第36話 初めての休日
ビットと並んで、船を出た。
連絡通路へ出たところで、ルミとの接続を確かめた。
「まだ聞こえるか?」
「はい。現在の位置で接続を維持しています」
今日は船のすぐ脇にある区画だけを回る。ルミとの接続が途切れたら、ビットと船へ戻ることにした。
通路の先には、食べ物の匂いがしていた。
開いた店先から湯気が上がり、その向かいでは作業服が何枚も吊られている。荷物を引く人の横を、手ぶらの二人連れが追い越していった。ビットは食堂の前で足を緩め、一食一クレドから食べられると教えてくれた。
「最初、どこ行きたい?」
「窓のところかな。外が見たい」
「なら、こっち」
ビットについて通路を曲がると、その先に青い雲が見えた。
大きな窓の外を、雲が流れている。下の方は雲が幾重にも重なっていて、底が見えない。その奥で青い雷が枝分かれし、厚い雲を内側から照らした。
「ここ、本当に惑星の上に浮いてるんだな」
「船から見えなかった?」
「画面では見たけど、窓から直接見るのとはやっぱり違うな」
窓へ近づき、下の方を覗き込んだ。雲の切れ間を見つけても、その下にはまた雲がある。
船腹に箱を幾つも取り付けた船が、窓の向こうを通り過ぎた。船の灯りが、近くの雲を白く照らす。
窓の隣には宿の案内があり、二つの部屋の写真に「20」と「40」が付いていた。
「これって広さが違うのか?」
「同じ。二十が窓なし、四十が窓あり。一泊の値段だよ」
「窓があるだけで値段が倍?」
「窓がない方でも外の映像は映せる。本物の窓がある部屋は、外側にしか作れないから。見るだけなら、ここはただだよ」
「じゃあ、もう少し見てから行こう」
次に入ったのは、同じ通路にある浴場だった。
ビットが受付の表示を指す。
「湯を張れる個室は、一人六クレド。タオルも付いてる。シャワーだけなら、もっと安いな」
「入浴する場合は六食分か」
「だから、毎日こっちに来る奴はあんまりいない」
受付から端末に届いた請求を読み上げてもらい、一人分の六クレドを払った。ビットは自分の分を自分で払い、隣の個室を選んだ。
服を脱ぐ前に、ビットにお湯の出し方などを教わった。ビットの操作を見てから、自分でも同じボタンを押し、浴槽に湯を張り始めた。
「もし困ったら、壁を三回叩いて。こっちから何か聞く時は、俺が二回叩くから」
「分かった」
腕時計の袋を内ポケットから出し、乾いた棚へ置いた。端末と上着も並べ、最後にスーツを脱いだ。
向こうの個室から聞こえたのは、ビットの声だった。スーツを着ていないので、言葉の意味は分からなかった。
湯を止め、足先からゆっくり浴槽へ入った。
温かい湯が膝を覆い、腰まで上がる。浴槽の縁に腕を載せて背を預けると、脚を伸ばせた。肩まで湯に沈め、しばらく天井を眺めた。
足先まで温まっていく。何時までに戻って何をしようなどと考えなくていいのが、ひどく贅沢だった。
湯を手ですくい、顔を洗った。
長湯はせず、浴槽の縁に腰を掛けて身体を冷ました。壁が二度鳴ってから、身体を拭き、スーツを着直した。腕時計の袋も、忘れずに元の内ポケットへ戻した。
「ルミ。聞こえるか?」
「再接続を確認しました」
「ビット、今から出る」
「おう。のぼせてない?」
「大丈夫。きっちり六クレド分は楽しんだぞ」
通路へ戻ると、ビットが俺の髪を見て笑った。
「後ろ、髪がまだ濡れてるじゃん」
「もう少し拭いてくる」
タオルを返す前に、ビットに濡れたところを教えてもらい、もう一度拭いた。髪の拭き忘れを笑われるくらい、普通に過ごせているのが嬉しかった。
