日報111:本物の証明と空き瓶の行方
辺境に来てから第百四日目の午後。
午前中の会議が終わった後も、俺は執務室に残っていた。
机の上には、七つ目の項目だけを書いた羊皮紙が一枚。
「シンイチ様。……お顔が、怖いです」
セシリアが茶を置きながら言った。
「怒っているように見えるか」
「いいえ。……考えている時の顔です」
俺は、炭を握り直した。
(……まず、これを何の仕事として定義するかだ。取り締まりか、それとも別のものか。)
(前の会社で、うちの製品の型番を勝手に使った業者が出たことがあったな。営業は「訴えましょう」と息巻いて、法務は「証拠が足りない」と渋って、結局半年何も進まなかった。)
(あの時、動いたのは総務だった。……型番の管理を作り直して、うちの正規品には全部、管理番号を振ることにした。それだけで、翌年には問い合わせが止んだ。)
「セシリア。……悪いが、皆を集め直してもらえるか。夕方でいい」
「かしこまりました。……何か、思いつかれましたか」
「思い出した、が近い」
夕方、俺は改めて数人を呼び集めた。
セシリア、エリナ、ヨナス、それにハンスとゲオルグ。少人数で足りる話だ。
「偽物の件を、正式なプロジェクトにする。……ただし、最初に一つ確認させてほしい」
俺は、全員の顔を見た。
「これは、偽物を作った奴を捕まえる仕事じゃない」
ハンスが眉を上げた。
「慎一様。放っておくので?」
「捕まえるのは、王国の仕事だ。うちには捕まえる権限も、王都に人を張り付けておく余裕もない」
俺は、羊皮紙に線を引いた。
「うちがやるべきなのは、本物だと証明できるようにすることだ」
「……証明するだけですか?」
エリナが、静かに問う。
「まるで違う。偽物を一つ潰しても、次が出る。それを追い続けるのは、こちらが疲れるだけだ」
俺は、炭で瓶を描いた。
「だが、本物を証明できる形があれば、偽物は勝手に価値を失う。……向こうが何本作ろうと、こちらの手間は増えない」
ゲオルグが、感心したように唸った。
「なるほど。追いかけっこをしない、と」
「追いかけっこは、足の速いほうが勝つ。……俺は足が遅いけど…」
「では、どうやって証明を」
セシリアが問う。
「まず、封蝋は駄目だ」
俺は、はっきりと言った。
「白帆商会の帆の印は立派だが、印は真似される。現に、赤い蝋で似た形を作られている。……印が一種類しかない証明は、必ず破られる」
「ヨナス殿。伺いたい。……酒場の主人は、樽で仕入れますか。それとも瓶で」
突然振られたヨナスが、慌てて背筋を伸ばした。
「安い店は樽です。……ですが、高い酒は瓶のまま出します。客に、瓶を見せるので」
「見せる。……つまり、飲む前に、客は瓶を見ているわけだ」
「はい」
俺の中で、形が決まった。
「では、一本ごとに番号を振る」
「番号、ですか」
「うちが出荷する瓶、その一本ごとにだ。第何号、いつ詰めたか、どの樽から出したか。……全部、村の台帳に残す」
エリナが、はっとした顔をした。
「……受入記録と、同じ考え方ですね」
「そうだ。入ってきた物を全部書くのと、出ていく物を全部書くのは、同じ仕事だ」
「番号なら、真似できるのでは」
「できる。だから、番号だけでは足りない」
俺は、二本目の線を引いた。
「番号と、台帳が対になっていることが要点だ。……偽物を作る側は、番号を打つことはできても、村の台帳と一致させることはできない」
「客が、村の台帳を見られるわけではありませんが」
「見なくていい。白帆商会の店頭に、その月に出荷した番号の一覧を貼っておけばいい」
俺は、続けた。
「同じ番号が二本あれば、どちらかが偽物だと分かる。一覧にない番号も同じだ。……そして何より、番号が振ってあること自体が、面倒くさい」
「面倒くさい、ですか」
「偽物を作る奴は、儲かるからやっている。……一本ずつ番号を確かめられる商品は、割に合わなくなる」
ハンスが、にやりと笑った。
「割に合わなくして、追い払うわけですな」
「そうだ。潰すんじゃない。旨みを消す」
「ハンス、ゲオルグ。二人には、王都で調べてもらいたいことがある」
「へい」
「どの区域の、どういう店に並んでいるか。値段。仕入れ先を店主が何と言っているか。……買い集めるんじゃない。数えてくればいい」
「数える、で」
「そうだ。何軒のうち何軒に置いてあるか。それが分かれば、どこから流れているかの見当がつく」
「拠点は、あの宿を使わせてもらう。『謳う月亭』だ」
俺は、そこで少し苦い気持ちになった。
(……あの亭主は、王都の噂なら何でも集めておくと言ってくれた。それきり、こちらから何も頼んでいない。)
