71話 神の一振り
夏暑すぎ☆
ギルドマスターの執務室を辞した空、エドガー、トビーの三人は、イザベラから手渡された紹介状を懐に、『万象の市場』の西側に位置する広大な鍛冶街、通称『鍛鉄の回廊』へと向かっていた。
王都ガレリアの他の区画が魔導灯の華やかな光と喧騒に彩られているのに対し、このエリア一帯は全く異なる異彩を放っている。
近づくにつれ、大気を震わせる重低音――幾百もの金槌が鉄を叩く「カン、カン、カン!」という金属音が絶え間なくそこら中から響き渡り、鼻を突くほどの濃厚な汗と、赤熱した鉄、そして炭の臭いが混ざり合った熱気が、霧のように街道に立ち込めていた。
その中を歩きながら、空はポケットに両手を突っ込んだまま、退屈そうに天を仰いだ。
実は、ギルドの広場で『鉄錆の牙』との決闘を行うよりも前から、空は自分たちに向けられた「一際強い何か」の視線に気づいていた。その気配は常人のそれとは明らかに異なり、極めて高密度で洗練された魔力の残滓を帯びていたが、空にとっては羽虫の羽音にも満たない些事。そのため、あえて指摘することもなく完全に無視し続けていた。
しかし、その「変化」に、空のすぐ後ろを歩くトビーが微かに眉をひそめた。
「……あの〜、空さん」
人混みの中を歩きながら、トビーがふと、不安そうに背後を振り返り、空の服の袖を小さく引っ張った。
「ん? どうしたトビー」
「あの、気のせいかもしれないんですけど……さっきギルドを出たあたりから、なんだかずっと、誰かに見られているような、妙な視線を感じるんです。でも、振り返っても誰も怪しい人はいないし……気のせい、ですよね?」
トビーは落ち着かない様子で、何度も周囲の群衆に目を走らせる。
その言葉を聞き、空は歩調を変えないまま、フッと口元を歪めた。
「あー、気にすんなトビー。王都は人が多いからな、気のせいか、あるいはさっきの決闘で目立っちまったから、野次馬が遠くから見てるだけだろ」
空は最初から、その気配の正体に気づいていた。
十二星冠でありながら、下町に来ていた灰色のフードの少年――『神童』レオが、空間の隙間から隠蔽魔法を何重にも重ねて自分たちを尾行していることを。
だが、空にとってそれはどうでも良いことだった。
隣を歩く少年の「成長」に比べれば。
(へぇ……。トビーの奴、あの十二星冠の『隠蔽』に、微かとはいえ自力で気づき始めてるのか)
トビーが空と出会ってから、まだ数週間しか経っていない。本来なら、王国の最高戦力たる十二星冠が気配を消せば、Aランクの熟練冒険者であっても看破することは不可能なはずだった。
だが、トビーはこの数週間、空という「絶対的な力」の傍らに身を置き、その圧倒的な神威と純粋な魔力を文字通り全身に浴び続け、さらに断罪の峡谷での死線を潜り抜けていた。
その結果、彼の感覚器、魔力に対する野生的な感性は、すでに常人の領域を遥かに超越したレベルへと研ぎ澄まされつつあったのだ。
「トビー殿。王都の喧騒に、感覚が過敏になっているのかもしれませんね。ですが、その危機管理の感性、実に見事ですよ」
エドガーはトビーを労うように微笑みつつ、チラリと空の背中に視線を送った。主が平然としている以上、何の問題もない。エドガーもまた、その気配の主が誰であるかを察しつつ、静かに追従を続けた。
三人はさらに熱気の渦巻く回廊の奥深くへと進み、周囲の大型の武具店や派手な工房を通り過ぎた。やがて、イザベラの紹介状に書かれた住所の通り、路地の最深部にひっそりと佇む、一軒の小さな武器屋へとたどり着いた。
「ここに、その伝説の鍛冶職人がいるんですか……?」
建物の見た目は極めて質素、悪く言えばどこにでもありそうな、古びた大衆向けの武具店にしか見えない。看板には掠れた文字で『鉄の庵』とだけ刻まれている。
しかし、一歩その敷地に足を踏み入れた瞬間、トビーの身体がびくりと硬直した。
「……っ!」
トビーは思わず息を呑んだ。
