↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【総務部長】チートで魔王を取引先に! おっさんの異世界スローライフハーレム計画  作者: 転生しすぎた人
第九章:凍てつく牙と山の心臓

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
102/128

日報102:王都からの査察と一枚の契約書

 辺境に来てから第八十九日目の午後。

 灰の里の門前で、ハンスは背筋を伸ばしたまま俺を待っていた。

 外套に霜が張りついている。何日も雪の中を走ってきた男の姿だった。


「慎一様。……遅くなりました」

「ご苦労様、ハンス。まず、火のそばで温まってくれ」

「いえ。先に、これを」


 差し出されたのは、封蝋のついた書状の写しだった。

 王家の紋。そして、その下に押された、もう一つの印。


(……財務。宰相府の管轄だな。)


 俺は、その場で読んだ。


 ――王命により、辺境調査区画における勅許事業の履行状況を査察する。

 ――査察官、王室主計院 主計官 ハインリヒ・ヴォルム。

 ――同行、書記官二名、護衛騎士六名。


「本状が村へ届いたのが、七日前です」

 ハンスが早口で続けた。

「エリナさんが即日、俺に写しを持たせて発たせました。査察団は既に王都を出ております。村へ入るのは――」

「あと何日だ」

「街道の宿場を順に辿るなら、十二日後かと」


 俺は、頭の中で線を引いた。

 ここから村まで、帰りの荷が軽い分、十日。査察団の到着まで十二日。


「予備日、二日か」

 俺は思わず声に出していた。

「シンイチ様。……また、それですね」

 セシリアが、呆れとも感心ともつかない顔をした。

「クリティカルパスは移動だ。俺が村にいない状態で査察を受けるわけにはいかない」


「シンイチ! あたしとクロウなら、六日で行ける」

 ミオが即座に言ったが、俺は首を振った。

「ありがたい。でも、先に着いても意味がないんだ。査察は、俺が説明できる場所にいないと成立しない」

(……走って解決する仕事じゃない。これは、書類が揃っているかどうかだけの話だ。)


「あの、シンイチ様。……ササツ、というのは、何でしょうか」

 リリィが、おそるおそる手を挙げた。

「悪い、説明が抜けていた。……村がちゃんと約束を守って運営されているか、王都から人が来て、帳面と現場を見ていくことだ」

「それは、疑われているということですか!?」

「疑いを晴らす機会をもらった、と考えたほうがいい」

 俺は、書状を丁寧に畳んだ。

「怒って追い返すのが一番まずい。……向こうが欲しいのは、俺たちが慌てる姿だからな」


「その査察官殿は、どういう方なんだ。ハンス、噂は聞いているか」

「はい。ゲオルグが王都の伝手で調べました。……ヴォルム主計官は、かなりの堅物だそうです。付け届けを一切受け取らず、身内の不正でも容赦なく暴くと」

「ほう」

 俺は、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。

「それなら、むしろ助かる」

「助かる、のですか?」

 セラフィナが目を丸くした。

「金で動く相手なら、こちらは何を出しても疑われる。……数字だけを見る人なら、こちらも数字だけ出せばいい」

(……問題は、その真面目な人を道具として使っている誰かのほうだな。)


 俺は、書状をもう一度、頭から読み直した。

 文面は丁寧だった。丁寧すぎるほどに。だからこそ、狙いがはっきり見えた。


「セシリア、ガルフ。少し、論点を整理させてほしい」

 俺は羊皮紙を広げ、三本の線を引いた。


「一つ目。勅許事業の履行状況。これは納税も納品記録も、エリナが月ごとに揃えている。むしろ胸を張れる」

「二つ目は」

「統治の実態だ。人口、治安、住民の生活。……これも問題ない。村を見てもらえば済む」

 俺は、三本目の線の先で、炭を止めた。


「三つ目。原料と、外部との取引だ」

「……取引、ですか」

「森の雫の原料。エルフからの支援装備。銀狼族への古道の管理委託。そして――今回の、灰の里との話」

 俺は顔を上げた。

「勅許は『辺境調査区画の統治』に対して出ている。区画の外にいる相手と、村が独自に取引をしている。そこを『無許可の外交』と読み替えられたら、面倒なことになる」


 ガルフが唸った。

「そりゃあ、言いがかりじゃねえのか」

「言いがかりだ。だが、言いがかりを潰すのは、正論じゃなく書類でやるものなんだ」


(……分かってて仕掛けてきてるな、宰相殿。うちが一番書類を作っていないところを、正確に突いてきている。)


