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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第十章 王命の査察と信頼の利回り

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127/129

日報127:三百台の捨て石と、四人の村

 辺境に来てから第百二十五日目の朝。

 板壁の隙間から差し込む光で目が覚めた。


 外へ出ると、ガルフがもう荷を解いて、槌と楔を地面に並べていた。


「早いな」

「眠れませんでした」


 彼は、楔の先を指の腹で確かめている。


「三十年掘ってきて、こんなに寝つけねえ朝は初めてでさ」


 奥の家のほうから、ミオが走ってきた。手にパンを二つ持っている。


「シンイチ。マルタさんが、食べてけって」

「もらったのか」

「もらった。……あと、あの子と話した」


「あの子」

「昨日、隅っこにいた子。ネルっていうんだって」


(……名前を、聞いていなかった。)


 俺は、パンを受け取ってから、奥の家へ回った。


 土間では、マルタさんが竈の前にしゃがんでいた。その後ろで、若い娘が鍋を抱えて立っている。歳は、十五か十六くらいだろうか。


「おはようございます」

「……もう出るのかい」

「山を、見せていただきに」


 俺は、そこで娘のほうへ体を向けた。


「昨日は、名乗りもせずに失礼しました。慎一と申します」


 娘が、鍋を抱えたまま固まった。


「……ネル、です」

「ネルさん。昨日の汁、ありがとうございました」


 彼女は、口を開けたまま、マルタさんのほうを見た。


「何を見てるんだい。礼を言われたら、どういたしまして、だろ」

「……どういたしまして」


 蚊の鳴くような声だった。


 マルタさんが、鍋の蓋を戻して立ち上がった。


「うちにはね、もう客に出す物がないんだよ」

「昨日、十分にいただきました」

「ただの豆だよ」

「いえ、丁寧な味でした」


 彼女は、鼻を鳴らして背を向けた。


「……ヘンドリックが、表で待ってるよ」


「旦那様は」

「まだ出てこないよ。……昨夜は、遅くまで灯りがついてた」


 坑口までの道は、谷の東の斜面を斜めに登っていく。


 ヘンドリックさんは杖を突いて、思ったよりしっかり歩いた。


「上りは、まだいけると言うたじゃろう」

「そう伺いましたね」

「下りは、あんた方に見られたくないがな」


 彼は、そこで短く笑った。


 道の脇に、朽ちた小屋がいくつか残っていた。屋根が落ちて、柱だけが立っている。


「あれは」

「番小屋じゃ。……昔は、あそこに人が詰めておった」


 彼は、杖の先で上のほうを指した。


「日に何度も、荷馬車が上がってきての。ここらは、朝から晩まで音がしとった」


「昨日、伯爵が仰っていました。坑道に入ったことがあるのは、もうあなただけだと」


 ヘンドリックさんは、少し歩いてから答えた。


「……二十年、掘っておった」


 前を歩いていたガルフが、足を止めた。


「坑夫でしたかい」

「もとはな」


 ヘンドリックさんは、杖の先で、道の上のほうを指した。


「あの坑口の中に、石段がある。水の滲むところでな。……そこで、踏み外した」


「それで」

「それきりじゃ。掘れん坑夫は、坑夫じゃない。……道具を返して、山を下りた」


 しばらく、杖の音だけがしていた。


「行くところがなくてな。ふもとで、日がな一日座っておった。……そこへ、旦那様が通りかかったんじゃ」


「拾われたのですか」

「木を切れるか、と聞かれた」


 彼は、そこで少し笑った。


「切れませんと答えた。……それでも、明日から来いと言われた」


 ガルフは、何も言わずに荷を担ぎ直した。


(……この人は、荷を取りに戻ってきたんじゃない。拾ってくれた人を、置いて行けなかったんだ。)


