日報115:二往復の試験と消えた酒屋
辺境に来てから第百十四日目の朝。
広場に、七人が集まっていた。
「馬に乗れる人に、集まってもらった」
集まった顔を見渡す。若い男が四人、女が三人。ジークの下で畑作業をしている者が多い。
「村と王都の間を、書状だけを持って走る役を作りたい。宿場で馬を替えて、一人で駆け通す。……ただし、今日決めるのは一人だけだ」
「シンイチ様! 私が行きます!」
手を挙げたのは、輪の外にいたリリィだった。
「気持ちはありがたい。だが、君は駄目だ」
「なぜですか! 私、馬なら村で二番目に上手いです!」
「そうかもしれない、でも……君は、村を守る側の人だからだ」
「ですが、書状は大事なお役目では」
「大事だ。だが、君が十日いない間に村で何かあったら、その書状に意味がなくなる」
彼女は不満そうに頬を膨らませたが、それ以上は言わなかった。
「これから、試験をする」
「丘の向こうの水場まで、馬で往復してもらう。それを、二度」
「……ただし、速いだけが勝負じゃない」
「速さを、競わないので?」
「見るのは、君たちの速さだけじゃない。……二度目に戻った時、馬の疲れ具合も見る」
「馬の、ですか」
「今回の仕事は常に同じ速度での移動が求められる。……一度だけ飛ばせる人ではなく、何度でも同じ速さで戻ってこられるかが重要なんだ」
(……前の会社の採用面接でも、同じことを考えていたな。一発の見栄えより、来月も同じ品質で出せるかどうかが重要だった。)
昼前に、結果が出た。一度目で一番速かった若者は、二度目に馬が言うことを聞かなくなった。二番手の男は、馬が汗だくで戻ってきた。
選ばれたのは、ラルフという十七の若者だった。
一度目は四番目。二度目は三番目。差は、ほとんどなかった。
「ラルフ。……悔しいか」
「え?」
「一番になれなかったことだ」
彼は、馬の首を撫でながら、首を横に振った。
「いえ。俺、乗るのは上手くねえんです。……ただ、馬を急かすのだけは、嫌なんで」
選ばれなかった六人が、馬を引いたまま黙っていた。
「言っておくが、今日外れた人は、駄目だったわけじゃない」
「けど、俺、二度目で馬を疲れさせちまいました」
「それはそうさ、疲れない走らせ方を、誰も教えていないんだからな」
俺は、名簿の羊皮紙を広げた。
「今回参加した七人の名前は、全員残す。ラルフが動けない日や、二通同時に出す日も来る」
「明日から、六人で同じ試験を続けてくれ。十日に一度でいい。……落ち幅が小さくなった人から、二人目、三人目の飛脚便として活躍して欲しい」
「ラルフ、まずは君に頼みたい。……これは、村と王都を繋ぐ大切な仕事だ」
「お、俺なんかが、そんな」
「馬を大事にする、君だから頼んでいる」
俺は、封をした紙と、綴じたての帳面を渡した。
「一つだけ約束してほしい。無理をして馬か君が倒れたら、書状は届かない。……きつい日は、宿場で一晩休んでいい。遅れた分を、俺は責めない」
「……いいんですか、それで」
「その代わり、休んだ日は必ず書いてくれ。何日目に、どこで、なぜ休んだか。……宿場で替えた馬の様子もだ」
俺は、少し笑った。
「それがあれば、次の人がもっと楽に走れる」
「あと、宿場で馬を替える時は、着いた刻と出た刻を書いてくれ。……手間取っているなら、それは君のせいじゃなく、宿場の置き方が悪い」
「……刻を、書くだけでいいんですか」
「それだけでいい。書いてあれば、直すのはこっちの仕事だ」
「はい! わかりました!」
昼過ぎ、ラルフは馬で村を出ていった。
ラルフに持たせたのは、三行の紙と、宿代と、記録帳だけだ。
見送りながら、エリナが小さく言った。
「……何かを送り出すのに、荷が軽いというのは、不思議な感じがしますね」
「そうだな。……だが、あれが村の血の巡りになる」
その足で、乾燥小屋へ回った。
トランが、割った木の断面を親指で押している。
「十五日目だ、大将。……外は乾いてる。中が、追いついてねえ。この棚だけ、五日延ばしてえ」
「延ばしてくれ。……生乾きで樽を組んだら、酒に渋みが出る。そっちのほうが高くつく」
「悪いな。予定が狂う」
「狂ったんじゃない。……割ったから、狂う前に分かっただけだ」
工房では、フィリアが二つ目の欠片を削っていた。台座に嵌まる形まで、あと二日だという。
(……ミスリルは進んでいる。だが、南のまどろみの森も、東の常闇苔も、まだ手つかずだ。)
(レオンの締切が分かるのは、早くて十六日後。……それから南へ発つのでは、)
そこで、背中が冷えた。
(……遅い。締切を知った日から人を選んで、荷を作って、道を調べる。それだけで十日は消える。)
「セラフィナ。南へ行く支度を、紙の上だけ先に組んでおいてくれ」
「まだ、日取りも決まっておりませんが」
「決まってからでは遅い。……誰が行くか、何を持つか、何日かかるか。そこまででいい」
「なるほど。……いつでも出られる形に、しておくのですね」
「そうだ。締切が来てから慌てるのは、たいてい支度をしていない側だ」
午後。
帳場へ回り、ヨナスの向かいに腰を下ろした。
「ヨナス殿。一つ、教えてほしいことがあります」
「はい」
「王都で、酒の味が分かる人間というのは、どれくらいいますか」
「商会の中でしたら、番頭と仕入れ方の二人。……レオン様は別格です。一口で熟成年数の違いまで言い当てられます」
「商会の外では」
「……一人、おりました」
