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無冠の星間皇帝  作者: 天瀬航
第一章 名もなき機体と漂流者

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第1話 警告音で目が覚めた

 警告音で目が覚めた。


 耳の奥を針で叩くような、高く短い音だった。体を起こそうとして、胸と腰を押さえる帯に引き戻される。両手は硬いレバーの上にあり、足の裏にはペダルが触れていた。


 ここはどこだ?と考えるより先に、目の前の暗闇が白く裂けた。


 視界いっぱいに浮かぶ灰色の船。その船体中央が、内側から膨らんだ。白い光が装甲の継ぎ目を走り、何十枚もの板と細い骨組みが宇宙へ飛び散った。爆発だ。そう分かったのに、雷のような音は来なかった。


「3秒後に直撃します」


 少女のような声が、抑揚なく告げた。


「は?」


 正面に赤い輪が開いた。輪の中心から伸びた線が、まっすぐ俺の胸を貫いている。


 体が先に動いた。右手を引き、左のペダルを踏んでみるが、動かない。両腕に力を込めた途端、左右のレバーが抵抗なく沈んだ。


 視界に、三つの半透明な黒い腕が重なった。それぞれ正面や灰色の船側、その反対側へ伸びている。

耳元で「反射補助《エコー》起動」と声がした。


 正面の像は残骸へ向かい、船側の像は白い炎と重なった。船から離れる像だけが、飛び散る二枚の装甲板の間へ続いていた。


「外だ!」


 船から離れる像に合わせて右のレバーを倒し、左のペダルを底まで踏んだ。


 強い加速で背中が座席へ押しつけられた。首が後ろへ引かれ、肺から息が押し出される。


 胃が持ち上がり、吐き気がした。


 俺を乗せた機体が、二枚の装甲板の隙間へ滑り込む。板の角が視界の端をかすめた直後、さっきまでいた場所を青白い線が貫いた。


 音はなく、表示の半分が白く焼け、座席の下から細かな振動が全身へ伝わってきた。


 俺は息を吸おうとして、二度失敗した。三度目でようやく空気が入った。口の中に金属の味がした。


 胸と腰を押さえていた帯は、いつの間にか緩んでいた。空気は乾き、鼻の奥に新品の樹脂に似た匂いが残った。見える範囲に血はないが、それでも、心臓は肋骨に響くほど強く脈打っていた。


「直撃を回避。搭乗者の意識を確認します。応答してください」


「……生きてる。たぶん」


「心拍数と発話内容が一致しません」


「冗談だよ。そっちこそ、起き抜けに物騒すぎるだろ」


 返事はなかった。冗談は通じなかったらしい。


「今の回避、俺が動かしたのか?」


「経路の選択は搭乗者です。選択した経路を実現するために必要な姿勢制御と推力配分の95%を、私が補助しました」


「五パーセントの配分で死にかけた気分なんだけど!?」


「主観的な割合には回答できません」


 助けられたことだけは分かった。声の主が機体を動かしても、進路だけは俺が決めるらしい。


 震える右手をレバーから離した。親指の爪をなぞると、指先の感覚はあった。腕も脚も動く。胸と腰を覆っているのは黒に近い灰色の服で、見覚えがない。左胸には盾の輪郭に見える縫い目があり、その内側には何も描かれていなかった。


 俺は神代蓮、23歳。愛知県にある物流倉庫で夜勤をしていた。そこまでは覚えている。


 少し前までバーコードを読み、積み残しの数を端末へ入れていたはずだ。


 だが、その先の記憶がない。事故に遭った記憶も、こんな座席へ座った記憶もなかった。

目を閉じれば、倉庫の天井の蛍光灯と黄色い安全線までは思い出せた。


「今の声?聞こえてるなら答えてくれ。あんたは誰だ?」


 正面上部に青白い輪が灯った。輪は細かな光の粒でできていて、声に合わせてわずかに太さを変えた。


「私は統合支援知性、呼称ルミ。現在は搭乗者の生存を最優先に処理しています」


「ルミ。ここはどこなんだ?」


「座標の照合先がありません」


「この乗り物は?」


「機体種別は照合不能です。登録用の呼称も設定されていません。右舷相当方向から破片群が接近中」


「名前がないのか。種類も分からない?」


「質問を一件ずつ処理してください」


 丁寧な言葉なのに、返し方はそっけなかった。


 俺は座席の周囲を見回した。出口を示す取っ手も、消火器も見当たらない。足元から頭上まで、外の景色が継ぎ目なく映っている。その上に、青や黄色の細い線が浮かんでいた。窓ではなく、壁全体に外の映像を表示しているらしい。


「ここから外へ出られるか?」


「周辺は真空です。生存できません」


「やっぱり宇宙か......」


 宇宙だと認めた途端、胃が持ち上がるような感覚が戻った。

 映画の撮影だと言われた方が、まだ納得できた気がする。だが、境目のない壁に映る景色も、肩に残った加速時の痛みも、作り物とは思えなかった。爆発音が聞こえなかったことも、周囲が真空だという説明と一致する。


 考えを整理する前に、次の破片が機体に迫っていた。


 下を見ても床はなかった。星が散る宇宙空間が足元まで映り、その中に人間のものではない長い脚が見える。濃い青とも黒ともつかない装甲。装甲の縁だけを青白い線が走り、脚の先は細い三本の爪に分かれていた。


