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5/15

5君を傷つけた分だけ、想ってた

空音の身体が近づき、その幼子のような息に俺は頬を赤らめた。他人に身体を預けたまま、目を閉じて眠ってしまったのだ。

「ゴホッ、ゴホッ。」

俺は喉を詰まらせ咳をした。

握っている手とは反対の手で、空音の髪の触覚を彼女の耳にかけた。

空音は、患者である。特別な想いなんて持つ資格、俺にはない。

俺は空音を抱き抱えた。

そのままの足で彼女の病室に向かった。

起こさないように、そっと。

「先生‥‥?」

先生は下を向いたまま、私の手を掴んでいた。

突然のことすぎて、理解するのに時間を要した。

「あ、あの。」

私が声をかけた時、先生は少し顔を上げた。先生から見て、右手で私の左手を掴んでいた。

先生は左手の手の甲で、自分の顔を隠していた。私から見ると、先生の目元だけが写っていた。

「先生、顔が。」

先生の頬がほのかに赤く染められていた。

うわ。

先生でも、照れることがあるんだなと思う。

この状況すら理解できていないのに、まともに先生と会話ができるはずがない。うまく会話ができずに言葉が詰まりそうになる。

立ち上がる時の不可抗力とかでもなく、先生は意図的に手を繋いでいるのだ。

そして、先生は小さな声で言った。


「もう少し、話さないか。」


その一言を言った瞬間、そっと空気が揺らいだ。

先生は私の手を握ったまま、何も言わない。少し前を向いて頬を赤らめているだけだった。

先生の声は、ものすごく優しかった。

でも、悲しい声だった。

何かを押さえ込んでいるような、我慢しているような。そんな声がした気がした。

「‥‥。」

私は再びソファに腰掛けた。先生は私の手を握ったまま何も言わない。無言を貫いていた。

「‥‥先生は、余命宣告をされている人を好きになれますか?」

「なぜ、そんなことを聞くんだ?」

「だって、私は、わたしは‥‥」


先生のことが好き。


思いもよらぬ答えが頭の中に浮かんだ。

私が、先生のことを好き‥‥?

バカ言わないでよ。

私はただの患者で先生は医者。こんなくだらない想いに、先生は何も思わない。

こんなの、ただの戯言だ。私のいきすぎた空想に過ぎない。

「わたしは?」

先生は私の顔を覗き込んできた。肩と肩が触れて互いの距離が一気に縮まる。先生の顔はもうすぐそこにあった。てか、なんで先生は人とこんなにも顔の距離が近いのに澄まし顔をしているの?私は今にも心臓がはち切れそうなのに。

