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【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第十章 王命の査察と信頼の利回り

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114/129

日報114:残す判断と飲めない伯爵

 辺境に来てから第百十三日目の朝。

 ろくに眠れないまま、俺は日の出前に執務室へ入った。


 昨夜、ヴァレリウスが言った二つの理由を、何度も裏返して考えた。

 一つ目は正しい。彼が横にいれば、こちらの紙は濁る。

 問題は、二つ目のほうだった。


(……「分かりません」と言った人間を、外すべきなのか。)

(前の会社なら、外した。危ないからだ。……だが、あの人は自分から言いに来た。危ないと分かっている人間は、たいてい危なくない。)

(本当に危ないのは、「大丈夫です」と言って現場に立つ人だ。)


 答えは、そこで出た。


 朝食の前に、俺はヴァレリウスを呼んだ。

 彼は、昨夜と同じ顔で立っていた。眠っていないのは、こちらも同じらしい。


「返事をする。……外さない」

 彼の眉が、わずかに動いた。

「慎一様。ですが」

「最後まで聞いてほしい」

 俺は、手のひらを向けて彼を止めた。


「一つ目の理由は、その通りだ。だから、君を現場には出さない。廃村にも、伯爵の前にも、君は行かない。……そこは君の言う通りにする」

「では」

「二つ目は、断る」


 俺は、彼の目を見た。


「『分かりません』と言える人を、俺は外さない。……危ないと分かっている人は、たいてい危なくないからだ」

「……」

「本当に危ないのは、『自分は大丈夫です』と言って現場に立つ人だ。そういう人ほど、後で取り返しのつかないことをする」


 ヴァレリウスは、何も言わなかった。

 だが、握られていた両手が、少しだけ緩んだ。


「その上で、君に頼みたい仕事がある」

 俺は、羊皮紙を差し出した。

「伯爵家のことを、知っている限り全部書き出してほしい」

「……内情を、でありますか」

「そうだ。屋敷の場所、使用人の数、出入りしていた商人、破産までの経緯。……それと、伯爵という人が、どういう人だったか」


「私怨が混じります」

「混じっていい」

 俺は、はっきり言った。

「混じったものを、俺が読んで、外側だけを使う。……君は、思ったことを全部書いてくれ。取捨は俺の仕事だ」


 彼は、しばらく羊皮紙を見つめていた。

 やがて、深く腰を折った。


「――承知いたしました」

「それと、もう一つ」

「はっ」

「いずれ、君が伯爵の前に立つかどうかを決める日が来る。その時、決めるのは俺だ。……君は、決めなくていい」


 ヴァレリウスが、初めて顔を上げた。

 その目が、赤かった。


「……申し訳ございません」

「謝ることじゃない。……君は、自分の弱いところを先に申告した。それは、報告としては上等な部類だ」


 彼が出ていった後、俺は窓から工房のほうを見た。

 ヴァレリウスは、訓練場の隅に腰を下ろして、膝の上で書き始めていた。背筋を伸ばしたまま、一文字ずつ、ゆっくりと。


(……あの人は、書きながら十二年を思い出すことになる。楽な仕事じゃないな。)

(だが、思い出さずに済ませたら、たぶんもっと悪い形で出てくる。)


 午前のうちに、俺は乾燥小屋へ回った。

 ラグナが、棚の札を一枚ずつ確かめている。フィリアが横で、数字を書き取っていた。


「上の段は、どうだ」

「まだ湿ってます。……下は、乾きすぎ」

 ラグナは、木の断面を指でなぞった。

「里の小屋は、もっと低かったんです。だから、こんなに差が出なかったんだと思います」

「天井が高いと、上に熱が溜まる」

「はい。……二棟目は、低くしたほうがいいです」


 俺は、それを書き留めた。

(……一棟目は、失敗するために建てたようなものだな。それでいい。)


 昼前。

 俺は、書き上がった三行の紙を前に、手が止まっていた。


 見分け方の紙は、清書も済んで、封もした。

 だが、運ぶ手立てがない。トムの隊商は三日前に発っている。次の便は、十日以上先だ。


(……作った紙が、届かない。)

 俺は、自分の間抜けさに呆れた。

(そうか。うちには、隊商とは別の、急ぎの一枚を運ぶ仕組みがないんだ。)


