第2話 敵はどっちだ
10秒で敵を選べと言われても、俺には二つの警告を文字の形で見分けることしかできなかった。
赤い警告の中に、角張った文字列と細い文字列が並んでいる。
どちらも一つとして読めない。その向こうでは、二つの機影が左右から銃らしいものを向けていた。
「両方に送ってくれ。こちらに攻撃する意思はないと」
「送信します」
青白い輪が収縮し、俺の言葉を送り出した。
返答はほとんど同時だった。
『推進を停止し、両手を操縦桿から離して検査を受け入れよ』
『青い誘導光へ進入しろ。針路を外れれば攻撃する』
一方は止まれと言い、もう一方は動けと言う。両方同時に従う方法はなかった。
細い文字列の表示が縮み切り、角張った方も強く点滅した。
文字は読めなくても、猶予が終わったことは分かった。
「ずいぶん息の合った連中だな?」
「要求内容は一致していません」
「そうだな」
左の機影が腕を上げる。右からは青白い光点が二つ放たれた。
「回避します。進路を選択してください」
通常航法予測の線が、壊れた船の上下――そう見える二方向へ伸びた。
宇宙に決まった上下はない。けれど今は腹を裂かれた灰色の船が向きを測る唯一の物差しだった。
「船を盾にしたまま、さっきとは反対側に回れ」
線の一本へ右手を重ねる。座席が傾き、首の付け根に鈍い痛みが走った。
さっきまでの負荷が消えたわけではない。息を吸うたび、口の中に薄い金属の味が戻ってきた。
白い射線が船の上を抜けた。続いて赤い光が装甲へ当たり、溶けた板が花びらのように開く。
音はないが、代わりに、全周の映像が一度だけ震えた。
「生存を優先する場合、一方の要求を受諾してください。攻撃方向を一つに限定できます」
「どっちを選べばいい?」
「所属、交戦理由、指揮系統のいずれも照合できません。現時点の生存可能性に有意な差はありません」
灰色の船体がまた白く明滅し、溶けた破片が視界の端を流れた。
考えている間にも、隠れ場所は少しずつ削られていく。
「先に撃ったのは?」
「観測開始以前の記録がありません」
「俺を狙ってるのは?」
「両勢力です」
「要するに、どっちでもいい?」
「生存だけを評価する場合は」
どちらを選ぶべきかは、結局俺が決めるしかなかった。
右の集団は間隔を揃えていた。左の集団は壊れた船の近くを飛び回っている。
行儀の良さで正しい側が分かるなら簡単だが、俺には軍隊の見分け方も、この戦いが始まった理由も分からない。
青い誘導線が視界の右に点滅する。停止を命じた側からは、開いた手の形をした図形が送られてきた。止まって手を見せろ、という意味なのだろう。
「文字を読めるようにはできないのか?」
「現在はできません」
「即答で助かるよ」
背後で白い光が交差した。壊れた船を回り込んだ機体が一つ、こちらへ距離を詰めてくる。
照準を示す赤い輪が、その胸に重なった。
次の瞬間、半透明の黒い肩が二つ見えた。
一つは右へ倒れて射線へ入り、もう一つは左へひねって船の残骸へぶつかる。0.4秒先の候補だった。
「右は駄目だ」
左へ逃げる道を選び、すぐにレバーを戻す。
ルミが推力を細かく継ぎ、機体は回転する梁の手前で姿勢を止めた。
射線が肩のすぐ先を通過する。白く焼けた残像だけが、しばらく視界に残った。
「回避を確認」
「あれを何度もやったら、先に首が壊れるな」
「頸部への負荷を検出しています。急加速の反復は推奨しません」
「それ、撃ってくる相手にも言ってくれ」
ルミは返事をしなかった。冗談を処理しているのか、無視したのかは分からない。
船の裂け目から小さな光が転がり出た。
最初は破片だと思った。だが、黄色い枠が重なる。ずんぐりした白い船体の片側で、橙色の噴射が途切れ途切れに瞬いていた。回転を止めようとしているのに、噴射のたび別の方向へ傾いていく。
『こちら民間輸送艇。推進器損傷、制御できない。救難を――』
通信は雑音に潰れ、同じ文頭へ戻った。
「今の船に人がいるのか?」
「複数の生体反応を検出。武装反応はありません。推進出力は不安定です」
輸送艇のすぐ後ろを、左側の機体が横切った。右の集団から光が走る。
左の機体は輸送艇の陰へ潜り、射線は白い船体の端をえぐった。
薄い板と白い粒が飛び散る。輸送艇の回転が速くなった。
『被弾した。誰でもいい、応答を――』
「両方に送れ。民間艇が射線に入ってる。撃つのを止めろと」
「送信します」
だが、返ってきたのは救助の応答ではなかった。
『未識別機は直ちに退避せよ。戦闘行動への干渉と見なす』
『民間艇から離れ、武装を停止しろ。従わなければ共犯と認定する』
どちらも輸送艇については答えなかった。白い船の向こうで新しい光が瞬き、左側の機体がまた船体の陰へ滑り込む。
