第3話 書かれていない道
青白い線は、民間輸送艇から離れる前に一本ずつ赤く途切れた。
左右から迫る機影が位置を変えるたび、途切れる場所だけが手前へ近づいてくる。
白い輸送艇は視界の中央で、ゆっくり横腹をさらしている。
船腹の裂け目からこぼれる破片まで、同じ方向へ流れて見えた。こちらの回転が、ようやく船と揃い始めたらしい。
黄色い枠が船体全体を囲み、傾くたびに一角だけが外へはみ出した。
止まって見えるのは、同じ速さで回っているからだ。どちらかが少しでもずれれば、近づく動きはそのまま衝突になる。
「相対回転、許容範囲へ接近」
「近づくだけじゃ止められないんだろ?」
「はい。接触した場合、損傷が拡大します」
分かっていた。それでも、遠くから助ける方法はもっと分からない。
『未識別機、応答しろ。船内には避難者が乗っている。姿勢制御は死んだ。こっちはもう――』
通信の向こうで何かがぶつかり、声が途切れた。船体の端から橙色の噴射が漏れる。
主推進器を止めても、壊れた部分から何かが噴き出し、船体を押しているように見えた。
「ルミ、あの噴射も計算に入ってるか?」
「観測済みの変動は反映しています。噴射量が変化した場合、再計算が必要です」
「つまり、また外れるかもしれない、ということか」
「はい」
返事と同時に、右の集団が扇のように広がった。左側の機体も、壊れた灰色の船から次々に離れてくる。俺たちと輸送艇を中心に、二つの弧が閉じようとしていた。
『最終警告。推進を停止せよ』
『誘導拒否を確認。未識別機を排除する』
「言ってることは違うのに、やることは同じか」
「攻撃準備を両方向に検出」
細い赤い輪が視界へ増えた。俺の機体へ重なるものと、輸送艇の壊れた推進部へ重なるものがある。
まず動けなくするつもりなのかもしれない。外せば船に当たる位置で撃とうとしている時点で、どちらにも従う気にはなれなかった。
「船と射線の間に出る。回転は合わせたままでだ!」
「機体への直撃可能性が上昇します」
「輸送船よりは避けられるだろ!?」
青白い軌道線へ右手を重ねる。機体が輸送艇の腹側――今そう見える方向へ滑った。
白い船体が背後へ回り、左右の機影が正面の半球へ集まっていく。
輸送艇を背にしたことで、避けられる幅は半分になった。代わりに、正面から来るものだけを見ればいい。全方向に開いていた宇宙が、壊れた船一隻分の狭い通路へ変わった。
光が二つ走った。
半透明の黒い像が視界へ重なる。一つは輸送艇から離れて射線をかわし、もう一つは船の回転に沿ったまま機体をひねる。0.4秒先、どちらも俺の機体だけなら助かる動きだった。
離れる道を選べば、後ろの船がむき出しになる。
「船の回転に合わせたまま、機体をひねって避ける!」
右手を倒すと、座席が肩を斜めに押した。首の痛みが頭の奥まで突き上がってくる。
黒い腕が輸送艇の縁に沿って流れ、一射目がその指先の外を抜けた。
二射目は機体の足元を通り、船から漏れていた橙色の噴射を断ち切った。
白い破片が弾け、輸送艇がまたわずかに傾く。
『被弾した!これでは姿勢が保てない!』
「ルミ、補正できるか?」
「追従は可能です。ただし、包囲からの離脱経路はありません」
青白い線が更新される。今度は一本も輸送艇の外まで伸びなかった。
「俺だけならどうだ?」
「民間輸送艇から離れた時点で、通常航法による候補が一つ成立します」
右上へ伸びた線だけが、赤く途切れず暗闇へ続いていた。船を置いていけば、俺は逃げられる。
その線を見た瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。助かる保証はない。
それでも、逃げる道が一つ増えただけで、何もできないよりはましだった。
「その線を消してくれ」
「搭乗者の生存可能性が最も高い候補です」
「分かってる。だから消すんだ」
青白い線は残った。ルミには、俺が怖くないふりをしたところで通じないらしい。
右手の震えも、浅くなった呼吸も、どうやら全て数値で把握している。
「命令を確認します。生存候補の表示を停止しますか?」
「違う。条件を変える」
何に変えるのか。あの船まで行く道ではなく、船ごと戦場の外へ出る道が必要だった。
壊れた船の陰に隠れるのも、どちらかの軍の誘導に従うのもやめた。どちらが正しいのかは分からない。それでも、今ここで助けを求めている船だけは置いていけなかった。
「ここからこの船ごと助け出す。もちろん俺も助かる方法を模索するんだ」
青白い線が一斉に消えた。代わりに、輸送艇の向こう側で星が一列だけ欠けた。
光る線ではない。黒い宇宙の中から、細い部分だけを消しゴムで削ったような空白だった。
何もないはずなのに、その奥行きだけが分からない。
「未登録の航路構造を検出」
「なんだ?今までなかったぞ?」
「私の機能一覧にも存在しません。構造特性から暫定呼称を設定。未記載路」
