日報118:値打ちなしの石と溶けない箱
辺境に来てから第百十七日目の朝。
日が昇りきる前に執務室へ入って、俺は昨夜の一行を見ていた。
――止め方ではなく、始まりを調べること。
(……伯爵に会うとして、手ぶらでは行けない。)
(交渉をしに行くにしても、こちらから出せる物が要る。……あの土地に何があるのかを、先に知っておかないと話にならない。)
ガルフを呼んだ。
「慎一様。お呼びで」
「北の廃村のことだ。……あそこの鉱山は、何を掘っていた」
ガルフは、腕を組んで少し考えた。
「あの辺は、鉄と銅のはずでさ。あのあたりは前の鉱山と同じ筋の山だ」
「掘り尽くしたと聞いている」
「へぇ、あの山は鉄と銅がいくら掘ってもでねぇと坑夫仲間の間じゃ有名な話です」
俺は、炭を止めた。
「……鉄と銅が、というのは」
「言葉の通りで。掘り尽くしたってのは、目当ての物が尽きたってことでさ」
彼は、机の上に指で丸を描いた。
「山には、目当て以外の石も出ます。売れねえ石は、坑道の外へ捨てる。……捨て石の山ってやつです」
(……そうか。)
「その捨て石は、どこに積む」
「坑口のすぐ脇でさ。遠くまで運ぶのは手間ですから」
「どれくらいの量になる」
「掘った量の、半分は出ますな」
俺は、思わず顔を上げた。
「半分か」
「鉱石ってのは、そういうもんです。……欲しい物だけが埋まってるわけじゃねえ」
「その捨て石には、何が混じっている」
「そりゃ、その山によりますが」
ガルフは、そこで言葉を切った。
「……同じ筋なら、うちで出る物と似たようなもんが出るはずでさ」
俺は、しばらく黙っていた。
「ガルフ。うちの倉庫にも、使い道が分からずに積んであった氷炎石があったな」
「ええ。俺が掘り当てて、そのまま置いといたやつだ」
「あれは、なぜ捨てなかった」
「硬いんで、割って捨てるのも面倒でしてね。へへ」
俺は、思わず笑った。
(……うちの村ですら、使い方が分からずに積んであったくらいだ。)
(同じ石を掘り当てた鉱山が、あそこだけ違う扱いをしたと考えるほうが、無理がある。)
「あの廃村にも、あるかもしれないな」
「あるでしょうな。……売れねえ石ですから、坑道の外に山になってるはずだ」
掘り直す必要もない、ということだ。地面に積んである。
だが、そこで詰まった。
「……それが、何になるかだ」
「と、言いますと」
「うちは乾燥小屋を一棟建てた。二棟目も建てる。灰の里にも一棟渡す約束だ。……だが、それで終わりだ」
俺は、指を折って数えた。
「三棟建てて、それで要らなくなる石を、わざわざ買いに行く話をしても、伯爵は動かない。……双方に旨味がないからだ」
ガルフは、頭を掻いた。
「そりゃまあ、そうですな」
(……足りないのは石じゃない。使い道のほうだ。)
(乾燥小屋以外に、あれを使う先がない。……それを見つけるまで、この話は前に進まない。)
昼前。
俺はエリナを呼んで、別の話をした。
「ひと月半後の刈り入れの段取りを、先に組んでおきたい」
「まだ、少し早いのでは」
「早いうちに考えておかないと、その日が近づいてからでは考える暇がない」
彼女は、素直に帳面を開いた。
「人手はジークと話がついている。……問題は、穫れた後だ。穫れた物は、どこに入れる」
「地下の穴蔵と、納屋でございます。あとは塩に漬けるか、干すか」
「入りきるか」
「……分かりかねます」
「分からない」
「これまでは、穫れる量が少のうございましたので。……穴蔵が埋まったことが、ございません」
(……そうか。この村は、余ったことがないんだ。)
「今年は、どうだ」
「ジークが畑を倍にしております。……去年の倍が穫れましたら、納屋には、とても」
「一番先に詰まるのは、どれだ」
「果実でございます。麦は粉にしてしまえば保ちますが、果実は数日で駄目になりますので」
「原酒の仕込みに回す分は、どうしている」
「穫れた日に、一度に仕込むようにしております。……そうしませんと、間に合いませんので」
彼女は、そこで少し言いにくそうに続けた。
「仕込みきれなかった分は、傷む前に村の者へ配ってしまいます。皆、喜んではおりますが」