「どっちの仲間だ?」
「所属は照合不能です」
「あの船は撃ったか?」
「武装の作動は確認していません」
誰が正しいかは分からない。だが、あの船は撃っていない。非武装の船が助けを呼んでいる。それだけで十分だった。
右手の震えは止まっていないし、肩も首も痛い。このまま青い誘導線に従えば、少なくともそちらから撃たれる可能性は下がる。武器を持っていないことを示して停止すれば、停止を命じてきた側に回収されるかもしれない。
どちらも、俺が助かるための道だった。
輸送艇の救難通信が、また最初から繰り返された。
「生存経路を再提示します」
二本の青白い線が現れた。一つは右の集団へ、もう一つは灰色の船の陰で停止する位置へ伸びている。白い輸送艇へ向かう線はなかった。
「あの船までの道を出してくれ」
「搭乗者の生存を優先する条件と一致しません」
「その条件を外してくれ」
口にした途端、怖さがなくなったわけではなかった。
むしろ、何を失うかがはっきりして、指先が前より冷たくなった。
「俺だけじゃない。あの船も一緒に生き残る道だ」
「両勢力から攻撃を受ける可能性が上昇します」
「今も両方から狙われてる。大差ないだろ」
「危険の増加を大差ないとは判定できません」
「じゃあ訂正する。危険でも行く」
青白い輪が細くなった。ためらったように見えたのは、たぶん俺の勝手な受け取り方だ。
「条件を更新します。民間輸送艇との接触を含む通常航法予測を提示」
三本の線が暗闇へ伸びた。二本は左右から近づく機影と交差し、途中で赤く消える。
残った一本は、壊れた船の裂け目をかすめ、回転する輸送艇の進行方向へ回り込んでいた。
最短ではないし安全でもない。それでも、そこへ続く線は一本だけだった。
「これだ」
右手を倒す。足元のペダルが沈み、黒い機体が灰色の船から身を離した。
途端に輸送艇までの距離が数字の列になって迫ってくる。読めない文字の中でも、減っていく数字だけは分かった。左右から伸びる射線の予測が、その列を何度も横切った。
「正面から二射。まもなく交差します」
「このまま行くぞ!」
「交差点へ進入します」
「分かってる。直前で船の回転に合わせてくれ」
灰色の船体から剥がれた装甲板が、ゆっくり目の前を横切っていた。
ルミの線は、その板と裂け目の間を通る。狭いが、撃つ側から見れば一瞬だけ機体が隠れる位置だった。
一射目が装甲板を白く焼き抜く。砕けた金属の雲へ突っ込み、全周映像が砂をかぶったように乱れた。二射目は見えない。表示だけが右肩のすぐ外を赤く塗っている。
「今だ。船に合わせるんだ」
推力が横から加わった。身体が座席へ押しつけられ、首から肩まで一本の熱い筋が走る。
声が漏れそうになるのを、歯を食いしばってこらえる。黒い機体は裂け目を抜け、回り続ける輸送艇と同じ方向へ弧を描いた。
白い船体が正面から横へ流れ、動きが少しずつ遅く見えてくる。回転が止まったわけではない。
こちらが同じ速さで回っているだけだ。
「相対速度を低減。接触まで12秒」
「あの船に回線をつないでくれ」
「接続します」
「聞こえるか。助けに来た。主推進器は切れるか?」
雑音が返り、遅れて誰かの荒い息が重なった。
『主推進は停止した。姿勢制御が効かない。そっちは、どこの――』
「俺にも分からない。だが、今はそれどころじゃないだろ?」
返事を待つ余裕はなかった。輸送艇の後方で、左右の印が同時にこちらを向く。
『針路を変更するな。最終警告だ』
『未識別機、誘導線へ戻れ』
左右両方の声が追ってきた。
「どっちにも行かない」
誰に聞かせるでもなく言って、白い輸送艇を正面に置く。
片方の噴射は止まったが、船体はなおゆっくり横腹を見せ続けていた。
近づいた白い船は、遠目よりずっと傷んでいた。
船腹に走った黒い裂け目から、細かな破片が絶えずこぼれている。
窓らしい暗い帯の向こうに人影は見えない。それでも、救難通信の荒い呼吸だけは途切れずに届いていた。
「接触して止められるか?」
「現在の相対回転では、双方の損傷が拡大します。先に姿勢を合わせる必要があります」
「その間にあいつらが来る」
「はい」
助けると決めたのに、近づいただけでは何も解決しない。引き返せば、この船はまた二つの射線の間に残ってしまう。それだけは選べなかった。
「進路、輸送艇」
「了解しました、搭乗者」
ルミの声と同時に、左右の機影がこちらへ向きを変えた。
二つの照準線が背中から伸び、俺たちの進路を挟み込む。
「両勢力が追尾を開始。民間輸送艇を伴う離脱経路を検索します」
青白い線が何本も生まれた。どれも途中で赤く途切れた。
「通常航法予測上、離脱可能な経路はありません」