「未記載......書かれてない道?か」
「現在の状態とは一致します」
答えを聞いても、分からないものが一つ増えただけだった。
だが、消えた星の列は輸送艇の進行方向へ続いている。
「道なんだな。これはどこへ出る?」
「通常の星間航路《折路》は、入口となる《門標》を必要とします。この構造は門標を使用せず、短距離の航路を形成します」
「距離は?」
「最大形成距離0.2光年。現在安定している候補は、0.08光年先の一件のみです」
「そこは安全なのか?」
「形成候補上、経路と到着点に大質量反応は重なっていません。それ以外の安全は保証できません。形成後の連続使用も不能です」
ここに残れば、左右から攻撃され続ける。新しく現れた航路の先が安全かどうかは分からない。それでも、輸送艇ごと戦場を抜けられる可能性はある。
賭けるなら、この道だ。
「あの船も連れていけるか?」
「相対運動を現在の範囲に保ち、船体全体を経路開口へ含めれば可能です。対象規模により機体出力は大幅に低下します」
「下がったら、もう一回逃げるのは?」
「できません」
「分かりやすくて助かる」
口内の金属味が濃くなっていた。笑ったつもりなのに、息だけが短く漏れる。
「輸送艇につないでくれ」
「接続します」
「聞こえるか。今から船ごとここを離れる。0.08光年先だ。着いた場所が安全かは分からない。一度使ったら、やり直しもできない」
数秒の雑音が返った。白い船は回転を続け、左右の機影はさらに大きくなる。
『ここにいれば撃たれる。そっちに賭ける。乗っている全員を連れていってくれ』
「了解。主推進はそのまま切っててくれ」
返事をした瞬間、空白の両端から細い白光が広がった。機体の背後にあった六本の長い影が開き、輸送艇の外周を囲む。星を消した細い裂け目が、船体を収める幅まで押し広げられていく。
開口の縁は、輸送艇の船首と船尾すれすれで揺れていた。船が一度傾くたびに白い縁が歪み、六本の影が追いかけるように角度を変える。余裕がないことだけは、文字が読めなくても分かった。
「経路開口を拡張。相対運動差、増加中」
被弾で輸送艇の回転がまたずれていた。青白い補正線が一本だけ船の縁へ沿う。
その先は出口ではなく、空白の中央で終わっていた。
「ルミ、細かい調整を頼む」
「《未記載路》の最終承認を待機」
まだ足りない。機体は道を見せても、俺がそこへ行くとは決めていなかった。
左右から三本の光が飛んできた。
《エコー》が、半透明の腕や肩をいくつも重ねて表示する。
攻撃を避ける動きでは船から離れ、船に進路を合わせる動きには赤い輪が表示された。
俺は二本のレバーを輸送艇と同じ傾きになる位置まで押した。
首の奥で熱が弾け、視界の隅が暗くなる。怖くて力が入っているのか、加速に押されているのか、もう区別がつかなかった。
「この道で行く。あの船も一緒にだ」
「選択を確認。《未記載路》を形成します」
六本の白光が閉じた。
星が伸びることも、身体を押し潰すような加速もなかった。代わりに、見えていたものが奥から順に消えていった。左右の機影も、壊れた灰色の船も、迫っていた三本の光も、音もなく視界から消えていく。
最後に白い輸送艇が消えた。
取り残した、と思った。
叫ぶより先に、座席も自分の腕も見えなくなった。上下も距離も消え、内臓だけが一瞬遅れて身体の中を滑った。耳の奥で、警告音とは違う低い振動が一度だけ鳴る。
次の瞬間、星空が戻った。
遠くの星の並びはほとんど変わらない。だが、戦場の光も、灰色の船も、左右の機影もどこにもなかった。すぐ近くを、白い輸送艇が同じ向きのまま漂っている。
「跳躍完了。移動距離0.08光年」
「船は大丈夫か?」
「生体反応を確認。通信回線を維持しています」
『聞こえる。こっちは全員生きてる!』
その声を聞いた途端、右手から力が抜けた。レバーを離した指が、今さら自分のものではないように震えている。首も肩も痛い。息もまだ浅い。
輸送艇の白い船腹には新しい傷が増えていたが、救難灯はまだ消えていない。
何が起きてここまで移動したのかは、俺にも分からない。それでも、輸送艇を置いてこなかったことだけは目の前を見れば分かった。
「よかった...」
口から出たのはそれだけだった。
全周の星空へ、白い粒が走った。
最初は跳躍の残像かと思った。粒は画面の端から端へ細い枝を伸ばし、互いにつながった直後、砂嵐のように視界を埋めた。警告の赤とも、ルミの青白い輪とも違う色だった。
「ルミ、これは?」
「照合できません。出力が急速に低下しています」
白いノイズが消える。遅れて、青白い輪が一度、二度と明滅した。
足元のペダルから反発が抜け、空中に残っていた表示が外側から順に暗くなる。
「まだ動けるか?」
「姿勢制御を維持。継続可能時間は算出できません」
民間輸送艇の救難信号だけが、暗くなった視界の中央で点滅していた。




