第33話 操縦訓練
百回目は、格納口の縁に肩をぶつけて終わった。
画面いっぱいに赤い文字が出る。機体の映像が止まり、俺の前にあった港も、向こうで待つ《ラグナ》も消えた。
「今の、入ってたろ?」
「いーや、肩が入ってなかったな」
隣のビットが、両手で格納口の幅を作った。
「そこ、顔を突っ込むんじゃなくて機体が通るところだから」
「顔だけでも許してくれよ」
「現実で機体のパーツを拾いに行く俺たちのことも考えてな」
俺はレバーから手を離した。右手の指を、今度は思ったとおりに開ける。つい確かめてしまう癖は、まだ抜けない。
訓練を始めたのは三月十七日だった。カイルに捕まった翌朝、自分で頼んだはずの標準機シミュレータに座って、最初の五回は出発地点から動けなかった。
六日目の今日で、百回目。
旋回すると壁に当たり、壁を避けると戻れなくなる。ようやく入口まで来られた百回目に、頭から突っ込んだ。
「もう一回」
「ちょっと待って。今の記録、残すから」
ビットが隣の端末を操作した。ルミはスーツ越しに、俺たちの声と画面の読み上げを聞いている。機体が停止中の今は、画面を直接見たり、操縦を代わったりはできなかった。
「レン。接触したのは、帰投時ですか?」
「そう。最後の入口で左肩を当ててしまった」
「進入前に姿勢を変えましたか?」
「少し右へ向けて、入口の真ん中を通るつもりだったんだ」
「その操作を、ビットに再生してもらってください」
ビットが衝突直前の映像を出した。標準作業機の鼻先は入口の中央を向いている。だが、機体全体はまだ左へ流れていた。
「そっちか」
「うん。向いた方へすぐ飛ぶわけじゃないんだよ」
「百回も乗ったのに、まだ間違えるのか」
「前と間違え方は変わったじゃん。最初は入口まで来れなかったし」
ビットが再生を止めた。すぐに次の訓練を始めると思っていた俺へ、通路の方を顎で示す。
「今のを見てた人、いるみたいだけど?」
振り向くと、橙色の髪の女性が扉のそばに立っていた。青と黄色の上着には、小さな部品袋がいくつも留めてある。
『お久しぶりです、レンさん』
「ポルカさん。いつからそこに?」
『顔だけでも許してくれ、というあたりから』
「一番聞かれたくないところじゃないですか」
ポルカは笑い、抱えていた箱を作業机へ置いた。
『ミラさんに、試していただく部品を持ってきました。お邪魔でしたか?』
「いや。……上手くなってから見てほしかったなとは思います」
『では、機会があったらまた見ますね』
壁際にいたミラが、箱の封を切った。中には、交換腕に使う駆動部の見本が入っていた。
「これ、あたしが頼んだ方と型が違うよ」
『そちらは明日まで出せないと。同じ取付口の物を二つ、先に借りてきましたよ』
「二つ?」
『どちらかが合えば、もう片方は返します。両方合わなくても返しますけどね』
「取付口が同じでも、使えるとは限らないよ。先に測らせてもらうね?」
休憩に立った俺へ、ポルカが端末を差し出した。
『この端末を指で押すと音が出るんですけど、良かったらレンさん、右手で試してもらえませんか?』
ポルカが持つ端末には、五つの大きな丸の中に商品の絵が描かれていた。順番に押すと、品名が読み上げられる。
「これも売り物ですか?」
『まだ売り物ではないですね。文字を使用しない注文画面を作っています。文字が読めない方がブラシが欲しいのにタオルを買ってしまうのでは、困るでしょう?』
「俺で試すんですね?」
『文字が読める人に見せても意味がないんですよ。レンさんならいいかなって』
俺は言われたとおり、飲料容器の絵を押した。三種類の蓋が並ぶ。
「これって、どれを選べばいいんですか?」
『好きな形を選んでください』
「欲しいのは、液体がこぼれないやつなんですけど」
ポルカが画面をのぞき込み、何か書き込んだ。
『形より、使い道と性能を先に聞く、と』
「それ、俺だけかもしれませんよ?」
『もちろん、ほかの人にも聞きます。レンさんは、自分の欲しい物を選んでください』
近くで見ると、彼女の爪の横に青い塗料が付いていた。商品の絵を自分で描いたのかと聞くと、ポルカは少し嫌そうに端末を裏返した。
『そこは、あまり見ないでください。容器と袋の区別がつかないと言われたばかりなので』
「俺も絵は苦手なんで、流石にそこは手伝えませんよ?」
『……別の人に頼むことにします』
俺が笑うと、ポルカも、端末を抱えたまま笑った。
ビットが、消していた訓練画面を出した。俺はポルカへ礼を言い、座席へ戻った。
「ビット。さっきと同じコースで頼む」
「速度の上限も同じでいい?」