浴場を出た後、さっきの食堂へ戻った。俺たちは一クレドの麺を一杯ずつ頼んだ。
席へ座ると、湯気の立つ器が出てきた。平たい麺の上に、細切りの肉と緑の葉が載っている。右手で匙を持ち、スープを飲むと、薄い塩味で、湯上がりにちょうどよかった。
「その赤い粉は何だ?」
卓の小瓶を指すと、ビットが自分の器へ中身を少し振った。
「辛味。入れすぎるなよ」
俺もビットと同じくらい加えた。麺をすすると、思ったより辛かった。水を飲んでいる横で、ビットは平気な顔をして食べていた。
「だから言ったじゃん」
「同じくらいなら大丈夫だと思ったんだよ」
「俺は辛いの好きだから。次は減らせば?」
「そうだな。これは俺には辛すぎる」
辛味を追加せずに食べていると、辛さにも慣れてきた。肉と麺を一緒にすくい、最後の汁まで飲む。ビットは俺の器が空くまで、席を立たずに待っていた。
食堂を出ると、通路の先で橙色の髪が動いた。
『レンさん、ビットさん。お休みですか?』
荷物を積んだ小さな台車の向こうから、ポルカが手を振っていた。
「はい。港を見て回ってます。ポルカさんは買い物ですか?」
『仕入れです。こういう日は、お客さんも財布が緩むので』
「休みだから?」
『港に大きな船が入ったんです。降りてきた方が何を欲しがるか、今のうちに見ておこうと思って』
台車には、細長い袋が何本も載っていた。飲み物に使うフィルターだという。
「それが売れるんですか?」
『まだ、分かりません。これでも売れると思って運んでるんです。もし売れたら、私は分かってましたって言いますけどね』
ポルカは、俺たちが笑うのを待たずに、台車を押し始めた。
『今度会ったら、品物が売れたか聞いてください。売れ残ってても、笑わないでくださいね?』
忙しそうな背中を見送り、俺たちは茶店の前の広場へ出た。
窓に向いた席で、昨日の二人が話していた。先に気づいたのは、ヴェラだった。軽く会釈すると、向かいのレティシアが振り向いた。
『昨日の台車、車輪を直してもらっていましたよ』
「もう引っ掛からなさそうでした?」
『ええ。あの通路も、楽に通っていました』
『今日は、お仕事ではないんですね?』
「初めての休みです。窓から外を見て、風呂に入って、麺を食べてきました」
『もう随分、回られたんですね?』
「まだ半分も歩いてないよ。これからは店の方だね」
ビットが、広場の奥を指した。
レティシアは、その指の先を見てから、手元の茶器へ目を戻した。淡い色の茶は、ほとんど減っていなかった。
『窓の外は、どうでした?』
「よかったです。宿だと、窓が付くだけで値段が倍になるって聞いて、しばらく見てました」
『では、こちらの席も高くなるかもしれませんね』
心配になって店の表示を見ると、彼女が小さく笑った。
『ごめんなさい。ここは、どの席でも同じです』
「……本当かと思いました」
『すみません。本当に信じてしまわれるとは』
「いや、俺に値段の知識が足りないだけです」
ビットが、隣で声を立てて笑っていた。俺もつられ、レティシアは茶器で口元を隠した。
帽子の下から、金色の髪が少しはねている。昨日より気楽そうな顔を見て、もう少し話していたくなった。
ただ、ヴェラの前には、用事の書類らしい端末が開いていた。
「じゃあ、俺たちは店の方に行きますので。チームの名前、忘れないでくださいね?」
『大丈夫です。《ノーホーム》、でしょう?』
広場を離れてから、ビットが俺の顔をのぞいた。
「楽しそうだったな?」
「お前だって笑ってただろ?」
「うん。レンはすぐに値札を探すから、面白くって」
否定できず、次の店でも先に値札を見てしまった。
