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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第九章:凍てつく牙と山の心臓

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日報096:白い荒野と消えた予備日

 辺境に来てから第八十日目の朝。

 夜明け前の広場に、村の全員が集まっていた。

 そりが二台。積まれているのは食料と燃料、マリーの薬品箱、そしてフィリアとトランが作り上げた新装備。その脇に、俺、セシリア、リリィ、ミオ、セラフィナ、ガルフの六人が立っている。


「慎一おじさん! これ、おまもり!」

 リズが背伸びをして、俺の首に小さな革紐をかけた。先端には、世界樹の若木から落ちた葉が一枚、丁寧に縫い込まれている。

「ぜったい、ぜったい、帰ってきてね」

「ああ。約束する」

 彼女の頭を撫でると、その後ろで、フィリアが小さく口を開いた。

「……外套。破れたら、縫うより当て布。糸だと熱が逃げる」

「覚えておく」

 技術屋の最後の注意事項。それが彼女なりの「いってらっしゃい」だった。


「大将」

 橇の縁を最後に一撫でして、トランが顔を上げた。

「滑走部の下に、氷炎石の削りかすを混ぜた蝋を塗り込んどいた。雪が張りつかねえはずだ。……あと、留め具は全部、手袋のまま外せる形にしてある。極寒で素手を出したら終わりだからな」

「……そこまで考えてくれたのか」

「当たり前だろ。使うのは現場の人間だ」

 現場を知る職人の言葉が、これほど心強いものだとは。


「シンイチ様。予備の霊薬、橇の右側の箱に入れておきました。凍らせないでくださいね……!」

 マリーが眼鏡を押し上げながら念を押す。その隣でエリナが、いつも通り事務的な、しかし少し掠れた声で言った。

「物資は八日分。予備日一日を含めた計算です。……どうか、その一日を使い切らずにお戻りください」

(……それができれば苦労はしないんだがな)

 俺は、そう思いながらも頷いた。

 最後に、ヴァレリウスが完璧な礼で送り出す。

「ご武運を」


 東の空が白み始めた頃、俺たちは村を出た。


 辺境に来てから第八十一日目の昼。

 北へ向かう古道の分岐点で、三つの銀色の影が待っていた。

 ガエルが寄越してくれた、銀狼族の若い戦士たちだ。その先頭に立つ一人が、緊張しきった顔で俺の前に進み出る。


「……クロウだ。ガエル隊長の命で、シンイチ殿の道案内を務める。よろしく頼む」

 まだ二十歳そこそこだろうか。ミオより頭一つ大きいが、肩に力が入りすぎている。

「クロウ殿。こちらこそ、よろしく頼む。報酬と契約の条件は、ガエル殿を通じて伝えてある通りだ。何か聞いていないことがあれば、遠慮なく言ってほしい」

「……いや。……その、契約とか、報酬とか、そういうのを俺たちにきちんと言ってくる人間は、初めてだ」

 クロウが戸惑ったように耳を伏せた。

「ふん。だから言ったろ」

 ミオが、後輩の背中を遠慮なく叩いた。

「シンイチは、そういう奴なんだよ」


 その日の夕方から、景色が変わり始めた。

 枯れ草の丘が、まだらな雪原になる。吐く息が白く濁り、風が刃物のように頬を切り始めた。


「……あの、シンイチ様。私、正直に申し上げますと」

 セラフィナが、『陽炎の外套』の裾を握りしめながら、心底不思議そうな顔をしていた。

「これ、おかしくないですか? 外はこんなに寒いのに、中は昨日の村と同じ温度なんです。魔力反応もほとんどないのに。……理屈が分からないんですけど……」

「熱が逃げていないだけだ。君の体温が、外套の内側にそのまま溜まっている」

「え、じゃあ私、自分で温まってるんですか!?」

「そういうことになるな」

 セラフィナが、感動したように自分の腕を抱きしめた。


 辺境に来てから第八十二日目の午後。

 雪原の彼方に、ついにそれが見えた。

『凍てつく牙』。

 白い荒野の果てに、灰色の巨大な牙が何本も突き立っている。あまりに大きすぎて、距離感が壊れる。あと二日の行程だと分かっていても、手を伸ばせば届きそうに見えた。


 その光景に見とれていた俺の耳に、ガルフの舌打ちが届いた。

「……大将。よくねえな」

 彼は空を睨んでいた。西の空の低い位置に、鈍い灰色の帯が横たわっている。

「あれは風の壁だ。地面の雪ごと巻き上げてくる。坑道育ちの俺でも分かる。……一刻もしねえうちに来るぞ」

「シンイチ! 匂いも変わった! 風に、氷の粒が混じってる!」

 ミオが叫ぶのと、ほぼ同時だった。

 【危機管理EX】が、これまで沈黙していた警報を、けたたましく鳴らし始めた。


 選択肢は二つ。強行して距離を稼ぐか、止まるか。

 止まれば半日、いや、丸一日を失う。予備日は一日しかない。

 だが俺は、一秒も迷わなかった。


「全員停止! 進むのはここまでだ!」

「シンイチ様! まだ日は高いですよ。少しでも前に進みませんか!」

 リリィが叫ぶ。

「日は高くても、視界がゼロになれば我々は同じ場所を回り続けるだけだ。地吹雪の中で迷うのは、遅れるより悪い。行方不明になる」

 俺は即座に指示を飛ばした。

「ガルフ、橇を二台、風上に対してハの字に立てろ! 風除けの壁を作る! クロウ殿、雪の下の地面の固さを確認してくれ。柔らかい場所に陣を張ると、下から冷える! セシリアとリリィは荷の固縛! ミオは全員の位置の把握! セラフィナは――外套を全部繋いで、屋根を張れるか?」

