56話 弓の扱い方
今まで深夜に書いていたのでミスとか寝落ちとかがあったんですけど4月に入ってから電車通学になったんでそこで書くようになりました。これからも不定期にはなりますが投稿していくのでよろしくお願いします。
地表を埋め尽くす不浄の群れ。腐臭を撒き散らすアンデッドの軍勢と、岩壁の隙間から溢れ出すブラットモスキートの黒い波が、ローゼンス家の馬車列を完全に分断していた。
「や、やめろ! くるな、くるなあああッ!」
「ひ、ひぎぃっ! 助け――」
「クソッ、持ち場を離れるな! 盾を構えろ、食い止めろ!!」
悲鳴と怒号が重なり合い、峡谷に反響する。
先頭集団の騎士たちは、本来なら精鋭の誉れ高い者たちであったが、全方位から、それも足元から湧き出す敵の物量に、かつてない苦戦を強いられていた。数秒前まで隣で剣を振るっていた仲間が、地面に引きずり込まれて物言わぬ骨の山に変わっていく。その精神的重圧は、ベテランの冒険者たちでさえ膝を屈するほどだった。
しかし。
混沌を極める隊列の最後尾だけは、まるで別世界のような静寂――地獄から切り離されたかのような異様な静寂に包まれていた。
「あ、あわわ……っ! 来る、また来ます!」
トビーは震える手で弓を構えていた。だが、指先が言うことを聞かない。矢を番えることさえままならず、狙いは定まらない。足元からは腐敗した手が何度も泥を掴むようにして彼の足を狙っている。
最後尾の馬車を任されていた冒険者は、最初の奇襲で三人が命を落とした。本来なら絶望的な状況だ。だが、残された三人は――空、エドガー、そしてトビーは、一歩も引いていなかった。
否、引く必要さえなかった。
「案ずることはありません、トビー殿。貴方の視界に入る『汚れ』は、私がすべて払っておきますから」
エドガーの声は、死地にあってなお涼やかだった。
彼の持つ剣杖が、銀の残像を描いて空間を撫でる。
近づこうとした三体のゾンビが、まるで目に見えない糸で裁断されたかのように、一瞬で首を同時に撥ね飛ばし、等間隔の肉塊へと変わった。エドガーは乱れぬ所作で一歩踏み出し、背後から迫る虫魔物でも堅牢な外殻を持つデス・スコーピオンを、杖の先端で突く。
パァン、という小気味いい破裂音。
魔力を一点に凝縮された打撃は、甲殻を内側から爆散させ、魔獣を一撃で物言わぬ死骸へと変えた。エドガーは乱れぬ姿勢のまま、一歩も動かずに周囲数メートルの「死域」を完璧に制圧していた。近づく者は、ただ静かに、塵となって消える。
一方、空はといえば、押し寄せるゾンビの群れの中にわざわざ飛び込み、一見すれば「冒険者らしい」泥臭い戦いを見せていた。
「おっと、危ない。……ほらよっ!」
手近なゾンビの腕を掴んで振り回し、迫り来るスケルトンの列をボウリングのピンのようになぎ倒す。その動きには一切の魔力が感じられないが、物理法則を僅かに無視した速度と正確さが、敵の数を着実に減らしていた。
空は軽快な身のこなしでトビーの隣に戻ると、情けない顔をしている少年の肩を小突いた。
「おいおい、そんな調子じゃ王都の門を潜る前に、あいつらの仲間になっちまうぞ」
「だ、だって……空さん! あんなにたくさん……僕、僕には無理です……!」
トビーは泣き出しそうな顔で、あらぬ方向へ矢を放った。矢は虚しく岩壁に当たり、カランと音を立てて落ちる。
「……お前の素質は、決して悪くないんだ。魔力の通りも素直だし、何よりあの混乱のアーリスで生き残って、ここまで来たんだ。しっかり鍛えれば、それなりに上まで行けるさ。弓の精度だって、才能はある。ただ、使い方が致命的に分かってないだけだ」
空はそう言うと、持っていたナイフをポイと捨てた。
「空さん……?」
まさかの激励に、トビーが顔を上げる。
空が虚空に右手を伸ばした。
何もない空間が陽炎のように揺らぎ、そこから黒檀の艶を持つ一本の長弓と、一本の白銀の矢が実体化した。トビーの目には、それが魔法の袋から出したように見えたが、それは空がその場の魔力を結晶化させて創り出した、神の即興作。
「見てろ。弓の使い方ってのを教えてやる」
空は迫り来る数十体のアンデッドを正面に見据え、弓を構える。その姿勢には、隙という概念が存在しなかった。
「いいか、トビー。大切なのは『矢』そのものじゃない。そこに込める『意志』と『魔力』だ。ただ放つんじゃない。自分の魔力と意志を矢の芯に込めろ。そうすれば、物体なんてのは紙切れ同然になる」
空が弦を引き絞る。光の魔力が矢に収束し、周囲の大気がキリキリと鳴った。
「見てろ。――こうだ」
――シュンッ!
