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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第十章 王命の査察と信頼の利回り

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126/129

日報126:値打ちなしと言われて

 扉が開くまでに、少し間があった。


 出てきたのは、痩せた男だった。

 歳は五十の手前くらいだろうか。上着は仕立てのいいものだが、袖口が擦り切れていて、それを内側に折り込んで隠してある。髭は当たってあった。髪も梳いてある。


 人と会う支度だけは、していた人の顔だった。


「……客人と、伺いました」


 声は低く、こちらを見ていなかった。俺の胸のあたりで視線が止まっている。


 俺は、一歩下がって頭を下げた。


「突然に申し訳ありません。北の外れの村で領主をしております、慎一と申します」


「領主」


 その言葉に、彼の肩が小さく動いた。


「……ああ。あの、酒の」

「はい」


 俺は、そこで嘘をつかなかった。


 男は、それきり黙った。何か言うべきだと分かっていて、言葉が見つからない、という黙り方だった。


 マルタさんが、間に入った。


「旦那様。この方は、山の石を買いたいと仰るのです」

「石」

「捨ててある石を、買うと」


 伯爵は、ようやく顔を上げて、卓の上に置かれた板を見た。


「……これは?」

「うちの村で出た石です。……あの坑口の脇に積んであるのも、同じ物だと思っています」


 彼は、板に手を伸ばしかけて、途中で止めた。


「触っても」

「どうぞ。……そのために持ってきました」


 その言い方に、彼の指がわずかに震えた。

 板を持ち上げて、割れ口を光に当てて、しばらく黙って眺めていた。


「……あの山には、何もないと言われました」


「どなたに」

「債権者の、目利きに。……鉄も銅も掘り尽くしている、値打ちなし、と」


「鉄と銅が、と言われたのだと思います」


 伯爵が、顔を上げた。今度は、はっきり俺を見ていた。


「ガルフ」


 俺が呼ぶと、彼は帽子を取ってから前へ出た。


「三十年、山で食ってきた者でさ。……山ってのは、目当ての物の他にも石が出ます。売れねえ石は、坑道の外へ放る。掘った量の半分は、そうやって積まれます」


「半分」

「へえ。あそこの山も、上のほうだけ灰色に光ってた。……あれは、錆びない石だ」


 伯爵は、板を持ったまま、何度も瞬きをした。


「……錆びない」

「氷炎石といいます」

 俺は、そこで絵を広げた。


 トランの描いた図が、卓の上に開く。箱の外側と、内側を割った図。石の並びと、隅に噛ませた布まで描いてある。


「この石で囲った箱を作ります。朝に熱い湯を入れて蓋をすると、翌朝になっても、まだ温かい」


 伯爵の目が、絵の上を行ったり来たりした。


「……温かい」

「はい。冷たいものも、同じだけ保ちます」


「それが、何になるのですか」


 その聞き方は、皮肉ではなかった。本当に分からない、という顔をしていた。


「今、生の魚は港から半日しか運べません。王都では、十匹出して二匹残ればいいほうだそうです」


「……そう聞きます」


「その二匹に、八匹分の損が乗っています。だから一匹が、下働きの人のひと月の手当ほどになる」


 俺は、絵の端を指で押さえた。


「九匹残るようになれば、値は十分の一に下がります。値が下がれば、貴族だけでなく酒場が買う。町の家が買う。……その時に初めて、毎日荷が動くようになります」


 伯爵は、絵を見たまま動かなかった。


「その箱を作るのに、石が要ります。乾燥小屋にも、氷を貯める蔵にも要ります。……三棟や四棟では済みません」


「……いくら、要るのですか」


「初めの一年で、荷車二十台」


 彼が、初めて息を呑む音がした。


「値も決めてきました。荷車一台につき、銀貨五枚」


 部屋の空気が止まった。


 ヘンドリックが長椅子の上で身を起こし、マルタさんが竈のほうで手を止めた。土間の隅に立っていた若い娘が、口を押さえた。


「……五枚」

「はい」


「あの、石にですか」

「はい」


 伯爵の手から、板が滑りかけた。彼は慌ててそれを抱え直して、卓の上に戻した。


「……なぜ、そんなに」


 俺は、そこで正直に答えた。


「積んで運ぶのに、四人で三日。道が往復で六日。人の日当と、馬の飼葉と、荷車の傷み。……それだけで銀貨三枚かかると、うちの者が算えました」


「では、残りの二枚は」

「あなたの取り分です」


 伯爵が、口を開いたまま止まった。


「手間の分しか払わないと、あなたは働いても何も残らない。……何も残らない仕事は、続きません。うちは、十年買い続けたいので」


 その時、彼の顔が、はっきりと歪んだ。


 俺は、それを見ていた。喜びの顔ではなかった。もっと悪いものを飲み込もうとしている顔だった。


「……慎一殿」


 彼は、卓に両手をついた。


「あなたは、私が何をしたか、ご存じなのですか」


 部屋の全員が、こちらを見た。


(……向こうから言った。)


