69話 ギルドマスター
もうそろそろで書き出して1年経つんですって。
時の流れは速いものね〜
速すぎんだろ〜〜がよ〜〜〜〜!
「さて、と……。ようやくカードの更新ができるな」
空はそう言って、何事もなかったかのようにギルドの重厚な両開き扉をくぐり、再びロビーへと足を踏み入れた。
「す、凄い……。一撃、本当にただの一撃で。大丈夫ですかね、あの人……」
トビーはまだ興奮と畏怖の冷めやらぬ様子で、自身の両手を見つめながら空の後に続いた。
「空様にとっては、羽虫を払うのとなんら変わりないことでございますよ」
エドガーは乱れた衣服の皺ひとつないかを確認し、いつもの涼しい顔で追従する。
ホールに戻ると、室内の空気が一変していた。
先ほどまで騒がしかった何千人もの冒険者たちが、まるでモーセの十戒のごとく、空たちが歩く道筋を綺麗に割って避けていく。好奇の目、畏怖の目、そして「とんでもない奴が現れた」と警戒する無数の視線が、針のように空の肌を刺した。
だが、空がそのまま先ほどの受付カウンターへと向かおうとした、その時だった。
「――見事な一撃だった、若き冒険者よ」
ホールの隅々にまで心地よく響き渡る、鈴を転がしたような、それでいて圧倒的な重みを持った女性の声が響いた。
受付カウンターの真ん中。先ほどまで混雑していたはずのその場所に、いつの間にか一人の女性が立っていた。
その姿を目にした瞬間、周囲の冒険者たちから、先ほどの決闘の結末をも上回るほどの、地鳴りのようなざわめきが沸き起こった。
「お、おい……嘘だろ? あの人が直々に表に出てくるなんて……」
「初めて見た……! 普段は最上階の奥の部屋から一歩も出てこないって噂の……」
「元Sランク冒険者にして、全盛期はあの『十二星冠』の席にすら手が届きかけたっていう、あの……!」
周囲が口々に漏らすその評価を、女性は気にした風もなく、ただ真っ直ぐに空たちを見つめていた。
年齢は三十代半ばほどだろうか。燃えるような鮮やかな赤髪をハーフアップにまとめ、大人の色気と、それ以上に武人としての凄まじい覇気を放つ美女。豊満な肢体を包むのは、機能美を追求した上質な仕立ての衣服と、背中に背負われた一振りの大太刀。まさしく、頂点に立った者だけが持つ「本物の猛者」だった。
彼女がただそこに立っているだけで、周囲の屈強な冒険者たちが無意識に数歩、距離を取っている。
女性は長い脚を響かせて空たちの前へと歩み寄ると、その切れ長の、琥珀色の瞳を細めて不敵に微笑んだ。
「外での戦闘、実に見事であった。規律を乱す不届き者に、ギルドの法が何たるかを身をもって教えてくれたこと、感謝する。……何より、恐怖で動けなくなっていた内の若い職員を助けてくれた。冒険者を預かる身として、礼を言わせてくれ」
女性はそう言うと、右手を胸に当てて綺麗に一礼した。その所作には、傲慢さは一切なく、真に実力を認めた者への敬意だけが宿っていた。
「いや、俺も自は分の邪魔をされたから退かしただけだ。礼を言われる筋合いじゃないさ」
空がいつも通りの飄々とした態度で返すと、女は一瞬驚いたように目を丸くし、それから豪快に笑った。
「ははは、言うねえ!私はイザベラ・クロムウェル。ここ王国最大にして冒険者の集う『万象の天秤』のギルドマスターを務めている」
「ギルドマスターが直々にねぇ……。まあ、騒ぎにしちまったのは悪かったと思ってるよ」
空は頭の後ろで手を組み、ギルドマスター相手にも全く態度を変えずに飄々と言い放った。周囲の冒険者が「あのイザベラ様に何て態度を……!」と息を呑むが、イザベラ自身はむしろその物怖じしない空の態度が気に入ったようで、クスクスと低く笑った。
「構わんさ。売られた喧嘩を買い、一撃で黙らせる。冒険者としてこれ以上なく正しい姿だ」
イザベラが周囲を見渡すと、ホール中の冒険者が彼らに注目していた。
「ふん、周りが騒がしいな。……さて、空殿と言ったか。ここじゃあ、お前さんのせいで目立ちすぎる。貴殿らの要点に関しては、この大混雑の窓口ではなく、私の執務室で受け持とう。ついてきなさい」
ヴァルキアはそう言って、カウンターの奥にある重厚な木製の扉を顎で指した。空は「そりゃ助かる」と頷き、エドガーとトビーを伴って、一般の冒険者は立ち入ることすら許されないギルドの最上階へと案内された。