 半刻ほど登って、坑口の前に出た。


 黒い口が、斜面に横向きに開いている。木の枠が組んであるが、上の梁が真ん中で折れて垂れ下がっていた。


 その脇に、灰色の山が二つ。


 遠目には小さく見えていたが、近くに立つと、俺の背丈の三倍はあった。裾が広く、上のほうだけが日を受けて鈍く光っている。


 ガルフが、荷を下ろすのも忘れて、山のほうへ歩き出した。


「ガルフ」

「……へえ」

「上らないでくれ。崩れる」


 彼は、我に返ったように足を止めて、裾から一つ、拳ほどの石を拾い上げた。


 手の中で回して、爪で引っ掻いて、それから割れている面を日に当てる。


「……傷がつかねえ」


 彼は、平らなところにその石を置いて、周りに小枝を積み始めた。


 火が回るまでには、少し時間がかかった。ミオが枯れ草を運び、ヘンドリックさんが枝の組み方を直した。


「庭番は、焚き火が上手いんじゃ」

「助かります」


 石の片側だけが、炎に舐められていく。


 しばらくして、ガルフが枝を払った。


「慎一様。……手をかざしてみてくだせえ。上からだ」


 言われた通り、焼けているほうの上に手をかざすと。熱い。


「反対側は」


 俺は、火にかかっていない側に、指先だけ触れた。


 ――冷たい。


 同じ一つの石だ。指一本分も離れていない。それなのに、片方は触れないほど熱く、片方は朝の空気と同じ温度のままだった。


「ヘンドリックさん」

「なんじゃ」

「こちら側を、触ってみてください」


 彼は、疑うような顔で近づいてきて、それから指を伸ばした。


 その手が、止まった。


「……冷たいの」

「はい」

「焼いておるのに、か」


「そうです。焼いているのにです」


 彼は、しばらく自分の指を見ていた。


 ガルフが、楔を、焼けた側と冷えた側の境目に当てた。


「ラグナの嬢ちゃんの、見様見真似でさ」


 彼は、槌を軽く一度当てた。石は、割れなかった。


「……いけねえ。叩いちまった」


 俺は、口を挟まずに待った。


(……あの時、ラグナは槌を振っていない。)

(木槌の腹を、こつん、と押し当てただけだった。)


 ガルフは、しばらく楔の頭を見てから、そこに手の腹を添えて、ゆっくりと押し込んだ。


 ぱき、と乾いた音がした。


 石が、二つに割れていた。割れ口は、刃物で切ったように平らだ。灰色の面が、日を受けて鈍く光っている。


 ガルフは、その面を長いこと見ていた。


「……間違いねえです」

「氷炎石か」

「氷炎石でさ。うちの山のと、同じ石だ」


 彼は、割れた片方を持ち上げて、俺のほうへ差し出した。


「慎一様。……あんたの言った通りでした」


 俺は、その石を受け取った。まだ、片側だけが熱い。


(……言った通り、というのとは違うな。)

(うちですら、使い道が分からずに積んであった。だから他所でも同じだろう、と言っただけだ。)

(俺の見立てが当たったんじゃない。この山が、ずっとここにあっただけだ。)


「ガルフ。この山は、荷車でどれくらいある」


 彼は、二つの山を交互に見て、それから裾に沿って歩数を数えた。


「……手前のが、百五十。奥のが、二百は下らねえです」

「合わせて」

「三百五十。……ざっとでさ。掘り返せば、もっと出まさぁ」


 俺は、その数を頭の中で置き直した。


(……初めの一年で二十台。それで、十七年ある。)

(十七年分の仕事が、値打ちなしと言われて、ここに積んである。)