 エリナを呼んで、率直に聞いた。

「急ぎの手紙を王都へ出したい時、うちはどうしている」

「……隊商に、託しております」

「隊商が出ていない時は」

「その時は、……次の隊商まで、待っております」

 彼女の声が、だんだん小さくなった。

「申し訳ございません。考えたことが、ありませんでした」


「君の落ち度じゃない。……今日まで、急ぎの手紙がなかっただけだ」

 俺は、炭を取った。

「作ろう。人と馬を専属で置いて、荷は運ばない。紙だけを運ぶ」

「荷を、運ばないのですか」

「運ばない。荷を積んだ瞬間に、その馬は隊商になる。……速さが要るなら、軽くしておくしかない」


 その日のうちに、骨組みだけを決めた。

 村と王都の間の宿場を三つ選び、そこで馬を替える。走るのは一人。持つのは書状と、道中の宿代だけ。


「馬は、三頭要りますか」

「四頭だ。……一頭は、常に休ませておく。全部を働かせる仕組みは、一頭潰れた日に止まる」

「費用は、いかほど見ましょう」

「月ごとの固定で組んでほしい。……使っても使わなくても同じ額を払う」

「使わない月も、でございますか」

「そうだ。使う時にだけ金を出す約束にすると、宿場のほうが他の仕事を入れてしまう。……いざという時に、馬が出払っている」


 エリナが、はっとした顔で頷いた。

「……備えというのは、そういうものなのですね」

「そうだ。備えは、無駄に見えている間だけ、備えでいられる」


「名前は、どういたしましょう」

「――『飛脚便』でいい」

「ひきゃく、びん」

 エリナが、聞き慣れない言葉を丁寧に書き取った。

(……前の世界の郵便のほうが近いんだが、飛脚のほうが言葉の座りがいいな。)


「最初の一便は、明日の朝に出す。運ぶのは、見分け方の紙だ」

「どなたが走られますか」

「ハンスとゲオルグは王都にいる。……村で一番足が速いのは」

 俺は、そこで言葉を止めた。

 答えは分かっているが、その人は今、北の廃村を数えに行っている。


「……ミオが帰ってきたら、また走らせることになるな」

 俺は、少し情けない気持ちで言った。

「便利な人に頼りすぎるのは、良くない仕組みの典型だ。……三人目を育てないと、また同じことになる」


 夕刻。

 ヴァレリウスが、書き上げた紙を持ってきた。


 思っていたより、厚かった。

 屋敷の見取り図まで描いてある。使用人の名前は、下働きの少年まで書かれていた。


 俺は、一枚ずつ読んだ。


 破産の経緯は、思ったより単純だった。

 鉱山の採掘権を担保に借りた金で、王都に屋敷を建て替えた。その鉱山が掘り尽くされて、担保が紙切れになった。

 典型的な話だ。前の世界でも、同じ形で潰れた会社を何社も見た。


 人となりの欄には、こう書かれていた。


 ――短気ではあるが、使用人には手を上げぬ。

 ――冬に、下働きの子らへ外套を配るのが恒例であった。

 ――算勘に暗い。数字の話になると、他人に任せきりであった。


(……悪く書いていないな。)

 俺は、少し意外に思った。

(襲撃を命じられた相手を、ここまで公平に書けるものか。……いや、だからこそ、この人は自分が信用できないと言ったのか。)


 そして、途中でその手が止まった。


 ――マルクス伯爵は、酒を一滴も飲まぬ。


「ヴァレリウス。ここは、本当か」

「はい。体質でございます。……一口で顔が真っ赤になり、寝込まれます。夜会でも、水を杯に入れて持っておられました」


 俺は、しばらく動けなかった。


(……酒が飲めない人間が、酒の偽物を思いつくか?)

(本物と偽物の味の違いも、分からないはずだ。どこまで薄めれば気づかれないかも、量も、値段のつけ方も。……何一つ、判断できない。)


「ヴァレリウス。もう一つ聞かせてほしい。……破産の前後で、屋敷に出入りする顔ぶれは変わったか」

 彼は、少し考えてから答えた。

「変わりました。……古くからの商人が、次々に離れていきました。代わりに、見慣れぬ者が幾人か」

「名前は」

「そこまでは。……私は、その頃には剣を取り上げられて、外の見張りに回されておりましたので」


(……追い詰められた人のところへ、新しい顔が来る。)

(そして、その人たちは、たいてい何かを吹き込みに来ている。)


「セシリア。名簿を」

 俺は、昨日絞った三つの名前を、もう一度見た。

 そして、その紙を裏返した。


「シンイチ様?」

「……絵を描いた人間が、別にいる」


 俺は、炭を取り、新しい行を書いた。


 ――マルクス伯爵は、金と土地と人を出した側。

 ――酒の目利きができる者が、どこかに一人いる。


(……そして、その人は、うちの酒を飲んだことがある。)

(薄めて売れると分かるくらいには、本物の味を知っている人間だ。)


 俺は、日報の最後にこう書いた。


 ――第百十三日目。ヴァレリウスの離脱願い、却下。現場からは外す。

 ――飛脚便、設置を決定。初便は明朝。

 ――伯爵は酒を飲めぬ。主犯ではなく、出資者と見る。


 炭を置いて、俺は窓の外を見た。

 北の空には、まだ何も見えない。ミオが帰るのは、早くて明後日だろう。


(……昨日までは、相手が誰かを探していた。)

(今日で、相手が何人かに変わった。……厄介になったが、こういう時は、たいてい正しい方向へ進んでいる。)

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