俺は、その一行を書き留めた。
(……配っているというより、傷む前に手放しているだけだな。)
(喜ばれているうちは、誰も問題だと思わない。……今までは、それでよかった。今年からは違う。)
「置いておけたら、どうなる」
「……いつでも、仕込めます」
エリナは、当たり前のことを聞かれたという顔をして、それから自分の言葉を追いかけるように続けた。
「一度に仕込みますと、その日は蒸留器が空くのを待つ列ができます。……仕込みを分けられれば、同じ量でも、もっと楽に回るかと」
(……そうだ。置いておければ、作れる量が増えるだけじゃない。作れる日も増えるんだ。)
(前の会社でも、山と谷を均すだけで、同じ設備の稼働が二割上がった。)
「置いておける場所を、用意できないか」
「冷たい所に、ということでしょうか」
「そうだ。……夏に、冷たい所を作れるか」
彼女は、少し困った顔をした。
「冬の氷を穴蔵に積むことは、ございますが。……夏までは、保ちません」
「そうだな。暖かくなれば、氷は溶ける」
「……氷が、溶けなければよろしいのですが」
俺は、炭を置いた。
「……それだ」
「え」
「陽炎の外套だ。赤く焼けた鉄板の上に広げても、その上の氷が溶けなかった」
「湯を入れた革袋を包んだら、半刻経っても湯気が立っていた」
俺は、羊皮紙を引き寄せた。
「あれは、熱を通さないんじゃない。熱を運ばないんだ。……外の熱が中へ入らないし、中の冷たさも外へ出ない」
「では」
「氷炎石で囲った中に氷を積んでおけば、氷は、そう簡単には溶けない」
紙に、大きな四角を一つ描いた。
「まずは、蔵だな。……冬に切り出した氷を積んで、夏に使う」
言いながら、炭が止まった。
(蔵なら、村に一つあればいい。……それでは乾燥小屋三棟と同じで、石はいくらも要らない。あの山の捨て石を買いに行く理由には、まだ届かない。)
「慎一様?」
「……エリナ。蔵は建てる。だが、蔵だけだと冷たい場所が村に一箇所しかないことになる」
「一箇所では、いけませんか」
「そこまで運んで、そこから運び戻すことになる。……運んでいる間は、冷えていない」
俺は、大きな四角の隣に、大きさの違う四角をいくつか並べて描いた。
「一つは、家に置ける大きさにする。……人の背丈ほどの箱だ」
「私の背丈ほどの、箱でございますか」
「そうだ。果実も肉も乳も入る。……穴蔵まで下りずに済むし、家ごとに置ける」
エリナが、身を乗り出した。
「それでしたら、台所の脇に置けます。穴蔵は、雨の日は下りたくないと、皆申しますので」
「それと、もう一つ。……荷馬車に載る大きさの箱も作る」
「荷馬車に、でございますか」
(……王都まで、荷馬車で十日。俺自身が揺られてきた道だ。)
(あの十日を、中が冷えたまま走れたら――)
そこで、手が止まった。
(……いや、逆だ。)
(うちから王都へ出すのは、酒と樽だ。どちらも冷やす必要がない。……冷やさなければ運べない物は、この村にはない。)
俺は、紙の隅に、小さく波の線を引いた。
(……海にある。)
「エリナ。港から王都までは、何日かかる」
「……存じません。海のほうは、とんと」
「そうだな。……そこは、ヨナス殿だ」
(レオン殿の船が積んでくるのは、香辛料と銘木と南の酒だ。……どれも腐らない物ばかりだ。)
(船があって、港もある。それでも積めるのは腐らない物だけだ。……港に上がった魚は、港で食われて終わる。)
(……この荷馬車の箱は、うちが使う道具じゃないな。)
(うちが作って、よそに売る道具だ。……そして、いま一番欲しがるのは、船を持っている人だ。)
昼過ぎ。
俺は作業場に、ガルフとトランとラグナを集めた。エリナには、帳面を持って隅に座ってもらった。
「氷炎石で、箱を作りたい。……氷室ほどの大きさと、人の背丈ほどの大きさと、荷馬車に載る大きさだ」
ガルフが、真っ先に首を振った。
「あれは硬い。箱の形に揃えるってのは無茶ですぜ。……布に引いたやつだって、フィリアの嬢ちゃんが気の遠くなるほど手間をかけて、やっとでさ」
「乾燥小屋の壁は、どうやった」
