第6話 機械にも脈はある
床の下から、金属を叩く音が三度届いた。少し間を置いて、今度は二度鳴った。
人が扉を叩いているのとは違い、もっと遠く、格納庫の壁を伝ってきたような音だった。
「打音検査と推定します。《アンノウン》の駆動機能は停止状態を継続しています」
首もとからルミの声がした。寝台で横になっていた俺は、痛む肩をかばいながら身体を起こした。
眠ったつもりはないのに、まぶたが重い。右手はまだ震えが止まらず、膝にも力が入りきらず、足元が不安定だった。
「殴られてるわけじゃないんだな?」
「打音検査は破壊を目的としません」
「分かってる。少し気になっただけだ」
「安心に適した回答形式を検索します」
「今の回答で十分だ」
閉じた扉の向こうで、足音が止まった。表示が橙から青へ変わり、透明部分にガレスの大きな顔が現れる。
『現物を診せると言ったな』
「はい」
『お前にも現場を見せる。勝手に触られた、などの理由で揉めるのは面倒だからな』
ガレスが壁の通話器を操作すると、机の上の黒い板に格納庫の映像が開いた。文字はやはり読めない。だが、中央に固定された黒い機体は見間違えようがなかった。
操縦席からでは分からなかった全身が、白い作業灯の下にある。細い胴体、後ろへ流れた割れた王冠のような頭、鳥の爪に似た脚。背中の六枚は閉じた刃のように垂れ、青白かった輪郭線も今は消えている。
その足元に、一人の女性が立っていた。
褐色の肌に、横を刈り上げた銀髪。片腕は肘から先が金属で、五本の指先だけ色が違う。
黒い機体を見上げても距離を取らず、作業台が胸の高さへ上がり切る前から身を乗り出していた。
『彼女は主任整備士のミラ・ヴェイルだ』
『紹介は短くていいよ、船長。どうせこの坊や、あたしのことなんかより自分の機体が心配だろう?』
女性――ミラは、こちらを見ずに言った。金属の指で胸部装甲へ触れ、そのまま掌を押し当てる。
「坊やじゃなくて、神代蓮です」
『元気なら結構。レン、こいつが最後に動いた時、どこをぶつけた?』
「ぶつけてはいません。たぶん。撃たれそうにはなりましたけど」
『撃たれそう、じゃ分からないよ。何かに触れたか、弾が当たったか、熱を受けたか。分かる範囲で順に話してよ?』
俺は目を覚ましてからのことを話した。二度の急な回避、壊れた船の陰に隠れたこと、輸送艇と回転を合わせたこと、《未記載路》を使った直後に出力が落ちたこと。武装は一度も使っていないこと。
ミラは質問をしなかった。話を聞きながら、手のひらほどの計測器を装甲へ吸いつける。短い振動が走り、数字らしい列が黒い板に現れた。
『ルミ。機体内の整備記録を出せるかい?』
「現在、機体の外部表示、センサー、整備系統へ接続できません」
『喋れるのに身体は起こせない、と』
「統合支援知性の処理と搭乗者スーツへの局所音声接続のみ稼働しています」
『動くことと、直ってることは別だよ。喋れるからって、動けるとも限らないだろう?』
ミラは計測器を外し、金属の中指で装甲を軽く叩いた。乾いた音が二度、低い音が一度返る。少し場所をずらすと、今度は三度とも同じ高さだった。
何が違うのか、俺には分からない。ミラの目つきだけが変わった。
『船長。回収した時、外装片は落ちてたかい?』
『外装片は確認してない。表面にも新しい穴や破損はなかったな』
『修復材を使った跡も、熱を加えた跡もない。それなのに、ここの継ぎ目だけ荷重がうまく分散されてない』
金属の指が、胸から脇腹へ継ぎ目のない黒をなぞる。
計測器の細い線が途中で曲がり、本来なら離れた二点をつないでいるように見えた。
『外からは一枚に見える。でも叩いた反応では三層ある。それなのに、重さを掛けると内部の支えが一つ足りない。普通の構造なら、もう形を保てないはず』
「壊れてるんですか?」
『壊れてる』
迷いのない返事だった。
「でも、さっきまで動いてましたよ?」
『だから厄介なんだよ』
ミラは初めて映像のこちらを見た。灰色の目が、俺ではなく首もとのスーツを一度見てから戻る。
『こいつは直ったんじゃない。外側だけ元の形に戻ってる。中の構造はまだ力を支えきれてない。このまま機体を起こしたら、どこが最初に壊れるか、あたしにも分からないよ』
「自分で直してるわけじゃ?」
『外見は戻せても、中まで直ってはいない。このまま動かせば、内部に残った損傷が広がるおそれがある』
黒い機体は、モニターの中で動かなかった。あれだけ動いていた機体が、今は次に起こしただけで壊れてしまいそうに見えた。
「もう乗れないんですか?」
『そこまで決めるには早いよ。今決められるのは、原因が分かるまで起こさないことだけだね』
『同感だ』
ガレスが通話器の向こうで答えた。
俺は反論しかけて、やめた。動かせると証明する方法は、実際に動かすことしか思いつかない。
その一回で壊れたら、ルミまで戻らないかもしれなかった。
「ルミ。今の点検に反論は?」
「機体側の観測機能が停止しているため、検証できません。再起動の安全も保証できません」
「二対一か」
「私は票を投じていません」
『そこは揉めるところじゃないよ』
ミラは作業台を下ろしながら、胸元の小さな画面を見た。
『それと、もう一つ。機体からまだ反応があるのは、あんたのその服へつながってる細い線一本だけだ。そっちも分けて調べるよ』
「調べるって、何を?」
『脱ぐんだよ。服を』
