ロサンゼルスの隣人
みしりとガラスがきしむ。成田の出発ロビーからでも、北風によって砂塵が舞っている様子が見て取れる。あと三時間で春の嵐はやむだろうか。飛行機が無事に飛び立てるかどうか。総出で付き添いをする教師たちは誰しもが危惧していた。沙羅は、それに加えて別の意味で心が穏やかではなかった。たった数日の滞在で、何が起きるか、人に会えるか、そして手掛かりを得られるかどうか。
沙羅は古い米国のパスポートを取り出した。モノクロ写真の幼児の写真は、沙羅だった。
「アメリカから来た時のあんたのパスポートと、あんたが生まれた時の品と・・・・。」
それは継父義男が言っていたものだった。唯一の手掛かりをぎゅっと握りしめて、沙羅は風の渦巻く外を見続けていた。
夕刻になって風はやんだ。ぎりぎりのタイミングでの離陸。沙羅の席のすぐ横にある窓には、宵の明星。飛行機は間もなく旋回してジェットストリームへと昇っていく。空港とその周りの下界は、すでに夜のとばりとダイヤモンドの光に沈んでいた。
飛行機の中は、生徒たちの歓声で騒がしい。興奮冷めやらぬ彼らに、寝ろ、落ち着けというのが無理な相談だった。黄色い声を上げるまなみたちや周りの歓声に付き合いながら、不安な沙羅も笑顔と笑い声が出る。
ふと思い出したように薄暗い星空を見上げると、後ろに流れゆくような雲は消え、ちらちらと星たちだけが案内する空路。窓の外は寂しい。生徒たちを乗せる飛行機も孤独な飛行を続ける。沙羅は、そんな旅情に浸りながら、窓から視線を前方へとむけた。前方に立った教師たちからの説明が始まった。
「全員注目してください。いよいよ修学旅行が始まりました。」
「約一週間。私たちは、西海岸に行きます。主な滞在地点は、ロサンゼルス近郊のグレンデール、ロサンゼルスのダウンタウン・・・・。」
二年生最後の時期に行われる修学旅行。沙羅たちの学園は私立高校らしく、修学旅行の行き先は西海岸ロサンゼルス一帯。ロサンゼルスには、沙羅の生まれたダウンタウンがあるはずだった。
ロスの空港は大きい。外国人専用の受付カウンター。その到着ロビーフロアいっぱいに並んだ生徒たちは、わいわいがやがやとうるさかった。胡散臭そうに、太ったネイティブアメリカンの係員が生徒たちを見つめている。
「金満日本人か。」
その係官は、古いパスポートを開いたり閉じたりしている沙羅を見つけた。古い米国のパスポート。彼は、生徒たちに付き添っていた現地ガイドの女性に何かを告げると、二人は沙羅に急ぎ足で近づいてきた。
「あなた、内国人ね。」
現地ガイドの女性は、そういうと係官と一言二言言葉を交わすと、沙羅を内国人向けの窓口へと連れていってしまった。その様子を見た教師たちと男の現地ガイドとは、戸惑いながら集まってきた。
「あの空港職員は、沙羅さんをどこへ連れていったの?。」
心配顔の吉田先生が現地ガイドとまなみたちとを交互に見ながら、不安そうな声を上げる。
現地ガイドは、トランシーバーを介して事情を把握しつつあった。
「相楽沙羅さんは、アメリカ国籍を有している可能性があります。二重国籍ですね。今調べているのだそうです。入国窓口は内国人向けのところになるのかもしれません。」
沙羅には、先ほどのガイドが付き添って居た。係官は、シティホールの市民課と連絡を取り合い、送られてきた記録の写しを読んでいく。
「貴女は、サラ・ジョーディ-サガラという名ね。お父さんは…、この記録ではジュリオ,ジョーデイという人ね。出国はもう何年前になるかしら?」
先ほどの係員が書類を示しながら現地ガイドに話しかける。現地ガイドは日本語に訳して沙羅に伝える。沙羅が質問に答えると、現地ガイドが係員に英語で伝えていた。係員はシティホールの市民課に何回か電話をかけ、次第に沙羅の身の上を把握していった。
「貴女はロサンゼルス生まれよ。ダウンタウンでしばらく暮らして、お母さんと一緒に日本へ出国して行ったのよ。」
