第9話 天井から来た通信担当
天井の通気口から、もう一度くしゃみが聞こえた。
その後に、通気口の蓋を内側から押すような金属音がした。長方形の蓋が少し浮いて、隙間から細い工具の先が出てきた。
「ルミ。あれって、この船じゃ普通なのか?」
「判断材料が不足しています。レンの頭上に、人間一名分の呼吸音を検出」
「……普通じゃなさそうだな」
寝台から立ち上がると、膝に力が入らなかった。机へ左手をつく。首から肩へ痛みが走り、視界の端が一瞬だけ暗くなる。
「急な起立を推奨しません」
「俺も今、そう思ったところだ」
天井の蓋が外れた。蓋が落ちる寸前で、小さな手がつかんだ。
穴から金色の片目がのぞき、俺と机と扉を順に見た。
『声を出すなよ?警報が拾っちまう』
少年の声は知らない言葉だったが、首もとの輪を通すと意味が分かった。
少年は蓋を片手で支えたまま、身体をひねって室内へ降りた。身長は俺より頭一つ以上低かった。
細い手足には、工具や薄い端末がいくつも固定されており、右目は暗い茶色で、左目だけが金色だった。
「もう喋ってるだろ?」
『これは点検用の近距離回線。部屋の記録には残るけど、船内警報までは鳴らない。たぶん』
「最後の一言が不安だな」
少年は蓋を元の位置へ戻した。勝手に侵入してきたというより、普段からこの場所を点検しているような手つきの良さだった。
『俺は通信と電子戦担当、ビットだ。十七歳。先に言っとくけど、子ども扱いはするなよ?』
「俺は神代蓮、二十三歳だ。ビットでいいんだな?」
『それでいい』
「ビットはなんで天井から来たんだ?」
『正面から来たら三時間待ちだから』
ビットは机の端へ飛び乗り、薄い端末を置いた。
画面には読めない文字が何列も並び、その中央に黒い人型の機体が映っていた。
割れた王冠のような頭部。背中には閉じた六枚の刃。黒い装甲の縁だけが、星の光を反射している。
《アンノウン》だった。
「この映像、どこで手に入れた?」
『戦場の観測映像と、あんたが助けた輸送艇の外部映像。誰かが複数の映像をつないで流した。何度も転載と圧縮を繰り返してて、最初に流した奴までは追えない』
画面の機体が、回転する輸送艇へ手を伸ばす。
次の瞬間、機体の周囲で星が見えなくなり、機体も船も映像から消えた。
俺が操縦席で見た時よりも遠くから撮られている。
映像の周囲には、数字の列が増え続けている。
数字自体は読めても、何を示しているのかは分からない。
『この映像一本の値段が、一般作業機一台分を越えた。こっちは現在位置の情報だな。この映像の十倍を出すって奴が三人もいるんだ』
ビットが値札を指で囲み、その隣に簡単な機械の絵を出した。
四角い胴体に二本の腕がついた、荷物を運ぶための機械みたいだった。映像一本の値段が、その実物を買う金額より高いらしい。
さらに現在位置の情報には、それよりはるかに大きな金額が表示されていた。
『高いのは映像じゃない。次に機体がどこへ現れるかという情報だ。機体だけでいい奴もいれば、操縦者ごと欲しがる奴もいる。なんなら、残骸でもいいって条件まである』
「この場合操縦者はどう扱えって?」
『説明は何も書いてない。だから安全だと思うな』
無意識に、左の内ポケットにある腕時計へ手を当てた。
地球へ帰る方法も分からないのに、この世界では顔も知らない誰かが、俺たちの居場所に金を出そうとしている。
「俺たちが、この船にいることは?」
『まだその情報は売られてない。少なくとも、俺が拾える範囲ではな。ただし、《ラグナ》が救難信号に応答した記録は残ってる。次に公衆中継へ接続したら、船の航跡とこの映像を照合して、ここにいると突き止める奴が出るかもな?』
「今は公衆中継につながってないのか?」
『外向きの通常回線は絞ってる。けど、救難通信と船の安全情報まで切ったら、今度はこっちが海賊扱いされてしまう。救難信号の送受信を切ってる船を、誰が信用する?』
ガレスが、身を隠すために救難規則まで破るとは思えなかった。
今できるのは、必要な通信だけを残して、余計な情報が漏れるのを遅らせることくらいらしい。
「出回った映像は消せないのか?」
『もう複製が百を越えてるから無理だな』
ビットは画面を二本の指で払った。
別の映像が現れた。映っているのは同じ黒い機体だった。
「買ってるのは誰だ?」
『正体を知りたい奴、情報を売りたい奴、機体を壊したい奴、機体を利用したい奴などさまざまだな。名前だけなら山ほど出てる。本人か、名義を借りた別人かどうかは分からないけどな』
「これを見せるために忍び込んだのか?」
『半分は合ってる。残りは、黒いのを動かした本人が映像を見て何を言うか、聞きたかったんだ』
「映像には映ってるけど、遠すぎて細かいところまでは分からないな」
『そこ?』
「少なくとも、命を狙われるほど格好よくは見えないぞ、これ?」
『十分目立つだろ。真っ黒で、王冠みたいな頭で、しかも、船ごと消えるんだぞ?』
「俺には、壊れて止まってる機械にしか見えない」
ビットが金色の目を細くし、端末を操作していた指を止めた。
『……それを知ってるのは、この船の中の人間だけだ』
机全体が白く光った。
光ったのは、ビットが持ち込んだ端末ではない。
星図や救難記録を表示していた、隔離室備え付けの端末だった。