「では、外との取引を、片端から棚卸しします」

 俺は、炭を握り直した。

「銀狼族の古道の管理は、契約と報酬をエリナに予算化させてある。支払いの記録も残っている。……これは出せる」

「あの時、シンイチが金額まで決めてたやつ」

 ミオが、思い出したように耳を立てた。

「兄貴が『そこまでするのか』って驚いてた」

「あれが今、効く」

 俺は、二つ目に印をつけた。

「エルフからの装備は、対価を取っていない贈り物だ。……これは正直に『贈与を受けた』と書いて、使い道まで添えるしかない。隠すと一番まずい」

「三つ目が、ここですね」

 セシリアが、灰の里の門を振り返った。

「ああ。……そして三つ目だけが、まだ何の紙にもなっていない」


 俺は、その場で立ち上がった。

「ヘルガ殿に、もう一度会わせてもらいたい」


 炉端に通されると、ヘルガは既に座って待っていた。

 俺たちが門前で騒いでいたのが、聞こえていたのだろう。


「厄介事か」

「ええ。……ですが、その前に、こちらの不備を一つ直させてください」

 俺は、羊皮紙を炉の前に置いた。


「先日お約束した『竈の血』の件を、書面にさせてほしいのです」

「……書面」

「口約束を疑っているわけではありません。俺が信じられないのは、俺たち自身の記憶です」

 俺は、正直にそう言った。

「十年経てば、俺もあなたもいない。その時、『あれは村が勝手に持っていったものだ』と言い出す者が、必ずどちらかの側に出てくる。……そうなってから直すのは、もう無理なんです」


 ヘルガは、しばらく火を見ていた。

「……祖と番人の話を、聞いた後だとな」

「はい。あれは、書いておかなかったから起きたことです」


 老女が、ゆっくりと頷いた。


 俺は、その場で条項を読み上げながら書いた。

 一、氷の間の十樽の所有は灰の里にあること。

 二、村は蒸留・製樽・熟成の技術と人手を提供すること。

 三、搬出に要する橇と資材は村が負担し、その費用は復活後の『竈の血』の販売から返済すること。

 四、里に伝わる口伝は里のものであり、村はこれを他へ売らないこと。

 五、取り決めの見直しは、双方の代表が同席して行うこと。


「四つ目は、いらん」

 ヘルガが言った。

「口伝など、もう半分も残っておらん」

「残っていなくても、書きます。……守るものが少ない側ほど、その一行が要る」


 老女は、口の端を曲げた。

 それから、火掻き棒の先を炭に突っ込み、赤くなったそれを羊皮紙の隅に押しつけた。

 焦げた丸い印が、二つ。里の焼き印だった。


「二枚作れ。一枚は炉のそばに置く」

「――ありがとうございます」


「シンイチ」

 立ち上がりかけた俺を、ヘルガが呼び止めた。

「王都の役人が、この里のことを聞きに来たらどうする。……我らは、人間の集落として通してきた。祖のことは、外に知られたくない」

 俺は、腰を下ろし直した。

「書かないという選択もできます。ですが、それをすると、後で見つかった時に一番傷が深くなる」

「では」

「取引の相手を『北方山麓の集落』と書きます。中身は、酒の共同事業と、山道の通行の許可。……嘘は一つも書きません。ただ、聞かれていないことまでは書かない」

 老女は、探るように俺を見た。

「役人相手に、そんな線引きが通るのか」

「通します。それが、俺の仕事です」


 写しを懐に納めながら、俺は妙な落ち着きを覚えていた。

(……査察が怖いんじゃない。査察の日に、答えられない質問が残っているのが怖いんだ。一つ減った。)


「慎一様。……あの」

 ハンスが、遠慮がちに口を開いた。

「差し出がましいのですが。エリナさんから、伝言があります」

「聞かせてくれ」

「『帳簿は、全ての期間分をいつでも出せます。慌てて帰ってこなくて結構です』と」


 俺は、思わず笑ってしまった。

 十日離れた場所から、部下に先手を打たれている。


「……ハンス。帰ったら、エリナに一番いい酒を出すと伝えてくれ」

「はっ」


 辺境に来てから第八十九日目の夕刻。

 俺たちは、灰の里で最後の夜を過ごすことになった。

 明朝、村へ向けて発つ。十日の行程だ。


 荷造りをしていると、ハンスがもう一度、俺のそばへ来た。

 どこか、言いにくそうな顔をしている。


「どうした。まだ何かあるのか」

「はい。……もう一件、報告が」

 彼は、周囲をちらりと見てから、声を落とした。


「査察の書状が届いた三日後に、村へもう一組、客人がおいでになりました」

「客人」

「……お忍びで、南から。護衛は四名だけです」

 ハンスは、ますます声を小さくした。


「ルナリア様が、村においでです」


 俺の手が、荷紐の上で止まった。

 王女が、査察の直前に、辺境の村へ。護衛四名で。

(……偶然じゃないな。あの方は、こちらが気づく前に動く人だ。)


 俺は、暗くなり始めた南の空を見た。

 星屑のミスリルは、革袋の中で静かに眠っている。今回の旅で得た、たった三つの欠片だ。

 だが、それを使う工房のある村では、もう次の話が始まっている。


 十日。

 山を下りたら、次の現場が待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。