店内の壁や棚に無造作に並べられた武器の数々。剣、槍、斧、杖、そして弓。それらの武具は、派手な装飾こそ一切施されていないものの、放たれている「本物の質」が、肌をチクチクと刺すような鋭い気迫となって、ヒリヒリと空間に満ち満ちていたのだ。
まるで、武器自体が独自の意思を持って呼吸しているかのような錯覚さえ覚えるほどだった。
「ほう……なるほど。見かけ倒しではない、匠の仕事場ですな」
エドガーが感心したように周囲の武器を見渡す。
「おーい、誰かいるか?」
空が店内に声をかけると、奥の厚い帳を跳ね上げて、一人の老ドワーフが姿を現した。
「あぁん? なんだお前らは。うちは初見もお断り、金のねえひよっこ冒険者もお断りだぞ。武器がほしけりゃ、表のなまくら店で安いやつでも買ってな」
店の奥から、ずんぐりとした、しかし岩石のように頑強な体躯を持つ老ドワーフが、不機嫌そうにパイプの煙を燻らせながらやってきた。その顔は無数の火傷の痕と煤で汚れ、長く伸びた髭は頑固一徹な職人の歴史を物語っている。
彼こそが、王国最高峰の腕を持つ1人とされる伝説の鍛冶職人、アンラド・ディープフォージだった。
空は何も言わず、懐からイザベラの直筆の紹介状を取り出し、アンラドの前へと差し出した。
アンラドは不審そうにそれを受け取り、一瞥する。その瞬間、彼の太い眉が不快そうに跳ね上がった。
「あのアホ女……また勝手なことをしおって。引退してギルドマスターに収まったかと思えば、今度はどこの馬の骨とも知れんガキをうちに回してきおる。……うちをそこらの武器屋か何かと勘違いしてやがらねえか」
ぶつぶつと文句を言いながらも、紹介状の魔力スタンプが本物であることを確認したアンラドは、ようやく紹介状をポケットに仕舞い、腕を組んで空たちを睨みつけた。
「わしはアンラドって言うもんだ。イザベラの紹介とあらば、話くらいは聞いてやるが………何の用だ? 命のやり取りに使う本物の武器が欲しいのか?」
「ああ」
空はトビーの背中をぽんと押した。
「こいつの弓を探しててな。王都に来たついでに、本物の職人が作ったいい弓があれば、見繕ってやってほしいんだ」
アンラドはパイプを口から離し、鋭い眼光でトビーを頭からつま先まで品定めするように見つめた。トビーは伝説の職人の威圧感に気圧され、思わず背筋を伸ばす。
アンラドはしばらくトビーを観察した後、ふむ、と小さく鼻を鳴らした。
「気迫や身体つきは、その辺にいる駆け出しの冒険者と変わらんな。筋肉の付き方もまだまだ発展途上だ。……だが、そうか。目と、耳が、いいな。感覚の鋭さだけで言えば、並のAランク以上の射手にも劣らんものを持っていやがるな」
職人としての眼力が、トビーの内なる資質を一瞬で見抜いた。
「いいだろう。お前さんのその『感性』に合う弓が、何本か奥の倉庫に眠っているはずだ。口で説明するより、実際に引いてみた方が早い。裏の試し場へ来な」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
トビーは嬉しそうに声を弾ませ、アンラドに案内されて店の奥へと向かった。
店の裏手には、広大な空間を利用した本格的な『試し場』が設けられていた。そこは厚い石壁に囲まれ、頑強な木製の的や、強力な武器の威力を試すための様々な材質の防具、鎧が幾つも設置されている。
アンラドが奥の倉庫から、美しい曲線を描く三本の長弓を持ってきた。それぞれが異なる希少な魔木から削り出され、弦には魔獣の腱が使われている、美術品としても通用しそうな至高の弓だった。
「トビー、エドガーに付いてもらって、一本ずつ試してみろ」
「はい、空さん!」
トビーは一本の、深緑色の魔木でできた弓を手に取った。
エドガーがトビーの斜め後ろに立ち、射形や間合いのアドバイスを静かに送る。トビーが弦を引き絞ると、彼の周囲の空気が、弓に吸い込まれるように収束していく。
――ヒュンッ!!