 視線を横へ動かすと、同じ色の腕がある。俺は人の形をした巨大な機体の胸に座っていた。


「嘘だろ!?」


「虚偽の報告は行っていません」


「そこを疑ったんじゃない」


 船から飛び散った残骸が迫っていた。距離も大きさも判断できなかったが、ルミが一つへ黄色い枠を重ねる。薄い装甲板に見えたそれは、表示された比較線によれば、この機体の腕より長いみたいだった。


「自動で避けられないのか?」


「姿勢制御と候補経路の算出は可能です。ただし、最終進路の確定権限は搭乗者にあります」


「さっきのも、俺が選ばないと当たってた?」


「はい」


 その一言が、警告音より怖かった。

 右手をレバーへ戻した。手のひらは、さっきより汗で滑った。まだ震えは止まっていない。それでも、レバーを握り直すことはできた。


「もう一度、あの三つを出せるか?」


「《エコー》は直近の観測から、最大0.4秒先までの挙動候補を連続表示します。結果は確定していません」


「つまり、未来が見えるわけじゃない、と」


「その理解で支障ありません」


「じゃあ、もっと先の道筋は出せないのか?」


「通常航法予測で算出できます。《エコー》とは別系統です。航法予測は現在の観測値から数秒先の軌道を計算し、《エコー》は直前の挙動差を補います」


 たった0.4秒。それでも、攻撃を避けるには重要な時間だった。


「十分だ。今は迷って止まる方がまずいと思う」


「破片群の後方に熱源を検出」


 視界の端へ光の点が増えた。小さな人影に見えるものが、白い筋を引いて船の周囲を横切っている。


 別の一群は距離を取り、規則正しく明滅していた。どちらが船を壊したのかは分からない。

 船へ近い一体が、背中から何かを撃った。離れた一群の先頭が身をずらし、射線はその後ろの機体へ命中した。光が消えた時には、そこに胴体と片腕しか残っていなかった。


 赤い点が一つ消えた。あれにも人が乗っていたのかもしれない。でもこれはゲームの画面じゃない。


 人が乗っていれば、助からないかもしれない。俺を狙った線も、同じものだった。


 周囲を動く機体と破片が多すぎる。だが、ここには床も床線もない。機体も破片も別々の向きへ進み、止まれば安全という場所さえなかった。


「破片だけ避けたら、その後ろの連中とぶつかる。違うか?」


「接触確率は上昇します」


「なら近づかずに、壊れた船を間に置いたまま離れる道を出してくれ」


「接触が迫っています。条件を反映し、通常航法予測を提示します」


 細い青白い軌道線が四本、暗闇へ伸びた。三本は回転する装甲板に重なるか、船の裂け目へ近づきすぎた位置で赤く途切れる。最後の一本だけが板の回転に沿い、その陰を通って残骸群の外へ伸びていた。


 大きく回り込む経路だった。


「これだ!」


 右手を倒し、左手で反対側のレバーを押した。足元のペダルが勝手に沈み、俺の踏み込みを途中から引き継ぐ。


 機体が横倒しになったように見えた。


 宇宙に決まった上下はないと分かっていても、星空が頭上から足元へ流れると、身体には落下しているような感覚が生じた。帯が肩へ食い込み、視界の隅が黒く狭まった。


「呼吸を継続してください」


「指示がいちいち細かいな」


「失神を防ぐためです」


 回転する装甲板が目前を通った。縁に並んだ小さな灯りが一つずつ見えるほど近い。


 機体の黒い腕が装甲板の陰へ入り、板と同じ速さで半周する。


 機体の位置が、青白い航法線からわずかに外れた。装甲板の回転が予測より速い。直後、視界に半透明の黒い腕が二つ重なった。一つは外へ逃げる動きで板の縁に触れ、もう一つは旋回を保ったまま内側へ寄っていた。0.4秒先の挙動候補。《エコー》だ。


 俺は反射的に右手を戻しかけ、寸前で止めた。倉庫の台車でも、速度が乗ったところで切り返せば積荷は外へ振られる。こんな大きさの機体なら、なおさらだ。


「進路を維持。ルミ、ずれた分だけ近づけてくれ」


「接触余裕、0.7メートルまで低下します」


「ぶつからないなら、それでいい」


 レバーが手のひらを押し返した。俺が選んだ経路に沿うように、ルミが機体の姿勢と推力を補正する。黒い指先が装甲板をかすめたように見えたが、警告は鳴らなかった。


 白い光が板の向こう側を撃ち抜いた。金属が赤く熱せられ、溶けた粒になって散る。


 俺たちは、金属の粒が広がるより先に装甲板の裏側から抜けた。


「接触を回避。通常航法予測から軌道がずれました」


「それは、まずかったか?」


「接触は回避しています。操縦評価の比較記録はありません」


 どうやら褒められてはいないらしい。


 壊れた船がゆっくり遠ざかる。船腹を大きく裂かれたまま、残った灯りを何列か点滅させていた。


 あの中に人がいたのか。今もいるのか。


 ルミに尋ねる前に、左右から別々の光が差し込んだ。


 空中へ、読めない文字列が二つ並ぶ。片方は角張った赤い表示、もう片方は細い青の表示だった。


 文字の形は初めて見る。


「外部通信を受信。音声を出力します」


 文字は読めないままだったが、続いて届いた声の意味は理解できた。


『所属を識別せよ。応答なき場合は敵性機と認定する』

『武装を停止し、こちらの誘導に従え。猶予は10秒』


 左右の機影が、同時にこちらへ向きを変えた。


「ルミ。敵は、どっちだ?」


「現時点では判定できません」


 二つの警告表示が、同時に赤へ変わった。

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