「で、できます! 端を魔力で縫い合わせれば……!」


 風の壁が来た。

 視界が、本当に一瞬で白一色に染まった。轟音で隣の人間の声すら聞こえない。

 だが、俺たちはすでに、その中にいた。

 橇で組んだ壁と、外套で張った屋根。その中は、外の地獄が嘘のように静かだった。氷炎石の繊維が、六人分の体温を一切逃さず、閉じ込めている。


「……信じられません」

 セラフィナが、囁くように言った。

「外は、たぶん、生き物が数分で死ぬ寒さです。なのにここ、暖かい」

 誰も何も言わなかった。ただ、遠い村の工房で、炉の温度が足りないと怒鳴っていた寡黙な少女のことを、全員が思い浮かべていた。


 狭い陣の中で、クロウが落ち着かない様子で膝を抱えていた。

「……シンイチ殿。一つ、聞いてもいいか」

「どうぞ」

「あんた、風が来ると分かった瞬間に、止まると決めた。……普通、人間の隊は無理に進む。俺たちが案内した商人も、貴族の隊も、みんなそうだった。日が高いうちに少しでも、ってな。そして毎回、俺たちが探しに行く羽目になる」

 彼は、外套の縫い目をじっと見つめていた。

「なんで、あんたは止まれた?」

「損得を数えただけだ」

 俺は正直に答えた。

「進んで稼げるのは、せいぜい半日分の距離だ。だが迷えば、失うのは日数じゃなく人間だ。……取り返せるものと、取り返せないもの。天秤にかけるまでもない」

 クロウは、しばらく黙っていた。

「……兄貴が、あんたに惚れ込んだ理由が、少し分かった気がする」

「よせよせ。照れるだろ」

 ミオがにやにやしながら、後輩の耳を引っ張った。


 辺境に来てから第八十三日目の朝。

 風は、夜のうちに嘘のように止んでいた。

 雪に半分埋もれた陣を掘り出し、隊列を組み直した俺は、羊皮紙に炭を走らせた。


 ――地吹雪による停止:一日

 ――予備日:残り、ゼロ


 当初の計画では、今日には麓へ着いているはずだった。

「……予備日を、初日で使い切ったな」

 俺は、努めて淡々と告げた。

「これより先、一日の遅れも許されない。麓の集落での交渉、廃坑の特定、内部の探査。全て、一発で決める必要がある」

 仲間たちの顔が引き締まる。

「シンイチ様。……天候さえ良ければ」

 リリィが唇を噛んだ。

「いや」

 俺は首を振った。

「気に病むことはない。天候というのは、そもそも予備日一日で吸収できる代物じゃない」

(……これは俺の計画の瑕疵だ。だが、瑕疵を認めた上で、それでも間に合わせるのが、俺の仕事だ)


「クロウ殿。麓の集落まで、最短でどれだけかかる」

「……本来なら二日。だが、風の後の雪は締まって固い。橇の滑りが良くなる。……一日半で行ける」

「では、そこで半日取り戻す。全員、出発だ」


 辺境に来てから第八十四日目の夕方。

 クロウの見立ては正しかった。

 俺たちは半日を取り戻し、『凍てつく牙』の裾野に広がる、その集落を見下ろす丘の上に立っていた。

 石を積んで作られた低い家々。屋根には分厚い雪。煙突からは、細い煙がまっすぐに立ち上っている。人が、確かに生きている。


(……煙突の数は、二十と少し。世帯数もそのくらいか。人口はおそらく百人前後。この寒さの中で、それだけの人間が代々暮らし続けている)

 俺は目を細めた。

(畑はない。家畜小屋も見当たらない。ということは、あの集落の食料は狩猟か、あるいは外部との交易に依存している。……閉じているようで、閉じきってはいないはずだ)


 だが。

 集落の入り口には、丸太を組んだ頑丈な門が、固く閉ざされていた。

 そしてその前に、毛皮を着込んだ男たちが、槍の穂先をこちらへ向けて、無言で並んでいる。

 俺たちがまだ、丘の上にいるうちから。


「……歓迎されてはいねえな」

 ガルフが低く唸った。

 セシリアが剣の柄に手をかけるのを、俺は静かに手で制した。


(……ここまで来て、門前払いか。しかも納期は待ってくれない)

 俺は、凍てついた頬をゆっくりと動かし、笑みの形を作った。

(――閉ざされた扉は、こじ開けるものじゃない。向こうから開けたくなるようにするものだ。総務部長の、基本だな)


 北方遠征、最初の交渉が始まろうとしていた。

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