第32話 完敗
医務室を出た後も、右手の震えはすぐには止まらなかった。
ソナから休むよう言われ、船室へ戻った。それでも寝台に横になる気にはなれなかった。目を閉じると、《グレイ・ウルフ》の槍が胸へ向けられた場面を思い出してしまう。
俺は机に端末を置き、ルミに尋ねた。
「さっきの戦闘記録は残ってるか?」
「開始から帰投まで保存しています」
「見せてくれ。どうしてあんなに何もできなかったのか、確かめたい」
「右手の震えが続いています。休んでから確認することを推奨します」
「分かってる。でも、今は横になっても眠れそうにないんだ」
ルミは映像を表示しなかった。
「映像を見て症状が強くなったら、確認を中止します」
「分かった」
「ガレス船長からも戦闘記録の確認を求められています。小会議室で一緒に分析することを提案します」
俺には分からないことも、外から戦いを見ていたガレスたちなら気づけるかもしれない。俺は小会議室へ向かった。
小会議室には、ガレス、ミラ、ビットが先に集まっていた。
机の上には、旧採掘宙域での戦闘記録が用意されていた。ミラは機体の損傷記録を、ビットは《ラグナ》の外部映像を開いている。
ガレスが椅子を引いてくれた。座っても、机の下の右手は震えている。左手を重ねると、ミラが温かい飲み物を持ってきてくれた。手を伸ばして容器を包むと、蓋が小さく鳴った。
「ずっと持ってなくていいから、そこに置いときな」
容器から手を離した。俺の分まで画面を見ている人がいる。そのことが、さっきの船室とは違っていた。
ガレスの指示で、最初の回避動作から再生が始まった。
映像だと分かっていても、気持ちは落ち着かなかった。
画面の中で、俺は《エコー》が示した右側へ避けた。だがカイルは直後に推進方向を変え、槍の柄を仮腕へ当てていた。
「ここで止めてくれ」
ビットが映像を止め、《グレイ・ウルフ》の背中を拡大した。
「レンが右へ動く前は、背中の推進器は左右同じ出力だった。でも、レンがレバーを倒した直後に右側の出力が上がってる」
「じゃあ、《エコー》の予測が外れたわけじゃないのか?」
ルミが答えた。
「《エコー》は、その時点で観測できた動きから最大0.4秒先の候補を示しました。ですが、レンが右へ避け始めた後にカイルが推進方向を変えたため、予測も更新されています」
「更新された時には、もう避け直せなかったんだな」
「はい。レンは右へ避けるため、最大に近い推力を使っていました。反対へ動くには、まず右向きの速度を落とす必要があります」
右へ大きく避けた分、次の動きに切り替える余裕がなかった。
「最初から推力を抑えていたら、避け直せたのか?」
「可能性はあります。ただし、その場合はカイルの動きも変わった可能性があるため、結果は断定できません」
「相手も、こっちの動きを見て変えてくるんだな」
ビットが映像を進めた。
次は《ミスト》が広がった場面だ。航法線が揺れ、俺は左へ進路を変えてカイルに先回りされた。
「あの時も《エコー》は動いていたんだな?」
ガレスが尋ねた。
「はい」
ルミが《エコー》の候補と通常航法予測を、別々の色で重ねて表示した。
「《ミスト》の金属粒子で精度が落ちたのは、外部の観測情報から数秒先の進路を計算する通常航法予測です。《エコー》は停止していません」
「俺は航法線が揺れたのを見て、危ないと思って左へ切り返したんだ」
「はい。その切り返しに対し、カイルは後を追わずに先回りしています」
「じゃあ、逃げる方向まで読まれてたってこと?」
「……そうみたいだ」
「全部の逃げ道を塞いだわけじゃないんだ。レンが左へ切り返せば、追いかけずに先へ回れる位置にいたんだと思う」
ビットは切り返しの直前まで映像を戻した。俺が左へ向きを変えた直後、《グレイ・ウルフ》は追いかけずに先回りしていた。
「俺が左へ行かなかったら?」
「そこは分からない。でも、少なくとも左へ切り返した時は、もう相手の方が早かった」
カイルは俺の逃げ方を見てから動き、先に回り込んでいた。
次は、俺が仮腕で槍をつかもうとした場面だった。槍は爪の届く前に止まり、踵から放たれたワイヤーが右脚に巻きつく。
「ミラさん。もし右腕が壊れていなかったら、あの槍をつかめたと思いますか?」
「難しいねえ」