「あれは、割れた塊を積んで、隙間に土を詰めただけでさ。……大きさを揃えて作ったんじゃねえです」
「あの……」
ラグナが、静かに口を挟んだ。
「氷炎石は、温度差があると、簡単に割れます」
「割れる」
「里では、そうやって大きさを揃えて乾燥小屋を組みます。……片側だけ火にあてて、冷えている側との境目に、そっと楔を入れるんです」
ガルフが、驚いた顔でラグナを見た。
「……強く叩いてもびくともしねえ石が、か」
「はい。強くやると、割れません」
「ラグナ。それは、うちの倉庫の石でもできるか」
「……同じ石なら、できると思います。試させてください」
「トラン。人の背丈ほどの木箱を二つ、作れるか」
「そんなもん、半日でできらぁ。……けど大将、二つ要るのかい」
「一つは、内側に割った氷炎石を張る。もう一つは張らない」
「……なんで、張らねえのを作るんで」
「比べるためだ。石を張った箱が長く保ったとして、それが石のおかげなのか、箱の作りが良かっただけなのか、一つだけでは分からない」
トランが、にやりと笑った。
「割って中を見るのと、同じ理屈か」
「そうだ。……失敗を、先に見つける」
「一つ、詰まっている。……今、村に氷がない」
「では、どうやってお試しになるのですか」
エリナが、炭を持ったまま聞いた。
「熱の逃げ方を測るのに、冷たいほうでなくてもいい。……湯でいい」
「湯、でございますか」
「同じ量の湯を入れた革袋を、二つの箱に一つずつ入れる。蓋を閉めて、半刻ごとに開けて、どちらがまだ温かいかを書く」
「今は、それでいい。……ちゃんと測る道具は後で作ればいいが、今回は効果があるか分かればいい」
「ガルフ。石は、どれくらい要る」
「箱の内側を全部となると、倉庫の山から荷車一台分ってとこですな」
「割るのに何日かかる」
「ラグナの嬢ちゃんのやり方が効くなら、二日ってところでしょう」
「張るのは、一日ありゃいい」
トランが、木の端を親指で弾いた。
「順番を決める。……先にやるのは、家に置く箱だ」
「三つの中で一番小さく、一番早くできる。……失敗しても、木箱一つと荷車一台分の石で済む」
「蔵は、建ててしまうと直せない」
「荷馬車の箱は、揺れる、傾く、雨に当たる。……確かめることが一番多い」
「うまくいったら、次は蔵だ。その次が、荷馬車の箱になる」
夜。
執務室に戻って、確かめたことを紙の右に、確かめていないことを左に書いた。左のほうが、ずっと長かった。
(……作る側の話ばかりしていた。買う側の話を、まだ誰にも聞いていない。)
(明日、ヨナス殿だ。……あの人は、物が売れる理由をいちばん近くで見てきた人だ。)
それから、ルナリア殿への書簡を書いた。
王家の土地を借りる手順のこと。旧権利者の同意のこと。そして、あの廃村に人が住んでいること。
書き終えて、封をして、束の上に置いた。
数えてみると、王都へ出す紙が七枚になっていた。ハンスたちへの指示書、レオンへの照会、ヨナス殿に書き出させた店の一覧。その上に、今日の一通。
(……ラルフが戻るまで、あと七日。)
(仕組みが詰まると、こういう形で溜まる。……目に見える場所に溜まっているだけ、まだましだ。)
日報の最後に、こう書いた。
――第百十七日目。北の廃村の鉱山、鉄と銅。目当てが尽きただけで、捨て石は残っている見込み。要確認。ガルフの見立て。
――刈り入れの貯蔵、今年は畑が倍。穴蔵が埋まった前例なし。果実が先に詰まる見込み。
――低温の貯蔵、試作に着手。木箱二つ、片方のみ氷炎石を内張り。湯で比較。記録はエリナ。
――氷炎石は温度差で割れる。灰の里の技。ラグナが実演を担当。三日で試作の見込み。
――試す順は、家に置く箱、氷の蔵、荷馬車の箱。理由は、小さいところで先に間違えるため。
――荷馬車の箱は、村で使う物ではなく売る物。港からの荷が本命。明朝ヨナス殿に照会。
炭を置いて、窓の外を見た。
(……伯爵に持っていくものは、まだ一つもない。)
(だが、探す場所は決まった。……あの人が値打ちなしと言われた山に、たぶんある。)
(値打ちがないと決めたのは、鉄と銅を欲しがった人たちだ。)
(……欲しい物が違えば、値打ちも違う。)




