第4話 赤錆の船長
輸送艇の救難信号は、暗くなった視界の中央で点滅を繰り返していた。
今ここに俺たちがいると、知らない誰かへ訴え続けている。
それ以外の表示は一つずつ消えていく。足元のペダルは踏んでも戻らず、手の中のレバーも軽い。
機体がまだ輸送艇と同じ向きを保っているのは、星の流れがほとんど動いていないことでしか確かめられなかった。
「ルミ、救難信号は出てるんだな?」
「民間輸送艇から継続発信中。こちらからも中継します」
「それで、誰かに届くか?」
「受信者の有無は確認できません」
安心させるために、言い方を変えたりはしない。
分かっていたが、今は少しくらい気を遣ってほしかった。
輸送艇から通信が入った。雑音の奥で、さっきと同じ男性が息を整えている。
『未識別機、そっちはまだ動けるか?』
「姿勢を保つだけなら。そっちの人たちは?」
『怪我人はいるが、全員生きてる。空気もまだ持つ。ただ、こちらからはどこにも行けない』
俺たちも似たようなものだった。戦場からは逃げられた。逃げた先で動けなくなっただけだ。
「救難信号を続けてくれ。こっちも出す」
『分かった。あんたも切るなよ?』
「切り方を知らないから大丈夫だ」
相手は小さく息を漏らして笑った。生きている人間の反応だった。
それだけで、暗闇の中に自分以外の存在を感じられた。
青白い輪が弱く明滅する。視界の端で、星の一つが橙色に瞬いた。
「外部から救難周波数への応答を受信」
それは星ではなかった。小さな光の点はゆっくり大きくなり、片側だけが鋭く尖った船の形へ変わっていく。
近づくにつれて、暗い赤茶色の船体と、斜めに継ぎ足された装甲板が見えてきた。全体の形は、錆びた鉄の楔のようだった。
『救難信号を受信した。こちらは傭兵船。船長のガレス・ロウだ。損傷船と、その隣の黒い機体、聞こえるなら応答しろ』
太く、少しかすれた男性の声だった。助けに来たと言わず、最初にこちらの反応を確かめている。
輸送艇が先に応答した。俺は消えかけた表示の向こうで、赤茶色の船が進路を変えないか見ていた。
『こちら民間輸送艇。主推進停止、姿勢制御不能。船腹に損傷、怪我人あり』
『生命維持は?』
『稼働中。避難者を含め全員生存している』
『了解。救難信号は切るな。黒い機体、次はお前だ』
「聞こえてます。操縦はできますが、姿勢制御以外ほとんど死んでます」
『所属と登録番号は?』
「分かりません」
『機体名』
「ありません」
短い沈黙が返った。右手の震えだけが、軽くなったレバーへ伝わっている。
『所属も分からん、登録番号も分からん、機体名に至っては無い?救難通信で聞きたい答えじゃないものを三つ並べたな』
「こっちも分からないんです」
『武装を停止しろ。両手を操縦桿から離して、輸送艇から離れろ』
「武器は使ってません。離れるだけの出力も残ってない」
「搭乗者。姿勢維持出力も低下しています」
ルミの報告は、ラグナにも送られたらしい。赤錆色の船は進路を変えずに近づいてくる。
その船腹で白い灯りが横一列に開き、奥に四角い空洞が現れた。格納口だ。
『無登録の黒い機体が、腹を裂かれた輸送船の横にいる。所属も経路も答えられず、武装機能は不明。海賊じゃないと判断するには材料が足りん』
「海賊なら、あの船を助けたりしません」
『助けたのがお前だという材料も、まだ足りん』
言い返そうとしたところで、輸送艇の声が割り込んだ。俺より先に、向こうが証明してくれた。
『その機体は俺たちを庇った。二つの部隊に撃たれながら、船ごと戦場の外へ運んだんだ。こいつがいなければ、全員死んでた』
『輸送艇。今の証言は船内の総意か?』
返答まで、少し間があった。遠くの船内で確認を取っているのだろう。
『操舵室と避難区画、どちらも同じだ。映像記録も残っている』
『了解。記録は収容後に預かる』
ガレスの声が再び俺へ向いた。
『疑いが消えたわけじゃない。だが、その証言が本当なら、お前は救難者だ。救難者を宇宙へ置いていく規則は、うちにはない』
助けるのか疑うのか、どちらかにしてほしい。そう思ったが、何でも信用してくる相手よりは、この方がまだ安心できた。
『輸送艇を先に固定する。黒い機体は現在の姿勢を保て。勝手に動くなよ?』
「分かりました」
『返事だけは素直だな?』
「他に出せるものがないので」
今度は向こうが黙った。ルミと同じで、冗談をが通じない性格なのかもしれない。
ラグナの船腹から、先端に白い爪のついた索のようなものが何本も伸びた。遠目にはかなり細く見えたが、輸送艇へ届くころには人間の腕ほどの太さが確認できた。二本が船首と船尾の無傷な部分をつかみ、別の二本が腹側へ回った。
『亀裂へ荷重を掛けるな。骨組みを見つけろ。そうだ、そこだ』
ガレスは俺たちへの回線を切らないまま、船内へ短い指示を飛ばしていた。
牽引索が引っ張られるたびに輸送艇がわずかに傾き、残っている表示がちらついた。
「ルミ、追えるか?」
