第38話 リングラン
黄色い作業機が、輪を抜けた直後に進む向きを変えた。
正面の壁へ近づく前に上昇し、その上にある輪へ滑り込む。後ろを追っていた白い機体は曲がり切れず、大きく外へ膨らんだ。
「あれ、同じ機体なのか?」
「貸出用だから、同じはず。……え、今の曲がり方、見た?」
ビットも観覧窓に顔を近づけていた。
三月二十九日の朝、俺たちは《ラグナ》のすぐ隣にある競技区画へ来ていた。ビットが、標準機の練習になるからと体験会へ誘ってくれたのだ。ガレスには、会場の試走に合格したら初心者枠で参加していいと言われていた。
窓の向こうには大きな空間があり、輪が八つ、向きと高さを変えて並んでいる。途中には壁や柱もあった。床を走るのではなく、作業機を浮かせて輪を順番にくぐる競技らしい。
「これが《リングラン》。船の整備区画でも、この中継を見てる奴は多いんだ」
「ゆっくりなら、俺にもできそうだけど?」
「さっきの白い機体のやつも、そう思ってたかもな」
黄色い機体が最後の輪を抜け、減速区画で止まった。操縦席が開くと、青い髪を短く刈った男性が降りてきた。頬には星形のシールが二つ貼られている。
その顔を見たビットが、俺の袖を引いた。
「え、リン・サージ?待って、本物だ!すげえ!」
『偽物が出るほど人気があるなら嬉しいけどね。今日は俺が案内役だよ』
男性は俺たちの前で立ち止まった。
『君が体験希望かな?』
「はい。体験希望の神代蓮です」
『俺はリン・サージ。早速だが、レン、君は実機を動かしたことはある?』
「作業機で少しだけ。レースは初めてです」
『それならまず試走してみよう。輪をくぐるより、輪の先で曲がる方が難しいから』
「リンさんって、そんなに有名なのか?」
俺が小声で聞くと、ビットは俺を見て、さらに声を上げた。
「リングランの王者だよ!すごい人に教えてもらえるんだぞ。レン、今のうちに聞きたいこと考えとけって!」
リンは受付の表示を指した。
『機体を借りて二十分、十二クレド。俺が操作を教えて、試走で曲がり方と止まり方を見てから、練習レースを走ってみよう。もちろん見学だけでも構わないよ?』
「走ってみたいです」
受付から届いた利用条件を端末に読み上げてもらった。決められたコースだけを使うこと、他機への接触を狙わないこと、中止の指示には従うこと。説明された金額と同じ十二クレドを払った。
案内された青い機体は、頭のない箱形の胴体だった。港の仕事で使った《ドックハンド》と同じ型だ。工具は外され、肩や脚の角には厚い緩衝材が付いていた。
『CV-8《ドックハンド》。俺も同じ型を使うし、初心者枠でも速度と加速の上限も同じ。俺だけ速い機体とか特別なのはないよ』
操縦席に入ると、リンが外からレバーとペダルの働きを教えてくれた。神経接続は使わず、機体の標準的な姿勢制御だけを補助にして動かす。
言われた順に噴射を試し、少し進んでから逆向きに噴かして止まった。次は左右へ移動し、向きを変える。
『右へ寄りすぎだよ。戻そうとする前に、今の横移動を止めて』
短く逆噴射すると、右へ流れていた機体が止まった。そこから左へ動かし、中央へ戻った。
『そう、今のいいね!ちゃんと止まれた。それなら、練習コースに入れるね』
リンが黄色い機体へ戻った。さっき走っていた白い機体も加わり、三機が開始位置へ並ぶ。ビットは観覧席から回線をつないできた。
「八個目まで全部抜けなきゃ駄目だからなー」
「分かってるよ」
『俺が言うまでもなかったかな?輪を一番から八番まで通って、出口で停止してね。輪を飛ばしたら再度戻って輪を通ること。追い抜くのはいいけど、機体をぶつけたりするのはなし。正面の灯りが全部消えたら開始だよ。準備はいい?』
「お願いします」
正面の灯りが一つずつ消えた。
