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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第九章:凍てつく牙と山の心臓

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日報098:五百年の坑道と名を捨てた番人

 辺境に来てから第八十五日目の午後。

 ドルグが教えてくれた道は、道ではなかった。

 高さ二十メートルはあろうかという、青白い氷の壁。その上部にわずかな棚があり、そこから斜面が続いているのだという。


「……あの、シンイチ様。あれを、登るんですか?」

 セラフィナが真っ青な顔で見上げている。

「登る。ガルフ、頼めるか」

「おうよ。……大将、下がっててくれ」


 ガルフが『岩喰いのピッケル』を振りかぶり、氷壁に打ち込んだ。

 ガンッ、という乾いた音。刃先は氷を砕かず、そのまま深々と食い込んだ。彼が全体重をかけて揺すっても、柄は一分たりとも動かない。

「……嬢ちゃん、とんでもねえもん作りやがった」

 ガルフが感嘆の声を漏らした。

「普通のピッケルなら、この硬さの氷は砕けちまう。砕けたら支えにならねえ。だがこいつは、刺さって、噛んで、離さねえ。……坑夫が三十年悩んできた問題を、あの嬢ちゃんは図面だけで解きやがった」


 ガルフを先頭に、リリィ、ミオ、クロウが続く。三人の身軽さは、もはや人間の動きではなかった。

 俺とセラフィナは、上から下ろされた綱に体を預け、引き上げてもらう格好になった。

「セラフィナ。目を閉じていい」

「い、いえ! 見ます! こういうものは、見ておかないと、後で術式に応用できるかも……ひゃああああ!」

 悲鳴を上げながらも彼女は目を開け続けていた。この天然な魔導士の、そういうところは本当に強い。


 棚に登り切った俺たちの前に、それは現れた。

 斜面に半ば埋もれた、巨大な石組みの門。

 雪を払うと、精緻に切り出された石が、接合部の隙間もなくぴたりと組み合わさっているのが分かる。五百年の風雪を受けてなお、一つの石も緩んでいない。


「……こいつは」

 ガルフが、手袋を脱いで石肌に触れた。

「大将。この石積み、化け物だ。俺たちの技術じゃ、百年で崩れる」

「そして」

 俺は、門の内側を覗き込んだ。

「見てくれ。坑道の入り口が、内側から丁寧に塞がれた形跡がある。落盤で潰れたんじゃない。石を積み直して、封をしたんだ」

 俺の脳内で、【危機管理EX】ではなく、二十年分の職業的直感が働いた。

(……これは、慌てて逃げ出した現場じゃない。手順を踏んで畳んだ現場だ)


「シンイチ! ここ、隙間がある!」

 ミオが、門の左端で声を上げた。

 人一人がやっと通れる程度の、細い抜け道。だがその縁は、明らかに人の手で整えられていた。

「……誰かが、出入りしてる」

 ミオが低く言った。

「新しい足跡はない。でも、この磨り減り方。何百年も、同じ場所を、同じ人が通ってる」


 辺境に来てから第八十五日目の夕刻。

 俺たちは、五百年ぶりの侵入者として、坑道に足を踏み入れた。


 中は、外よりも遥かに静かだった。

 松明の光が届く範囲に、木製の支保工がずらりと並んでいる。腐ってはいない。この寒さと乾燥が、木を保存していたのだ。

「……信じられねえ」

 ガルフが、支保工の一本一本を撫でながら進む。

「見てくれ、大将。この組み方。全部、同じ寸法で、同じ角度だ。……坑道ってのは普通、掘りながら現場で合わせるもんだ。だがこいつは、最初から設計図があって、その通りに組んでる」

「そして、崩れそうな場所には後から補強が入っている。これは……定期点検の跡だ」

 俺は、その事実の重さを噛み締めていた。

 五百年、誰かがここを、たった一人で保守し続けている。


「……変だ」

 ミオが、耳をせわしなく動かしていた。

「魔物の匂いはする。古いのも新しいのも。……でも、死骸が一つもない。掃除されてる」

 クロウが唾を飲み込んだ。

「……姉御。それ、つまり」

「うん。誰かが毎日、片付けてる」


「シンイチ様。『魂の脈図』が、強く反応しています」

 セラフィナが、光を放つ地図を掲げた。

「この坑道の、さらに下。垂直に、かなり深い場所です。……脈が、心臓みたいに脈打っています」

「そこが『山の心臓』か」

「はい。ですが、そこへ至る道が……ひどく複雑です。分岐が、数え切れないほどあります」

(……迷宮化させてあるな。侵入者を迷わせるための設計か)


 辺境に来てから第八十六日目の朝。

 仮眠を取り、俺たちは坑道の奥へと下り始めた。

 残り、二日。


 異変は、三つ目の分岐を過ぎた辺りで起きた。

 先頭のミオが、突然足を止め、全身の毛を逆立てた。

「……来る。……大きい」


 次の瞬間、坑道の暗闇が、砕けた。

 白い塊が、四本の脚で坑道を埋め尽くすように迫ってくる。体長は五メートル近い。全身が透き通った氷で構成され、その内側で、何かがゆっくりと渦を巻いていた。目は、ない。

