父を求める心
日本の何処かに父がいる。沙羅は直ぐにでも父を探しに行きたかった。
四月。沙羅たちは三年に、アキラ達は二年にそれぞれ進級した。沙羅たちは受験モード。放課後の補習とグループでの勉強会。出かけることはおろか、父の記憶を手繰る時間さえ許されていなかった。
四月になって初めての休みとなった日曜、沙羅は一人で西新宿の富士重工本社へ出かけた。鍵の締められたシャッター。人影のないビルの玄関。日曜であるから当然なのだが、電話さえ持たず社会経験の貧弱な少女には、前途が閉ざされたように感じられた。
ふと、アキラの顔が目の前に浮かんだ。
「なぜ?」
帰り着いたアパートの部屋で、独り言を言いながら、考え込んだ。
アキラ…勉強熱心な少年…熱心に読み耽っている機械工学の本…自動車工学。彼なら何とかしてくれる?。正確にはそう考えたわけではないが、アキラに頼ることこそが一つの道のように思われた。
「あの、アキラ君いらっしゃいますか?」
沙羅が仕事場を覗き込むと、重蔵が顔を上げて答えた。
「アキラ?。アイツァいま草履を浅草橋へ納品に行っているよ。自転車で出かけているから、帰宅は夕方だな。」
「そうですか…。」
沙羅が顔を伏せた。重蔵は作業を中断して沙羅を見つめた。年明けに沙羅が見せた絶望。ロサンゼルス修学旅行から帰国して以来の焦燥。重蔵は沙羅の姿を注意深く観察し続けている。
「どうしたんで?」
沙羅は徐に重蔵に事情を説明した。
「分かった。土曜日なら富士重工本社は開いているかも知れねえよ。」
この頃土曜は半ドンといって、午前中に勤務するのが普通だった。それでも、沙羅たちが西新宿に着く頃まで会社の受付が開いているとは限らなかった。
「十一日土曜なら、あいつも俺も空いているぜ。土曜の授業が終わったら、学校からあいつと一緒に直接新宿へ来な。新宿駅の西口までは来られるよな。心配するなって。任せな。 」
土曜の午後、二人は自転車をお花茶屋駅の近くに置き、京成電車に飛び乗っていた。
「ここから日暮里へ。山手線に乗り換えて新宿まで。一時間で行くと思う。」
アキラの説明は手短かだった。彼は知らずのうちに沙羅の手を引いている。車輌に乗っても一生懸命すぎて、沙羅の手を握りしめていることにも気づいていない。いや、気付く間も無く日暮里駅に着いていた。ドアが開くと同時にアキラは沙羅の手を強く引いていく。
「新宿駅西口の広場の向こうだから、山手線は後ろの車両へ。」
彼は、過ぎ行く駅と時計とを見比べながら、色々計算しながら動いている様子だった。が、好意を寄せる少女の手を握りしめていることには、まだ気づいていない。
「アキラ君、ちょっと痛い。」
巣鴨駅を過ぎる頃になって、沙羅は遠慮がちにアキラに呼びかけた。ここに至ってやっとアキラは自分の握りしめていることに気づいた。
「あっ、ごめんなさい。」
沙羅がアキラの顔を見上げていることにも、ようやく気づく始末だった。
「あ、あの、急がないといけないなあ、なんて思ったから。強く引っ張ってましたね。」
「ちょっと痛かっただけ。こんなにテキパキ動くなんて、とても手際がいいのね。」
申し訳なさとほめられた恥ずかしさと嬉しさ。アキラは耳を真っ赤にしたまま沙羅の声を心の中で反芻した。
「もう直ぐ新宿じゃないのかしら。」
そう言われても、心に反響し続ける沙羅の声に溺れている。訝しげな表情の沙羅は、目の前の階段を降り、アキラを引っ張った。
「アキラ君?。ねえってば。」
上の空のアキラは歩く方向もおぼつかなく、沙羅がアキラを引っ張っていく。その直後に我に帰ったアキラは、自分の不始末に恥じ入るばかりだった。
西新宿の富士重工本社前。玄関は、ガラス扉が既に閉まっている。中を覗き込んでも誰もいない。
「もう閉まっている……。」
沙羅達は肩を落とした。重蔵もいなかった。午後早くついたはずなのに、午後四時を回っている。疲れを覚えた二人は歩道の縁石に座り込んだ。
「私、飲み物を買ってくるね。」
沙羅はそう言ってアキラを残し、地下広場に降りていった。アキラは手持ち無沙汰のまま沙羅を待った。
「ねえ、君、大学生?。」
三人連れのホストらしき若者達がアキラに声をかけてきた。もう歌舞伎町のホスト達が出勤し始める時間だった。
「ハンサムだね。うちの店で働かない?。」
声をかけてきたのは、他の男達に比べて幾らか年長のリーダー。アキラは日本人とラテン系のハーフであれば、やはり人目をひくの程のハンサムだった。スカウトを受けても仕方がない。