読めない文字が一列流れ、白い服を着た女性が画面に現れる。
『なんで勝手に映るんだ!?』
ビットが机から降り、自分の端末と壁を細いケーブルでつないだ。金色の義眼の縁が忙しく明滅した。
「この人、ビットの知り合いか?」
『アルセイルの第一王女。レティシア・アルセイル。《銀河の白星》を知らないって、どこの閉鎖区画育ちだよ?』
「愛知県育ちだが?」
『どこだ、それ?』
「俺も帰り方が分かればいいんだけどな」
画面の女性は、俺と同じくらいか、少し年下に見えた。
淡い金髪には銀色の髪が混じっている。左右で目の色が違い、左目の下には小さなほくろがあった。
白い正装を身につけ、背後には旗が掲げられている。
きちんとした姿とは反対に、目の下には薄いくまがあった。
『わたくしが求めるのは、アルセイルだけに認められる特例ではありません。武装を解除し、検査を受ける避難船に対して、国境を越える難民航路を開放することです』
女性の声は落ち着いていた。だが、次の言葉を口にする前に、ほんの一瞬だけ間が空いた。
『帰る場所を失った人々から、次へ進む道まで奪わないでください』
その言葉を聞いて、星図に地球が見つからなかった時のことを思い出した。
女性は最後まで表情を崩さなかった。話し終えると、ゆっくり一度だけ瞬きをした。
「……ずいぶん眠そうな人だな」
『そこなのか? 銀河中が容姿と演説を褒めてる相手だぞ』
「言ってることはなんとなく分かる。でも、ちゃんと寝た方がいいと思う」
「レン。演説者は『帰る場所』と発音する直前、0.7秒間呼吸を止めています。原因は判定できません」
ビットが首もとの輪を見た。
『もしかして今のが、記録で別欄にされたルミか?』
「もう聞いたのか?」
『これでも通信担当だぞ?情報はすぐに確認するに決まってる』
「そういえば、そうだったな」
公開映像が消え、机は黒へ戻った。
黒い機体の映像は、ビットの端末から映し出したものだった。
しかし、今の演説は、外部網から切られているはずの隔離室の端末に直接表示されたのだ。
『おかしい。この部屋の端末は外部網から切ってある。船内連絡と医療警報しか受けない。王女の公報だろうが、勝手には入らないはずなんだ』
「配信経路は照合できません。受信事象と音声記録を保存しました」
『俺の端末にも受信経路の記録が残ってない。誰かが消したんじゃなくて、そもそも最初から記録されていないみたいだ』
「そんなことができるのか?」
『「できる奴がいるから」で片づけたら、通信担当の意味がない。受信したなら、どこから届いたのか記録が残るはずだ。でも今回は、それがない。だから普通なら受信記録そのものを疑うんだ』
「ですが、映像が表示されたことは事実です」
『そう。俺もレンも見たし、なんならお前も記録してる。これは報告しないといけないな』
「私の記録も別に扱うのであれば、確認できる記録は三つです」
『もちろんその数に数えるぞ?きちんと別々に記録するんだろ?』
「記録します」
ビットはもう笑っていなかった。さっきまで素早く動いていた指を止め、画面の表示を一つずつ確認している。
「船長には?」
『黒い機体の件は送った。公報の件は今からだ。隔離室へ入ったことも記録に残ってる。記録を消すと余計に怒られるからな』
「そこは正直なんだな」
『規則を破るなら、見つからないようにやるのも腕のうちだ。でも、見つかった後まで隠そうとすると処分が重くなる。トウマはそういうところに厳しいんだ』
ビットはケーブルを巻き取り、別の画面を開いた。
何かの申請画面らしいが、俺には並んでいる文字も記号も読めない。
『黒い機体の映像には、もう値段がついてる。おそらく次に売られるのは、あんたたちがどこにいるかって情報だ』
「俺たちの居場所か?」
『そう。今のあんたは身元不明で、機体も所有者が分からない。このままだと、誰かに連れ去られたり機体を持っていかれたりしても、誰のものを奪ったのか証明しにくい』
「つまり、持ち主が分からなければ、拾っただけだって言い張れるのか?」
『そういうこと。誰のものか分からない荷物なら、持っていった奴も「盗んだんじゃない」って言い訳しやすいだろ?』
今の俺と機体も、身元や所有者が分からないままなら、似たような扱いを受ける可能性があった。
「身分があれば安全なのか?」
『安全になるわけじゃない。でも、身元がはっきりしていれば、何かあった時に港や保険屋、傭兵も動けるんだ』
「追ってくる相手が、そんなことを気にするとは限らないだろ?」
『気にしない奴もいるさ。でも、身元の分かってる人間をさらったり、所有者のいる機体を奪ったりすれば、それだけ面倒が増える。持ち主の分からない物を持っていくのとは違うからな』
さっきはルミを機体の一部として扱わないよう整理したばかりだ。今度は、俺自身の身元をはっきりさせる必要があるらしい。
『追っ手に見つかる前に、レンの身元を正式に登録した方がいい。船長も同じことを考えるはずだ』
「何をすればいい?」
ビットが画面を俺の前へ滑らせた。
『まず確認する。これ、読めるか?』
画面には、形の違う文字が二十ほど並んでいた。
一つも読めない。
「分からない」
『一文字も?』
「一文字も分からないな」
ビットは俺の顔を見たまま、しばらく黙った。
『……身元登録の前に、文字から教えないと駄目か』




