日報116:五つの数字と空欄の一行
辺境に来てから第百十五日目の朝。
帳場へ回ると、ヨナスが羊皮紙を差し出してきた。
安酒と砂糖を大口で捌ける店が五軒。
「一晩で、ここまで」
「思い出すだけですから。……この二軒は北の門に近いです。荷を北へ出すなら、この辺りで積みます。他の門では市場を突っ切りますので」
(人の動きが分かっている仕事だ。彼をこの村に留めたのは良い判断だったかもしれないな。)
俺は、その二軒に印をつけた。
「助かります。……ただ、これを王都へ届ける手立てが今はない」
「飛脚便が、昨日出たばかりですね」
「ああ。戻るのは早くて十日後だ」
(……一人しかいない仕組みは、一度使ったら次が使えない。頭では分かっていたが、昨日作ったものが翌日に詰まるとは想定外だったな。)
俺は、その場でエリナを呼んだ。
「予備の六人の試験を、十日に一度から五日に一度に早める事はできないだろうか」
「ずいぶん、お急ぎですね」
「それだけ偽物の件は、緊急性が高い案件なんだ」
「かしこまりました。……ですが、五日に一度となりますと、畑作業に遅れが」
「そうだな。……少しジークに相談してくる」
そう言い畑へ回ると、ジークが苗床の覆いを外していた。
「慎一様! どうしました」
「頼みごとだ。飛脚便の予備に六人を借りているだろう。……あれを、五日に一度に増やしたい」
「五日に一度」
ジークは手を止めた。
「半日ずつなら、今は回りますぜ。種を蒔き終わって、次の草取りが来るまでは手が空くんで。……ただ」
彼は、畑の奥を指した。
「あの畝が色づいたら、そうはいきません。六人どころか、こっちが人を借りたいくらいです」
「いつ頃だ」
「ひと月半ってとこですかね。へへっ、俺の勘ですが」
「勘で十分だ」
俺は、それを書き留めた。
「ひと月半経ったら、俺から聞きに行く。……忘れていたら、遠慮なく怒鳴ってくれ」
「慎一様が忘れますかね」
「忘れるかもしれないだろ。だから書い二人でチェックするんだ」
ジークは、声を上げて笑った。
昼前。門の見張りが、丘のほうを指した。
ミオが帰ってきた。外套の裾が泥で重いが、足取りは軽い。
「ただいま」
「よく帰ってきた。……まず、それが一番だ」
「うん。ありがとう。それじゃ早速調べたことを報告するよ」
だが俺は彼女が懐へ手をやるのを止めた。
「その前に、昼飯だ」
「別にいいのに」
「よくない。……偵察中の四日間、まともに火を通した物を食べていないだろう」
ミオは目を丸くして、素直に腰を下ろした。
食い終わってから、折り目のついた羊皮紙が広げられた。依頼した五項目は全部埋まっていた。
一、建物は十九棟。うち、人が使っているのは四棟。
二、人は十三人。男が九、女が四。年格好は、四十より上が多い。若いのは二人。
三、荷馬車は二台。車輪の幅は、どちらも広い。
四、煙は朝と晩。それと、昼のあいだ、ずっと。
五、見張りは二人。立っているのは村の入り口じゃなくて、裏側の井戸の近く。
「……よく調べてくれた」
「言われた通りにしただけだよ」
執務室にセシリアとエリナ、ヨナスを呼び、五つの数字を上から読んでいった。
「まず三番。車輪の幅が広い」
俺は、その行を指でつついた。
「この馬車は山道用じゃないな。街道を走る荷馬車だ」
「では、古道は」
「うちの目を避ける時だけだろう。……普段は街道で、堂々と王都と行き来している」
「次に四番。昼も煙が出ている。……ヨナス殿これは、何をしている火だと思いますか」
「……おそらく砂糖の加工でしょう」
ヨナスは、はっきりと答えた。
「色をつけるのに、砂糖を焦がすはずです。あれは火から目が離せません。弱い火でずっと誰かが付いていないと、苦くなって使い物になりませんので」
「朝と晩は飯。昼は、砂糖か」
「はい。……あとは、瓶をすすぐ湯かと」
(……ヨナスが二日前に言った通りだ。あの場所は安酒と砂糖を混ぜて、詰め替える場所だ。)
「五番。見張りが二人、裏側の井戸のほうにいた」
「街道側の入り口ではなく……ですか」
セシリアが眉を寄せた。
「ミオ。その二人は、どっちを向いて立っていた」
「外。……村の外側」
「そっちに道は」
「あるよ。沢のほうへ下りる道。街道よりは遠回りになるけど、一応馬車も通る事は出来ると思う」