「ち、近いです。」

「あ、ごめんごめん。」

先生はそう言いながら体を前に向けた。それと同時に、握っていた私の手を離した。離したと思えば、私の手の上に先生の手がのってきた。

私は全身の体温が上がっていくのを感じた。反対の手で自分の頬を撫でれば熱が籠っていた。

「好きになってしまったものは、変わらない。」

「え?」

一言、先生が呟いた。私は先生の方を見た。

そこには、クシャッと砕けた笑顔があった。

「私もです。」

そう言いながら、私は少し先生に身体を寄せた。

「今日は、ありがとうございました。」

私は先生の肩に寄りかかり、さらに身体を近づけた。

先生は一瞬驚いたように息を呑んだ。

余命のことも、未来のことも、今だけは考えるのをやめよう。今はただ、先生の温もりを感じていたかった。



コンコンコン


「空音ちゃーんおはよう〜。あれ?今日は起きてないの?」

「あ、おはようございます。」

私は、佐野さんが部屋に入ってくる音と彼女の声で目が覚めた。

あれ?私、さっきまで先生とソファで話していたはずなのに。花火を見て、先生にまさかの手を握られての展開だったはず。なのに今は朝になっており私は病室で寝ていた。

「先生が検診しに来てくれてるよ。」

佐野さんはいつもの優しい笑顔を浮かべていた。

「あ、あの‥‥!」

「おはよう。」

「あ、おはようございます。」

先生が、白衣を着ていつもと同様に首に巻いてある聴診器を外して耳につけた。

「心音聞くね。」

そう言いながら近くのパイプ椅子に座って私の身体に近づけた。


トクン、トクン、トクン


私はとにかく昨日から今までの時系列を聞きたかった。しかし、心音を聞いている間は口から出そうな言葉をグッと抑えた。

「うん、大丈夫だね。ゴホッ、ゴホッ。」

先生は十八番のセリフを言って聴診器を外した。いつもと変わらない。

「先生?」

「今日この後、お父さんとお話があるんだけど、白夜さんにも来てほしくて。」

また、阻まれた。

私が何かを言おうとするたびに、重ねて先生が何かを言ってくる。

「あ、大丈夫です。」

「ありがと。それじゃ、また呼ぶね。」

先生はパイプ椅子を立ち上がり元の位置に戻した。

「朝ごはん持ってくるね!」

佐野さんは、キャスター付きの大きな医療重機を運びながら私に向かって言った。

「分かりました。」


ガチャン


扉が勢いよく閉められた。なんだか、無視?されているような。先生からは不穏な空気が漂ってきていた。これ以上何か言ったら起こりそうな雰囲気。

あそこで私は、何も言わないのが正解だったのだろうか?もしかして、佐野さんに好意がバレたくないとか?バレたらまずいとか?

ていうかその前に、私たちは患者と担当医という関係性だ。先生はその観点から、佐野さんに悟られたくなかったのか。

「はぁ〜。」

私は身体をベッドに預けて寝転がった。考えても分からない。先生が何を考えてて、なぜ私の口を阻むのか。埒が開かない。

でも、分かることが一つだけある。それは、昨日の夜はとっても幸せだったってこと‥‥。


コンコンコン


「はーい。」

私は瞬間的に起き上がり、扉の方を見た。


ガチャ


「朝ごはん持ってきたよ〜。」

それは、色とりどりの食材を並べたおぼんを持った佐野さんだった。

「はいどうぞ。」

「ありがとうございます。」

佐野さんはベッドの簡易机が出てないことに気付いたのか、テレビの前にある机に食事を置いた。

私はスリッパを履いてそちらの方にテクテクと歩いて向かった。

「で、昨日はどうだったの?楽しかった?!」

私がソファに腰掛ける時には、黒目をぱっちりとさせてこちらを見つめている佐野さんが目の前に座っていた。

ちょっとどころじゃない鬱陶しさはあったが、私は躊躇することなくソファに座った。

「いただきます。」

今日の朝食のメモを手に取り見てみると、野菜と豚の生姜炒めメニューと書かれてあった。

白飯に野菜と豚の生姜炒めにひじきスープが添えられてあった。今日も今日とて、美味しそうだった。

私はチラッと佐野さんの方を見た。

ウキウキ!ウキウキ!と、効果音が鳴りそうな顔でこちらを見つめていた。

私は食事に集中しようと、ひじきスープに全神経を注いだが、彼女は決して折れなかった。

「‥‥昨日は!」

私はひじきスープを力強く置いた。

佐野さんは驚くどころか、黒目を更に大きくしていた。

「昨日は!」

私に続いて同じフレーズを言った。頼むから食事に集中させてくれ。

「先生と射的をやって楽しかったですっ!」


シーーーーーーーーーン


「え、それだけ?」

「そんなに見つめといて何ですかその態度はー!」

私は目を血走らせて牙をむいた。

「分かった分かった!よかったね!楽しめたんだね!よかったよかった!」

佐野さんは立ち上がった私を落ち着かせようと必死だった。その姿は不甲斐にも笑えてくる。もっと困らせてやろうと思ったが、グゥ〜っとお腹の音が鳴り止まないため、断念した。

私は座って再び箸を持った。

「射的か〜!私もやりたかった!」

「宮古島祭なら、しばらくやってるので佐野さんも行ってみたらいかがですか?」

「そうだね〜。行ってみようかな〜。」

「佐野さんは、彼氏とかいないんですか?」

「なっ!それは、いませよ〜。」

「好きな人とか!」

「好きな人‥‥」

本調子だった佐野さんは、膝と膝をくっつけて内股になり恥ずかしそうに下を向いていた。

私はその間に佐野さんに心当たりがないか思い返した。佐野さんとの会話や、佐野さんの反応で何か読み取れることはないか。


『白夜さん準備できましたよ‥‥って、悠仁くん?』


え?