通された執務室は、重厚なマホガニーのデスクと、壁一面に並ぶ古い蔵書、そして『万象の市場』の全景を見渡せる大きなガラス窓が特徴的な、洗練された部屋だった。
イザベラはデスクの後ろの革張りの椅子に深く腰掛け、空たちにも対面のソファに座るよう促した。
「さて、改めて用件を聞こう。これほどの腕前を持つ貴殿らが、わざわざ王都へ足を運んだ理由はなんだ?」
空はソファに背もたれに寄りかかりながら、今回の要点を端的に伝えた。
「大した用事じゃないさ。アーリスからガレリアまでの『ローゼンス家令嬢の護衛任務』、これを無事に終えたからな。その完了報告と、その他の手続きを含めて、自分たちの『ギルドカードの更新』に来たんだよ」
「ローゼンス家令嬢の護衛依頼か……」
イザベラは机の上の書類の束に目を落とし、納得したように頷いた。
「なるほどな。昨日から、その任務に関わっていた冒険者たちが、何人か完了報告にやって来ていた。まさか、貴殿らもその一員であったとはな。………確かに、道中で首なし騎士『デュラハン』が現れ、壊滅の危機に陥ったところを『仮面の男』に救われた、という不可解な報告を、『碧き雷鳴』のヴォーダンから受けている」
イザベラは、その鋭い瞳で空の顔をじっと見つめた。
「仮面の男、ね。……まぁいい。形式上の手続きだ。名簿と照合する、貴殿らのギルドカードを渡してくれ」
空が自身のカードを差し出し、続いてエドガーとトビーも自身のカードをイザベラの手元へと提出した。
イザベラは事務用の魔導具にそれらのカードをかざし、登録情報を確認し始めた。
だが、カードに刻まれた文字列が魔力によって空中に浮かび上がった瞬間、あの元Sランク冒険者であるイザベラの動きが、完全にピタリと止まった。
その美貌が、驚愕によって微かに見開かれる。
「……Dランク? 貴殿が、D、だと……?」
イザベラは空中に浮かぶ『SORA / Rank: D』の文字と、目の前に座る、先ほどBランクの巨漢を一撃で消し飛ばした青年の姿を何度も見比べた。
「Dランク……。治安を脅かす悪漢を圧倒する戦闘技術、寸分の無駄もない身体のコントロール能力を持ちながら、まだ下から3番目のランクだと? 一体どういうことだ?」
「あぁ、驚くことじゃないさ」
空はふい、と窓の外を眺めながら、退屈そうに答えた。
「少し前に、アーリスのギルドで新規登録をしたばかりなんだ。そこから、ロッキド鉱山の件だのでランクが少し上がって、今のDランクになった。……まぁ、そこにいるエドガーは、元の実力が認められて最初からCランクだったんだがな」
「お嬢様の護衛中も、私は主に最後尾の荷台の管理を仰せつかっておりましたので」
エドガーが補足するように、恭しく一礼する。
イザベラは信じられないといった様子で深く溜息をつき、自身の額を手で押さえた。
イザベラの驚愕は当然だった。彼女の全盛期の感覚からしても、先ほどの空の身のこなし、そして力の制御は、Aランクはおろか、かつての同じ立場であるSランクの猛者たちですら容易に真似できるものではなかった。それが、冒険者の階級としては下から数えた方が早い「D」に甘んじているなど、到底信じがたい事実だった。
「DランクにCランク……。王都のBランクが、どこからともなく現れたDランクに一撃で叩き伏せられたと知れば、ギルドのパワーバランスの前提がひっくり返るぞ」
「そんなの大した問題じゃないだろ」
空はソファの背もたれに深く体重を預け、窓の外に広がる王都の空を見つめながら、淡々と、しかし核心を突くように答えた。
「そもそも、ランクなんてものは、過去にどれだけ依頼をこなしたかっていう『貢献度』と事務的な数字を見ているだけで、本当の実力を測るためなら、何の役にもたたんよ。」
空は視線をイザベラへと戻し、その瞳の奥に、絶対的な強者だけが持つ深い光を宿らせた。
「世の中、表舞台に出ないだけで、ひっそりと隠れてる強い奴なんて、それこそ山のようにたくさんいるからな。カードの文字の色が変わったからって、人の本質が変わるわけじゃねえよ」
その言葉は、かつて神として世界を創造し、無数の「生命」の生と死を見届けてきた空だからこそ言える、絶対的な事実だった。
