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無冠の星間皇帝  作者: 天瀬航
第一章 名もなき機体と漂流者

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第3話 書かれていない道

 青白い線は、民間輸送艇から離れる前に一本ずつ赤く途切れた。


 左右から迫る機影が位置を変えるたび、途切れる場所だけが手前へ近づいてくる。


 白い輸送艇は視界の中央で、ゆっくり横腹をさらしている。


 船腹の裂け目からこぼれる破片まで、同じ方向へ流れて見えた。こちらの回転が、ようやく船と揃い始めたらしい。


 黄色い枠が船体全体を囲み、傾くたびに一角だけが外へはみ出した。


 止まって見えるのは、同じ速さで回っているからだ。どちらかが少しでもずれれば、近づく動きはそのまま衝突になる。


「相対回転、許容範囲へ接近」


「近づくだけじゃ止められないんだろ?」


「はい。接触した場合、損傷が拡大します」


 分かっていた。それでも、遠くから助ける方法はもっと分からない。


『未識別機、応答しろ。船内には避難者が乗っている。姿勢制御は死んだ。こっちはもう――』


 通信の向こうで何かがぶつかり、声が途切れた。船体の端から橙色の噴射が漏れる。


 主推進器を止めても、壊れた部分から何かが噴き出し、船体を押しているように見えた。


「ルミ、あの噴射も計算に入ってるか?」


「観測済みの変動は反映しています。噴射量が変化した場合、再計算が必要です」


「つまり、また外れるかもしれない、ということか」


「はい」


 返事と同時に、右の集団が扇のように広がった。左側の機体も、壊れた灰色の船から次々に離れてくる。俺たちと輸送艇を中心に、二つの弧が閉じようとしていた。


『最終警告。推進を停止せよ』

『誘導拒否を確認。未識別機を排除する』


「言ってることは違うのに、やることは同じか」


「攻撃準備を両方向に検出」


 細い赤い輪が視界へ増えた。俺の機体へ重なるものと、輸送艇の壊れた推進部へ重なるものがある。


 まず動けなくするつもりなのかもしれない。外せば船に当たる位置で撃とうとしている時点で、どちらにも従う気にはなれなかった。


「船と射線の間に出る。回転は合わせたままでだ!」


「機体への直撃可能性が上昇します」


「輸送船よりは避けられるだろ!?」


 青白い軌道線へ右手を重ねる。機体が輸送艇の腹側――今そう見える方向へ滑った。


 白い船体が背後へ回り、左右の機影が正面の半球へ集まっていく。

 輸送艇を背にしたことで、避けられる幅は半分になった。代わりに、正面から来るものだけを見ればいい。全方向に開いていた宇宙が、壊れた船一隻分の狭い通路へ変わった。


 光が二つ走った。


 半透明の黒い像が視界へ重なる。一つは輸送艇から離れて射線をかわし、もう一つは船の回転に沿ったまま機体をひねる。0.4秒先、どちらも俺の機体だけなら助かる動きだった。