最後の一つが消えると同時に、ペダルを踏み込んだ。座席に背中を押しつけられ、青い機体が前へ出る。
一つ目の輪が近づいた。中央に機体を合わせ、そのまま抜ける。左端に見えていた黄色い腕が後ろへ下がった。
「やった、先に出た!レン、そのままだ!」
ビットの声が聞こえた。俺は次の輪へ向けて、もう少しペダルを踏んだ。
二つ目も抜けた。三つ目は少し上にあった。進行方向を上に変え、輪の下端を避けて通った。
その先で、コースは壁に沿って左へ折れていた。
輪を抜ける前に減速を始めた。だが、速度が速すぎた。これまでの訓練なら止まれていた距離が、あっという間に詰まっていく。接近を知らせる音が鳴った。
前へ進む速度を落としながら、左へ進むように噴射を切り替える。壁には当たらずに済んだが、四つ目の輪から遠い方へ回り込んでしまった。
急いで機体を輪の方向へ向け直した。その瞬間、横から白い機体が入ってきた。
白い機体は、俺が大回りした間に内側から追いついていた。二機の進路が四つ目の輪の前で重なろうとしている。
空いている場所だけ見て無理に加速すれば、白い機体の横腹へ突っ込んでしまう。
「先、どうぞ!」
逆向きに噴かし、輪へ向かう動きを止めた。
白い機体が前を通り、その後ろをリンの乗る黄色い機体が抜けていった。リンは輪の手前で向きを整え、抜けた時にはもう次の輪へ進んでいる。
俺が再び加速する頃には、二機とも五つ目へ向かっていた。
「うわ、二機とも速いな」
「まだ途中だからあきらめるなって!」
ビットが励ましてくれたが、俺は五つ目の輪へ機体を合わせるのに必死だった。
五つ目の先も、柱を避けて曲がる必要があった。今度は輪の手前から減速した。輪を抜ける時には左へ進み始めていたが、怖くて速度を落としすぎたみたいだ。
機体が輪の中で止まりそうになり、もう一度噴かして抜けると、前方でリンの乗る黄色い機体が白い機体に並びかけていた。
白い機体が柱の外側へ膨らんだ。リンはその内側を曲がり、六つ目の輪の手前で白い機体よりも前に出た。
俺も六つ目へ進んだ。急いで追いたかったが、さっきのように近くの輪だけを見ないよう、七つ目の位置も確かめながらだった。
その間にも差は広がり、リンが最後の輪を抜けたのは、俺が七つ目へ入る前だった。
八つ目を抜け、出口の表示に合わせて減速する。停止位置を少し越えたので、機体を戻して止めた。
『三機、完走。接触なし』
会場の声が告げた。画面には黄色、白、青の順に機体の印が並んでいる。
最下位だった。
『一、二、三番を最初に抜けたのは青のレンだったね。でも、その後、丁寧に全員へ道を譲ってくれました』
「実況しなくていいです、リンさん」
『でも、ぶつからずに止まれたじゃないか。あそこは良かったよ。こっちに戻っておいで。三番の手前から映像を見よう』
機体を返却位置へ戻し、操縦席から降りた。ビットがもう会場の画面を開いていた。
「ああ、悔しい!三つ目までは、絶対勝てると思ったのに」
「俺もだよ」
リンが俺の操作記録と、三機を外から撮った映像を並べた。
『レンが減速を始める少し前に、俺はもう速度を落としてるんだ』
映像では、青い機体が二つ目の輪を抜けたばかりだった。黄色い機体は後ろにいるが、既に前進を抑える噴射を始めている。
『レンは、輪を早く抜けようとした。俺は抜けた後の左折を考えてた。同じ速度で輪を抜けても、そこから壁に向かえば止まる時間が要るだろ?』
「手前できちんと減速した方が、早く曲がれるんですね?」
『この曲がり角ならね。どこでも減速すれば勝てる、って話じゃないよ?』
次に、白い機体と進路が重なった場面が映った。俺は四つ目の輪へまっすぐ向かおうとしている。
「ここも、減速が遅かったからですか?」