私はいきなり、記憶がある日にフラッシュバックされた。

心音に雑音が混ざっていたとき、検査待ちをしている時に出会った耳鼻咽喉科の小林悠仁!彼のセリフがなぜか今フラッシュバックされたのだ。

えまってまって!やっぱりいきなりフラッシュバックっておかしいよね?佐野さんの好きな人って‥‥

「今はそんな人いないかな〜。仕事も忙しいし!」

佐野さんは、私の思っていた反応とは違う反応をした。

佐野さんは、小林悠仁が好きではないのか?!

「そうなんですね〜。」

これは、私の過度な思い違いだったようだ。

「そ、それじゃ!ゆっくりご飯食べてね!食べ終わったらそのままでいいから!じゃ、また!」

佐野さんは光の如く立ち上がり扉に向かって行った。


ガチャン!


今までにない勢いと強さで扉を閉めた。

あの反応、やっぱり‥‥いや、バカな考えはよそう。

私は止めていた箸の動きをやっとこそ動かした。



「ごちそうさまでした。」

朝食を食べ終え、私は歯を磨きに洗面所に行った。昨日父親に新しく買ってきてもらった緑色の歯ブラシを手にとって歯磨き粉をつけた。


シュカシュカシュカ


私は歯を磨きながら窓際に立った。蝉の鳴き声が鼓膜の細部まで届いてくる。

生きる日数が少ないとはいえ、もう少し黙ってほしい。


コンコンコン


「ふぁーい!だれでふかー。」

歯磨き最中に扉が叩かれ、まともに返事をできなかった。

「先生でーす。朝ごはん食べ終わった?」

やってきたのは、部屋の外から白衣のポケットに両手を突っ込みながら先生だった。

「いま歯磨いてふので、ちょっと。」

私は立ち上がって洗面所に向かった。

うがいをして口の中をスッキリさせた。この瞬間がたまらなく気持ちいいのだ。

「なんでしょうか。」

「もうお父さん来てるから行くよ。」

先生は点滴を持ってベッドの前で待ち構えていた。

私は慌てて部屋用のスリッパから外出用のサンダルに履き替えた。

このサンダルは厚底仕様になっており、全ての穴が埋まるほどのキャラクターものがついていた。これは葉那とお揃いで買ったものだ。佐野さんはいつもこれを可愛いと言ってくれる。