 離れる道を選べば、後ろの船がむき出しになる。


「船の回転に合わせたまま、機体をひねって避ける!」


 右手を倒すと、座席が肩を斜めに押した。首の痛みが頭の奥まで突き上がってくる。


 黒い腕が輸送艇の縁に沿って流れ、一射目がその指先の外を抜けた。


 二射目は機体の足元を通り、船から漏れていた橙色の噴射を断ち切った。


 白い破片が弾け、輸送艇がまたわずかに傾く。


『被弾した!これでは姿勢が保てない!』


「ルミ、補正できるか?」


「追従は可能です。ただし、包囲からの離脱経路はありません」


 青白い線が更新される。今度は一本も輸送艇の外まで伸びなかった。


「俺だけならどうだ?」


「民間輸送艇から離れた時点で、通常航法による候補が一つ成立します」

 右上へ伸びた線だけが、赤く途切れず暗闇へ続いていた。船を置いていけば、俺は逃げられる。


 その線を見た瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。助かる保証はない。


 それでも、逃げる道が一つ増えただけで、何もできないよりはましだった。


「その線を消してくれ」


「搭乗者の生存可能性が最も高い候補です」


「分かってる。だから消すんだ」


 青白い線は残った。ルミには、俺が怖くないふりをしたところで通じないらしい。


 右手の震えも、浅くなった呼吸も、どうやら全て数値で把握している。


「命令を確認します。生存候補の表示を停止しますか?」


「違う。条件を変える」


 何に変えるのか。あの船まで行く道ではなく、船ごと戦場の外へ出る道が必要だった。


 壊れた船の陰に隠れるのも、どちらかの軍の誘導に従うのもやめた。どちらが正しいのかは分からない。それでも、今ここで助けを求めている船だけは置いていけなかった。


「ここからこの船ごと助け出す。もちろん俺も助かる方法を模索するんだ」


 青白い線が一斉に消えた。代わりに、輸送艇の向こう側で星が一列だけ欠けた。

 光る線ではない。黒い宇宙の中から、細い部分だけを消しゴムで削ったような空白だった。


 何もないはずなのに、その奥行きだけが分からない。


「未登録の航路構造を検出」


「なんだ?今までなかったぞ?」


「私の機能一覧にも存在しません。構造特性から暫定呼称を設定。未記載路《ブランク・パス》」


「未記載......書かれてない道?か」


「現在の状態とは一致します」


 答えを聞いても、分からないものが一つ増えただけだった。


 だが、消えた星の列は輸送艇の進行方向へ続いている。


「道なんだな。これはどこへ出る?」


「通常の星間航路《折路》は、入口となる《門標》を必要とします。この構造は門標を使用せず、短距離の航路を形成します」


「距離は?」


「最大形成距離0.2光年。現在安定している候補は、0.08光年先の一件のみです」


「そこは安全なのか?」


「形成候補上、経路と到着点に大質量反応は重なっていません。それ以外の安全は保証できません。形成後の連続使用も不能です」


  ここに残れば、左右から攻撃され続ける。新しく現れた航路の先が安全かどうかは分からない。それでも、輸送艇ごと戦場を抜けられる可能性はある。


 賭けるなら、この道だ。


「あの船も連れていけるか?」


「相対運動を現在の範囲に保ち、船体全体を経路開口へ含めれば可能です。対象規模により機体出力は大幅に低下します」


「下がったら、もう一回逃げるのは?」


「できません」


「分かりやすくて助かる」


 口内の金属味が濃くなっていた。笑ったつもりなのに、息だけが短く漏れる。


「輸送艇につないでくれ」


「接続します」


「聞こえるか。今から船ごとここを離れる。0.08光年先だ。着いた場所が安全かは分からない。一度使ったら、やり直しもできない」


 数秒の雑音が返った。白い船は回転を続け、左右の機影はさらに大きくなる。


『ここにいれば撃たれる。そっちに賭ける。乗っている全員を連れていってくれ』


「了解。主推進はそのまま切っててくれ」


 返事をした瞬間、空白の両端から細い白光が広がった。機体の背後にあった六本の長い影が開き、輸送艇の外周を囲む。星を消した細い裂け目が、船体を収める幅まで押し広げられていく。


 開口の縁は、輸送艇の船首と船尾すれすれで揺れていた。船が一度傾くたびに白い縁が歪み、六本の影が追いかけるように角度を変える。余裕がないことだけは、文字が読めなくても分かった。


「経路開口を拡張。相対運動差、増加中」


 被弾で輸送艇の回転がまたずれていた。青白い補正線が一本だけ船の縁へ沿う。


 その先は出口ではなく、空白の中央で終わっていた。


「ルミ、細かい調整を頼む」


「《未記載路》の最終承認を待機」


 まだ足りない。機体は道を見せても、俺がそこへ行くとは決めていなかった。


 左右から三本の光が飛んできた。


 《エコー》が、半透明の腕や肩をいくつも重ねて表示する。


 攻撃を避ける動きでは船から離れ、船に進路を合わせる動きには赤い輪が表示された。


 俺は二本のレバーを輸送艇と同じ傾きになる位置まで押した。

 首の奥で熱が弾け、視界の隅が暗くなる。怖くて力が入っているのか、加速に押されているのか、もう区別がつかなかった。


「この道で行く。あの船も一緒にだ」


「選択を確認。《未記載路》を形成します」


 六本の白光が閉じた。


 星が伸びることも、身体を押し潰すような加速もなかった。代わりに、見えていたものが奥から順に消えていった。左右の機影も、壊れた灰色の船も、迫っていた三本の光も、音もなく視界から消えていく。


 最後に白い輸送艇が消えた。


 取り残した、と思った。


 叫ぶより先に、座席も自分の腕も見えなくなった。上下も距離も消え、内臓だけが一瞬遅れて身体の中を滑った。耳の奥で、警告音とは違う低い振動が一度だけ鳴る。


 次の瞬間、星空が戻った。


 遠くの星の並びはほとんど変わらない。だが、戦場の光も、灰色の船も、左右の機影もどこにもなかった。すぐ近くを、白い輸送艇が同じ向きのまま漂っている。


「跳躍完了。移動距離0.08光年」


「船は大丈夫か?」


「生体反応を確認。通信回線を維持しています」


『聞こえる。こっちは全員生きてる!』


 その声を聞いた途端、右手から力が抜けた。レバーを離した指が、今さら自分のものではないように震えている。首も肩も痛い。息もまだ浅い。


 輸送艇の白い船腹には新しい傷が増えていたが、救難灯はまだ消えていない。


 何が起きてここまで移動したのかは、俺にも分からない。それでも、輸送艇を置いてこなかったことだけは目の前を見れば分かった。


「よかった...」


 口から出たのはそれだけだった。


 全周の星空へ、白い粒が走った。


 最初は跳躍の残像かと思った。粒は画面の端から端へ細い枝を伸ばし、互いにつながった直後、砂嵐のように視界を埋めた。警告の赤とも、ルミの青白い輪とも違う色だった。


「ルミ、これは?」


「照合できません。出力が急速に低下しています」


 白いノイズが消える。遅れて、青白い輪が一度、二度と明滅した。


 足元のペダルから反発が抜け、空中に残っていた表示が外側から順に暗くなる。


「まだ動けるか?」


「姿勢制御を維持。継続可能時間は算出できません」


 民間輸送艇の救難信号だけが、暗くなった視界の中央で点滅していた。

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