 俺は、逃げずに答えた。


「聞いています。すべてではありませんが」


「では、なぜ」


 伯爵の声が、かすれた。


「なぜ、値をつけるのですか。……私は、あなたの酒の名を汚した人間です」


「そうですね」


 俺は、否定しなかった。


「それでも、石の話をしに来ました」


「……分からない」

「分かりにくい話だと思います」


 俺は、一度息を整えてから続けた。


「一つ、先に申し上げておきます。……今日、その話はしません」


 伯爵が、顔を上げた。


「しない」

「はい。……順番を逆にしないためです」


 彼は、意味が取れないという顔をしていた。


「今この場で、あなたのなさったことの話を始めたとします。……そうすると、あなたはもう、石を売る以外に選べなくなる」


 部屋が、しんとした。


「断れば、こちらに何をされるか分からない。そう思いながら結ぶ約束は、取引ではありません。……脅しです」


「……脅し」


「私は、あなたと十年商売をしたい。脅して結んだ約束は、十年もちません」


 伯爵は、卓についた手を見ていた。指が、震えているのが分かった。


「先に、石の話を終わらせます。値も、量も、払い方も、こちらの言い分は全部お伝えしました。……その後で、別の日に、もう一度伺います」


「別の日に、何を」


「あなたがなさったことの話を、します」


 俺は、そこで初めて、少しだけ声を落とした。


「その時は、あなたが断れる立場でいてください。……断られたら、私は帰ります」


 誰も、何も言わなかった。

 竈の薪が一度爆ぜて、火の粉が上へ飛んだ。


「……慎一殿は」


 伯爵の声が、震えていた。


「……なぜ、そこまで面倒なことを」


「面倒なほうが、後で楽だからです」


 俺は、そう答えて、絵と板を卓の真ん中へ押した。


「それと、もう一つ。……今日、お返事はいりません」


「え」


「三日、置いてください」


 伯爵の目が、はっきりと泳いだ。


「……三日」

「はい。その間に、うちのガルフに山を見せていただきたい。あの捨て石が本当に氷炎石なのか、割ってみないと分かりません」


「もし、違ったら」

「違ったら、この話は無しです。……私は板を持って帰ります」


 俺は、彼の目を見た。


「本物だったら、三日後にもう一度、同じ話をしに伺います。その時に、お返事をください」


 伯爵は、しばらく黙っていた。


「……私に、選ばせるのですか」


「あなたの山です」


 俺は、そう言ってから、少し言葉を足した。


「私は、選べる形にして並べるだけです。……決めるのは、あなただ」


 その瞬間、彼の顔が崩れた。


 声を上げたわけではない。ただ、卓についた手の甲に、雫が一つ落ちて、そのまま動かなくなった。


 マルタさんが、竈のほうへ背を向けた。肩が震えていた。

 ヘンドリックは、天井を見上げていた。


 俺は、待った。

 急かす理由が、何一つなかった。


 やがて、伯爵が顔を上げた。目は赤かったが、視線は逸れなかった。


「……山を、見ていきなさい」


「よろしいのですか」

「私の山です。私が、見せると言っている」


 彼は、そこで初めて、自分の言葉で何かを決めた顔をした。


「明日の朝、案内をつけます。……この谷で、坑道に入ったことがあるのは、もうヘンドリックだけですが」


「わしでよければ、行く」

 長椅子から、そんな声が返ってきた。


「膝は」

「山道は、下りが辛いだけじゃ。上りは、まだいける」


 その夜は、空いていた家の一つを貸してもらった。

 埃を払って、藁を敷いて、三人で並んで横になった。


 ガルフは、横になってからも天井を見ていた。


「慎一様。……明日、割りますよ」

「頼む」

「もし違ってたら、俺は谷から出られませんな」


「そんなことはない」

「いや、出られませんて。……あんな顔をさせといて、違いましたじゃあ」


 俺は、暗い天井を見ながら答えた。


「違っていたら、違ったと言いに行く。……それが一番早い」


 ミオが、寝返りを打った。


「シンイチ」

「なんだ」

「あのおじさん、悪い人?」


 俺は、少し考えてから答えた。


「悪いことをした人だ。……悪い人かどうかは、まだ分からない」


「ふうん」


 彼女は、それだけ言って、すぐに寝息を立て始めた。


 俺は、板を膝に載せて、その日の分を書いた。


 ――第百二十四日目。廃村着。マルクス伯、当地に在り。使用人はマルタ殿と、下働きの娘一名。

 ――坑口の脇に捨て石の山二つ。上部が灰色に光る。ガルフの見立て、氷炎石の見込み。

 ――石の話のみを提示。荷車一台につき銀貨五枚、初年二十台。返事は三日後。

 ――偽造の件、先方から言及あり。こちらは受け止めたが、今日は話さないと伝えた。

 ――理由を伝えた。順番を逆にすると、相手が断れなくなる。それは取引ではない。

 ――明朝、坑口へ。案内はヘンドリック殿。伯爵の許しによる。


 最後に、もう一行だけ足した。


 ――あの人は、今日、自分で一つ決めた。


 炭を置いて、灯を消した。

 壁の隙間から、まだ細い煙の匂いがしていた。竈の火は、今夜も落とされていないらしい。

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