「僕は連れがいるので……。」
「君ならいっぱい稼げるよ。」
何回かそんなやりとりをしているところへ沙羅が帰ってきた。アキラはその姿を確認して大声をあげた。
「さっきからお断りしているじゃないですか。しつこいですよ。」
「そうよ。私達は、あなたがたにお付き合いするほど暇じゃないです。」
「何だと!。人が下手に出てりゃいい気になって。」
沙羅が口を出したのがまずかったのか、ホスト達の中で若い方の男がアキラの肩に手をかけた。
「嫌よ。」
沙羅は思わず悲鳴をあげた。アキラは焦ってその若い男に組み付いた。
「このやろう!。」
沙羅達は押さえつけられてしまった。その時、駅前のタクシー、バスの音が消えた。静かになった空間の奥から重蔵が声を荒げていた。
「お前ら、なにしていやがる。」
ホスト達は凍りついたように動きを止めた。
重蔵の後ろから、一人の老人が近づいてくる。いささか古めかしい制服を着ている。警察官?。彼は手慣れたように無言で動かないホスト達から、沙羅やアキラを引きだした。
「さあ、こちらへ。」
彼は、鍵で締められていたはずのガラス扉を開いて、沙羅達を招き入れた。
「この方がそのお嬢さんですか?。」
彼は、次の瞬間には跳躍してもいないのに、先程まで誰もいなかったはずの受付に立っている。重蔵は不思議がることもなく、応える。
「そう、相楽沙羅さんです。沙羅さん、あのメモをお見せして。」
沙羅はカバンの中から、ロサンゼルスで渡されたメモを取り出した。
“Sara Jardi-Sagara:
Father: Julio Jardi
Mother: Hana Sagara
……
952, East 416th St., Los Angels”
「ここに書いてある名前のうち、
Sara Jardi-Sagaraというのがこのお嬢さん、そしてお尋ねしているのが彼女の父Julio Jardiさんです。お調べ願えますか?。」
「既にあの黒人達の祈りを受け取っていますよ。対処しましょう。………。さて、よく来たね。」
この老人は、守衛というよりも門番といったほうがいいかもしれない。
「私は確かに門番だよ。そう、天が人を選んだ後、幸せの中に導き入れる門番……。」
重蔵が彼に振り返り、首を横に振る。
「余計なことは言わないでいてほしい。今はここでの仕事を全うしてくれないかな。」
「わかった、わかった。」
重蔵は説明を付け加えてきた。
「彼は、守衛。というより門番だ。この会社がスバルとして祝福を受けてから、この会社の門番なんだよ。善き人を選び入れ、知恵と技術を与え、祝福を受け入れ続けてきている。だから、多分君のお父さんの昔のことも知っているかもしれない。」
「今はまだわからんよ。過去を遡らなければいけない。受け入れられた人々の過去、召された人々の過去、この会社の設立以来の過去もね。」
沙羅には彼らが何を言っているのか、わからなかった。ただ時間がかかる、それだけは感じられた。
「まあ、なにぶん昔のことですので、調べるのにお時間を頂戴いたします。」
先程から、傾いた夕日が動いていない。
沙羅達が気がついた時には、先程のガラス扉の前に立っていた。
「さあ、あとは御心のままに任せて、我々は帰ろう。」
「御心のままに?」
沙羅は思わず重蔵を見つめた。重蔵はその視線を受け止めた。
「アメリカでなされた祈りの断片に、沙羅さんのための祈りがあったそうだ。何でも善良な黒人夫妻だったらしいが。御心は愛。愛は祈り。そこには聖霊がいる。その様々な祈りが道を必ず開く。」
「なぜアメリカのことをご存知なのですか。」
重蔵はふふと笑った。
「現地では日本の誰にも言わずに行動したつもりなのかもしれないが、君のための祈りは、ロサンゼルスでも為されたし、私達も為す。そして、天においても。祈りの中で悟らされることもある。」
「君は一人じゃない。耐え続けるだけなら辛さしかない。でも、必ず道が開かれることを知ったなら、耐えることができる。その行為を「待つ」と呼ぶのだよ。だから、待ってみたらどうかな。」
沙羅は不思議な夢を見たような感覚にとらわれた。
彼らは、寝かされているホストたちをそのままに、足早に新宿を後にした。
その後、沙羅は落ち着きを取り戻し、その頃に行われた実力テストの結果は一応上位の成績だった。夏休み早々には青山学院大の給付生に決まっていた。