「あ、点滴。ありがとうございます。」

私は先生が持っていた点滴を貰い左手で握りしめた。

「体調は大丈夫?ゴホッ、ゴホッ。」

「私は大丈夫ですけど、先生の方こそ、最近咳が出ていません?」

先生はここ最近、定期的に風邪の症状に近い咳をしている。私はそれが気になって仕方がなかった。

「ただの風邪だよ。大丈夫大丈夫。」

本当に大丈夫かな?心配になる。

「ゴホッゴホッ、ゴホッ!」

「せ、先生?大丈夫ですか?!」

「あ、あぁ。すまない。」

私は先生の背中をさすろうとしたが、躊躇ってしまいその手を止めた。

これ以上、踏み込んではダメだ。

昨日のことはよく覚えている。おそらく先生は嫌がることなく私といることを承知してくれた。私は先生との距離が近すぎてすぐにでも意識が飛びそうだった。

「治まりましたか?」

「うん。ごめんね。」

先生は中腰から身体を起こして背伸びをした。ただでさえ身長が高いのに両腕を上げたらさらに背丈が伸びる。私は思わず見上げてしまった。

「行こっか。」

先生は両手を白衣のポケットに突っ込んで出口に向かった。

私はそれに続いて歩き出した。

いつもは軽く感じる点滴がとてつもなく重く感じた。まるで金属物を持ち歩いているようだった。


ガチャン


私は病室の扉を閉めて廊下を歩き出した。

先生の横に立って廊下を歩き出した。

ふと昨日のことを思い出すと、隣に並ぶのも恥ずかしいくらいになる。私は極力、目を合わせないようにしていた。

先生の顔をみるだけで顔から火が出るほど暑くなってしまうから。

そして、不思議なことに先生は昨日のことを何も言わないのだ。私は気づいたら病室にいたから昨日どうゆう流れだったのかが気になってしょうがない。先生に聞こうとしても必ず遮られてしまうので聞けない。

おんぶをされて寝てしまった私を病室まで運んでくれたのかな?寝てしまったことまではギリ覚えているんだけどな〜。

「暑くない?」

「大丈夫です。」

ほら、いつも通り。これといって特別なことはない。いつもと変わらない先生だった。

「おはようございまーす。」

「田中さん体調は大丈夫ですかー?」

ナースカウンター近くになると、必然的に大広場が近づいてくるので同時に患者や看護師の声も大きくなっていく。

「空音ちゃんおはようー!」

お互いに認識している看護師に挨拶を交わされて私はぺこりとお辞儀をした。女子高校生で余命宣告されている患者というのは本当に稀のため、殆どの看護師に知られている。そんな理由で知られるんじゃなくて、もっと別の理由で私を知って欲しかったな。例えば、漫画家とか!

周りから哀れな目で見られてしまう病気なんかじゃなくて、自分の努力が認められて自分の名がみんなに知られて欲しいんだ。

日々、そう思っていた。

ずっと一人で考え事をしていたが、そういえば先生と歩いてるんだった完全に忘れてた。


ピンポーン


「どーぞ。」

「ありがとうございます。」

いつの間にかエレベーター前にいた。

先生はエレベーターの扉を押さえててくれた。私はその隙に乗り込み手すりにつかまった。

『扉が閉まります。ご注意ください』

「あっぶね。」

扉に挟まれそうになる先生を見て、少しの笑みが溢れた。

「ふふっ。」

「ん?どうした?」

「いや、なんでも。」

エレベーターの扉が勢いよく閉まった。

「その言い方は気になるじゃん!」

「いいの!ほんとになんでもないの!」

「ゴッホン!」

「あ、あぁ。」

私と先生は大きな声で話し合っていた。だから、エレベーターの中にいる人なんて気づかなかった。一人のおじさん医者が乗っていたのだ。

私はおじさん医者の様子を察して下を向いて黙り込んだ。

横目で先生を見ると、絶望したような顔をしていた。顔を真っ青に染めており、今にも気絶しそうな表情だった。

その様子から見るに、このおじさん医者はかなりお偉い方なのだろう。

私はその姿に今にも笑い声が溢れそうだった。

(早くつけ!早く一階につけ!)