「オズワルド、という男です。王都で一番古い酒屋の主人でした。……先代からの店で、貴族の屋敷にも卸していました」
「でした、というのは」
「店を、畳みました」
「うちの商会が『森の雫』を扱い始めて、ひと月ももちませんでした。……王都内の注文が、根こそぎこちらへ流れましたので」
(……そうか。うちの酒が、あの人の店を潰したのか。)
「慎一様。……商売ですから」
「うちが扱わなくても、いずれ誰かが同じことをしました」
「そうだな。……ただ、それで済ませると、俺は次も同じことをする」
「うちが王都に酒を入れた時、誰が困るかを、俺は一度も数えなかった。……売り先のことばかり考えていた」
(……前の会社でも、新製品が出るたびに、地方の小さな工場が一つずつ消えていた。俺はそれを、月次の資料の数字として見ていただけだ。)
「その人は、酒の目利きができる」
「はい。……たぶん、王都で一番」
「うちの酒も、飲んだことがある」
「もちろんです。あの日のパーティにも参加されていましたから」
「そして、うちに恨みがある」
そこまで言って、口をつぐんだ。
(……三つ揃った。伯爵に足りなかったものが、全部この人にある。)
「ヨナス殿。オズワルド殿は、今どこに」
彼は、しばらく黙ってから、つらそうな顔で言った。
「……店を畳んで、しばらくして、王都から消えました」
「消えた」
「店の権利も家財も売り払って、行き先も言わずに。……賭場の連中の間では、首をくくったんじゃないかという話まであるほどでした」
「それは、いつごろの話ですか」
「はっきりとは。……ただ、偽物が出回り始めるより、前です」
炭を握った手が、机の上で止まった。
(……消えてから、偽物が並ぶまでに、しばらく間がある。)
(その間、どこで何をしていた。……いや、誰と会っていた。)
夕刻。
セシリアとエリナを呼び、ヴァレリウスの書いた束を机に広げた。
「この中に、酒屋の名前はあるか」
三人で、出入りの商人の欄を追った。
あった。
破産の前まで、屋敷へ酒を納めていた店の名。その主人が、オズワルドだった。
「……繋がってしまいましたね」
セシリアが、静かに言った。
「伯爵と、目利きが、元は客と店だ」
「片方は屋敷を失って、片方は店を失った。……失った者同士は、よく手を組む」
「では、どういたしましょう」
「先に、やらないことを決める。……オズワルドを、人手で探すのはやめる」
「王都で消えた人間を、うちの人数で見つけるのは無理だ。……人は、隠れられる」
「今夜のうちに、三つ動かす」
「一つ。人ではなく、物を追う。……安酒と、砂糖だ」
「買った先を、当たるので?」
「買った先は恐らく分からないだろう。名前は偽れる。……だが、値は偽れない」
「値、でございますか」
「誰かが安酒と砂糖を、毎月まとめて買い続けている。……なら、その二つは値が上がっているはずだ」
「売り手が『最近よく出るな』と思った時点で、値札が動く」
「……買った人が分からなくても、買われたことは分かる、と」
「そうだ。人は名前を隠せるが、相場は隠せない」
「ヨナス殿に、安酒と砂糖の値を、ふた月前から辿ってもらう。上がっていれば、それを大口で捌いた店を書き出す。……荷をどの門から出したかもだ。北の門から出ているなら、話が繋がる」
「二つ。ミオの持ち帰る数字と、ヴァレリウスの書いた使用人の名を突き合わせる。……廃村にあの屋敷の者がいるなら、人を集めたのは伯爵側だ」
「三つ目は」
「店を畳んだ時の記録を、ハンスとゲオルグに当たらせる。権利を誰が買ったか、家財を誰が引き取ったか。……人は消えられるが、売った物は消えないからな」
セシリアが、わずかに首を傾げた。
「これで相手を潰すのですか?」
「潰すのは、最後の手だ」
「オズワルドは、腕のいい目利きだ。……その腕を、偽物にしか使えなくしたのは、こっちの商売でもある」
エリナが、炭を持つ手を止めた。
「……慎一様は、あの方を、お恨みではないのですか」
「恨むほどのことは、されていないな」
「うちの名前でまずい酒を売られているんだ。腹は立っている。……ただ、それは怒っているだけで、恨みとは違う」
「怒りなら、こちらが冷静になれば終わる。だが恨みは違う。恨みは晴らすまで終わらない。」
「それに、本当に腕のいい目利きなら、このまま腐らせてしまうのはもったいないだろ」
「もったいない。……ですか」
エリナはびっくりした様な顔でこちらを見ていた。
「ああ、そうさ」
そういい、俺は窓の外をみた。
外は、もう暗くなっていた。
北の空には、まだ何も動いていない。ミオが帰るのは、早ければ明日だ。
(――北だ。)
(人がいなくて、誰にも見られなくて、水がある場所。……行き場を失った目利きが身を寄せるには、十分すぎる。)
俺は、日報の最後にこう書いた。
――第百十四日目。飛脚便、初便発。走者ラルフ。予備の走者、六名を継続育成。
――乾燥棚一列、五日延長。南行きの支度、紙の上で先に着手。
――安酒と砂糖の値、ふた月前より照会。
――酒の目利き、一名特定。オズワルド。元・王都の酒商。伯爵家の出入り商人。
――当村の進出により廃業。その後、王都より行方知れず。
最後の一行を書く時、炭が少し止まった。
(……この一行は、こちらの落ち度だ。)
(伯爵は金を出した。オズワルドは絵を描いた。……だが、そこへ人を追い込んだのは、たぶん、俺たちの商売だ。)