「同じで頼む。変えたら、できたのか分からなくなるから」
百一回目が始まった。
画面の向こうで格納口が開く。俺は推力を一度に上げず、格納口から作業機一機分ほど離れたところで止めた。
姿勢が保てているのを見てから、先へ出る。
漂ってくる二本の梁のうち、手前の一本が進路を横切った。間を抜けたくなったが、出力を絞って待った。梁が通り過ぎ、次の一本が来る前に、機体が通った。
カイルの槍も、最初は避けられると思った。
そう考えた途端、右へ大きく逃げたくなったがなんとか止めた。画面の端で《ラグナ》までの距離を確かめ、レバーを握り直す。
もう、帰り方は、分かっている。
船の向こう側へ回り、回収物の印へ近づいた。急いでつかむと、触れた勢いで物を押し飛ばした。その後、接近速度を落とし、左手でつかんだ。
視界の正面を入口へ向けると、今度も機体が左へ流れた。向きは変えず、右へ移動するための推力を少しだけ加え、左への流れを止めた。左右の肩と入口の縁との間に、同じだけ隙間ができた。
ビットはまだ何も言わなかった。
俺は画面の中央だけを見ず、両肩と格納口の隙間を確かめた。荷物を持ったまま中へ入った。
床の固定具が閉じた。
赤い警告などは出なかった。
「……これって、終わった?」
「終わったぞ」
ビットが画面へ顔を近づけた。
「接触なし。荷物の損傷なし。時間も六十八秒。合格だよ、レン!」
レバーを握っていた手を離した。もう一度画面を見ても、機体は格納庫に収まっていた。
「やった!」
「うん。やった!」
ビットが差し出した手を、俺も握った。勢いよく振られ、二人とも座席の脇へぶつかりかける。
「喜ぶのもいいけど、ここだと危ないわよ?」
ミラに言われ、俺たちは手を離した。
ポルカが机のそばで拍手をしていた。
『操縦が上手くなったところ、見られましたね!』
「まだ、訓練を一回できただけですけどね?」
『それでも、貴重な一回目でしょう?』
俺は笑って頷いた。
◇
訓練の後、ソナに右手首と首の測定シールを剥がしてもらった。
「この六日間、神経反応は順調に戻っています。今日の検査でも異常はありません。最初の負傷は治ったと判断します」
「機体にも、乗れますか?」
「はい。この怪我を理由とする搭乗禁止は解除します」
剥がしたシールが、机の上へ置かれた。首の後ろへ手をやる。何も貼られていない皮膚に触れたのは、ずいぶん久しぶりだった。
「恐怖心みたいなものも、そのうち治りますか?」
「無理に恐怖心は克服しなくていいのですよ。もしかして、今日、操縦席で何かありましたか?」
「途中で、カイルのことを思い出してました。でも、最後まできっちり機体を動かせましたよ」
「それはよかったですね。もし、眠れない日が続くようなら、また話してください」
「わかりました」
ソナは検査用の端末を閉じた。
「今日の仕事は、ここまでです。合格したお祝いには、私も呼んでくださいね?」
医務室を出ると、ガレスが格納庫へ向かうところだった。
「ソナから聞いた。体調は良くなったそうだな」
「はい。乗っていいと、言ってもらえました」
「なら、ミラの試験に付き合え。港と話はついている。今日は係留したまま、左腕と仮腕を動かすぞ」
格納庫では、港の担当者とガレスが、試験に必要な封印を解いた。機体は格納架に固定したままだ。
ミラが外側の点検を終えてから、俺は操縦席へ乗り込んだ。
「ルミ。接続を頼む」
「神経接続を開始します」
背中に弱い刺激が走り、二本爪の仮腕が自分の右腕の先にあるように感じた。動き出しは少し遅いが、どちらも簡単に自分で動かせた。
「仮腕も狙った位置で止まったか?」
「指定した位置で停止しています」
ルミが答えた。
俺は格納庫の作業机を見た。ミラが交換腕の候補にした部品を並べている。
さっきポルカが持ってきた箱の隣には、灰色の五指ユニットがあった。
「次は、あれを付けるんですかね?」
「付ける前に、あんたが何に使いたいかを聞いてからだね」
ミラの声が回線に入った。
「掴んだ荷物を落とさずに、自力で船まで戻りたいです」
「そうか。じゃあ、明日は装備の相談をしよう」
俺は二本の爪を、ゆっくり開いた。試験が終わって接続を切るまで、その動きをもう一度確かめた。
機体を降りると、ビットが格納架の下で待っていた。
「操縦席、どうだった?」
「やっぱり広かった。シミュレータよりもずっと」
「そりゃ、機体の大きさが違うしな」
当たり前だろ、と笑われた。それにつられて俺も笑った。港の担当者が封印を戻す間、二人でミラの作業机をのぞき込んだ。
今度は、あの手で何ができるかを考えていた。




