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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第十章 王命の査察と信頼の利回り

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125/129

日報125:竈の火と、奥の部屋

 辺境に来てから第百二十四日目の朝。

 丘を下りる前に、ヘンドリックが荷を担ぎ直して言った。


「わしが先に立とう」


「待ってください」


 俺は、少し考えてから続けた。


「あなたが先に立つと、あなたが我々を連れてきたことになります。……後で、あなたが責められるかもしれない」


 ヘンドリックは、俺の顔をしばらく見ていた。


「責める者は、もうおらんよ」

「まだ二人いる、と伺いましたが」


「……あの二人は、責めん」


 そう言って、彼は先に歩き出した。


「それに、わしが黙って後ろにおったら、マルタは戸を開けん。……あんた方には、開けんぞ」


 そこまで言われて、止める理由がなくなった。


 谷へ下りる道は、思ったより歩きやすかった。荷馬車が何度も通った跡が、そのまま道になっている。


 途中、ガルフが急に足を止めた。


 彼が見ていたのは、谷の東側だった。斜面の中腹に、黒い口のようなものが開いている。坑口だ。

 その脇に、灰色の山が二つ、盛り上がっていた。


「……慎一様」

 ガルフの声が、少し掠れていた。


「あるか」

「あそこまで、行っていいですかい」

「駄目だ」


 俺は、彼の肩を軽く叩いた。


「あれは、まだよそ様の山だ。……ここから見て、分かることだけ言ってくれ」


 ガルフは、その場にしゃがんで、目を細めた。


「……色が違いまさぁ」

「どう違う」

「捨て石の山ってのは、たいてい茶色っぽく錆びる。鉄が混じってるからだ。……あの山は、上のほうだけ灰色に光ってる」


「それは」

「氷炎石は、錆びません。……雨に打たれても、色が変わらねえ」


 俺は、その山をしばらく見ていた。


(……見に行きたい。走って行って、割ってみたい。)

(……だが、今日それをやったら、この後の話が全部だめになる。)


「今日は、見ない」

「へえ」

「先に、人に会う。……石は、逃げない」


 村に入った。


 家が十九棟。どれも壁の下のほうに苔が生えていて、屋根の稜線が波打っている。

 人の気配はなかった。戸が開けっ放しの家がいくつかあって、中には藁と、木の破片が散らばっている。


 その中で、一棟だけ様子の違う小屋があった。

 扉の脇に、空の瓶が箱ごと積まれている。地面には、こぼれた砂糖が雨に溶けた跡が白く残っていた。


「シンイチ。ここ、入る?」

 ミオが、扉の隙間を覗きながら聞いた。


「入らない」

「なんで。中に何かあるかもよ」


「あるだろうな。……だが、ここは人の家だ」


 俺は、そのまま通り過ぎた。


(……入って何かを見つけたら、それは黙って入って見つけた物になる。)

(そんな物は、どこへ持っていっても使えない。)