放たれた白銀の矢は、一本の閃光となって峡谷を突き抜けた。
それは一直線の光の帯となり、先頭にいたゾンビの眉間を貫き、勢いを殺すことなく背後のスケルトン、さらにその奥にいたデス・スコーピオンまで、一直線上にいた十数体の魔物を串刺しにして消滅させた。矢は速度を落とすことなく、遥か後方の岩壁を爆砕してようやく止まる。
「な……っ!? い、一本で、あんなに……!?」
トビーは呆然と目を見開いた。
「驚くのはまだ早いぞ。放った矢は、自分で迎えに行く必要はない。こうするんだ」
空が指先を動かすと、奥の岩壁に突き刺さっていた銀の矢が、ひとりでに引き抜かれ、ブーメランのように空の手元へと戻ってきた。魔法による自動回収。
「それにな、矢は飛ばすだけが能じゃない。うまく使えば、近接戦でもある程度やれる」
空は手元に戻った矢をナイフのように逆手に持ち、肉薄してきたゾンビの首筋を撫でるように切り裂いた。さらに矢尻を軸にして半回転し、背後のスケルトンの核を的確に粉砕する。
弓を盾にし、矢を剣にする。空の変幻自在な演舞を前に、アンデッドの群れはもはやただの動く的に過ぎなかった。
弓兵の弱点であるはずの至近距離で、空は一本の矢を「短剣」や「刺突武器」のように操り、ダンスを踊るような軽やかさで敵を解体していった。
トビーは、恐怖を忘れてその光景に見入っていた。
「すごい……。空さん、あなた、本当は何者なんですか……」
その眼差しには、救世主を見るような深い尊敬と、得体の知れない憧憬が混じり合っていた。
「ただのDランク冒険者だって言っただろ?」
空は笑いながら、手元の弓と矢を消滅させた。
「お前も今のイメージを忘れるな。死にたくないなら、死神より先に矢を放て」
「……はい! 僕、やってみます!」
トビーが震える手で自分の弓を握り直す。その瞳には、先ほどまでの絶望ではなく、微かな闘志の炎が宿っていた。
そんな師弟のようなやり取りをしていた、その時。
ドォォォォォォォォンッ!!
隊列の前方、騎士団長ケイデンスやお嬢様が乗る魔導馬車の付近で、これまでの戦闘音とは明らかに質の異なる、地響きのような巨大な爆発音が響き渡った。
砂塵が舞い上がり、冒険者と騎士たちの悲鳴が一段と大きくなる。
「……チッ。あっちの方は、少し雲行きが怪しいな」
空の視線が鋭くなる。
どうやら盗賊たちの本隊か、あるいは《魔寄せの香》に引き寄せられた、より巨大な「何か」が、お嬢様の馬車を直撃したようだった。
「エドガー、トビーを任せる。ここは守りが薄くなってるから、絶対に死なせんなよ」
「承知いたしました。空様。……トビー殿の安全は、この老いぼれが命に代えても守り抜きましょう。……もっとも、死神の方が私を避けて通るでしょうがね」
エドガーが優雅に一礼する。
エドガーの頼もしい返事を聞き、空はトビーの肩を一度叩くと、爆音のした前方へと、地を這う影のような速さで駆け出した。
「トビー、ここで死ぬなよ。王都で美味いもんを奢ってやるからな」
「空さん……! 気をつけて!」
トビーの声は、既に空の背中には届かない。
空は、混乱する騎士団の隙間をDランク冒険者としては説明のつかない、風を切り裂くような速度で通り抜ける。
彼の視線の先には、炎に包まれた馬車と、そこに群がる盗賊たち、そして――
煙の中から姿を現した、この峡谷の真の主とも言うべき巨大な魔影が映っていた。