ピンポーン


「君たちはここで降りるのかい?」

「は、はい!降ります!失礼しまーす!」

先生は私の腕を握って引きちぎれるほどに威力で引っ張った。

「痛い痛い痛い!」

「あの人はここの医院長なんだよぉ!」

先生は焦った顔をしながら走っていた。

「ど、どこまで行くんですか!お父さんはどこにいるんですか〜!」



「やっと着いた。」

「はぁ、はぁ、はぁ!マジで、ふざけんなよ‥‥!」

いきなり走ったせいで息切れがすごい。

あとで、覚えてろよ。

そして、ある部屋の前に着いた。上を見上げると、明朝体で『第二相談室』と書かれていた。

この部屋に入るのは初めてだ。そもそも一階のこんな奥の部屋まで来たことがなかった。新鮮な気分だ。


コンコンコン


「失礼します。」

先生は扉をノックして部屋に入った。

第二相談室には、窓が4つほど設置されていた。少し横長の机にキャスター付きの椅子と一人用ソファが二つ置かれていた。

一人用ソファの一つに、見覚えのある背中がいた。その男はサッとこちらに振り向いた。

私は真っ先に父親の方に駆け寄った。

「空音〜!」

「お父さん。」

私と父親はハイタッチをした。

「はぁ〜先生いつもありがとうございますぅ。」

父親は語尾を高くして先生に話しかけた。先生はニコッと笑いながら頷いた。

うちの父親は陽気な人であり、いつも私を笑わせようと必死な人だった。先生と少し属性は似ているが、その属性の中でも合わない二人のようだ。父親と話す先生の表情を見る限りそう推測できる。