首もとへ手を当てた。宇宙へ来てから、ルミの声が途切れなかったのはこの服を着ていた間だけだ。脱げば、また返事がなくなるかもしれない。
「脱いだ後も、ルミと話せるか?」
「接続を解除した記録がないため、保証できません」
『嫌なら断っていいぞ』
ガレスが言った。
『その代わり服の検査は中断する。機体も、正体が分からんまま動かすつもりはない。分からんものを、安全だとは言えんからな』
断っても見捨てられはしない。けれど、何も分からない状態も変わらない。
「検査のために服を脱ぎます。ルミは再接続できる状態で待機しててくれ」
「了解しました、搭乗者」
渡された検査衣は、薄い灰色の上下一組だった。
隔離室の壁から半透明の仕切りがせり出し、ガレスとミラの姿を隠した。
『内側に何を仕込んでるか見るだけだ。時計は机へ置いときな。壊しやしないから』
左脇腹の内ポケットから布袋を出し、机の中央へ置く。
止まった腕時計の重みが身体から離れると、それだけで落ち着かなかった。
スーツには見える範囲に留め具がない。ルミへ外し方を聞くと、脇から腰へ指を滑らせるよう指示された。触れた場所から布地が緩み、背中へ細い開口が走る。
スーツから腕を抜くたび、肩が痛んだ。最後に首もとの輪を持ち上げた瞬間、通話器から聞こえていたミラの声にノイズが混じった。
『――ルァ、ネイ・サル。オド、キェラ』
「……え?」
同じ声だった。低く、少し乾いたミラの声だと分かる。けれど音のどこにも意味がなかった。
ガレスが何かを言う。
『ガル・エン、ナハト・セイ』
「待ってください。二人とも何を言ってるか分からないです!」
二人の返事が重なった。俺の言葉も、向こうには意味として届いていないらしい。仕切りの向こうで、二人が何か話し合っていた。
「ルミ?」
机に置いたスーツの首もとが青白く明滅した。
『――トウ、シャ。セツ、ゾク――』
声はルミだった。それでも、言葉の意味までは分からなかった。
聞こえているのに、知らない言語を聞いているようにしか感じられない。
宇宙へ来てから、初めて本当に言葉が通じなくなった。
扉の文字が読めないこととは違う。目の前に人がいて、声も届いているのに、助けてほしいのか、黙れと言われているのかさえ分からない。
ミラが仕切りを少し開け、自分の喉を指した。それから机のスーツを指し、着る動作をしてみせる。
俺は頷き、検査衣を放り出してスーツへ腕を通した。焦るほど肩が引っかかる。金属の義手が仕切り越しに袖口を押さえ、俺が腕を入れやすい向きへ固定した。
首もとの輪が肌へ触れる。
『――聞こえるか、レン』
ガレスの声へ、途中から意味が戻った。
「聞こえます」
『あたしの声は?』
「今は分かります。さっきまでは、一言も分かりませんでした」
ミラは義手を離さず、スーツの袖へ計測器を当てた。数字を見てから、今度は俺の首もとへ視線を移す。
『服そのものが言葉を知ってるわけじゃない。あんたとつながってる時だけ、聞こえた声を意味の分かる言葉に変えてるらしいね』
「じゃあ、最初から同じ言葉を話してたわけじゃない?」
「その可能性が高いと判断します。意味変換処理の詳細と形成経緯は、現在の記録から確認できません」
ルミの答えを聞いても安心はできなかった。
『外せば会話不能。着せたままなら、正体不明の装備を持たせることになるよ?』
ガレスは二つを口に出して並べた。どちらかをなかったことにはしない。
『スーツはレンに返す。だが、隔離中の監視は続ける。危険性はあるが、通信に必要なうえ、レンを守るための装備でもあるからな』
「ありがとうございます」
『礼はまだいい。そいつを外すたびに船内が混乱するようじゃ困る』
『船長。服だけ調べてても駄目だよ。今度は本人の身体に異常が出るかもしれない。機体も人間も、動けてるからって問題がないとは限らない。レンは医者に診てもらう。《アンノウン》は、あたしが動かさずに調べるよ』
「機械にも、医者がいるんですね?」
『整備士だ。医者ほど愛想はよくないが』
『うちの船医には言うなよ?』
ガレスが低く言い、ミラは初めて少し笑った。
黒い板の映像では、《アンノウン》が作業灯に照らされている。傷がないように見える黒い胸へ、ミラの置いた小さな計測器だけが残っていた。一定ではない光が、弱く点滅している。
『機械にも脈はある。電気、熱、振動、荷重。そういう反応を見れば、今どんな状態か分かる。こいつは外から見ると直ってるように見える。でも、その脈はずっと異常を示してる。これはね、まだ壊れたままだってことだよ』
「俺には分かりませんでした」
『分からないなら、分かる奴に聞けばいい。遠慮はいらないよ』
機械を調べられるミラのように、星図から地球を探せる人間もいるはずだ。
「船長。船の星図を見せてもらえませんか?」
『文字は読めんだろ?』
「読める人に探してほしいんです。太陽と、地球を、俺の故郷を」
ガレスはすぐには頷かなかった。星を調べたところで、それだけで俺が嘘をついていないと証明できるわけではない。もし地球が星図に見つからなければ、俺の記憶や認識が間違っている可能性も出てくる。
それでも、今度は名前だけではなかった。探して、あるかないかを確かめられる。
『分かった。航法記録と既知星図を当たらせる。ただし、結果が気に入らなくても記録は書き換えれんぞ?』
「それでいいです」
机の上の布袋を内ポケットへ戻した。腕時計の秒針は、未だに止まったままだった。