「ゲオルグ。亭主に、正式に依頼を出したい。……月にいくら、と決めて払う。ただの好意で情報をもらうのは、今日でやめる」
「金を払うので?」
「払う。……好意は、いつか切れる。仕事は、続く」
「フィリアに、番号を打つ道具を頼む。木の栓の頭か、瓶の底に。……手で書くと真似されるが、あの人の刻む字なら、同じものを作れる職人は少ない」
「もう一つ、加えてもよろしいでしょうか」
エリナが、帳面から顔を上げた。
「番号を、詰めた者の名前と一緒に残しませんか。……第何号は、誰が詰めたか。うちの中でも、後で辿れるように」
「――いい案だ」
俺は、素直に感心した。
「うちの誰かが間違えた時にも、それで見つかる。……外を疑う仕組みだけ作って、内側を素通しにするのは、片手落ちだったな」
「シンイチ様。それは、時間がかかりませんか」
「かかる。だから、これは中期の手だ」
俺は、羊皮紙を三つに区切った。
「短期。次の隊商に、今ある在庫の一覧を持たせる。何月何日に何本出荷したか、それだけでも今すぐ出せる」
「中期。番号と台帳の仕組みを作る。三月あれば形になる」
「長期は」
「――味だ」
俺は、窓の外を見た。工房の方から、槌の音が響いている。
「今、トランとラグナが新しい樽を焼いている。あれが上手くいけば、今よりもう一段旨い酒ができる。……偽物が真似できるのは、色と瓶の形までだ。中身までは真似できない」
「シンイチ様は」
セシリアが、少し呆れたように言った。
「いつも、最後は物を良くする話に戻られますね」
「そこしか、確かなものがないからだ」
「ヨナス殿。一つ、先に言っておきます」
俺は、彼のほうへ向き直った。
「今回、あなたに王都へ行ってもらうつもりはありません」
「……俺が、一番詳しいはずですが」
「詳しいから、危ない」
俺は、はっきりと言った。
「あなたは、依頼した側から見れば『仕事に失敗して村に取り込まれた男』です。王都で顔を見られたら、何をされるか分からない」
「……」
「知恵は、ここで貸してください。足は、ハンスとゲオルグが持っています」
ヨナスは、しばらく黙ってから、小さく頷いた。
「……分かりました」
話が一段落した時、そのヨナスが遠慮がちに手を挙げた。
「あの……一つ、気になることが」
「どうぞ」
「さっき、瓶の形が似ていると言いましたが。……あれ、似ているんじゃなくて」
彼は、言葉を選ぶように、ゆっくりと言った。
「同じ、かもしれません」
部屋の空気が、止まった。
「同じ、とは」
「持った時の重さと、底の厚みです。……本物を何百本と運んだ手が、そう言っています。あれは、似せて作った瓶じゃない。本物の瓶です」
俺は、しばらく動けなかった。
(……そうか。作っていないんだ。)
(空になった本物の瓶を集めて、中身だけ入れ替えている。)
「エリナ。出荷した瓶の本数は、台帳にあるな」
「はい。ございます」
「回収した空き瓶の数は」
「――……」
エリナの顔から、血の気が引いた。
「……ありません。空き瓶は、返ってきません。飲まれた後は、酒場のものですから」
「誰も数えていない」
俺は、椅子の背に体を預けた。
(……出ていった物は数えていた。だが、出ていった先で捨てられた物は、誰の帳簿にも載っていない。)
(棚卸しは、倉庫の中しか見ない。倉庫を出た瞬間に、うちの目は届かなくなる。……そこを突かれたのか。)
「ヨナス殿。飲み終えた瓶は、酒場でどうしますか」
「裏に、まとめて置きます。……割れ物を捨てるのは金がかかるので、屑屋が引き取っていきます」
「屑屋は、選んで持っていきますか」
「いえ。まとめて、量りで」
「では、うちの瓶だけを選り分けて集めようとすれば」
俺は、そこで言葉を切った。
「――手間がかかる。誰かが、わざわざそれをやっている」
「シンイチ様。では、犯人は」
セシリアが、押し殺した声で問う。
「まだ言えない」
俺は、正直に答えた。
「名前を先に挙げると、そいつに合う証拠だけを探すようになる。……査察官の逆をやることになる」
だが、頭の中では、条件が一つ、はっきりと形になっていた。
うちの瓶が、どこの店に、いつ、何本入ったかを知っている。
空になる時期も分かる。
そして、まとめて引き取っても誰にも怪しまれない。
「――ただ、うちの空き瓶を、まとめて集められる場所にいる人だ」
言ってから、俺は自分の言葉の重さに気づいた。
(……その条件に一番きれいに当てはまるのは、うちの取引先だ。)
(……レオン。あんたのところの、誰かだ。)