修学旅行の最終日、沙羅のもとにいくつかの書類が届けられた。新しい米国のパスポートと、何かを書きつけられたメモ。それは、沙羅が生まれた時の名前と、住んでいた家の住所だった。
「Sara Jardi-Sagara:
Father: Julio Jardi
Mother: Hana Sagara
……
952, East 416th St., Los Angels」
このころのロサンゼルスは、典型的な車社会であり、地下鉄やバスはあまり普及しておらず、代わりにフリーウェイが発達した街だった。この日生徒たちは、宿泊していたグレンデールのグリフィス公園近くのホテルから、バスに乗ってエンジェルス国立森林公園をめぐることになっている。その間に、沙羅は現地ガイドの運転する車に乗り、生まれたというその住所を訪ねることになっていた。
その住所には、確かに彼らが住んでいた瀟洒な家があった。
「失礼します。どなたかいらっしゃいませんか。」
現地ガイドが大声で呼びかけた。すると、カーテン越しに外をのぞく女の姿があった。中年の白人。用心深くドアを開いている。
「誰だね。こんなところへ?」
「ここに、十六年前、ジュリオ・ジョルディという人が住んでいたはずなのですが・・・・。」
「いや、知らないねえ。私たちは、三年前にここに引っ越してきたけど、そんな昔のことは知らないよ。」
その家の主は首を振り振りドアを閉じてしまった。
「まだ、近所に聞いて回ることができるから、がっかりしないで・・・・。」
しかし、数件を訪ね歩いても、誰もジュリオ・ジョルディという男を覚えている者はいなかった。何軒も訪ねた挙句、手掛かりを見失った沙羅は、その家の前で泣き出してしまった。もう、宿へ戻らねばならない時間だった。そして、明日は帰国の日だった。
「最後だけど、あの角の住人に聞いてあげよう。まだ希望はあるわよ。」
そこに住んでいたのは、気のいい黒人夫妻だった。
「その一家なら、よく覚えているよ。」
現地ガイドと沙羅は顔を見合わせ、飛び上がった。
「やった。」
「それで、ご存じのことを教えていただけますでしょうか。」
「あんたたちは、誰なんだい。」
「彼女は、サラ・ジョーディ‐サガラといいます。この一家の娘なんです。」
「サラ・ジョーディ‐サガラ?。じゃあ、あの赤ちゃんがこの子かい。大きくなったねえ。お父さんとお母さんはどうしたんだい?。」
沙羅は目を伏せて答えた。
「母は亡くなりました。私は父を探しにここへ来たんです。」
「そうだったのかい。気の毒に・・・・。それでお父さんを探しに来たって?。」
「はい、父のことをご存じないですか。」
「あなたたちの一家は、赤ん坊だったあなたと、メキシコ人のご主人と日本人の奥さんだった。あなたを産んでから、あなたのお母さんは精神的に折れてしまった。彼女はダンナが止めるのも聞かず、あなたを連れて日本に行っちまった。お父さんを探しに来たって言ったねえ。。そうさねえ、ダンナも、しばらくして日本へ行った。富士重工とかいう飛行機メーカーだったと思ったよ。そして、あなたたちを日本へ探しにいったんだろうねえ……。」
「富士重工・・・・。」
その会社は、高度な機械技術とエンジン技術を持った日本を代表するハイテク企業だった。
気のいい黒人の主婦は別れ際に沙羅を抱きしめた。
「祈っているよ。忍耐しなさいよ。ここに来るまでも忍耐していたんでしょ。そして私たちと会えた。これは奇跡よ。あなたにはこれからも必ず道が開けるわ。」
黒人夫妻が教えてくれたことの概要は、ガイドによると以下のようだった。
先ほどの瀟洒な戸建に、かつてジュリオ ジョーディというメキシコ人が住んでいた。妻はハナ サガラ。子供はサラジョーディ-サガラ、沙羅のことだった。沙羅が誕生して半年後、母子は米国を離れた。その際、ジュリオ ジョーディは妻ハナに捨てられたも同様だったことも分かった。しばらくして、ジュリオジョーディはアメリカから去って、母子を探しに日本へ行ったということだった。