「街道から入る道もあるはずだが、そっちには誰も立てていなかった?」
「そうだね。私が見ている限りでは街道側には誰もいなかった」
「なら、この村の出入り口は普段裏手の井戸側だな」
俺は、その行に線を引いた。
「それは、人手が足りないのでは」
「そうじゃない。……立てないようにしているんだ」
部屋が静かになった。
「街道沿いに人が立っていれば、通りかかった誰かが気づく。人が居ると分かると何かで来てしまうかもしれないだろ?……だから、街道側はあえて空にしてある」
「そして、見えない側から出入りしている、と」
「そうだ。荷馬車も人も、街道から見えない道を通る。……あそこは街道から見れば、今も無人の村のままに見えるはずだ」
(……人手が足りないなりに、置く場所をちゃんと選んでいる。)
(隠し方を知っている人間が、あそこにいる。)
「二番に戻る。……若いのは二人、とあるが、いくつくらいだ」
「十四か、十五くらいかな。男の子と、女の子」
俺は、それを書き足した。
「金で人を集めたなら、こうはならない。……重い物を運んで、火の番をして、瓶を洗う仕事だ。人を選べるなら、まず若い男を集める」
「年寄りと子供を選ぶ理由がないという事でしょうか?」
「そうだ。四十より上が多くて、女が四人、子供が二人。……これは、選んだ結果の顔ぶれじゃない」
「では、あの十三人は」
「もともと一緒にいた人たちが、そのまま移った。……そう考えたほうが、つじつまが合う」
「一番も、同じことを言っている」
俺は、最初の行に戻った。
「十九棟あって、四棟。……人を増やしているなら、棟が一つずつ埋まっていくはずだ」
「だが、増やしていないから、四棟のままなんだ。……もともといた人数で、そのまま動いている」
「ヨナス殿。もう一つ、教えてください。……砂糖は、高級品でしょうか」
「白いものは薬種と同じ扱いで、貴族のお屋敷か高級菓子屋にしか回りません。……ですが、色づけに使うだけならば、もっと質の低く不純物も多い黒い物でも十分かと。それなら、庶民の台所にもございます」
「安くはないが、手は届く」
「そういうものかと」
(……なら、原価は賄える。安酒と、水と、黒い砂糖。十分の一の値でも、赤字にはならない。)
「荷馬車一台に、小瓶はどれくらい積めますか」
「割れぬように詰めますと、木箱で十五。一箱十二本として……百八十本ほどかと」
「二台で三百六十本。月に二度往復して、七百二十本になるかと」
俺は、その数を書いた。
「王都に出回っている偽物は、月にどれくらいだと思いますか」
「……はっきりとは。ですが、多くて二、三百かと。安い店にしか置いておりませんし」
「運べる力を、半分も使っていないんだな」
俺は、その数を丸で囲んだ。
(……値段は本物の十分の一。そこから砂糖代を引いて、瓶を洗う薪代を引いて、十三人を食わせる。)
(残りは、たかが知れている。……いや、月によっては、残らない。)
「エリナ。……マルクス伯爵は、破産している。破産した人に、元手が出せるか」
「……おそらく出せません」
エリナが、ゆっくり答えた。
「お屋敷も鉱山も、手放しています。残っているのは、掘り尽くした山の権利だけかと」
「そうだ。伯爵が出せたのは、場所と人だけだ」
「あの廃村は王家の土地で、伯爵家は採掘権を持っていただけだ。値打ちなしと札を貼られた土地だから、誰も取り立てに来ない。……ただで使える」
「働いている人は、行き場のなかった使用人」
「そして、給金は出ていない。食い扶持だけだろう」
「では、砂糖を買う金は」
「別の誰かが出している」
(……オズワルドだ。店の権利も家財も売り払って消えたということは、ある程度まとまった金を持って出たということだ。)
「その金は、増えないな。……財産を売っただけの金だ。使えば減る。……オズワルドは、先代から継いだ店を燃やしながら、これをやっている」
「では、放っておけば、いずれ尽きると」
「尽きる。……そのうち、勝手に潰れるだろうな」
「では、待つ手も」
「待てない」
俺は、丸で囲んだ数を見直した。
「いつ尽きるかが分からないからだ。ひと月かもしれないし、一年かも三年かもしれない。……その間ずっと、うちの名前で不味い酒が売られ続ける」
「向こうが倒れる頃には」
「森の雫の評価も、一緒に落ちている」
