちをドワーフの前に並べた。
「トビー、お前が射抜いた獲物の魂だ。お前との『因果』も深く繋がっている。これをお前の弓の芯として埋め込めば、お前の意思と魔力を極限まで増幅し、空間すらも射抜く最高の矢を放つ弓ができる。厄災の魂とは言え、その本質は『忠義と守護』を司る高潔な騎士の霊だ。悪意と邪気だけを綺麗に浄化すれば、これ以上ない相棒になってくれると思ってな」
あの恐るべき死の騎士。自分が全力で放った最後の一矢が、巡り巡って、今度は自分を支える「弓魂」として生まれ変わろうとしている。その壮大な運命の連鎖に、トビーの胸の奥で、熱いものがこみ上げてきた。
「これらを使って、トビーに最高の弓を作ってやってくれ。……頼めるか?」
アンラドは、渡された至高の素材たちと、目の前に立つ『人間の皮を被った底知れぬ存在』を交互に見つめ、最後にはハハ、と乾いた笑い声を漏らした。
「……クソッタレ。今日は、わしのこれまでの人生の驚きを、一日で超えちまったよ。……分かった、引き受ける。これほどの素材を前にして、腕を振るわねえ鍛冶屋は、職人を名乗る資格はねえ」
伝説のドワーフ職人の魂に、完全なる火が灯った。
「お主の規格外の力、そしてそのガキの真っ直ぐな感性……。このアンラドの力と魂をすべて注ぎ込んで、歴史上、誰も見たことのない『武器』をここに誕生させてやる。楽しみに待ってな!」
「ああ、よろしく頼むよ。トビー、弓を預けな」
「……っ! はい! よろしくお願いします!」
トビーは、自身の相棒である木弓を、アンラドの無骨な両手へと厳かに手渡した。
「しかしな、これだけの超高難度の素材を、完璧に調和させ、一本の武具として完成させるには、さすがの俺の腕を持ってしても、かなりの時間がかかる。最低でも、数日は工房にこもりっきりにならんと、魂が馴染まん。それまで、待っててくれるな?」
「ああ、時間はたっぷりあるさ。王都には、しばらく滞在する予定だからな。急がなくていい、お前の納得のいくまで、最高の作品に仕上げてくれ」
空が頷く。
「よし。……それと、お主」
アンラドは、空を真っ直ぐに見据えた。
「お主の武器も……このガキの弓が完成した後、俺の生涯のすべてをかけて、絶対に、どんな力にも壊れない、真の『器』となる一振りを打ってみせる。それまで、待っててくれ」
空は、そのドワーフの不屈の誓いを聞き、自身の右手をポケットに突っ込みながら、楽しげに口元を吊り上げた。
「期待してるよ、アンラド。……俺が全力で振っても、絶対に『壊れない』やつを、頼むな」
「おう、任せとけ!」
王都の煤煙の奥、伝説の職人との約束。
「俺の力に耐えきって、決して壊れない武器……。もし作れたら、大したもんだ」
そう言い残し、三人は熱気あふれる『鍛鉄の回廊』を後にした。
背後で、かつてないほど激しく、力強い鉄槌の音が、再び響き始めるのを聴きながら。