「今の仮腕には0.2秒の遅れがある。元の右腕なら反応はもっと速いよ?でも、あんたが腕を出した時には、相手はもう槍を止める準備をしてた。今の映像を見る限り、速さだけじゃ槍に届かないね」
「じゃあ、腕を直すだけじゃ駄目なんですね?」
「そうだよ。仮腕の遅れも原因の一つにはなる。でも、相手に動きを読まれたままじゃ、右腕を直しても同じことさ」
元の腕なら勝てたと思いたかった。でも、実際には爪を閉じるより先に、カイルが槍を止めていた。
「船長。最初に《ラグナ》へ戻ろうとしたのは、間違ってなかったんですよね?」
「ああ。撤退を選んだ判断は正しい」
ガレスは、俺と《ラグナ》の位置関係を表示した。
「問題は、進路を塞がれた後だ。お前は攻撃をかわすことに精いっぱいで、《ラグナ》との距離や民間航路の位置まで考えて動けなかった。今回、カイルを倒す必要はなかった。牽引索が届く距離まで戻ることを考えるべきだったな」
「あの槍を避けるだけで精いっぱいでした」
「だから訓練が要る。まずは自分で機体の動きを制御できるようになれ」
映像が、槍の穂先を胸へ向けられた場面に切り替わった。
右手の震えが強くなり、俺は画面から目をそらした。
「映像の確認を中止します」
ルミが戦闘映像を消した。ガレスも、それ以上の再生は求めなかった。
「俺は、《エコー》に出た進路が正解だと思ってました」
最初の戦場では、ルミの助けで生き残れた。輸送艇を守り、海賊巡洋艦の主砲も止めた。
あの時の成功で、自分の判断がどこまで通用するのか、考えなくなっていた。
「ルミが姿勢も推力も補助してくれる。だから、自分が進路を選べば何とかなると思ってたんです。
でも、相手が動きを変えた時に、即座に対応できませんでした」
ビットは黙っていた。ガレスも俺の次の言葉を待っていた。
「怖かったです。もし次、同じように槍を向けられたら、また動けなくなるかもしれません」
「それで、お前はどうしたい?」
「今すぐもう一度戦えと言われたら、断ります」
「今すぐやり直せとは言わん」
「でも、次も船長に助けてもらえるとは限りません。せめて、自分の力で《ラグナ》へ戻れるようになりたいです」
「《エコー》やルミの操縦補助に頼らず、標準機の操作を基礎から練習させてください」
「前に使ったシミュレータでやりたいです。船の入口に戻るところまででも」
ガレスはビットを見てから、俺へ向き直った。
「分かった。姿勢制御と位置合わせ、それから着艦訓練だ。終わったら、自分で何ができたか確認しろ」
「はい!」
「ビット。前に使った標準作業機のシミュレータを準備しろ。補助機能は最低限でいい。失敗しても自動で姿勢を戻さない設定にしろ」
「了解。前の記録もあるよ?三回とも姿勢を保てなかったやつ」
「それは覚えてるよ」
「なら、今度は記録を塗り替えようぜ?」
ビットはシミュレータの設定を呼び出した。
「ミラは操作レバーを調べてくれ。右手への負担はソナにも確認させる」
「分かった。あたしはレバーの重さと反発を見るよ。変に力んで壊されちゃ困るからね」
「頼む」
「ルミ。今日の戦闘記録は残しておいてくれ」
「既に保存し、自動削除の対象から外しています」
「そうか。助かる」
「次の分析に役立つ情報です」
机には戦闘映像の代わりに、八十三個に区切った記録の一覧が表示された。ルミは俺の操作と、カイルの動きが変わったところで分けていた。
今日確かめた三か所には、青い印が付いている。残りの数を見て、少しうんざりしたが、全部の映像を見終わるまで、何もできないわけではなかった。
「明日は、格納庫に戻る練習からだ」
「シミュレータ、朝までに空けとくよ」
ビットが端末を閉じた。
「最初、何を運ぶ設定にする?前は空荷だったけど」
「壊しても弁償しなくていい物にしてくれ」
「全部、映像だってば」
「なら、でかいので頼む」
ビットがくすりと笑った。俺は自分の手を見た。まだ手が震えているのに、不思議と今後の不安はなかった。
カイルに立ち向かうためだけではない。依頼で船外へ出ても、きちんと戻ってくるためだ。
「ルミ。今日確かめた三か所、訓練の後でもう一度記録を見せてくれ」
「了解しました、レン」
返事を聞いて、席を立った。今夜は端末を寝台へ持ち込まずに済みそうだった。