 通り過ぎた場所の空気が、音を立てて凍りついていく。


【警告。対象、極低温領域を展開。物理攻撃への耐性、極大。接触した時点で四肢の凍結、九割】


「霜喰いだ! 灰の里の連中が言ってた! 坑道に湧く氷の獣!」

 クロウが叫ぶ。


 俺は即座に判断を下した。

「セシリア、正面には出るな! 全員、後退しながら聞け!」

 仲間たちが、じりじりと下がる。

「あれは倒す相手じゃない。抜ける相手だ! 目的は突破であって討伐じゃない!」

 俺は坑道の天井を指した。


「ガルフ! この坑道で、一番脆いのはどこだ!」

「……あそこの支保工の三本目! 岩の目が斜めに入ってる!」

「よし。ミオ、クロウ、リリィ――囮だ。奴を三本目の真下まで誘い込め! 絶対に触れるな、距離を保て!」


「「「はいっ!」」」

「セラフィナ、あの支保工に、崩落を誘発できる術は!」

「で、できます! でも、私たちも生き埋めに……!」

「その計算も君がやってくれ。俺たちが退避できる幅を残して落とす。……できるか?」

 セラフィナが、大きく息を吸った。

「――やります! 使うのは初級の『重圧グラビティ』で足ります! 」


 彼女は『世界樹の心枝』を天井へ向け、詠唱を始めた。

 杖の先端から伸びた青白い光が、岩肌に複雑な幾何学模様を描いていく。

「地に還れ、天にあるもの。汝の重さを、我が指し示す一点へ――」


 セラフィナが詠唱している間に三人が、氷の獣の周囲を縫うように駆けた。

 リリィの速さ、ミオの気配の消し方、クロウの跳躍。三種の異なる俊敏さが、獣の意識を次々に引き回す。

 そして、獣が三本目の支保工の真下に入った。


「セラフィナ、今だ!」

「――『重圧グラビティ』ッ!」


 轟音。

 天井の岩が、計算された範囲だけを保って崩れ落ちた。

 氷の獣が、半分を岩に埋もれさせて、初めて動きを止める。


「今のうちに――」

 俺が号令をかけようとした、その時だった。


 瓦礫の下から、獣が起き上がろうとした。

 いや、起き上がった。数トンの岩を、氷の体で押し上げながら。


「なっ……!」

 セシリアが剣を構える。だが、その必要はなかった。


 闇の奥から、影が来た。

 背は低い。俺の胸ほどしかない。だが、その一歩ごとに坑道が揺れた。

 影は、無造作に、手にした巨大な鎚を振り上げ――そして、振り下ろした。


 音は、一度きりだった。

 五メートルの氷の獣が、頭から真下へ、粉々に砕けた。破片が坑道の壁に叩きつけられ、そして、静寂が戻る。


 誰も、動けなかった。

「……あの一撃」

 セシリアが、掠れた声で呟いた。剣を握る手が、わずかに震えている。

「私が全力で振るっても、あの氷は割れませんでした。……あれは、技でも魔力でもない。ただの、力です」


 影が、松明の光の中へ歩み出た。

 老いたドワーフだった。

 白いというより、灰色に近い髭が、腰まで届いている。皮膚は岩のようにひび割れ、そのひび割れの奥で、鉱脈のような何かが微かに光っていた。もはや生き物というより、山の一部だった。


 彼は、俺たちを一瞥もせず、砕けた氷の破片を鎚の柄で脇へ寄せた。

 まるで、掃除をするように。


 そして、こちらに背を向けたまま、低く言った。

「――去れ」


 声は、錆びていた。

 何十年も、言葉を発していない者の声だった。


「番人殿、と、お呼びしてよろしいか」

 俺が問うと、彼の動きが止まった。

「……我は番人。それ以外の名は持たぬ」

「名は」

「役目と共に、捨てた」


 俺は、懐からヘルガの金属片を取り出した。

「灰の里の長、ヘルガ殿から預かった。祖の言葉で『客人』と刻まれていると」

 番人は、初めて振り返った。

 その落ち窪んだ眼窩の奥に、確かに光があった。

 彼は金属片を長いあいだ見つめ、そして――


「……知らぬ」

 視線を、逸らした。

「客人など、ここにはおらぬ。五百年、一人も来なかった。……これからも、来ぬ」

 彼は、再び背を向けた。

「日が落ちる前に、山を下りろ。次は、助けぬ」


 その背中を、俺は見つめていた。

 五百年、たった一人で坑道を保守し、湧いた魔物を掃除し、誰も来ない門を守り続けた男。


(……ああ、そうか)

 俺の頭の中で、一つの図面が完成した。

(この人が拒んでいるのは、俺たちじゃない。……この人はまだ、『交代』を待っているんだ)


「シンイチ様。追いますか」

 セシリアが、緊張した面持ちで問う。

「いや。今日はここまでだ。少し下がって、野営の準備を頼む」

「よろしいのですか。残りは、二日しか」

「だからこそだ」

 俺は、羊皮紙を取り出して炭を握った。

「明日一日で交渉をまとめ、明後日の満月の夜に採取する。そこは動かせない。だが、今夜あの人を追いかけて、力ずくで押し通そうとした瞬間、この交渉は永久に終わる」

 俺は、まだ何も書かれていない羊皮紙を見つめた。

(……相手の要求が分からないまま、締切だけが迫っている。前の職場で、何度この状況に立たされたか)


 だが今回は、違う。

 彼が何を待っているのかは、もう分かった。

 問題は――五百年、誰も持ってこなかったものを、俺が明日、用意できるかどうかだ。


 残り、二日。

 俺は、凍りついた坑道の空気を、深く吸い込んだ。

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