「微調整を継続。出力低下により精度を維持できません」
右手をレバーへ戻す。力の抜けた棒を握っているようで、どこまで操作が伝わっているのか分からない。それでも輸送艇へ近づかないよう、星の位置と白い船体の縁を見比べた。
最後の牽引索が固定される。白い船の回転がゆっくり抑え込まれ、ラグナの船腹へ引かれていった。
『輸送艇の固定を確認。次は黒い機体だ』
格納口の左右から、二本の索がこちらへ伸びる。先端の爪は開いたまま、機体の肩と腰を挟める位置で止まった。
『姿勢制御を切れ』
反射的に、レバーを握る指へ力が入った。震えが止まったのではなく、硬く握って隠れただけだった。
「切ったら、そっちへぶつからないか?」
『切らなければ、こっちの牽引索とお前の制御が喧嘩する。どちらへ弾かれるか分からん』
「安全だと保証できますか?」
『できん、が、今よりはましだと保証する』
これまでなら、目の前には選ぶための線があった。今はもう、青白い線も半透明の像も出ない。
知らない男性の声と、こちらへ伸びた二本の索しかなかった。
「ルミ、制御を切った後、牽引索に合わせられるか?」
「できません。姿勢制御停止後は、外力へ追従します」
「つまり、任せるしかない?と」
「はい。最終判断は搭乗者にあります」
いつもと同じ答えだった。進む時も、動くのをやめる時も、最後だけは俺に返ってくる。
『黒いの、早く決めろ。出力が落ちてるなら、長くは待てん』
「神代蓮です」
『分かった、レン。制御を切れ』
「ルミ、姿勢制御を停止」
「選択を確認。停止します」
一瞬、輸送艇の白い船体が上へ流れた。椅子ごと下へ落ちたような感覚に襲われ、胃が縮む。
直後、機体の左右から鈍い振動が伝わってきた。二本の爪が肩と腰をつかみ、牽引索が張った。
『捕まえた。そのまま何もするなよ?』
「分かりました」
赤錆色の船腹が視界いっぱいに広がる。継ぎ足された装甲板には色の違う補修跡が何列も走り、白い格納灯の周りだけが磨かれていた。古く見えても、船体はよく手入れされているようだ。
機体が格納口へ引き込まれた。星空が四角く切り取られ、赤茶色の壁に置き換わる。
太い固定具が脚と背中を押さえ、開いていた格納口が閉じた。外側から白い作業灯が一列ずつ点いていく。
「外部区画、加圧中」
「輸送艇は?」
「ラグナ外部救難架への固定を確認。生体反応、全員維持」
よかった、と声にする前に咳が出た。口内には金属味を感じ、首を動かすと肩の奥まで痛みが走る。
助かったはずなのに、まだ安心できなかった。
正面の壁に、読めない文字と人の形をした図が浮かんだ。図だけが緑へ変わる。
「外部圧力を確認。呼吸可能範囲。コックピット封鎖を解除します」
「待ってくれ。停止した後も呼べば答えられるか?」
「現在の出力では保証できません」
「相変わらず正直だな?」
「搭乗者の生存を確認。全機能を停止します」
「ルミ?」
青白い輪が細い点になり、消えた。足元も、壁も、今度こそ何も光らない。目を覚ましてから途切れなかった声が消えると、空気のある船内へ入ったはずなのに、宇宙へ一人で放り出された気がした。
「ルミ?おい!ルミ?」
もう一度呼んだが、やはり返事はなかった。眠っただけだと決める材料さえ、今の俺にはない。
頭上で空気が抜ける音がした。今まで継ぎ目のなかった壁に細い隙間が開いている。
両手を差し込み、肩の痛みをこらえて押すと、重い板が少しずつ外へ動いた。
白い作業灯がの光が目に刺さった。
機体の胸の高さまで、黄色い作業台が上がっていた。手すりにつかまり、操縦席から片脚を出す。
膝には力が入らず、最初の一歩目で身体が傾いた。
作業台の向こうは、厚い透明板で区切られていた。その先に一人の男性が立っている。
大きい。2メートル近くありそうな身体を赤茶色の上着へ押し込み、同じ色の髭を顎いっぱいに生やしている。片方の目だけが金属の縁に囲まれ、こちらに向くたび小さく光った。
男性は透明板の通話器を押した。金属の縁に囲まれた片目が、先に俺の足元を確かめる。
『歩けるか、坊主?』
「ええ。あなたがガレス船長ですか?」
『ガレス・ロウだ。まずはそこから動くな。海賊かどうか分からん奴を、いきなり食堂へ招くわけにはいかん』
「まだ海賊だと思ってるんですか?」
『思ってる、とまでは言ってない。疑ってる。輸送艇を救った証言は採用する。お前の身元が不明なのも事実だ。そこは混ぜるな』
乱暴な声なのに、言葉の線引きだけは確かだった。
『機体に名前がないと、こっちでも扱いに困る。正式な名前が決まるまでは、ラグナでは《アンノウン》で記録する。仮の名前だ』
「勝手に名前を付けるんですね?」
『空欄よりましだろ?文句は機体の名前を決めてから言え』
ガレスは金属の目を機体へ向け、それから俺へ戻した。
助けたからといって、警戒を解いたわけではなさそうだった。
『さて、レン。名前以外に、お前を証明できるものはあるか?』