小物を並べた店に、青い石の飾りがあった。窓から見た雲に似た色で、紐を通せば鞄に付けられそうだった。
「これ、妹に――」
言いかけて、口を閉じた。
妹の結衣なら、もっと実用的な物がいいと言うかもしれない。それでも、土産だと渡せば受け取るだろう。そこまで、いつもの買い物と同じつもりで考えていた。
「妹、いるんだ?」
「六つ下の妹がいるんだ。時計を買って、渡す前にこっちへ来た」
布袋を取り出し、時計の文字盤を見た。保護膜の下で、赤い秒針は止まっている。
「その時計、直してから渡すのか?」
「できれば、そうしたい」
時計を袋へ戻して内ポケットへ収め、飾りは買わずに店を離れた。ビットが、隣の食べ物の店を指した。
「レン、あれ食おう。今、切ってるやつ」
店員が赤い皮の果物を割り、黄色い果肉を細長く切り分けていた。刃を入れるたび、皿へ透明な汁が落ちる。
表示には「4」とあった。
「一個で四クレド?」
「一切れだよ。あの皿に載ってる分」
俺の掌より短い一切れだった。
「さっきの食堂なら、四回食べられるな」
『こちらは土で育てた果実です。このあたりでは入荷が少ないので、この値段なんです』
店員が説明してくれた。ビットは皿の端へ顔を寄せ、匂いを嗅いだ。
「これ、甘いやつ?」
『甘いですよ。よく熟していますから。一つずつ、食べやすく切ってお渡ししますね』
「七切れお願いします。二つはここで食べて、五つは持ち帰りたいです」
俺が言うと、ビットがすぐ振り向いた。
「七つ? 合計二十八クレドだぞ?」
「船にいる五人の分も。せっかくだから、食べてみてもらいたい」
「俺のも買ってくれるのか?」
「案内してくれたし」
「……いいの?じゃあ、遠慮しない。ありがと、レン」
店員に二十八クレドの請求を送ってもらい、読み上げで金額と店名を聞いてから払った。
渡された皿には、小さな二股の串が添えられていた。右手で持ち、切り分けられた果肉を刺す。
一口噛むと、甘い汁が舌に広がった。その後に酸味が来て、思わずもう一口食べた。三口で食べ終わってしまった。
「早っ。もうないじゃん」
「うまかった」
「俺、まだ半分あるのに」
「だからって、くれとは言わないよ」
ビットは自分の皿を俺から遠ざけてから、残りを食べた。持ち帰り用の箱は、俺が受け取った。
船へ戻る前に、残高を音声で聞いた。一万二千八百七クレド。入浴に六、食事に一、果物に二十八で、今日使ったのは三十五クレドだった。
持ち帰った箱を食堂へ運び、ドランへ渡した。ドランは箱を開け、果肉の様子を確かめた。
「うまそうだな。皆の分まで、ありがとな。よく熟しているから、今のうちに食べよう。人を呼んでくる」
五つの皿が卓に並ぶ。作業の手を休めて来たミラが、一切れを串で持ち上げた。
「これ、あんたが買ったのかい?」
「はい。俺たちの分は、向こうで食べてきました」
「レンなんて、三口でなくなったんだぜ?」
ビットが笑いながら言い、ミラも笑った。
「そりゃ、三口じゃ惜しいね。あたしはゆっくり食べるよ。ありがとね、レン」
俺は空いた椅子へ座った。ソナが果肉を口へ運び、ガレスがドランへ皿を渡している。トウマは、卓に着く前に端末をしまった。
ドランは、自分の皿を食べ終えてから、持ち帰りの箱をすすいだ。
「今度、同じのを見つけたら教えてくれ。料理に使ってみたい」
「これも、辛くするんですか?」
「俺のはな」
ビットが俺の隣へ座った。
「次は、辛味なしで食べたら?」
「ああ。次は、何も入れずに一杯食べたいな」
ビットと話している間に、卓にある五つの皿が全部空になった。