「今日は暑い中来てくださってありがとうございます。どうぞお座りください。あと、こちら、お水です。」

「わざわざすみません。」

私と父親は隣に座り、先生は向かいにある椅子に座った。

先生は机の上に置いてあったペットボトルを父親に渡した。父親は喜んで蓋を開けて勢いよく飲んだ。

「ぷはぁ!夏の水は美味しいですね!」

「ははっ、そうですね。」

先生は愛想笑いを繰り返した。私は父親の滑りネタに反応したくなくて無表情でいた。

「それでは、今日の本題に入りますね。」

私は何の要件も伝えられずにここに連れてこられた。父親と話すとだけ教えられていたため、少し緊張していた。

先生は何を話すんだろう。いつもより眉を寄せて険しい表情になっている先生を見て、さらに緊張感が高まった。

私は膝の上で両拳を握りしめた。

「まず、白夜空音さんの病状は心疾患というものです。心疾患の中でも心不全というものです。この病気は、5年生存率が約50%となっています。」

「はい。」

「現在は薬物療法を行い様子観察としていますが、いずれは手術をした方がいいかと思われます。」

「手術というのは、具体的にどのようなものなんでしょうか。」

父親は先生を真っ直ぐ見て何度も頷いていた。

「空音さんの場合は心不全なので、開胸手術になると思われます。これから重症化した場合、開胸手術によって補助人工心臓を植え込むことになると。」

私は医療用語が多くてよく分からなかった。しかし、父親は看護師というだけあり、熱心に話を聞いていた。

「そうですか。手術をするとなればリスクも伴いますよね?」

「そうですね。リスクも高まりますが、空音さんへの負担が大きいかと思います。ですが、ここ最近では手術をすることによって寿命が伸びるとも研究結果が出ています。」

私は、咄嗟に自分の耳を塞いだ。

なぜかって、怖いからだ。怖くて怖くてたまらなかったからだ。

このアホチンタラの私が聞いてても分かる。

私はただ風邪で入院している人たちとは訳が違う。心臓病といって、完治することがない病気なのだ。

別になりたくてなったわけじゃないのに、なってしまったのだ。

私は耳を塞いだまま下を俯いた。自分の肩が小刻みに揺れているのが分かる。

すると、父親の手が私の肩に触れた。

「もう一度この子と話してもいいですか?後日、連絡しますから。」

「分かりました。」

二人の声に、私は思わず涙目を浮かべた。優しい声が

こんなにも安心できるなんて。

もうすぐ死ぬっていうのに、死ぬことが確約されている人間を優しく扱ってくれる。

勝手ながらの意見だが、父親は私の立場を思ってこの発言をしてくれたんだと思う。

「それじゃ、私はこれで。今後とも空音をよろしくお願いします。」

父親はその場でスッと立ち上がり先生にお辞儀をした。

先生は何も言わずに軽くお辞儀をし返すだけだった。

「先生の言うことちゃんと聞くんだぞ!」

「分かってるよ。」

いきなり父親面されたらムカつく。うざったしい。

先生を見ると姿は消えており、出入り口の扉の前で扉を押さえていた。

「あーすみませんね!ありがとうございます。」

私も父親に続いて部屋を後にした。

「ありがとうございます。」


ガチャン


「そういえば、白夜さんは何科で働かれているんですか?」

前に歩いている二人が世間話を始めた。

「心臓血管です。」

「そうだったんですね。」

「空音のことは、ある程度把握しています。なので、知った時は余計に辛かったです。」

いやいや、こうゆう話は本人のいる前で普通話さないでしょ。別に私は人の言った言葉にいちいち傷つかないからいいけど。

「それじゃ、私はこれで失礼します。またね!」

二人が雑談を交わしている間に出口に着いていた。

父親は片手を上げた私に手を振った。私もその手に合わせて同じように振り返した。

「昨日花火の時、伝えようとしていたことってこれですか?」

先生は少し間をおいて返事をした。“ちがう“と。

「え?」

「そんな困った顔するな。」

先生はそう言いながら私の頭を掻き回した。

「ちょ、ちょっと!」

「戻るぞ。」

先生が言おうとしてたこと、別に今知らなくてもいいと思えた。

「心臓血管と先生の科は何が違うんですか?」

「おぉ〜!いい質問だな!それはな‥‥」

エレベーターに向かって扉が開いて4階に着くまでの時間が、こんなにも愛おしいだなんて。映画とかで言っている『この時間が一生続けばいいのに』は今になってよく分かる。

いつ死ぬかが明確な私にとって、更にそう思う。

一生だなんて私には存在しないのに。そんなこと思うだけ無駄なことだって分かってる。

けど、けどね、無意識に先生のことを考えてしまう。

これは罪なのか?ダメなことなのか?いつ自問自答してもパッと答えが浮かばなかった。

『4階、4階です』

私たちはエレベーターを降りた。

「今日は随分と人が多いな〜。」

「そうですね。やっと涼しくなってきましたから。」

先生の見立て通り、4階の中央広場にはたくさんの患者と看護師で溢れていた。また、患者の家族である見舞いの人も沢山いた。

私は点滴スタンドを押しながら先生と廊下を歩いた。

先生はもはや当たり前のように病室まで一緒に来てくれる。これが私にとってどんなに心強いか。私は先生に対してただ恋心を抱いているわけではない。先生は先生として、余命宣告されている私を何度も何度も励ましてくれるのだ。怖くて泣きたくなる夜なんて毎晩のようにある。その度に先生を呼べばわざわざ足を運んだこちらに来てくれる。