『最初の大回りはね。その後、白い機体がどこへ行くか見る前に、空いてる輪に向かっただろ?』
リンが、白い機体の進路を指でなぞった。
『相手も、そこへ向かってる。追いつく頃には、もう空いてないんだ』
「もし、俺が止まらなかったら、ぶつかってました」
『そうだね。あそこで止まれたのはよかった。次は、止まらずに後ろへ入る方法を考えてみよう』
リンの黄色い機体は白い機体の斜め後ろにいた。そのまま同じ輪へ突っ込まず、少し上を回って、白い機体が通り過ぎたところを抜けている。
同じ輪へ向かったのに、リンは一度も止まっていなかった。
「ルミ。リンさんの説明を記録しておいてくれ」
「音声記録を保存します」
「もう一度走りたいんですけど、時間はまだありますか?」
『もちろん、まだ走れるよ。負けてすぐもう一本って言うの、好きだな。次は俺の後ろを走ってみる? どこで減速してるか見やすいように、ゆっくり走るよ』
俺は青い機体へ向き直った。
「お願いします。今度は、ついていきます」
操縦席へ戻り、レバーを握った。リンの機体が一つ目の輪を抜けるのを待ってから、ペダルを踏む。先を行くリンがどこで噴射を切り替えるか、見失わないように追った。
三つ目の輪が近づく前に、ペダルから足を浮かせた。
まだ早かったのか、思わず踏み直しかけたが、リンの機体の足元で噴射が光った。俺も同じ向きへ噴かした。
輪を抜けた時には、壁へ向かう速度が落ちていた。レバーを倒し、左へ加速した。
四つ目の輪が、正面の視界に入ってきた。
「曲がれた!」
「レン!まだ先あるぞ!」
ビットが、今度は先に言った。
五つ目では速度を落としすぎたのか、リンの機体が離れていく。それでも慌てて追わず、次の輪へ向きを合わせてから噴射した。
リンの機体は、もう六つ目を抜けていた。
七つ目。八つ目。出口では停止位置の少し手前で止まり、短く前へ噴かして印に合わせた。
『完走。一回目より、十五秒短縮』
数字が表示された。最初に走ったリンの記録までは、まだ二十秒以上あった。
「やっぱり勝てないなあ」
「でも、さっきより速くなったじゃん。三番のとこ、今度はちゃんと曲がれたしさ」
「その部分、もう一回映像を見たい」
借りた機体を返し、ビットと並んで映像を見た。リンの機体のすぐ後ろで、青い機体が曲がっていく。操縦している時より、ずっとうまく動いて見えた。
『次は、同じ角で減速しすぎた分を詰めていこう。今日はここまで』
「また来ます。リンさん、ありがとうございました」
『こっちこそ。次も最初の三つは負けそうだな』
「その先も負けてくださいよ」
『それは、もっと上手くなってからだな』
笑って見送られ、俺は通路へ出た。脚は床に着いているのに、まだ、曲がる時の感触が残っていた。
競技区画の出口では、ポルカが簡易の売り台を片づけていた。先日の細長い袋は、残りが二本になっている。
「売れたんですね?」
『ええ。売れると思ってました』
「今の、前に言ってたやつだ?」
ビットが笑うと、ポルカも笑った。
『競技の合間に飲み物を買う方が多かったので、お店に置いてもらいました。レンさんたちは、どうでした?』
「負けました。でも、もう一回走ったら、十五秒速くなりましたよ」
『それは、十二クレドの甲斐がありましたね』
「見てたんですか?」
『声が聞こえました。リングランをする方は、よく来てくださるので助かります』
「ポルカ、いつも商売の話ばっかりじゃん」
『私も、今日は仕事がうまくいったんです。言わせてくださいよ』
ポルカの売り台を畳む手つきが早かった。俺は台の端を持ち、留め具が掛かるまで支えた。
ポルカと別れてからの帰り道、ビットは何度も三つ目の輪の話をした。俺も同じところばかり話した。
初めて体験したリングランの話で盛り上がった帰り道だった。