空のその言葉を聞いた瞬間、イザベラは一瞬ハッとしたように目を見張り、次の瞬間には、これ以上ないほど爽快な、心からの笑みを浮かべていた。
「ハハハ! 違いない! まったく、その通りだ!」
イザベラはデスクを軽く叩きながら笑った。
「全く、貴殿の言う通りだよ、空殿。最近の冒険者どもときたら、実力も見合わない内から見栄とランクの数字ばかりを気にして、中身が伴わん奴が多くて困っていたところだ。先ほどの『鉄錆の牙』が良い例だな。Bランクである事に浮かれ次に上がろうとせず弱者に噛みつく。貴殿のような本物が、その傲慢な鼻をへし折ってくれて、むしろ清々しい気分だよ」
イザベラは笑いを収めると、手元の魔導具を操作し、三人のカードに新たな魔力術式を刻み込んでいった。
「よし、手続きを完了した。今回のローゼンス家護衛任務の依頼達成、および道中での多大な貢献度を鑑み、貴殿らは全員、規定に基づきランクアップとなる」
イザベラは新しく書き換えられ、美しく輝く三枚のギルドカードをデスクの上に並べた。
「トビー、そして空殿。貴殿ら二人には、本日をもって『Cランク』の資格を授与する。そしてエドガー殿、貴殿には『Bランク』のカードを」
「おぉ……! Cランク……! 僕が、本当にCランクに……!」
トビーが震える手で、新しくなったカードを受け取り、家宝でも見るかのように見つめている。アーリスを出た時はD怯えてばかりだった自分が、王都に到着した翌日には、一人前の冒険者とされるCランクへと上り詰めたのだ。その喜びは計り知れなかった。
「ありがたく頂戴するよ。これで王都での行動も、少しは動きやすくなる」
空とエドガーも、それぞれのカードを受け取り、懐へと仕舞う。
「これで、王都での最低限の身分保証と、受けられる依頼の制限は解除された。……さて、手続きは以上だが」
イザベラは椅子から立ち上がり、窓の外の広大な万象区の街並みを眺めながら、興味深そうに空たちを振り返った。
「……貴殿らは、このあとは何か予定があるのか?もし暇なら、私自ら王都の極上の一等店へ案内して、酒でも奢りたいところなのだが」
イザベラが、悪戯っぽく片目をウィンクしながら誘いかける。元Sランクの女傑からの、明らかな「個人的な興味」による誘いだった。
しかし、空はそれを躊躇うことなく、ひらひらと手を振って断った。
「いや、せっかくの美人からの誘いだが、今回はパスだ。この後はトビーのために王都の『武器屋』に行こうと思ってるんだ。せっかく王都に来たんだ。その後は、適当に宿でも探しながら、街をぶらぶら過ごすつもりさ」
「武器屋、か」
イザベラは視線をトビーへと移した。トビーが背負っている弓は、一般的な狩人が使うような、いささか古びたものだ。先ほどの広場の決闘でも、彼が空を「心配そうに見ていた」姿を、イザベラは見逃していなかった。あの少年もまた、この男の弟子として、何か常人離れした資質を秘めているに違いない。
「なるほど、良い師弟関係だな。……なら、私から一つ、君たちに『粋な計らい』をさせてくれ」
イザベラは引き出しから、上質な羊皮紙を取り出すと、万年筆を走らせて素早く何かを書き記した。そして、自身のギルドマスターとしての特製魔力スタンプを捺し、それを空の前へと差し出した。
「これは……?」
「私の直筆の『紹介状』だ。万象区の西側、『鍛鉄の回廊』に、頑固だがこの国最高の腕を持つ、伝説的な鍛冶職人の1人が店を構えている。普段は貴族や高ランクの依頼しか受けない偏屈な奴だが……この紹介状を持っていけば、必ず君たちの力になってくれるはずだ」
イザベラは、最高の笑みを浮かべて言った。
「君たちのような『本物』には、それに相応しい、最高の武具が必要だろ? ギルドマスターとしての職権乱用だが……先ほどの礼の、私からの個人的な追加報奨だと思って、受け取ってくれ」
「へぇ……。最高の武具、か。悪くないじゃないか」
空はその紹介状を指先で受け取り、ニヤリと不敵に笑った。
「ありがたく使わせてもらうよ、イザベラ」
「ああ、期待しているよ。君たちがこの王都で、どんな嵐を巻き起こしてくれるのかをな」
最高の武具を求める旅路。イザベラの熱い視線に見送られながら、神と執事、そして弓使いの三人は、次なる目的地である『鍛鉄の回廊』へと向かうため、ギルドの別室を後にした。