『空音は大丈夫。怖くない怖くない。』

と、背中をさすってくれる。

先生がいるから私は生きる希望を見出すことができるのだ。

すると、同じ病棟に入院している山おじちゃんの病室前を通りかかったタイミングで部屋から山おじちゃんが出てきた。

「おぉ〜空音ちゃん!元気してた?」

「あ、はい。こんにちわ。」

私は素っ気なく返事をした。今日の山おじちゃんはいつもより口角が上がっていた。

山本さんは二つ隣の病室で入院している心疾患のおじいちゃんだ。本人からの依頼で山おじちゃんと呼んでいる。

ある日突然このおじさんは私に話しかけてきた。そして言い方が悪いが馴れ馴れしく接してきて、少し抵抗があった。

「もうごはんは食べたかい?体調は大丈夫かい?」

「あーはい、大丈夫です。」

「ほれほれもっと明るい顔せんと!そういえば、部屋に金平糖があるから食べるか?」

本当に今日はテンションが高めでめんどくさい。

私は隣にいる先生の方を見ると、先生は腕を組んで中央広場を見つめていた。こちらには興味がないようだ。きっと、私が話終わるのを待っているんだ。

早くここから撤退しないと。

「大丈夫です。あなたもお元気でお過ごしください。では、失礼します。行きましょ先生!」

私は先生の腕を引っ張ってその場から離れた。

「おおー痛い痛い。」

先生はそう言いながら私に腕を引っ張られながら歩いてきた。

「空ちゃーん!」

すると、私の名前を呼ぶ声がした。

「白夜さん、あの子。」

先生が肩を叩いてその声の主を教えてくれた。私は先生の腕を離してその子を見た。

「久しぶりっ!」

私が古都波ちゃんを見る頃には、彼女はすでに私を抱擁していた。

「うわっ!近い近い!」

「今度そっち遊びに行くね!」

「分かった分かったありがとう。」

米澤古都波ちゃん。私より四つ上のお姉さん。一週間前に入院してきたばかりの大学生だ。

彼女は大学のテニスサークルの練習中にアキレス腱を派手に切って完治四ヶ月の大怪我で入院している。特にきっかけはなかったものの、彼女とエレベーターで二人きりになった時に話かけられて以降、仲良くしている。古都波ちゃんは人と話すことが好きらしく、私のことも初めて見た時から話してみたかったと言ってくる。ありがた迷惑だけどいざ話してみればかなりいい子だし話が面白かった。入院している階は違うけれど、なぜかかなりの頻度でここの階にいるのでよく会う。

「じゃ、またね!」

古都波ちゃんは松葉杖をつきながら窓際の方に行ってしまった。よくよく見ると、誰かと親しげに話していた。

「あれは彼女のおばあちゃんだね。」

「うんうん‥‥ってえ?!」

私は目を見開いて先生を見た。先生は大きく口を開けて笑った。

「知らなくて仲良くしてたの?」

「はい。」

「やばすぎ(笑)」

私はうるさい、と言って病室に向かった。

「まぁまぁ怒んないでって。」

「別に怒ってません。」

「ほんとに〜?」

先生は中腰になって私の顔をのぞいた。

「ちょっと何するんですか!」

「別に〜。」

「あぁーもう!ここまでありがとうございました!さようなら!」

私は先生の背中を押し出して点滴を握った。そして、病室に向かって猛ダッシュした。


ドタドタドタ!バン!


「もうなんなのよ‥‥!」

私は扉に寄りかかりながら意味不明な独り言を何度も呟いた。自分の頬を撫でてみると熱が篭っていた。

(改良途中)




私は一階のお菓子売り場に行き、お菓子を買おうとした。

「ありがとうございます。」

ついでに無料で置いてあるガムを取ってエレベーターのボタンを押した。

ふと周りに目を向けてみると、

「すみません、あれ?」

「えまって!ヤバいんだけど!!」

なんと、エレベーター内には葉那がいた。体育着姿に目元にはキラッキラのラメをつけていた。体育ズボンは短く折っており、派手にデコったメガホンを持っていた。

「これが例の?」

葉那は先生を指差して言った。

「どーも。」

先生はお構いなしにエレベーターに乗り込んできた。扉がしまった瞬間、とんでもないほど気まずい空気が流れた。


「プププププ!!」

葉那は私を見るたびに笑った。なぜなら、私が乗っているエレベーターには先生と葉那と私がいるからだった。私は恥ずかしくてたまらなくなり、何度も葉那を黙らせようとした。

「マジでお前あとで覚えてろよ?!」

私は小声で葉那を注意した。私も思わず笑ってしまった。


ピンポーン


「どーぞ。」

私の病室がある階に着いた。先生は開くボタンを押しながら私たちを通してくれた。

「ありがとうございます。」

先生はペコリとお辞儀をした。

「あざーっす!」

葉那は先生に向かってふざけた挨拶をした。私は思わず笑ってしまった。

「マジでお前最低すぎる!!」

私は右手で点滴スタンドを引きながら、葉那と腕を組んで病室に向かった。この時、私は先生のことなんか頭にちっともなかった。

「あれがあの″先生”?近くで見たけど結構イケメンじゃん。」

葉那は病室の椅子に座り、スマホをいじり始めた。

「でしょ?!かっこよくて優しくてほんと最高!」

私は無理やり元気なふりをした。本当は、苦しかった。なぜなら、手術のことで頭がいっぱいいっぱいだったからだ。夕方には父親が来て二人で話し合う予定だ。そのためにも、本当は葉那には帰ってほしかった。

