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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第九章:凍てつく牙と山の心臓

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日報097:灰の里と竈の血

 辺境に来てから第八十四日目の夕方。

 丘の上から見下ろす集落の門は、固く閉ざされたままだった。槍を構えた男たちは、俺たちが動くまで一歩も動かないつもりらしい。


「セシリア。全員の武器を、そりの上にまとめてくれ」

「……よろしいのですか」

「ああ。あの距離で槍を向けているのは、脅しじゃない。本気で怯えているんだ。怯えた相手に刃物を見せても、話は前に進まない」

 俺は【交渉術S】が弾き出した結論を、そのまま口にした。

「それから、降りるのは俺とガルフの二人だけだ。六人で歩み寄れば、それは部隊の前進に見える」

「危険です」

「危険なのは、向こうも同じだ。互いに丸腰なら、少なくとも殺し合いにはならない」


 俺とガルフは、雪を踏んで丘を下った。

 近づくにつれ、門の前に並ぶ男たちの姿がはっきりしてくる。

 背は低い。だが肩幅と胸板が異様に厚く、毛皮の下から覗く腕は丸太のようだった。全員が、見事な髭を蓄えている。


(……人間の集落だと聞いていたが)

 俺の脳裏で、【危機管理EX】とは別の何かが小さく光った。


「止まれ!」

 先頭の若い男が槍の石突きで雪を打った。

「この先は我らの里だ。山に用のある余所者は、一人たりとも通さん」

「通してくれとは言っていない」

 俺が両手を広げて答えると、男が虚を突かれたように瞬きをした。

「……なんだと?」

「日没が近い。今夜、我々はあの丘の風下で野営させてもらう。あなた方の土地だ。黙って使うのは筋が通らないから、断りに来た。それだけだ」


 沈黙が落ちた。

 男は、俺の背後の丘に目をやり、それから俺に視線を戻した。

「……断り、だと」

「ああ。名乗りが遅れた。佐藤慎一。南の辺境で村の統治を任されている」

「……ドルグだ」

 若い男は、警戒を解かないまま、それでも名乗り返した。

 交渉の場では、相手が名乗った時点で半分は開いている。


 その時、俺の隣でガルフが低く唸った。

「……大将。あれを見な」

 彼が顎で示したのは、門の脇に立てかけられた道具だった。柄の長い鶴嘴と、刃先が独特の角度で反ったたがね

「あのたがね、俺は一度だけ見たことがある。鉱脈の目に沿って割るための、古い形だ。……今の鍛冶屋じゃ、あんな面倒な作り方はしねえ」

 ガルフは、槍を向けられているのも忘れたように前へ出た。

「なあ、あんた。あのたがね、まだ現役で使ってんのか? 目の詰まった岩に当てると、どのくらい保つ?」


 ドルグの表情が、初めて崩れた。

「……お前、坑夫か」

「元、だがな。二十年潜ってた」

「……あれは、三年に一度、火を入れ直せば十年保つ」

「十年!? 嘘だろ、うちのたがねは二年でへたるぞ!」

 ドルグの後ろで、槍を構えていた男の一人が、思わず笑った。

 張り詰めていた空気が、そこで確かに一段緩んだ。


 俺はその隙を逃さず、背負っていた袋から一本の瓶を取り出した。

 琥珀色の液体が、雪明かりを受けて鈍く光る。

(……エリナには「重量の無駄です」と最後まで渋られたが、押し切って積ませておいてよかった)


「野営の断りを入れに来て、手ぶらでは礼を欠く。我々の村の産物だ。受け取ってほしい」

「……酒か」

 ドルグが眉をひそめた。

「言っておくが、酒で門は開かんぞ」

「開けてくれとは言っていない。これは断りの品だ。飲んでも捨ててもらっても構わない」


 ドルグが瓶を受け取り、栓を抜いた。

 その瞬間だった。

 彼の動きが、完全に止まった。


「――待て」

 門の内側から、しわがれた、しかしよく通る声が響いた。

 軋みながら、門扉が人一人分だけ開く。

 現れたのは、腰の曲がった老女だった。背丈は俺の胸ほどしかない。だがその肩幅と、雪のように白い髪の下から俺を射抜く目は、間違いなく戦士のそれだった。


「……ヘルガ婆」

「その匂いを、どこで手に入れた」

 老女は、ドルグの手から瓶を奪い取り、鼻に近づけた。そして、大きく息を吸い込む。

 その皺だらけの手が、はっきりと震えた。


「……樽の香りがする。木の匂いが、酒の中まで染みておる。それに、この焦げたような甘み。……これは、生木の樽ではないな。内側を焼いた樽で、長く寝かせた酒だ」

「三十年物だ」

 俺が答えると、老女の目が見開かれた。

「三十年。……三十年、だと」


 彼女は、しばらく言葉を失っていた。

 やがて、震える声で、こう呟いた。

「……『竈の血』だ。我らの祖が造っていた酒に、匂いが似ておる」


 俺は静かに問うた。

「あなた方の、祖」

「……入りなさい」

 ヘルガと名乗った老女は、背を向けて門の中へ歩き出した。

「話は、火のそばで聞く。ここは、立ち話で人が死ぬ寒さだ」


 俺は丘の上に向かって手を上げた。仲間たちが、武器を橇に載せたまま雪を下りてくる。

 その列を見て、ドルグたちが再び身を硬くしたが、ヘルガが手で制した。

「客人だ。全員入れてやれ。……その狼の子らもだ」

 クロウが、面食らったように耳を立てた。銀狼族が人間の里へ招き入れられることなど、彼の生涯で一度もなかったのだろう。


 里の中は、想像とは違っていた。

 石造りの家々の中央に、大きな石組みの炉がある。その中で、赤い炭が静かに息をしていた。老人も子供も、みな背が低く、肩が厚い。

「シンイチ様、これ……!」

 炉に近づいたセラフィナが、小声で俺の袖を引いた。

「この炉、石が変です。あんなに小さな炭なのに、部屋全体が暖かい。……熱が、外へ逃げていないんです。石が熱を運んでいない」

(……氷炎石か。あれを炉に使うという発想は、村の誰も持っていなかったな)