「坑道の方は?」

「入らねえ」


 ガルフは、即答した。


「枠が落ちてまさぁ。中の空気も分からねえ。……それに、入る必要がねえ。外に十七年分あるんだ。誰も命を賭けなくていい」


「そうだな」


 俺は、坑口の暗がりを見た。木の枠の向こうは、日が届いていない。


「ヘンドリックさん。ここは、塞いだほうがいいと思います」

「塞ぐ?」

「人が戻ってくれば、子どもが入ります」


 彼は、少し驚いた顔をして、それから頷いた。


「……そうじゃな。そうしよう」


 昼を過ぎてから、谷へ下りた。


 ヘンドリックさんの下りは、確かに見ていられなかった。ガルフが横につき、ミオが先に立って、足を置く場所を一つずつ指した。


 奥の家の前に、伯爵が立っていた。


 昨日と同じ上着だ。だが、待っていたのだと分かる立ち方だった。


「……いかがでしたか」


 俺は、荷から割れた石を出して、両手で渡した。


「思った通りでした」


 伯爵が、それを受け取った。両手で持って、割れ口を見て、それから裏返す。


「……冷たい」

「焼いた側は、まだ温かいはずです」


 彼は、両方を交互に触って、しばらく黙っていた。


「……これが、うちの山から」

「はい。坑口の脇に、荷車で三百台ほど積まれています」


「三百」

「うちが買うのは、初めの一年で二十台です。……十年買い続けても、まだ半分以上残ります」


 彼の手が、震えた。


「では、お返事を」

「いえ」


 俺は、そこで一度、頭を下げた。


「あと二日、そのまま置いてください」


「……なぜです」

「昨日、三日と申し上げましたので」


 伯爵が、言葉に詰まった。


「石はありましたから今すぐ決めてください、とやると、昨日申し上げたことが嘘になります」


 俺は、顔を上げた。


「それに、二日あれば、良いことばかりでなく、悪いことも思いつきます。……悪いほうを伺ってから始めたい」


「悪いほう、と仰いますと」

「私では気づかない話です。……この谷のことは、あなた方のほうがご存じですから」


 伯爵は、石を胸のあたりで抱えたまま、しばらく動かなかった。


 やがて、彼は小さな声で言った。


「……一つ、もう思いつきました」


「どうぞ」


「積む者が、おりません」


 俺は、その言葉を、そのまま受け止めた。


(……四人で三日、とヨナス殿は算えた。)


 この村に残っているのは、伯爵と、マルタさんと、ネルさんと、ヘンドリックさん。四人だ。

 そのうち一人は膝が悪く、一人は台所を回している。


「南へ出られた方々は」

「……戻りません」


 伯爵の声が、急に細くなった。


「私が、追い出したようなものですから」


 竈の煙が、屋根の上で細く揺れていた。

 俺は、その煙をしばらく見ていた。


「……悪い話ではありませんよ」


「え」


「人が足りない、というのは、仕事がある、ということです」


 伯爵が、顔を上げた。


「無い村には、足りないという言葉が出てきません。……昨日まで、この村はそちらでした」


 彼は、何か言おうとして、口を閉じた。

 そして、抱えた石を、両手で少し持ち上げた。


「……慎一殿」

「はい」


「昨日は、名乗れず失礼しました」


 俺は、そこで初めて、その事に気がついた。

 この人の事は、家名しか知らない事に。


「テオドールと申します。……テオドール・マルクス」


 彼は、言い終えてから、少し息を吐いた。


「名乗る資格がないと、思っておりましたので」


「テオドール殿」


 俺は、そう呼んでから、続けた。


「石を売るのは、家ではありません。人です。……名がないと、こちらは誰と約束したのか書けません」


「……書かれるのですか」

「はい。うちは、決めたことを必ず紙にします」


 彼は、しばらく黙ってから、小さく頷いた。


「では、そう書いてください」


 夕方、ミオが薪を抱えて戻ってきた。ネルさんが、その後ろから同じだけ抱えてついてくる。


 二人は、竈の脇に薪を積んでから、しばらく何か話していた。


 しばらくして、ミオだけが俺のところへ来た。


「シンイチ」

「どうした」

「あの子、南に兄さんがいるって」


 俺は、板から顔を上げた。


「先に出た十人の中に、か」

「うん。……手紙は書けないから、どこにいるか分かんないって」


「そうか」

「泣いてはなかったよ。……ただ、薪を割る手が止まってた」


 ミオは、それだけ言って、また竈のほうへ戻っていった。


 夜。

 貸してもらった家で、板を膝に載せて書いた。


 ――第百二十五日目。坑口の捨て石、氷炎石で確定。ガルフが割った。割れ口は平ら。焼いた側の反対は冷たいまま。

 ――量、荷車でおよそ三百五十台。初年二十台なら十七年分。坑道には入らない。外の山だけで足りる。

 ――坑道の枠が落ちている。塞ぐよう申し入れた。人が戻れば子どもが入る。

 ――伯爵に、思った通りだったと報告。返事は二日後のまま据え置いた。

 ――先方から一つ目の障害が出た。積む人手がない。この村に四人。うち一人は膝、一人は台所。

 ――ヘンドリック殿は、元は坑夫。この山の石段で足を痛め、伯爵に拾われて庭番になった。

 ――ネル殿の兄が、南へ出た十人の中にいる。

 ――伯爵は、テオドール・マルクス殿。昨日は名乗られなかった。


 最後に、もう一行だけ足した。


 ――南へ出た十人を、どうやって呼び戻すか。


 炭を置いて、灯を消した。


(……あの十人を連れ出したのは、名も知らない六人だ。)

(呼び戻すには、その六人が今どこにいるのかを、先に知らなければならない。)


 つまり、二日後にこちらから持ち出す話は、もう決まっていた。

 昨日はしないと言った、あの話だ。

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