放たれた矢は、凄まじい速度で直進し、遥か先にある的の中心を寸分の狂いもなく射抜いた。
「おお……! す、凄い、この弓! 自分の魔力が、矢にそのまま乗っていくみたいだ!」
トビーが興奮して声を上げる。彼は次々と弓を持ち替え、エドガーのサポートを受けながら、楽しそうに試し撃ちを繰り返していった。
その様子を、脇で腕を組みながら見ていたアンラドは、パイプの煙を吐き出しながら、感心したように頷いた。
「ほう……やはり、筋がいいな。風の読み方、弦を放す瞬間の脱力、どれをとっても教えられてできる芸当じゃねえ。ありゃあ天性の才だ。これから正しく鍛え上げれば、国でも指折りの一級の射手になるぞ、ありゃあ」
「当たり前だ」
空が隣で、誇らしげに腕を組んで笑った。
「なんたって、俺が直々に鍛える弟子だからな。そこらの凡百の射手で終わってもらっては困る」
「ふん、大きく出おる」
アンラドは、そんな空の「自信に満ちあふれた顔」をじっと見つめた。
その瞳の奥に、職人としての、そして一人の武人としての、抑えきれない好奇心の火が灯る。
ギルド前の決闘の噂はまだアンラドの耳には届いていなかったが、それでも、この青年の佇まいが「ただの同行者」ではないことを示していた
「お主……さっきから見ておれば、心の乱れが一切ねえ。お主も相当の手練れの気配じゃな。一体、どんな得物を使う?」
「俺か?」
空は自分の手を見つめ、少し考えるように答えた。
「基本的には何でも使えるが、まぁ、最近は何となくで刃物を使うことが多いな。剣とかナイフとか、その辺だ。一番、形として分かりやすいからな」
「剣か! なら、お主のような強者に見てもらいたい逸品がある。ちょうど昨日、最後の打ち込みが終わったばかりの片手剣だ。どれ、これなんかはどうじゃ?」
アンラドは工房の奥から、一振りの美しい片手剣を持ってきて、空へと手渡した。
それは、鈍い銀色の輝きを放つ、洗練された一本の直剣だった。装飾は最小限だが、刀身全体に微細な魔力回路が幾重にも刻み込まれているのが見える。
「これは、わしが数ヶ月かけて鍛え上げた極上の片手剣、うちの工房でも自信作の一本じゃ。東方の希少な隕鉄を混ぜ込み、何千回と叩き直した、とにかく『頑丈で長持ちする』のが特徴の剣だ。蓄積できる魔力量も通常の剣の数十倍を誇り、王都の多くの剣士たちが、大金を積んででも欲しがる至高の業物よ」
アンラドは誇らしげに、その剣を空へと差し出した。
「へぇ……頑丈で、長持ち、ね」
空はその片手剣の柄を握り、目の前に掲げた。
「なら、遠慮なく試させてもらうよ」
空は片手剣の柄を右手で深く握りしめた。
その瞬間。
「――っ!?」
アンラドの全身の毛穴が一斉に開き、本能的な恐怖の鳥肌が立った。
空はただ、剣を右手に持ち、軽く身体を半身に開いただけだった。構えは、極めてシンプルな『居合い』の構え。
空の身体から放たれたその『気迫』は、アンラドがこれまでの百年以上におよぶドワーフとしての人生で、一度たりとも経験したことのない、次元を超越した絶対的なナニカだった。
試し場で弓を引いていたトビーも、そのあまりの気配の変貌に息を止め、エドガーはただ、主の次の挙動を静かに見守るために深く腰を落とした。
空は、自身の内に流れる創造神としての力の、ほんの『0.0000000000000001%』にも満たない、顕微鏡でも観測不可能なほどの微小な一滴だけを、その刀身へと込めた。
空の右腕が、静かに、そして鋭く動いた。
――シュッ。
静寂の中、衣服が擦れるような、極めて短い風切り音だけが響く。
空は、ただ斜め下から上へと、片手剣を「一振り」しただけだった。その軌跡は、一寸の歪みも、一分の淀みもない、美しく無駄のない完璧な一太刀。
瞬間。
ガガァァァァァンッッ!!!
空の正面、数歩先に設置されていた、最硬の希少金属『ミスリル』で作られた極厚の全身鎧。上位魔法すらも弾き返すはずのその防具が――まるで熱したナイフでバターを切り裂くかのように、斜め真っ二つに両断され、滑らかな断面を残して、石畳の上へと激しい金属音を立てて崩れ落ちた。
そして同時に。
ピキピキピキ、パリンッ!!!
空の右手に握られていた、アンラドが「とにかく頑丈な自信作」と誇っていたはずの片手剣。その刀身全体に、一瞬にして数百のひび割れが走り、次の瞬間には、耐えきれないほどのエネルギーの負荷によって、粉々の銀色のガラス細工のように砕け散り、地面へと崩れ落ちてしまったのだ。
空の込めた、あまりにも純粋で、あまりにも巨大すぎる「理の力」に、鍛冶師最高峰の業物ですら、その器の限界を迎えて一振りの負荷にすら耐えられず、自壊してしまったのだ。
「……あ、あ……」
アンラドは、大口を開けたままその場にへたり込み、完全に腰を抜かしていた。
パイプは手から滑り落ち、石畳の上で虚しく転がっている。
最高硬度のミスリルの鎧が、簡単に真っ二つ。
そして、自分が魂を込めて作った、頑丈さが売りの最高傑作の剣が、たった「一振り」されただけで、何かにぶつかったわけでもないのに自ら砕け散った。
この目の前の青年は、一体どれほどの『強者』なのか。いや、強者などという言葉では生ぬるい。これは、稀代の化け物、生ける伝説、あるいは――。
空は、手元に残った柄の虚しい軽さを眺め、やべ、と苦笑いを浮かべながら、腰を抜かしている老職人へと頭を下げた。
「あー……すまん。頑丈だって言うから少しだけ力を込めてみたんだが……加減を間違えた。弁償は、ちゃんとするからさ」
神のほんの一振りは、王都最高の職人の魂に、決して消えない強烈なトラウマと、圧倒的な理の洗礼を刻み込んでしまうのだった。
一日の時間足りない☆




