64話 依頼完了・王都到着
急に気温上がりすぎじゃね?
暑くね?
大門をくぐり抜けた先に広がっていたのは、単なる街並みではなく、一つの「世界」そのものだった。
王都ガレリア。その内包する広大さは、門の外から想像していたものを遥かに凌駕している。門から中心部へと続く大通りは、十頭立ての馬車が数台並んでもなお余裕があるほどの道幅を誇り、精緻に敷き詰められた白亜の石畳が陽光を反射して輝いている。その左右には、人の背丈を優に超える巨大な魔導灯が等間隔に並び、王都の夜を昼間に変える魔力を内包して沈黙していた。
「……広い。広すぎますよ、空さん。これ、本当に一つの街なんですか?」
荷台の上で、トビーは口をあんぐりと開けて周囲を見渡していた。アーリスの街もそれなりに活気はあったが、このガレリアの規模はもはや比較の対象にすらならない。どこまでも続く高い壁と、その向こうに見える天を衝くような尖塔。
「まぁ落ち着け、トビー。ここはまだ王都の『外殻』だ。これだけデカい都市を守るとなれば、防衛ラインの懐も深く設定するもんだ」
空が欠伸混じりに答えると、隣にいたエドガーが穏やかに笑い、立てた指で空中に微かな魔力の軌跡を描きながら説明を始める。
「ふふ、驚くのも無理はありませんよ、トビー殿。王都ガレリア。ここは古の魔法体系に基づき、五つの円環状の区画によって構成されています。トビー殿、少しこの国の心臓部について、予習をしておきましょうか」
エドガーの解説が始まった。空もまた、退屈しのぎにその流麗な説明に耳を傾ける。
「まず中心に鎮座するのが『天冠聖域』。王城ガレリア城と、王国最高意思決定機関たる『星天閣』が存在する神聖不可侵の領域です。我らが見上げるあの一際高い塔には、この国を統べる十二星冠の方々が集うと言われております。
そして、その聖域を囲むように配置された四つの区画。
東には、王立魔導アカデミーや大図書館、国立魔導研究所がひしめく知の集積地。空中に浮かぶ研究棟や、魔導具による自動防衛システムが張り巡らされ、常に魔力の流れが絶えない区画。『黎明の書庫』。
西には、由緒正しき貴族の屋敷や別荘が集まる。緑豊かで静かな景観が保たれており、選ばれた者のみが住むことを許される格式高貴族や特権階級の居住区。
『黄昏の邸宅』。ここは権力と伝統が支配する、静寂なる戦場です。
北には、アルカディア王国の象徴たる大聖堂を中心とした祈りの区画。白亜の建物が並び、常に賛美歌が風に乗って聞こえてくる、平穏と救済を司る場所『祈りの園』。
そして今、我らが向かっているのが南の区画。国中の海路、陸路を問わず世界中の物資、情報、そして人種が集まる、王国最大の商業・居住区。富と人が流れ込む、不夜の商業都市区――『万象の市場』でございます。このガレリアにおいて最も喧騒に満ち、同時に最も自由な、欲望の交差点と言えるでしょう」
「パンテオン・バザール……。なんだか、名前を聞くだけでワクワクしますね!」
トビーが緊張を解いて笑う。空は「欲望の交差点か。悪くない響きだ」と、賑やかな街の気配に視線を投げた。
隊列がしばらく進み、商業区の入り口となる巨大な広場に差し掛かったところで、騎士団長ケイデンスの重厚な号令が響き渡った。
「全員、停止ッ!」
騎士団長ケイデンスの号令により、豪華な馬車列がピタリと動きを止めた。そこは交易区へと続く大きな広場となっており、既に待機していたローゼンス家の従者たちが、整然と並んで令嬢の帰還を待っていた。
峡谷での凄惨な戦いを潜り抜けた冒険者たちが、馬車から降り立ち、広場に整列する。彼らの多くは、未だに「仮面の男」の奇跡に酔いしれ、自分が生きている実感を噛みしめている。
「……これより、ローゼンス家王都帰還護衛任務の完了を宣言する!」
ケイデンスが愛馬から降り、冒険者たちの前に立った。その鎧は峡谷での激戦を物語る傷跡が残っていたが、立ち姿には名門の騎士としての誇りが満ち溢れていた。
「諸君、この過酷な道中、よくぞ最後まで主君を守り抜いてくれた。道中、予期せぬ災いに見舞われたが、貴公らの奮闘により我が御令嬢は無事に王都へ帰還された。これより、契約に基づいた報奨を順次配給する。受け取った者から解散とするがいい!」
従者たちが銀の盆に載せられた重みのある袋を、生き残った冒険者たちに配り始める。命を懸けた代価を手にした冒険者たちは、一様に安堵と喜びの表情を浮かべ、王都の喧騒へと消えていった。