 村の死蔵在庫だったあの石は、この地では数百年前から、生き延びるための石だったのだ。


「ここは『灰の里』」

 炉端に腰を下ろしたヘルガが、火掻き棒で炭をつついた。

「我らの仕事は、ただ一つ。この火を、絶やさぬことだ」


 彼女は、山を見上げた。

「数百年前、我らの祖はあの山に住んでいた。山の心臓を掘り、鍛え、そして酒を醸した。……だがある時、祖は山を下りた。理由は伝わっておらん。ただ、『心臓は誰にも渡さぬ』という誓いと、一人の番人を、山に残した」

 炉の火が、彼女の皺を深く刻む。

「以来、我らは山の麓で火を守り続けておる。鍛冶の技は半分残った。だが酒の技は、三代前に絶えた。麦は育たず、水は凍り、樽を焼く木も減った。……今の我らが造れるのは、喉を焼くだけの粗い蒸留酒よ」


 ヘルガは、そこで初めて瓶に口をつけた。

 ほんの一口。喉が鳴る音が、静かな炉端にやけに大きく響いた。

 そして彼女は、目を閉じたまま、動かなくなった。

 皺だらけの頬を、透明なものが一筋、伝って落ちていく。

「……婆様」

 ドルグが、慌てて腰を浮かせた。

「うるさい。灰が目に入っただけだ」

 誰も、それを信じなかった。


 俺は、頭の中で急速に組み上がっていく構図を、一つずつ確かめた。


「ヘルガ殿。一つ、確認させてほしい。あなた方は、我々を山に入れたくないのではなく、『心臓』に近づけたくないのですね」

「……その通りだ」

「そして、あなた方自身も、あの山には入れない」

 老女の手が止まった。

「……なぜ、そう思う」

「あなた方の道具は見事だ。だが、坑内で使い込まれた形跡がない。ガルフの見立てです」

 隣でガルフが小さく頷いた。

「番人は、あなた方の一族すら、通さないのでしょう」


 長い沈黙のあと、ヘルガが低く笑った。

「……余所者に、そこまで読まれるとはな」

「では、提案をさせてほしい」

 俺は、姿勢を正した。


「我々が欲しいのは、山の心臓のごく一部です。魔法の触媒として、それが必要になった。奪うつもりも、掘り尽くすつもりもない」

「渡せぬ、と言ったら」

「そこは番人殿と話します。それが筋だ」

 俺は、そこで一度言葉を切った。

「その上で、これはまったく別の話として聞いてください。――我々の村には、蒸留の技術がある。樽を焼く職人も、樽材も、麦も、水もある。そして、それを何十年分にも熟成させる技も」

 ヘルガの目が、動いた。

「……何が言いたい」

「三代前に絶えた技を、取り戻しませんか」


 炉端が、静まり返った。


「あなた方には、我々にない知識がある。山の気候、坑道の構造、そして――祖が『竈の血』をどう醸していたかの、口伝の断片。それがあるはずだ。我々には、技術と設備がある。どちらか一方では、失われた酒は戻らない」

 俺は、老女の目を真っ直ぐに見た。

「施しではありません。互いの持ち物を出し合う、共同事業の話です」


 ヘルガは長いあいだ、炉の火を見つめていた。

 やがて、ゆっくりと立ち上がる。

「……シンイチとやら。お前は、我らを憐れまなかった。門を叩き壊しもせず、山の心臓を寄越せとも言わず、我らが何を失ったかを見抜いた上で、手を組もうと言うか」

「はい」

「……ドルグ」

「へい、婆様」

「廃坑の入り口を、この者たちに教えてやれ」


 ドルグが、驚愕の声を上げた。

「婆様! しかし誓いが……!」

「誓いは『心臓を渡さぬ』ことだ。『道を教えぬ』とは、誰も言うておらん」

 ヘルガは、俺に向き直った。

「だが、これだけは言っておく。門から先は、我らの手は及ばぬ。山の誓いを継ぐ者は、我らの言葉すら聞かぬ。……あれは、我らが置き去りにしたものだからな」

 その声には、数百年分の後ろめたさが滲んでいた。


 辺境に来てから第八十五日目の朝。

 俺たちは、灰の里の門を背に、山へ向かって歩き出した。

 見送りに出たヘルガが、俺の手に古びた金属片を握らせる。表面に、見たこともない文字が刻まれていた。

「祖の言葉で『客人』と読む。……役に立つかは分からん。だが、手ぶらよりはましだろう」


 残り、三日。

 俺は白い斜面を見上げた。

(……最初の扉は、開いた。次は、五百年ぶりの来客だ)

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