 谷の奥。

 煙は、一番奥の、他より少しだけ大きな家から上がっていた。


 ヘンドリックが、その戸を叩いた。


「わしじゃ」


 中で、何かが落ちた音がした。

 それから、戸が勢いよく開いた。


 白髪を短く刈った、背の低い女の人だった。腕まくりをしていて、手が濡れている。


「ヘンドリック」


 彼女は、俺たちには目もくれずに、まっすぐヘンドリックの前へ出た。


「なんで戻ってきたんだい」

「荷を、取りに」

「嘘をおつき」


 その一言で、ヘンドリックの肩が下がった。


「……足が、駄目でな」

「そうだろうさ」


 女の人は、彼の右膝を一度見て、それから彼の顔を見上げた。


「膝が悪いのに、あんたを歩かせたのかい。あの子らは」


 それには誰も答えなかった。


「……お入り。湯を沸かしてある」


 そこでようやく、彼女が俺たちのほうを向いた。

 目が、はっきりと固くなった。ミオを見て、一度止まった。


 俺は、五歩ほど手前で足を止めた。


「マルタさんでいらっしゃいますか」

「……そうだけど」


 用意していた言葉が、そこで宙に浮いた。

 水を一杯、と言うつもりだった。だが、今それを言うのは順番が違う。


「慎一と申します。ガルフと、ミオです」


 俺は、それだけ言って、ヘンドリックのほうを見た。


「この方の膝を、先に見てあげてください。……道の途中から担いできましたが、腫れが引いていません」


 マルタさんは、しばらく俺を見ていた。


「……あんた方が、担いできたのかい」

「うちの者が背負いました。私は荷を持っただけです」


「そうかい」


 彼女は、それだけ言って、家の中へ顎をしゃくった。


「入りなさいな。……立たせたまま話す気は、ないよ」


 中は、思ったより暖かかった。


 土間の奥に竈があって、火が細く保たれている。鍋が一つかかっていて、湯気が上がっていた。棚には器が並び、そのどれもが、きちんと同じ向きに伏せてある。


 ヘンドリックが長椅子に座らされ、マルタさんが濡れた布を彼の膝に当てた。


 その間、俺たちは土間に立っていた。座れ、とは言われなかったが、追い出されもしなかった。


 やがて、彼女が振り返った。


「……で。あんた方は、何をしに来たんだい」


「土地の話です」


 俺は、正直に言った。


「北の外れの村から来ました。この谷の土地を、うちが正式に借りたいと考えています」


「借りる」

「はい。王家の土地ですので、王都に願い出る形になります」


 マルタさんの手が、布を絞ったまま止まった。


「……つまり、わたしらに出ていけと」

「いいえ」


 俺は、すぐに答えた。


「そうしないために、先に来ました」


 彼女は、返事をしなかった。


「願い出れば、たぶん通ります。ここは王家の土地で、許しなく人が住んでいますから。……ですが、それをやると、あなた方は行き場をなくす」


「今さら、行き場も何も」

「あなたは、ここに残っておられます」


 その言葉に、彼女の眉が動いた。


「竈の火を落とさずに、残っておられる。……行き場がないから残ったのではなく、残ることを選ばれたんだと思います」


 しばらく、竈の薪が爆ぜる音だけがしていた。


「……よく回る口だね」

「そう言われます」


 その時、ミオが鍋のほうを見て、あっさりと言った。


「いい匂い。それ、なに入ってるの」

「豆と、干した菜っ葉だよ」

「へえ。……うちのより、いい匂いする」


 マルタさんが、初めて瞬きをした。


「……お食べ。あんた方も、まだなんだろう」

「いただきます」

 ミオが即答した。


 俺が止める間もなく、器が四つ並んだ。


 豆の汁は、薄かった。だが、塩の当て方が丁寧で、驚くほどうまかった。

 ガルフが、器を持ったまま唸った。


「……こりゃ、いい塩梅ですな」

「塩が少ないからね。……足りない時ほど、丁寧にやるしかないのさ」


 俺は、その言葉を聞いて、器を置いた。


「マルタさん。一つだけ、お尋ねしたいことがあります」


「なんだい」


「マルクス伯爵家の、当代の方はどちらにおられますか」


 空気が、はっきりと変わった。


 マルタさんが、布を置いて、こちらへ向き直った。目に、隠す気のない敵意があった。


「……何のために」


「借りるには、旧い権利を持っている家の同意が要ります。この谷の採掘権は、まだ伯爵家のものです。……ご本人の署名でないと、通りません」


「署名を、取りに来たのかい」

「はい」


 俺は、そこで嘘をつかなかった。


「ですが、それだけではありません」


「ほう」


「もう一つ、買いたい物があります」


 俺は、荷を解いた。

 藁と板に挟まれた包みから、氷炎石の板を一枚出して、竈のそばの卓に置いた。


 割れ口が、火明かりを鈍く返した。


「……石かい」

「はい。あの坑口の脇に、山になって積んであるものです。……値打ちなしと言われて、捨てられた石です」


 マルタさんは、しばらくそれを見ていた。


「そんな石を、どうするんだい」


 俺は、トランの描いた絵を広げて、その隣に置いた。


「これで囲った箱を作ります。朝に熱い湯を入れて蓋をすると、翌朝になっても、まだ温かい」


「……嘘をおつき」

「試しました。うちの村で、二つ並べて」


 俺は、紙のほうを指した。


「石を張っていない箱は、半刻でぬるくなりました。張ったほうは、丸一日と一晩、温かいままでした」


 彼女は、絵と板を交互に見ている。


「それが、何になるのさ」

「冷たいものも、同じだけ保ちます。……氷を入れれば、遠くまで運べる」


 そこで、俺は言葉を切った。


「まだ、氷では試していません。それはこの紙にも書いてあります」


 マルタさんは、絵から目を離して、俺を見た。


「……あんた、変な人だね」

「よく言われます」

「売り込みに来て、できてないことを先に言うのかい」


「言わずに始めると、後で困るのはこちらですから」


 彼女は、何か言いかけて、やめた。


「値も、決めてきました」


 俺は、そこで一つ息をついた。


「荷車一台につき、銀貨五枚。積んで、うちまで運んでいただいた分だけお支払いします。……初めの一年で、二十台ほど買いたい」


 鍋の湯気が、天井のほうへ細く上がっていた。


「……二十台」

「はい」


「あの、要らない石を」

「うちにとっては、要ります」


 マルタさんが、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 膝の上で、両手を組んで、そのまましばらく動かなかった。


 それから、彼女は奥の部屋のほうへ顔を向けた。

 土間の突き当たりに、閉じた扉がある。俺は、そこに部屋があることに、その時まで気づいていなかった。


「……マルタ」


 ヘンドリックが、小さな声で言った。


「よいのか」

「よくないよ」


 彼女は、そう答えてから立ち上がった。


「よくないけどね。……この人は、あの石を買うと言ったんだ」


 そして、扉に向かって声をかけた。


「旦那様。……お客様でございます」


 俺は、そこで初めて、この家の煙が誰のために焚かれていたのかを理解した。

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