「葉那、あのさ、あの‥‥」

「うん?うん?!え?!どうしたどうした?」

私は泣き出してしまった。そして、心の内を全て葉那に伝えた。

「あのね、私ね、今日ね、先生から病気のことについて言われたの。」

涙が溢れ出た。先生の前では泣かないと決めていたから。葉那は私のことを抱きしめた。

「うん、ゆっくりで大丈夫だよ。落ち着いて落ち着いて。」

優しい手が私を包み込んだ。

「う‥う‥うわぁぁぁぁぁぁん!!!!」



「少しは落ち着いた?」

「うん。」

私は、しばらく大きな声で泣いてしまっていた。その間もずっと葉那が慰めてくれた。

「なんかね、手術したら長く生きられるみたい。だけど、心臓移植っていって負担が大きい手術なの。」

「心臓、移植?」

「私もこれからお父さんと話すからそこまで詳しくないの。」

「私は医者でもなんでもないから何も言えない。だけど、最終的にはあんたが決めたほうがいいよ。」

「うん。ありがと。」

葉那は私の立場を思って意見を言ってくれた。これはちゃんと受け止めよう。

面会の時間が終わり、葉那が帰ってしまった。

私は一人になり、漫画を描き始めた。今日の登場人物は先生と私と葉那。この三人でご飯を食べるっていう謎設定。


コンコンコン


「はい!」

私は漫画を隠して急いで扉を開けた。

「うわっ!」

その拍子に何者かとぶつかってしまった。

「ごめんなさい!」

「いや、俺は大丈夫だけど空音ちゃんは大丈夫?」

そこには、黒Tシャツに白衣を着た先生がいた。私は思わず後ろに下がった。

「ごめんなさいごめんなさい!」

「‥大丈夫ですよ。」

先生はニヤリと笑いながら部屋に入ってきた。そして、近くのパイプ椅子に座った。

「空音ちゃん、手術のことなんだけど一旦、本人の意見も聞かせて欲しい。」

先生の視線はブレることなく、私を見据えていた。

「私は‥手術は受けたくない。」

「‥‥うん。分かった。ありがとう。ゴホッゴホッ。」

先生は軽い咳をしながら椅子から立ち上がった。


ガチャ


「先生!」

私は廊下で歩いている先生を呼び止めた。先生はクルッとこちらに振り向いた。

「あの、先生って、本当に喉の調子が悪いんですか?もう咳が出始めて一ヶ月以上は経ってます。」

先生は私を見下ろしながら言った。

「何もないよ。大丈夫。」

そう言って頭を撫でた。

先生は、白衣をちらつかせながら歩いて行ってしまった。




「ごちそうさまでした。」

「空音ちゃんはいつも綺麗に食べてくれるね。」

看護師さんが晩御飯を持って行ってくれた。お父さんは仕事が伸びて、今日は来れなくなった。また別日に来るそうだ。

「はぁ〜。」

私はため息をついてベッドに寝転がった。真っ白な天井には汚れ一つもついていなかった。

私はスッと立ち上がり、点滴スタンドを持って廊下に出た。暗い病院を徘徊しようと思ったのだ。

遠くから人の話し声が聞こえた。私は誰がいるのか気になり話し声のする方に向かった。

『涼も大変だなー。次の手術いつだっけ?』

『確か12月くらいかな。』

聞こえた声は、確かに先生だった。

『マジかよ。そしたら何にも喋れなくなるの?』

『そうだね。』

『その前に好きな奴に告白とかしないのかよ〜!』

え?何も喋れなくなる?どういうこと?

『それじゃ見回り行ってくる。』

マズイ、先生がこちらに来ている。私は逃げることもできずに先生と鉢合わせてしまった。先生は驚いた顔でこちらを見ていた。

「先生。」

「白夜さん、早く病室に戻りなさい。」

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。」

私は思わずその場から逃げ出してしまった。後ろからは先生が追いかけてきている。

「白夜さん、白夜さん!空音!」

先生はあっという間に私に追いついてしまった。先生は私の腕を掴み、多少の息切れをしていた。

「先生は、もう、喋れなくなるの?!」

私は泣きながら言った。

「‥君には関係ない。」

「関係あるよ!だって、私は‥」

先生は眉間に皺を寄せて私のことを見つめていた。


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