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逃避行

「全て店を売ったぜ。金はある。俺と一緒に逃げてくれ。」

 何かの影に怯えるように、権蔵が帰ってきた。カバンいっぱいの紙幣。それを無造作に別荘の中に運び込む。リビングにいた沙羅にお構いなしに、札束を用意して居た別のスーツケースに移し替え始めた。

「あんたのそれ、なんなのよ。」

 沙羅は嫌な予感がした。急いで帰宅、紙幣の詰め替え、夜逃げの準備。誰かに追われているのは確かだった。

 ようやく荷物をまとめた権蔵は、沙羅をジープの中へ押し込んだ。

「俺を嗅ぎ回っている奴がいる。きっと昔の仲間だ。俺の財産を狙っていやがるんだ。」

「待ってよ。これからどこへ行くってのよ。」

「こうなりゃ、俺の故郷、北海道へ行くさ。」

「北海道?。」

「余市の豊丘。山ん中だ。俺は、その豊丘で生まれたんだ。」

 沙羅にとって初めて聞く土地だった。これからのことは想像もできなかった。権蔵は、そんな沙羅の表情を一瞥しては遠くを見つめて、話を続ける。

「余市からヌッチ川を遡って行く道があってなあ。道端には白樺とネコヤナギが辺りにあってな、冬は雪に埋もれるが、夏になると明るい緑が風にそよぐんだぜ。俺はその道から奥へ入り込んだ小屋で生まれたんだ。」

 そんな辺鄙なところへ連れて行かれては、たまったものではなかった。

「どうやってそんなところへ行くのよ。山の中へなんて、この車で行けるわけないわ。」

「この車があれば山道だって、オフロードだって走れるさ。」


 ………………………


「俺のことを聞きに来た奴がいる?。」

 《恩があるから探しているらしいぜ。》

 電話の相手の声が小さく響く。

 《恩があるからっていうから、郷里へ帰ったとは言ったんだ。》

「それならまあいいか。」

 《ところがよ、『それでは、北海道へですね』と言いやがったぜ。》

「そいつは誰だよ。」

 《わからねえ。》

 権蔵は昔店を任せていたマスターから、追っ手が北海道へ来るかもしれないと聞かされた様子だった。

「助けに来る!。」

 沙羅は、ふとその追手がアキラのように思え、いつか迎えに来てくれると思えた、自ら逃げなくても……。



 苫小牧からの道は広く、平坦だった。権蔵は必死に車の速度を上げて高速道路を走った。時々同じ方向をゆく自動車も、相当な速度。白樺の薄い緑の風が車を遮るのか、周りの森の色は変わらない。いつまでも迷路から抜け出せない呪いのように感じられた。次第に権蔵は疲れを覚えたようだった。

「このサービスエリアで休もう。」

 周りはすでに夕暮れ。札幌にさえ行き着けていない。灯の乏しい夜の帳の中、彼らは北の大地の泥に絡まれ、眠りの中に引きずり込まれていた。


 余市からヌッチ川を遡って、豊丘の家に着いたのは、次の日の夜昼前だった。権蔵の目指したのは、空き家だった。それでも家具はまだ使えそうなものばかり。つい先日までは、親御さんが健在で、今は介護施設だという。

 冷蔵庫はもちろん、家のどこにも食べ物はなかった。空腹を覚えた権蔵は、沙羅を連れて裏手の山の中へ入っていった。少し森の中に入り込むと、そこには幾らかの畑が切り開かれている。じゃがいも、アスパラガス、山芋…。それらは開拓の時から使われて居た土地だった。

「この前の収穫で、取らなかった野菜があるかも知れねえ。この道具で畑を探すんだ。」

 沙羅にも道具を持たせる権蔵に、沙羅は文句を言った。

「なんでこんなことをしなけりゃ行けないの?。」

「おめえもここで農業をするんだよ。」

「こんな服で作業をさせるの?。」

「うるせえな。それならあの家に戻って作業服を探してこいよ。言っておくけど、ここから余市までは、三里はある。今更、逃げ出すなんざできねえぞ。」

 沙羅は空腹のまま、この地での生活を始めざるを得なかった。


 ………………………


「店を全て売り払った?。」

 探偵の報告にアキラは驚いた。アキラは沙羅の捜索願を出していた。病院長や三鷹のスナックのオーナーから聞いた話から、権蔵という昔の店の男が沙羅を連れ出したことまではわかって居た。


 アキラは探偵事務所からの報告を聞いて、彼らがもう東京にはいないと感じて居た。

「沙羅は権蔵の郷里へ連れて行かれたということか。それとも、逃げもせずに……。」

 調べによれば、以前の本籍は北海道だということだった。探偵とアキラは新宿のキャバレーに辿り着いた。そこの新しいオーナーは、古くからいたマスターを紹介してくれた。

「沙羅?。うーん、みゆきちゃんだったかな。子連れの女の子、前のオーナーと仲よかったからね。」


 まだ中年と呼ぶには少し早い年代のその男はそう答えて、前のオーナーのことを教えてくれた。噂も含め、昔の女と北海道へ渡ったというところまでしか、わからなかった。

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