Aランクパーティー『碧き雷鳴』のヴォーダンも、ケイデンスと短く言葉を交わした。
「ヴォーダン殿、今回の『仮面の男』との遭遇、及びデュラハンの件に関するギルドへの報告は、貴殿に一任したい」
「ああ、分かっている。事実をそのまま伝えよう……あの日、我々は奇跡を見たとな」
彼らもまた、空の記憶操作によって「死の淵で仮面の男に救われた」という強烈な印象を抱いたまま、敬礼を交わし、街の雑踏へと消えていった。
最後に残ったのは、空、エドガー、そしてトビーの三人だった。
従者を引き連れたケイデンスが、空たちの元へと歩み寄っていく。彼の表情は、他の冒険者に対するものとは明らかに異なっていた。それは、武人が自分を遥かに凌駕する高みにある者を見上げる、畏怖と敬意が混ざり合った複雑な色を帯びていた。
「空殿……」
ケイデンスは、周囲に他の冒険者がいないことを確認し、深く、深く腰を折った。そして周囲に聞こえない程度の低声で、しかし深く、魂を込めて告げた。
「改めて、感謝を。貴殿という存在がなければ、私は今頃、あの峡谷で土に還り、お嬢様を守りきれなかっただろう。貴殿には、ローゼンス家として、そして私一個人として、返しようのない恩を受けた」
「よせよ、団長。俺はただの護衛だ。仕事をしただけだよ
「……貴殿がそう言うのであれば、今はこれ以上追求すまい。だが、これだけは受け取ってほしい」
空が笑って答えると、ケイデンスは他の者たちに配られたものとは明らかに重みも装飾も違う、革袋と一通の封筒を空に差し出した。
「規定の報奨に、私からの心付けを足してある。そして、これはローゼンス家の紋章が入った招待状だ。……お嬢様も、落ち着いたら改めて、個人的にお礼を伝えたいと強く望まれている。我々の屋敷は西の『黄昏の邸宅』にある。もし気が向いたら、いや、ぜひ一度、顔を出してはいただけないだろうか」
空は一瞬、面倒そうな顔をしたが、ケイデンスのあまりに真剣な眼差しと、馬車の窓からこちらをじっと見つめているであろうエレアの気配を感じ、苦笑しながら封筒を受け取った。
「ああ、わかったよ。せっかくの招待を無下にするのも悪いしな。落ち着いたら、暇つぶしがてら顔を出すよ」
「感謝する。……貴殿のような男と出会えたこと、武人として誇りに思う。では、また会おう」
ケイデンスは最後に一度だけ拳を胸に当て、騎士の礼を捧げると、エレアを乗せた馬車と共に西の区画へと去っていった。
取り残された空、エドガー、トビーの3人。
トビーは手渡された報奨の袋を開け、中に入っていた金貨の輝きに目を見開いている。
「空さん……これ、一生遊んで暮らせるんじゃ……」
「バカ言え。王都の物価を舐めるなよ。……だが、遊ぶための軍資金にはなるな」
そして3人は『万象の市場』へと足を運ぶ。
そこは、情報の洪水だった。
石造りの重厚な建物が建ち並び、頭上を色とりどりの魔導灯が彩り、多種多様な種族が入り乱れている喧騒のるつぼだった。香辛料の匂い、鍛冶屋が叩く鉄の音、吟遊詩人の奏でる旋律、そして何万人もの人々が放つ熱気が、一つの巨大な奔流となって押し寄せてくる。
「すごい人の数ですね……さすが不夜の商業都市区。空さん、これからどこへ行くんですか?」
「決まってるだろ。冒険者の本分だ」
空は、街の中心に聳え立つ、剣と盾を象った巨大な石像を指差した。
その足元にあるのは、この国……ひいてはアルカディア王国における「冒険者」という存在の総本山。
「国内最大級の冒険者ギルド。まずはそこで、新しい風が吹くのを待つとしよう」
空は笑いながら、雑踏の中を歩き出した。
彼が通り過ぎるたび、鋭い直感を持つ高ランクの冒険者たちが、ふと足を止め、説明のつかない寒気を感じて振り返る。だが、そこにはどこにでもいそうな若者と、古風な執事、そして緊張した少年の三人が歩いているだけだ。
「まずはギルドでカードの更新……といきたいところだが、その前に美味い飯屋でも探すか。トビー、王都での最初のご馳走は何がいい?」
「えっ! あ、あの、僕なんでも食べられます!」
「はは、緊張しすぎだ。さあ、行くぞ」
彼らの視線の先には、高くそびえ立つ王都の象徴、十二の星が刻まれた星天閣の塔が、夕闇に青白く浮かび上がっていた。




