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第三話

ガチャン


私は部屋を出た。いつまで経っても使い慣れない点滴スタンドは、もはや何のためにあるのか分からなくなる。

窓から差し込む太陽に思わず目を瞑る。空いている手で目元を抑えたが、その抵抗も虚しかった。

「空音ちゃん!」

道中では、たくさんの看護師に話しかけられた。

「もうすぐ朝食の時間だよ?」

まず1人目。この人は佐野さん。朝方に先生と一緒に来た専属の看護師さん。他の人に比べてまだ若いみたい。一昨年まで研修生だったんだって。この人とは一番年が近く、二人で話すこともよくある。この病院内で気が許せる数少ない内の1人。お姉ちゃん的な存在でとっても頼りになる。佐野さん自身も明るく、話しやすい人だった。

「少しだけ、外に出てきます」

「そっか〜。8時には戻ってきてね!」

「はーい!」

面倒見もよくて私は好きだ。少し右足の一歩が遅れて躓きそうになったが、近くの手すりを掴んで何とか耐えた。佐野さんはすでに業務をしていた。他の看護師と話したりしてちゃんと看護師だった。

私はエレベーターの前まで行き、開くボタンを押してエレベーターがくるのを待った。この瞬間も何か別のことを考えてる。すぐ隣にある点滴スタンドを見ると———


あぁ、私は病人なんだ。


と思ってしまうからだ。

なるべく普段は病気とは無縁なことを考えるようにしている。最近は彼氏欲しいなが一番。あとは課題やらないととか、平方完成ってどうやってやるんだっけとか。砕けた話題を一人で考え込んでいる。この何気ないぼーっとする時間が好きだった。人と話すほうが好きだけど、たまには自分の世界に浸りたい時もある。


ピンポーン


「下に行きまーす」

エレベーターの中にはおばさん看護師が1人いた。彼女の名前は知らないけど顔は見たことある。

私は少し気まずそうにしながら小さくお辞儀をした。「体調平気?」

「あ、大丈夫です」

もうベテランそうな看護師は手を上に上げて脇を伸ばしていた。小太りで偏見だけど注射がうまそう。名は知らないが、いつか聞いてみよっかな。そういう人がこの病院には溢れていた。

「.....」

エレベーターの中には鏡がある。全身映る少し埃がかかった鏡。

私はこの鏡を見るのが嫌いだ。

鏡を見ると自分の貧弱な姿が写り、ほんのり涙を流すからだ。自分の顔を見るのが好きじゃない。

入院する前までは、毎日のように部活があって顔も体も引き締まっていた。自分で言うのも何だが、目もぱっちりで鼻先も綺麗だった。少し焼けたチョコ肌が似合っていた。

しかし、今は骨のように痩せ細り、やつれた顔になっていた。口角も下がって疲れているような顔立ちになっている。

.....なんで?病気のせいだからかな。でもたかが心臓病。食生活と直結しないのに。

ネットで調べたら、いろんな情報が書き込まれていた。私は心不全だから、痩せることがあるんだって。常に体のエネルギーを使ってるから食欲が低下する。ネガティブな情報しか目に入ってこないんだよね。

「1階でーす」

私は再び看護師に小さくお辞儀をしてエレベータを出た。

出てすぐ左に行くと広い中庭に繋がる。これが病室からの最短ルートだった。

初めて検査に来た日、ここの待合室で座って待ってたっけ。あの時はまだ元気で、走ることもできた。長距離走が得意だったかな。リレーにも選ばれたりしてた。クラスでヒーロー気取りになったり。まだ制服を着たていた時代だし。


あの時は、楽しかったなぁ。


そのままの足で外に出た。室内とは違って暖かな空気が身体を煽った。天気予報士の見かけ通り、疲れきった身体にちょうどいい気温だった。

本当は中で安静にしてたほうがいいらしいけど、たまにこうやって外出する。流石の私でも外に出ないと辛い。余計に息苦しくなってしまう。外の空気と室内の空気は全く別物だった。