「そもそも、儲けるつもりなら、こんなやり方はしない」
「と、申しますと」
「荷馬車は半分しか使っていない。増やせば入るのに、やらない。……それに、中身だ」
「中身、でございますか」
「酒の評価に定評のある目利きが作っているのに、一口で分かるほど落としてある。……もう少しまともにして値を上げたほうが儲かるのに、それをやっていない」
(……儲けが目的なら、いくら廃業したとはいえ元商人がこんな下手を打つはずがない。)
(だが、目的が別なら、話は変わる。)
「ヨナス殿。……あれを飲んだ人は、なんと言っていましたか」
「……『森の雫ってのは、あんなもんか』と」
それで、はっきりした。
「利益じゃない」
俺は、炭を置いた。
「あれは、飲ませるために作られている。……一人でも多くの口に、森の雫の名前で」
「なぜ、そのようなことを」
「うちの酒の評判を落とすためだ。……本物を飲んだことのない人があれを飲んで、それを『森の雫』の味だと覚える。そして二度と、本物を買わない」
誰も、しばらく口をきかなかった。
(……まずいな。手が一つ、使えなくなった。)
(番号を振って、面倒にして、割に合わなくすれば手を引く。儲けたい相手なら、儲からなくしてやればいいと思っていた。)
(だが、今回は違う。私怨により、こちらの評判を落としにきている。……しかも、自分が潰れても構わないと思うほどに。)
(昨日、俺はエリナに言った言葉を思い出していた。怒りは、こっちが冷めれば終わる、恨みは晴らすまで終わらないと。)
俺はヴァレリウスが二日前に置いていった紙束に手を伸ばし、それから止めた。
照らし合わせれば、あの十三人が誰かは分かる。だが、今から呼びつけて、夜中に一人で十二年を読み直させるのは酷だ。
「ミオ。人の顔を、覚えているうちに書き留めてくれ」
「今から?」
「今からだ。名前を決めるのは明日でいい。……今日やるのは、見たものを紙に移すことだけだ」
俺は、白紙を渡した。
「見たことは、時間が経つほど薄くなる。」
「……なるほどね」
左手の指が二本ない男。白髪を短く刈った、背の低い女。十四、五の男の子と女の子。膝の悪い年寄りが一人。
ミオは思い出しながら、ゆっくりと書いていった。
(……明日、この紙に名前がつくかもしれない。)
(つかなければいい、と少しだけ思っている。……知らない誰かなら、ヴァレリウスもまだ楽だとおもう。)
夜。
日誌を書いていると、扉が叩かれた。ミオだった。もう休んだはずの時刻だ。
「シンイチ。……一つだけ、書かなかったことがある」
「なんだろうか」
彼女は、珍しく言いにくそうにしていた。
「三日目の夕方に、水汲みの一人と目が合った気がする」
「……気がする」
「うん。向こうはすぐ、よそを向いた。……だから、たぶん見てないはず」
「なぜ、紙に書かなかった」
「だって、気がする、だもん」
「慎一が言ったんだよ。分からなかったものは、空欄のままでいいって。分からないことを埋めると、後で全部が疑わしくなるって」
俺は、自分の言葉に殴られた気がした。
(……そうだ。俺がそう言った。数字を守らせるつもりで、数字にならないものを捨てさせていた。)
「ミオ。指示を一つ直す」
俺は、炭を取った。
「分からないもの、空欄でいい。……だが、『気になる事』は書いてくれ。欄を分ける。数えたことと、感じたことを、別の場所に」
「怒らないの」
「怒るわけがない。……悪いのは、俺だ」
彼女は、少しだけ目を細めて笑った。
「じゃあ、次から書く」
彼女が出ていってから、日報の最後にこう書いた。
――第百十五日目。北の廃村、実地確認。建物十九、うち使用四。人十三、荷馬車二。
――出入りは井戸側の道。街道側は人を置かず、無人に見せている。
――元手は伯爵にあらず。別に出した者あり。その金は有限だが、尽きるのを待てぬ。
――偽造の目的は利得にあらず。当村の酒の評判を落とすことと判断。
――人相の書き取りを実施。名の照合は明朝、ヴァレリウス同席。
――偵察者より、発見された可能性の申告あり。以後、報告の欄を「数えたこと」と「感じたこと」に分ける。
炭を置いて、窓の外を見た。
北の空には、まだ何も見えない。
(……数字は、正しかった。ミオは、頼んだ通りに数えてきた。)
(だが、一番大事なことは、数字の外にあった。……三日も前に。)