中庭には数人の人がいた。全員年寄りだった。1人の患者に、付き添いの看護師がいた。またあの人も見たことある顔。名前は知らない。

ここの中庭は、1人ぼっちになるとどうしても来たくなる。特に思い入れもないが、なんか落ち着く。病院にこういうところが1つでもあると心に余裕が生まれる。

私はいつもの茶色塗りされたベンチに腰掛けた。ここから前を見ると、目の前に立派な木が一本生えている。そして太陽がある日は木陰になってくれる。

ここは私の定位置。座り心地も完璧。

ここで、ポケットからあるものを取り出した。点滴スタンドと一緒に持ってきた鉛筆と一枚のルーズリーフ。

これは、”漫画”を書くための材料。

今から私は、高校生漫画家になる。

いつも中庭で、自作の漫画を描いているのだ。

これは完全に私の趣味である。

子供の頃から家には常に漫画が置いてあった。生前、母親がかなりの漫画好きだったようで、古臭い今の時代に似つかわしくない漫画が棚に並べられていた。

その影響で、漫画を読むことが大好きだった。

そんな中でも一番に好きなのは、父親が書いた、『友情』という漫画。父親のオリジナル作品。泣き止まない私のために書いてくれたものだった。



これは、2匹の蛙の話である。1匹はみんなから好かれている人気蛙。もう1匹はみんなから嫌われている不人気蛙。側から見たら正反対の2匹だが、この2匹はとっても仲が良かった。

しかし、それをよく思わない2匹の蛙が住んでる国の王様蛙がいた。王様蛙は2匹を呼び出して選択肢を与えた。

『2匹一緒にこの国を出て行くか、どちらか1匹が出て行くか』

この国は島国であり、近くに他の国はない。人気蛙は一緒に出ていこうと言い出した。しかし、不人気蛙は自分だけが出ていくと行った。不人気蛙は、好かれていない自分が出ていけば全てが丸く収まると言った。2匹が揉めていると、王様蛙が明日の朝までに決断しろと言った。2匹は承諾して、各家に戻った。

次の日の朝になり、町人が2匹を確認しに行くと、2匹とも姿を消していた。家来達は国中を探し回ったが、いつまで経っても見つからなかった。しかし家のものは全てそのままであった。

一体、2匹はどこへ行ってしまったのか.....



ここで物語は終了する。

これが一冊のノートに漫画形式で描かれていた。

父親は漫画に限らず、小説を読むことが好き。それに加えて絵も上手に描けたので、よく芯のある物語を読み聞かせてくれた。

この物語が言いたいことは、人それぞれの見解で異なる。

人気蛙は国にいれば生涯幸せな人生だった。しかし、不人気蛙は2匹で出ていけば人気蛙が苦しい思いをしてしまうと考えた。

私は父親の漫画が大好きだ。よく父親は人間を動物に例えて描く描写が多かった。絵も素敵だしどこも細かく描かれている。私はよく、父親から絵の描き方を教えてもらっていた。

「はぁ.....」

ある程度のストーリーが描けると、一度ペンを置いた。首が疲れたので上を向いて深呼吸をした。空にはうっすら雲が広がっていた。

あの中に、母親がいるのかな。

「よしっ!」

疲れも取れたため、再びペンを持って絵を描き始めた。この絵を描き始める瞬間が、人生で一番幸せな瞬間だった。

漫画を描き始めれば全ての神経が絵に集中する。他のノイズが全て消されて、周りが見えなくなる。手は止まることを知らずに。

ここにもっと影をつければよくなるかな。あ、でもここはつけないほうがいっか。関節はどうやったら上手く描けるのかな。こうしたらもっと———

自分が余命宣告されていることなんて忘れてしまう。

頭にはたくさんのアイデアで溢れていた。

こっちを描いたらこう描く。

どういうコマ割りにすれば読者は喜ぶかな?

って、私の漫画を読む読者なんていないけど。

私にはファンがいる、という気持ちでやったほうが上手く描ける。ただ描くだけでなく、誰かのために描くというマインドでいってる。

私は、絵のモデルになる人はいないかなと周りを見渡した。よく人の描き方の参考として周りの人を観察する。最近では老人の腰の曲がり具合を練習している。今思えば、中庭には色んな人がいるなって思った。頭の中のアイデアがさらに増えそうで嬉しい。

暖かな日に少しだけの木陰。擦り傷が服と摩擦して痛痒い。

それ以外、何も考えなくていいって幸せなことだ。

この趣味は誰にも言っていない。私だけが知ってる秘密の趣味。

一日に一枚、必ず書くようにしている。

どんな場所でもいいから書くようにしている。晴れの日も、雨の日も、体調が悪い日も。いつの間にか、これが私の日課になっていた。

私は漫画に描く空を書くために空を見上げた。先ほどと同じような綺麗な青空が広がってると思った。

しかし、目を離した隙に別物のような空に変わっていた。

徐々に視界が暗くなり、突然にして曇天雲が青空を覆った。

太陽は、私を照らしてくれなかった。

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